十二狩目 バトルフィールドオブナートゥム
……どうも、おはようございますこんにちわこんばんわごきげんよう、カレルレン=ナガンさんじゅっさいです。
あれから半月が経ちました。
前後不覚になるまで飲んで飲んで飲まれて飲んで、醜態晒して同僚に腫れもの扱いされた翌朝を思い出しては凹んでいます。飛びたい。
薄らとしか覚えてないけど、銀河の歴史ならぬ黒歴史がまた一ページ刻まれてしまいました。どんだけ増えるんだ黒歴史。飛びたい。
しかもその痴態をガッツリシッカリ見られてました。飛びたい。でも飛ぶ前にオッサンたちぶん殴って記憶飛ばしたい。
とりあえず、あの日あの時あの場所で正気度ゴリッと削ってくれやがった神話生物(外見最大値オーバー)は、いつか必ずブチ殺そうと思います。ちょっと意味わかんないレベルの超絶美形だからって何やっても許される訳じゃねえんだよ。
返り討ちがオチ? それでも、そうとわかっても、戦わなくてはならない時があるんだよ、女の子には。
そんでまあ、盛大に壮大にプッツンした反動で軽く前後不覚に陥った挙句、避難誘導の後は書類とか証拠品漁ってた兄ちゃんに小脇に抱えられて国境越えしました。飛びたい。
そういや私、兄ちゃんの名前聞いたことないや。ないけど今んところ問題ないし、下手に深入りしないためにも、知らぬ存ぜぬでいいよね。はい可決。こっそり何タイルさんて呼んでなんかいませんよ?
ウェントスの協会が急遽用意した除染槽に、訳も分からず着のみ着のままぶっ込まれ、うっかり溺死しかかった後、苦甘酸っぱ生ぬるいゲゲボドリンク、もとい中和剤飲まされ、別件で来てたサコーの父ちゃんに、ステアーのおっさんとシグのおっさんと並んで正座させられてお説教されました。解せぬ。
そこから、アレ、見ちゃったよね? そらもうバッチリ。ってことで、思い出し正気度チェックが要りそうなクリーチャー見ちゃった(はぁと)、の結果、本来ならあと二階級上がらないと開示できない情報開示の流れになって、本当にあった怖い話に突入しました。何でや工藤。
うん、正直ヘヴィでした。ナメてたわー色々と。
まず、あの正気ゴリッと削って、精神から殺しにかかってきてるクリーチャーだけど、アレ、瘴魔っつーんだそうです。
今回のアレは、例のオクスリの過剰摂取でムリクリこさえた人工物だったと、回収・解析した結果判明したそうですが、実際はアレより殺しにくくて見た目も更にエグいんだそーな。うげマジか。
で、瘴魔ですが、アレは普人族、獣人族、岩人族、森人族を問わず、ケレンディアに存在する全ての人類種に対する敵対種、ともいうべきモノなんだそうです。
まあ、種族問わず、本能として人類種を喰うことが定着してるらしいしからしゃーないんだろうけど、それ以上に、そこに存在することで、周囲の環境を汚染するっつーのが大きいんだとか。
え、何それめっちゃ薄着で至近距離でガンガン殺ろうずしちゃったんですけど。ヤバくね? マジでヤバくね? と軽く焦ってたら、だから除染槽にぶっこんで中和剤一気やらせたんだろ、とのことでした。
で、この瘴魔についての情報統制されているのには、ちゃんと訳があった。グロい・ヤバい・えんがちょ、なだけなら制限の必要ないもんね。
制限されてる理由。それは、十四年前、ナートゥムを滅ぼしたのが、大侵瘴とゆー瘴魔による侵攻だからなんですと。
アレよりでかくてグロくて速くて死ににくいのが、怒りに我を忘れた王蟲の大群のようにナートゥムに雪崩れ込み、国を飲み込み、亡ぼした
年寄りたちは、自分たちより未来のある連中を逃がす足止めになるため、兵は一人でも多くの民を生かすため、老いた王は残ると決めた者たちのため、かの地に留まり命を落としたそうだ。
発生の一報にすぐさま反応したのは協会で、紫以上の傭兵を緊急招集して現地に向かわせ、次いで国境を接するヴェルパとウェントスが動き、どうにかナートゥムに押し留めることに成功したんだそうな。レリンクォル? あー、即位十何周年の祝賀でそれどころじゃなかったんだと。なにそれこわい。政治感覚的な意味で。メアリー・ステュアートもびっくりの空気の読めなさ加減だぞ、おい。
おっさんどもはそん時の大侵瘴防衛戦に参加してたそうで、そん時の功績で銀に昇格したんだそうな。
そんで、そん時同じ戦線にヴァカッポーがいたそうけど、女の方がもう、マジでぶっ飛んだ化け物だったらしく、話半分でも、それ何てメテオストライク? だし……え、もしかして:転生者ですかァー!? なんだけどっ!? マジかー。マジでいんのか私以外の転生者。アナタハソコニイマスカー。
なお、メテオストライク(仮)でどっかんどっかんと、ルーデル閣下もビックリなキルマーク更新した件の化け物は、その化け物っぷりからここウン十年から百ウン年出てなかった、天位の銘を授かったそうだけど、普通の女の子に戻ります、と結婚・妊活を理由に電撃引退したそうな。
で、天位つーのは、一種の名誉称号……でコーティングされた、汎用人型決戦兵器、異能生存体、人類卒業(物理)等々の、下手したら、単体で戦略規模の戦況ちゃぶ台返しできる怪物を御す枷、なんだろうなあ。ケープホナーよろしく、一国の王の前で机に足のっけて寛いでも許されるそうだけど、それって完全に懐柔策じゃね?
おっと、話がズレた。
そんなこんなで、小国とはいえ国一つ亡ぼすよーな、主食:人類種なんてビジュアル的にもえっぐい化け物がいて、しかも終了時期不明で絶賛封じ込め作戦展開中なう、でそもそも終了すんのかがまず不明、しかもそれを統率する桁外れの化け物がいるらしいとか、ちょっとー異界ジェノサイダー呼んできてーSDKはよ! どころの騒ぎじゃない。広まったら確実にパニック起こるレベルだもんね。情報統制するわなそりゃ。
その、桁外れの化け物については、瘴魔より更に高度な機密情報になってるとかで、そーいう化け物がいるらしい、とゆーふんわりした話で流されたけど……もしかしてもしかすると、あの神話生物がそうなんじゃね? とか思ってる私ガイル。
けど、生物ならワンチャンあるよね? 神話生物だって、うんと頑張れば殺せることもあるんだし。
瘴魔をぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺して、簡単に死なないアレを簡単にぶちっとぐちっとべしゃっと捻って潰して呼吸するみたいに殺せるようになれば、イケるんじゃね?
あ、やっばテンション上るわーアゲアゲだわー胸キュンするわーキュンキュンするわー殺したくて殺したくて震えるわー。今の私なら恍惚のヤンデレポーズを違和感なくキメられる。ような気がする。
いえね? あの時、あの神話生物、指で小突いただけなんですよ。胸骨体の上を、こう、とんっと羽毛が乗っかったくらいの軽さで。
それだけで、死んだと。死ぬことを、仕方ないことだから受け入れるしかない、絶対勝てない、だから殺される。そうやって一瞬でも認めた。認めて、受け入れてしまったんですよ、死を。敗北を。
精神が、肉体が、一瞬でも認めてしまった。
指で小突かれだだけなのに、ぞぶりと心臓刺し貫かれて、「あ、死んだ」って、何の疑問もなくそう思ってしまった。
そのせいで、戦いもしないのに、傷ができた。
死んだって思ったあの時、自分の胸を抉る刃物を、存在しない凶器を見た。実在しないものなのに、質感すら感じた。
その結果、戦ってもいないのに、皮膚が裂け肉が爆ぜ、傷ができていた。
気が付いたのは、協会で除染槽にぶっこまれた時。除染液がめっちゃ染みるから、染みてるとこ見てみたら何じゃあ、こりゃあ! だった訳でして。
内部魔力ガン回せば、ブラックジャックでもこうはいかないってくらい、跡形もなく治すことができる。傷自体をなかったことにだってできる。
できるけど、したくなかった。都合の悪いことを忘れて、なかったことにしようとしてるみたいで、あの化け物殺してやるって決意が、意思が濁りそうで、どうしても嫌だったから、あえて現地流の、時間も痕も残るやり方を選んだ。
お蔭で完治まで時間かかったし、サコーの父ちゃんが、思春期の娘の必殺技「親父ウザい」が思わず出そうになっちゃうくらいスーパー過保護タイムだったしで、すんごい気疲れしたけどね。
え? 「お父さんの服と一緒に洗わないで」はどうしたって? それはコッソリ実行するものであって、口にしたら……戦争だろうがっ!
とりま、いともたやすく「死ぬ」ってことを許容した自分を許さない。抵抗を考えもしないで、諾々と一方的に殺されることを認めた自分を許さない。あの化け物を殺すか、最低でも一矢報いらない限り、あの時の私を絶対に許さない。その誓約には、ちょうどいいかな、って。
無理ゲー、詰みゲー、どうあがいても絶望、マルチエンディング(死亡エンドのみ)な相手でも、あらん限りの力を振り絞り、最期の最期まで足掻いて抗って刃向かって、相討ちは無理でも、目玉の一つも穿り出し、ざまあ見さらせ舐めんなクソがと中指おっ立てて嗤ってやりたいじゃないですか。
そのためには、不殺と武器なしルールで楽しい殴り合いより、実物をひたすら殺すしかないと思うので、ちょーっと可愛いオネダリなんかしてみちゃいました。
だってほら、もう見ちゃったし。知っちゃったし。一応、レッサーだけど瘴魔殺っちゃえたし、イケんじゃね? って。
なので、パパぁ、カレルレン、リーデト(旧ナートゥム・ヴェルパ国境の、対瘴魔防衛最前線の要塞都市。現在進行形で封じ込め作戦が絶賛実施中。作戦終了まではエブリタイム戦時体制)の、瘴魔ぶちころし放題往きたいのぉ。死んでも自業自得だしぃ、死亡同意書にもちゃーんとサインするからぁ。ねえオネガーイ(はあと)、と。
……いや、実際んなナメ腐った物言いしちゃいませんけど、誠心誠意真心込めて、夜討ち朝駆けで拝み倒しましたら、何と! 体験学習講座的に一か月の滞在を! 許していただきましたァァン!
真心って、伝わるものですね。ハイライト消えた所謂レ■■目の全壊笑顔の勝利です。表情筋仕事した。
許可を貰ったなら、後はこっちのもんですよ。だから! 誰が何を言おうと! 私はリーデトに往くぞ! サコーの父ちゃんーッ!
向こうでも必要なものは手に入るだろうけど、月一で輜重隊が水、食糧、医薬品その他諸々の物資を運び込んでるっつーから、カツカツでないとしても、そう余裕はないはず。日用品の類は、様子見しながらインベントリ使えば何とかなるとは思うけど、いつでもどこでも使える訳じゃないから、ある程度自前で用意しいた方がいいだろう。
向こうに着くまでの間だって、同乗させてもらう輜重隊に迷惑かけるのもアレだし、かさばる水は別として、自分の食べる分くらいは用意しときたいし。
何より、最大の問題は、リーデトを要塞都市たらしめてる、瘴魔による空間の汚染への対策だ。
土地、水、空気、動物、植物。リーデトから先は、そのことごとくが汚染されてるし、リーデトだって全くクリーンとは言い難い。例えるなら、リーデトの向こうが巨大菌類の腐った海で、リーデトがウィンドバレー、みたいなもん。ただし、こっちのウィンドバレーは、あっちのウィンドバレーほど人に優しくない。
中和剤なら、リーデトには山ほど貯えがあるけど、汎用品は人によっては拒否反応でることもあるから、体質に合ったの選んで多めに用意しとけよ? と、渋々ながらアドバイスをくれたサコーの父ちゃんの背中は、妙に煤けておりました。短期でも、二階級上の職場体験の許可出るまで成長したことを祝ってほしいなあ、そこは。
つか、汎用品てあのゲゲボドリンク? 死ぬほど不味かったけど、不味いだけで特にアレルギー的な反応なかったし、汎用品でもいいんじゃね? と思わないでもないけど、折角のアドバイス。協会所属の調剤師に相談しながら、くっそ不味いドリンクタイプより効きがやや弱い、シガレットタイプを持ってくことに決めました。
ドリンクタイプよりかさばらないし、常用することで薬効が蓄積するから、効きの弱さも補えるし、何より不味くない。不味くない。大事なことなのでもう一度、不味くない。
試しに一本使ってみたけど、クローヴにシナモン、アニシードをごく少量混ぜたような、後を引かないほのかな甘さが、高い香りと心地よく爽やかな辛さを引き立てて、同じ中和剤なのに何でこんなに差があるのか、理不尽感ぱなかったですはい。
装備については、インベントリから現時点で使えるものを厳選するつもり。今使わずにいつ使うというのだ。
瘴魔の再生力考えたら、下手に切れ味のいい刃物だと、斬ったそばから細胞くっついちゃいそうだし、鈍器の方が相性いいかもしんないなー。
うーん、迷っちゃうなあ。シンプルでオーソドックスな鎚矛がいいかしら? それとも、ちょっとアレンジ利かせて朝星棒とか? 釘バットはパンキッシュだけど攻め過ぎってカンジだし、やっぱりトラディショナルな戦鎚がいいのかな? 思い切ってパイルバンカーとか冒険してみたいけど、上級者向け(制限縛り中)だからなあ。
なーんて、インベントリを覗き込み、きゃっきゃうふであーでもないこーでもないと一人コーディネイトを楽しんで、女子力向上に努めてみたり。どうも最近、洒落になんないレベルで女子力枯渇してるのに気が付いたものですから。石油だったら深刻なエネルギー危機が叫ばれ、代替エネルギー開発に国家予算が出るレベルで。ええ。
とまあ、準備万端整えて、輜重隊の出発に間に合うよう、余裕を持ってスキースを出立し、乗合馬車を乗り継ぎ乗り継ぎ進むこと二週間。めっちゃ注目浴びまくりながら、ヴェルパの「鉄の街」ことミヒに到着したのが、つい今しがた。
……うん、軽く身長超えてる戦鎚担いだ十歳女児いたら、そりゃあ目立つよね。
インベントリのことは隠しておきたかったんで、買ってきたフリして担いで持ち歩いてたから、そりゃもう目立つ目立つ。現在進行形で注目集めまくり。ああ、これが噂のファッションリーダーってやつなのじゃろかー。ギャワー。
そんな寝言はいいとして、ここミヒは、旧ナートゥムとウェントスの国境でもある天剣山脈――こっからでも見えるけど、八千メール級くらいはありそうな、登山家大喜びの名峰揃いの山脈でございます――から続く、泉鉱山脈にほど近い、一大製鉄拠点。あっちこっちに高炉が建ち、暮れ行く空を彩る炎の色が、大層ロマンティック。
同乗させてもらう輜重隊は、このミヒで各国からの支援物資を荷馬車に積み込み、八日をかけてリーデトに向かう。
出発は三日後。それまでは、手頃な宿で旅の疲れを癒しつつ、来るべき新たな旅への英気を養うことにしよう。気分だけなら遠足前の子供のよーにウキウキしてるけど、もちつけ自分。クールになれ。
幼女がお手伝いしてるとか、未亡人が経営してるとか、そーいうのは一切求めていないので、中年夫婦が出戻り娘と経営してる、可もなく不可もない手頃な宿を選び、前金一括で宿泊費を払って部屋を取る。
独り立ちする前に貯め込んだ分と、独り立ちしてから稼いだ分とで、懐具合は相当にあったかいから、この程度の出費はさほど痛くない。
大金持ち歩くのは怖いから、地下格闘賭博場の一件をネタに、ウイチタの旦那に保証人になってもらって、商工組合に口座開いたのは二カ月前。財産の七割五分は口座に移してあるけど、それでも世の十歳児どころか、手に職持った成人男性でも縁遠い額が懐に常駐しております。わあカレルレンさんのリッチー。
あ、商工組合も大陸規模の組織なんで、全国どこでも預金の引き出し預け入れが可能ですが、実績と担保と保証人が揃っていても、融資を受けるのは並大抵のことではないそうです。
即日キャッシング? 何ですかそれは。命より重いとまでは申しませんが、金はそう軽いもんじゃなかとですよ? 斬った張ったでお仕事してるので、金の重さには敏感なんです。
三日後からの、素敵な荷馬車の旅九日間に備え、ちょっと贅沢して取った一人部屋で、装備を解いてベッドに寝転び、見知らぬ天井をぼけーっと見上げる。
そーいや、協会に傭兵登録しようと思ったのが誕生日だったから、始源の月か。登録できたのは白の月だったから、三カ月かかったんだよなあ。スキースに拠点移して本格的に活動始めたのが、明けた翌月の玄の月からで。なんやかんやであの化け物に出会ったのが時の月の始めだったけど、今はもう誕の月に入ってるから……半年以上過ぎちゃってますやん。うわ早! 風が語りかけちゃうよ。はやい。はやすぎる。
てことは……うわ、あと二カ月で一年経っちゃうじゃん! 今年の残りあと二カ月しかねーですよ。あっと言う間過ぎやしませんかね時間さん。時間貯蓄銀行を利用した覚えはありませんよ?
つーか一年弱にイベント盛り詰め込み過ぎなんじゃありませんか人生さん。濃ゆすぎて胸焼けするレベルの濃度ですよ?
乗合馬車の振動でケツは痛いし、何となくで軽く人生振り返ってみたら、余りの濃さにお腹いっぱい過ぎて笑うしかないし……あ(゛)ー、何だろう。考えてたら一気に疲れた気がする。飯はいいから、風呂だけ入ってとっとと寝よう。なんだかとても眠いんだ。
† †
侵瘴防衛に最も積極的な国はどこかと問えば、十人中九人がヴェルパである、と答えるだろう。
ヴェルパは良質な鉄鉱石の産地であり、岩人族の技術者を東の大陸から招聘し、優れた製鉄と加工の技術を学んだ後は、ヴェルヴェリアの鉄および鉄合金を支えるまでに至った国である。
更に、金、銀、白金など、ヴェルヴェリアに出回っている貴金属の半量以上がヴェルパの産であり、貨幣の鋳造には欠かせぬ資源を押さえていることからも、国土はそう広くないものの、ウェントスに並び、強い影響力を持つヴェルパだが、ウェントスやクラマートのように、峻厳な山脈という天然の要害が存在せず、加えて、ヴェルパにとって命綱ともいえる泉鉱山脈の鉱山の中でも、最も優良な鉱床を抱えているのが最も旧ナートゥムに近い鉱山であるため、積極的にならざるを得ないのが実情だ。
ヴェルパに次いでウェントスとクラーマトもまた、ヴェルパほどではないにしろ、侵瘴防衛に積極的である。
クラーマトは、ヴェルパの北西、旧ナートゥムの北に位置する国だ。東西に長い国土の三割は湿地だが、海に面した湿地帯、という限定された条件でのみ生息する貴重な薬草の、人工栽培技術を確立し、主産業としている。他には製塩、漁業、獣人族との交易があるが、最も重きを置いているのは、やはり、栽培から製薬までを含めた医薬品産業だろう。
クラーマトとウェントスが積極的なのは、峻厳な山脈で隔てられてはいても、旧ナートゥムに広く国境を接しているという地理的条件と、クラーマトは前々王妃、ウェントスは現王妃が旧ナートゥムの王室の出であることが大きい。
防衛拠点である要塞都市リーデトへの支援は、主にこの三カ国が主体となって行っているが、ドナルーテほか遠方の諸国も、大侵瘴で大量に発生した旧ナートゥム難民の受け入れ等、直接的ではないが支援を行っており、対価がないことを理由に、レリンクォルのみが支援を拒否している。
もっとも、旧ナートゥムで産出した高品質の翡翠、瑪瑙、瑠璃、玉髄などの、以後価値が高くなることが予想される宝石類を所持していた難民だけは、受け入れを拒まなかったが、それらの半貴石と引き換えの一時的な支援であったため、レリンクォルに定着した旧ナートゥム難民の数は、実質ほぼ0に近い。
ミヒを出立して五日、各国からの支援物資を積んだ輜重隊の一行は、何事もなく、瘴魔による汚染の安全限界区域の境界となるホーラに到着した。
リーデトが破られた際には、第二防衛拠点となるホーラから先の一帯は、緩衝地域とされ、十四前の大侵瘴以降、完全に放棄された土地となっている。
居住や移動の制限はないが、踏み入る者は滅多といない。緩衝地帯に踏み入る者には、徹底した自己責任が求められるからだ。
例えば、緩衝地帯なら大したことない、と踏み込んだ者が、飢え渇いて行き倒れるか、緩衝地帯固有の猛獣に襲われ大怪我を負うかして、助けを求めて叫んだとする。ホーラの住人や、緩衝地帯固有の動植物の調査採取中の傭兵が、その叫びを聞こえなかったことにして無視し、結果、助けを求めていた者は死んでしまったとしても、その場合、責められるべきは叫びを無視した側ではなく、叫んだ側となる。
輜重隊はホーラで一泊し、十分な休息をとってからリーデトに出発する。ホーラからリーデトまでは、何事もなければ三日の行程だが、近付くにつれ、慣れた者でも精神的、肉体的疲労の度合いはぐんと跳ね上がる。
初めてリーデトに入る者――口さがない連中は処女などと呼んでいる――なら尚更のこと、その疲労は桁違いのものとなる。
今回、通常の支援物資と一緒に積み込まれまれたのは、そんな処女の一人である。
年の頃は、十三、四かその辺りだろう。積み荷の間で、身の丈の半分ほどある筒形の背嚢にもたれ、身の丈を大きく超えた戦鎚を膝に抱えて座る少年は、錠剤型の中和剤を口の中で転がしながら、外を眺めていた。
ホーラからリーデトまでの三日間で、中和剤の摂取を開始し、リーデトに着くまでの間に、向こうでの生活に必要な瘴魔による汚染への耐性を付けるのが慣例となっている。
顔を隠すように巻き付けた、わずかに灰色を帯びた長いストールから覗くのは、無造作に結った、烟る霧雨か、雪を孕んだ雲を思わせる色合いの柔らかな癖毛と、凍り付いた水面を思わせる、澄んだ薄青い双眸。
滑らかだが同じくらい冷やかで、鉱物めいた無機質な印象を与えるのは、色合いもさることながら、作り物めいて整った中性的な顔立ちと、成長期手前の、伸びやかだがほっそりした手足のせいだろうか。
軟質皮革の黒い細身のトラウザースに、太腿の半ばまである胡桃色の革長靴、手首丈の黒い革手袋。ぴたりと肌に沿う黒のハイネックに褐色の襟付き胴着。長革靴の数メル上まで届く、灰白色の軟質皮革を使った袖なしの上着を重ね、群青の帯で留めた上から、硬質皮革のポーチを通したベルトを斜めがけして更に留めている。
肘から下の一部と顔の他に、肌の見えている場所はない。
防具としては一見頼りなさげだが、どれもこれも、命を預けるなら下手な鎧より安心できるような代物ばかりだ。そんな代物を、特に気負うこともなくさらりと着こなす姿には、格好を付けたいませた子供の背伸びや、実力のなさを埋めるため、金に糸目を付けずに高価な素材を買い漁って仕立てたのが丸わかりの不釣り合いさとは無縁の自然さがあった。
協会からの紹介状を携えて少年が現れた時には、長年、輜重隊の隊長を務めていた男も我が目を疑ったものだが、先頃、レリンクォルで発生した人造瘴魔の一件で、問題の人造瘴魔を討伐したのがこの少年であると聞くに及んで、ああなるほどと納得することができた。
更に、未確認ながら瘴魔の上位存在に遭遇した可能性があるらしく、協会でもどう扱ったものか頭を悩ましていた節があり、リーデトに行きたいと言い出したのをこれ幸いと、輜重隊に放り込んだものと思われる。
聞けば、向こう一か月リーデトで腕試しをする予定だそうだが、立てた膝の間に抱え込んだ戦鎚が、瘴魔 狩りの獲物なのだろうか。
異常な再生力を有する瘴魔を殺すには、脳を潰すのが一番手っ取り早い。そのため、瘴魔狩りには鈍器を用いるのが一般的だが、再生力に加え、巨体ながら機動力が高い相手を鈍器の一撃で潰すには、膂力も必要となる。
見たところ、背はそれなりに高いが、どちらかと言えば細身の部類に入る少年に、巨大な戦鎚は少々、いや、大分厳しいのではないだろうか。身体強化を用いるとしても、短時間に爆発的な力を発揮する強化は、瘴魔狩りには不向きである。
一カ月などと無茶をせず、せめて半月、一週間程度にしておけばいいものを、と思わないでもないが、一人の送迎に人手を割くなら、月に一度の輜重隊の隙間に捻じ込んだ方が経済的だ。
さて、来月まで持つか持たないか。後続の馬車の連中との賭けでは、大穴狙いで「持つ」に賭けた隊長としては、是非とも持ってほしいところである
輜重隊の構成は、協会の魔道具技術者と、魔法と魔道具の研究のためなら魂も売ると評判の、イカれた技術者集団、大賢が共同開発した、小さな貯水池一つ分の真水を貯め込める、大型の魔道具を積んだ荷馬車が四台。同じく大容量の輸送用魔道具に収めた、ヴェルパの鉄とウェントスの食糧、クラーマトの医薬品を積み込んだのが八台で、リーデトに居ついた、命知らずどものための嗜好品が、同じ魔道具に収められて一台。合計十三台の荷馬車で構成されている。
十三台の荷馬車が行く、ホーラからリーデトにかけての街道には、棺担ぎの稼ぎ道、冥府下りの一本道など、物騒な呼び名が無数についている。それこそ、枚挙に暇がないほどに。
物騒な名前の街道を彩っていた、鬱金、金糸雀、赤紅、深緋、黄赤、橙に彩られた森林が、煤を擦り付けたようにくすんだ低い灌木の群れを経て、地べたに張り付く地衣類と、死人の指のように捻じくれ枯死した木の骸に取って代わる頃、冬も間近い誕の月であることを考慮しても、いささか冷た過ぎる空気はまとわり付くように重く、息苦しさを感じさせるようになる。高く澄んだ空の蒼が、薄墨色の霧に塗り込められたかのように淀んでいき、いよいよ冥府の入り口といった様相を示し始めたころ、リーデトの大塞壁が現れる。
明確な姿形を持って現れた恐怖を前に、それを押し込め、封じ、鎖すため、形振り構わず作り上げた巨大な檻。それが、リーデトの大塞壁を見た者が、一度は抱く感想だ。
輜重隊の姿を認めたのだろう、ぎ、ぎ、と軋んだ音を立て、手前に横たわる深く広い空堀へ、跳ね橋が下される。
堀の底には、燃焼剤を封入した密封容器が大量に埋められており、大塞壁が破られた際には火が放たれ、リーデト諸共焼き払われる手筈となっている。
橋のたもとには、橋護官のための石造りの小屋が建てられ、そのすぐ側には大型弩砲と投石機が設置されていた。
大型弩砲も投石機も、外側ではなく内側――リーデト側を向いており、外敵より、中の敵に対して備えていることが見て取れる。
付け加えるなら、小屋の地下室に用意された投石機用の砲弾には、空堀に埋設されたものと同じ燃焼剤が封入されている。
輜重隊が橋の手前まで来ると、小屋から現れた橋護官が、停止を呼びかけてくる。
橋護官は、ヴェルパ、ウェントス、クラーマトから派遣された人員が務めている。外部とのやりとりは彼らを通して行われるが、それ以外、たとえばリーデトの治安維持などに首を突っ込むことはない。万が一の際の知らせを国元へ届ける鳥を世話し、輜重隊のために橋をかけ、万一の時はリーデトを、生存者の有無に関わらず火の海に沈める任務を負う彼らは、何らかの理由で一線を引いた騎士がほとんどだ。
ゆっくりとしてはいるが、侮れないことがよくわかる身のこなしの橋護官が、橋の手前で停止した輜重隊の荷を、一台一台改め始めるものの、荷台をざっと見回す程度でそう厳しいものではない。
厳しいのは、寧ろ出る時だ。
リーデトでしか採取できない血晶玉の未加工品や、調査目的以外の旧ナートゥム領内の動植物の外部への流出は、リーデトを要塞化し、対瘴魔防衛の最前線基地にすることを定めた、ヴェルパ・ウェントス・クラーマトの三国間条約によって、固く禁じられている。
違反すれば、家財没収と旧ナートゥム領内への追放という、極めて厳しい処罰が下されるのだ。
一通り荷馬車を改め、輜重隊が正規のものであることを証明する割符を確認した橋護官が、顎をしゃくって行け、と指示を出す。。
少年については、協会から事前に「鳥」が送られていたようで、特に咎められることもなく、協会の認識票の提示を求められただけだった。
輜重隊が渡り終えたところで、跳ね橋が再び上げられる。
大塞壁の前、輜重隊が余裕を持って整列してもまだ余る広場で、積み荷を降ろし始めると、上から、大きな檻のようなものが降りてきた。
大塞壁に据え付けられた滑車を使った、昇降機だ。
大塞壁には、荷馬車はおろか、人が通るための門扉すらない。
瘴魔を封じ込める。それ以外の一切を考慮することなく設計され、巨大な岩を積み重ね、ただただ強固に、向こう側にいる悍ましいものを遮るためだけに築かれた大塞壁は、巨大な墳墓のようでもある。
入るだけなら簡単で、死んで出るのも難しい。生きていくのは尚更で、生きて出たなら語り草――誰の作かは不明だが、積まれた岩に刻まれたそれは、リーデトという都市の性質を、実に端的に表すものと言えるだろう。
広場に降りた昇降機の檻の中に、輜重隊は黙々と物資を収めた魔道具を搬入していく。
檻の五分の三ほどまで積み込んだところで搬入をやめ、檻を閉じ、閂をかけ、頭上の相手に合図を送る。
降ろすときよりも慎重に、檻はゆっくりと上昇し、大塞壁の上まで達すると、方向を変えて内側へと降ろされていった。
檻が再び輜重隊のいる広場側に降ろされたのは、それから二十分後のことであった。
檻の中には、空であることを示す印章が押された魔道具が積まれており、それを搬出しては、中身の入ったものを搬入していく。
往復の回数が、二十と六回を数えたところで、ようやく搬入する荷物はなくなった。
空の魔道具を荷馬車に積み込み、帰り支度を始めた輜重隊の隊長に、少年が音もなく歩み寄った。
「九日間、お世話になりました」
ありがとうございました、と頭を下げると、くるりと踵を返し、檻へと近付く。
礼さえ済めば後は用なし、と言わんばかりの薄情さだが、リーデトでやっていくなら、そのぐらいでちょうどいい。
戦鎚を背負った少年を乗せた檻が、ゆっくりと上昇していく。
そういえば、名前も聞いていなかったと、輜重隊の隊長が気が付いた時には、檻は既に大塞壁の内側へと降りた後。
天剣山脈の上から、陰気な顔でこちらを見下ろしているのは、死病を患った老人の肌のような、褪せた土気色の月。
ミヒの歓楽街に囲っている女の体が、無性に恋かった
化生の血潮で濡れた街。
地獄の底と人の言う。
前線の街に、力に憑かれた亡霊が蘇る。
情無用、命無用の死に狂い。
この命、金六銭也。
次回、狩り暮らしのカレルレン。
カレルレン、危険に向かうが本能か。




