六狩目 毒薬な令嬢
小石を跳ね飛ばし、もうもうと土煙りを巻き上げながら、二輪幌馬車が砂利道を進む。
華奢で小ぶりな二輪幌馬車に、凸凹の砂利道は全く不向きであるが、御者はお構いなしに、鞭を振るって馬車をひく黒毛を駆る。
大鹿の角と果実、狩猟用の止め刺し槍を組み合わせた車体の家紋は、ウェントスの副王都でも指折りの豪商、ユーバーシュス商会のものだ。
御者台の後ろにある、一人掛けにしてはゆったりとした座席では、繊細なレースで縁をかがった鉄紺色のヴェールを顔の前に垂らし、同じ鉄紺色のドレスに身を包んだ令嬢が、ぐったりと背凭れに身を預けていた。
年の頃ならば、十四、五といったところか。
ヴェールに隠れて顔は見えないが、銀の巻き毛が流れる、水鳥の首のようにほっそりとした首、背から続くしなやかで細い腰回り、未婚の未成年であることを示す、脹脛の下まであるスカートの裾から覗くすらりと伸びた足と、レースの手袋で覆われた手は形がよく、修道女より慎ましやかに、見せまいと肌を覆い隠す装いが、却って蠱惑的だ。
令嬢は、ユーバーシュス商会が、顧客であるさる貴族から預かった大事な賓客だ。
故に、万が一にも令嬢の身に何かがあれば、ユーバーシェス商会は大変まずいことになることは、商会の長であるジャコモと妻のイルケから、上は一番番頭から、下は小僧まで直々に申し渡されていた。
にも関わらず、御者は賓客である令嬢の意に反して目的地を大きく外れ、人気のない郊外へと突き進ませている。
周囲の光景が、わずかな水と少ない養分でも育つ灌木の間に、痩せてねじくれた糸杉がまばらに生えた荒地へと代わる頃には、中天を過ぎていた日も地平に沈んでいた。
二輪幌馬車を牽く馬の脚が止まったのは、荒地の外れ、まばらな雑木林との境にある狩猟小屋――だったぼろ小屋の前だった。
逞しい若駒とは言え、長時間、休みもろくになく走らされ、気息奄々といった有様である。
御者は若駒を二輪幌馬車に繋ぐハーネスを外してやろうともせず、座席に座る令嬢を、半ば引き摺り下ろすように外へと連れ出す。
ふらりとよろつく足元の危うさを気遣うでもなく、御者はひどく下卑た顔をぶら下げてぼろ小屋の扉を叩く。
錆びた蝶番のきしみと共に開いた扉の内側からは、手っ取り早く酔える以外長所のない安酒と、鮮度の落ちた叩き売りの葉巻の刺々しいいがらっぽさが、垢と汗の饐えた臭いと混じり、耐え難い悪臭となって流れ出てきた。
小屋でとぐろを巻いているのは、レリンクォルから流れてきた冒険者崩れたちである。
食い詰めて冒険者になったはいいが、鳴かず飛ばずうだつも上がらずで、自分より若い連中に追い越されていくうちに、実入りはそれなりだが、誇りも糞もない犯罪の下請け屋にまで落魄れた連中だ。
彼らが怯えたように身を竦ませている令嬢に向ける目は、どれも酒に血走り、獣欲に塗れている。
彼らの今回の「仕事」は、大恩あるさる名家からユーバーシュス商会が預かったご令嬢を誘拐し、疵物にすることだった。
ユーバーシェス商会が雇っている御者の腕を折ったのも、ここにいる冒険者崩れである。
御者は、あれこれ手を回してその上の誰かが入れたようだが、知ったことではない。
依頼元がどこの誰で、何の目的でそれをするかなど、考える必要はない。
ただ、回ってきた実入りのいい「仕事」で美味しい思いをするだけでいい。
だからここまで落魄れたのだが、そのことに気付けていたなら、とっくにこの境遇から這い上がっていたことだろう。
立っているのがやっと、といった風情の令嬢に、葉巻の脂で黄色く染まった歯を剥き出しにして、にたりと下卑た笑いを浮かべ、冒険者崩れの一人が手を伸ばし、ヴェールを毟り取る。
はらりと頼りなく落ちたヴェールの下から現れたのは、緩く波打つ銀の巻き毛であった。
結わずに流したままの髪に縁取られた、小さな顔に施された薄化粧も、青ざめた頬を隠し切れてはいない。
伏せられた目の、頬に影を落とすほど長い睫毛と、ごく薄く淡紅藤色の紅を引いた唇が、慄くように震える痛々しさは、冒険者崩れどもを煽っただけだった。
獣欲を剥き出しにした冒険者崩れの手が、令嬢のドレスの首元へと延び――
「……あ゛え?」
ごとん、と、何か重たいものが床に落ちる音がした。
急に軽くなった腕に、冒険者崩れが肘を曲げる。
ない。
手首から先が、ない。
そこにあるはずのものが、ない。
「おけぇえええええ!?」
一呼吸置いて、思い出したように噴出した血と、脳天を突き抜けた痛みに、冒険者崩れの口から奇声が上がる。
手首から先のなくなった腕を抱え込み、おわあおわあと喚く冒険者崩れの頭には、痛み以外何もない。
「……喚くな。空気が汚れる」
溜め息交じりに呟く声は、澄んでいるがやや低めで、年若い少女とも、変声期前の少年ともつかない中性的な音程と、金属的な硬さと冷たさを帯びていた。
声の主は、令嬢だった。
怯え、身を竦ませていたはずの令嬢の右の薬指に、薄いレースの手袋の上からはめられた、唯一の装飾品である銀色の指輪は、二つの指輪となって、左右の人差し指にひっかかかっていた。
よく見れば、二つの指輪の間に、細い細い、髪よりも細い、生赤い糸の橋がかかっている。
ぽたり、と糸から落ちた滴が、小さな水玉模様を床に描く。
鉄錆の臭いのする、小さな赤い水玉模様は、一つ、二つと数を増やしていく。
何が起きているのか。
これはどういうことなのか。
事態を把握しきれず、軽い恐慌状態に陥り、揃って硬直している冒険者崩れたちと御者を見据える、淡い青で彩られた令嬢の瞳は、どこまでも冷たく――無感情であった。
† †
ドーモ、転生後初スカートの感想は「スースーして落ち着かない」だったツァスタバさんじゅっさいです。
あとヒール高い靴って怖い。
水泳やってそうですね、と言われそうな肩幅を誤魔化すための肩周りは、動きこそ阻害しないものの、無駄に多い布が邪魔くさいし、スットーンとものの見事に平坦な腰→尻のラインを、少しでも女っぽく見せるためのバッスルもどきも非常にうっとおしい。
それは、それだけは勘弁してつかぁさい、と借金や年貢のかたに娘を連れていかれるおとっつぁん(七、八十年代の時代劇だと大体殺される)の如き悲痛な懇願が通じ、ギッチリ締め上げられるとゆー恐怖は免れたものの、拷問道具の胸部は寄せて上げても大鑽井盆地、ギッチリ詰めた綿のおかげでやっとこさ盛り土した平原でございます。
仕上げのスッピンよりも自然な薄化粧は、お届け物係でお近づきになった娼館の御姉様方の魔法としか言えない。
リアルに「これが私……!?」になったもん。ホント化粧って凄い
なお、今回の女装につきましては、ごくちょっと部分的な事情を説明したら、一部の御姉様方が総力を挙げてご協力下さいました――曰く、美少年の女装って背徳的でステキ(はぁと)、とのこと。
その場でいきなり全裸に剥かれるとかはしませんでしたが、結構ギリギリでした。なにあれこわい。
では、何故にこんなナリをしているかと申しますと、話は「ちょっとコンビニ行ってくる」のノリで独り立ち宣言した、二か月前のあの日に遡ります。
殺るときは殺るけどオンオフもきっちりつけられるデキル子になったし、ここらで冒険者になっとこうかなと、本当に、本っ当にコンビニでガリバルディくんアイスと本塁打バーどっち買おうかな感覚だったんですよ?
それが、気づけば「独り立ちしてやってけるか今回の仕事任せるからやってみろ」とか、何ということをしてくれやがったのでしょう。
そんな子供のおつかい感覚で仕事回さないでいやマジで。
仕事自体は、わりと単純なんですよ? ええ、そえれはもう清々しいほどに。
ふた昔以上前の、ヤー公使った土地転がし的な方向で業績伸ばして調子くれちゃってるぽっと出の成り上がりが、何をトチ狂ったか、その程度じゃどうしたって転がせない相手なのに「これで勝つる!」みたいに勘違いしちゃったんですね。
横溝的に言うなら、先代当主がまだガッチリ実権握ってるのに、現当主の氏素性も定からぬ妾が、瀬戸内海の孤島の医者と村長と和尚に喧嘩売っちゃった、ってやつ。
つまり、最初から勝ち目が虚数。詰みゲー。どうあがいても、絶望。
で、喧嘩売られた相手の方も、もうね、害虫駆除の外注なんですよノリが。
それも、農業害虫や貯穀害虫、衛生害虫、食品産業や財産、家畜、文化財に対する害虫の駆除じゃないんですよ。
だって困らないから。害をなせないくらい、力の差がありすぎるから。
ただ単に、そこにあると気分を害するから駆除しといてね、なんですよ。
アホども、歯牙どころか洟すらひっかけてもらえてないってことに気付いてないんですよ。
これって私がんがらなくてもいいんじゃね? とか思ったりしつつ、それでも、すごく頑張りました。
駆除についてのインフォームド・コンセントだってきっちりしたし、二か月前から流す噂に信憑性持たせるための仕込みもして、一か月前から話をそれとなく流し、半月前から「お預かりした令嬢」に化けて撒餌して、アホが引っ掛かるのを今か今かと待っていたのですよ。
依頼元が、似たような手口でやられたとこにも手を回してたっぽくて、めっちゃやりやすかったですねー。特に信憑性持たせるための仕込みと、噂流すあたりが。
でもあれ善意じゃない。絶対善意じゃない。着せてる。めっちゃ恩着せてる。
大人になるって、こうして汚れていくことなの……? 大人になるって、かなしいことなの……。
なぁんて言ってる場合じゃなくて。
これからホイホイ釣られた実行犯のアホを駆除して、実行犯と教唆犯をつなぐパイプの御者にアレコレ歌ってもらわなくちゃいけないんですよ。
それが済んだら実行犯とパイプ揃えて教唆犯のとこにお届けして、二度目はないことを、言葉ではなく心で理解していただかないといけないし。
本当はね、もっとこう、スカッとしたお仕事がしたいんです。
もっと明快な害獣駆除とか野盗駆除とか、ドロッとした社会の裏側勉強じゃないのがやりたいんですよ。
ちくせう、これも大体ドライゼのおっさんのせいだ。
苛立ち! ぶつけずにはいられない!
ってな訳で。
この二年で劇的に機能が向上した表情筋を動員し、微笑を浮かべる。
蕩けるように甘く、どこまでも柔らかに、しかしあくまでも清楚に。
蜜を滴らせ芳香を振りまく純白の百合の、恥知らずな清らかさ、と抽象的かつこっ恥ずらかしい表現で御姉様方に徹底的なご指導のもと会得した、会心のコロス微笑だ。
なお、“豚(ヒト科)を踏みつける際の、無価値極まる物体以下のモノを見る超低温のマナザシで”とのアドバイスに従い、目だけは絶賛死滅中ですが、何か……って、え? あれ? これあかんやつじゃね?
ヤンデレ? ドロデレ? いいえヤンドロです、みたいなあかんやつになってんじゃね?
少なくとも3Dで存在してたらあかんスマイルじゃね? これ。
……だ、大丈夫! 大丈夫だ問題ない! ないったらない! 気のせい木の精ドリアード!
小首を傾げて可愛さアップで中和できないだろうか。
あ、無理ですかそうですか。
でもまあ、とりあえず。
「……死んでくれる?」
さ、さーてツァスタバちゃん頑張っちゃうぞー。
今宵の“みんなだいすき厨二武器シリーズ”は血に餓えている。
† †
傷んだ床の上を、黒いハイボタンブーツの踵が打つ軽やかな音が弾む。
とん、たたん、とん、と弾んだ音を立て、冒険者崩れたちの間を、互いの息がかかるほどの、ほんの数メルの近さまで踏み込んでは素早く距離を取りながら、カドリーユでも踊っているかのような優雅な足取りで縫う令嬢――いや、令嬢の皮を被った人喰いの獣の、すんなりと長い人差し指が、愛でるように空をなぞる。
そのたびに、ひゅ、と押し殺した溜息に似た音とともに、武器に伸ばした手が、首が、風に吹き飛ばされる花のように、いとも容易く落ちていく。
それなりに戦闘経験のある、冒険者崩れの首が全て落ちるまで、十分とはかかっていなかったろう。
銀の巻き毛とドレスの裾をふうわりと靡かせ、微笑みを崩さぬまま、息一つ切らさずにハイボタンブーツの踵を揃えたそれが、腰を抜かしてへたりこんだ御者に、視線を向けた。
理性ごと魂までも蕩かされそうな艶やかさと、額ずきたくなるような敬虔さを呼び起こす清廉を同時に宿す微笑みと、己と同等の存在と思っていない、そこいらの木石どころか、塵芥にすら値しないモノを見る眼差しに射抜かれ、だらしなく緩んだ御者の口から、ひき、き、き、と上ずった声が涎と一緒にあふれ出す。
一種異常な状況に、頭がついてこれなくなったらしい。
はあ、と憂鬱そうな溜息をつくそれの顔から、微笑みが消える。
それだけで、印象は面白いほどに一変した。
色合いは滑らかな白絹ながら、金属の硬さと冷たさを思わせる面にあるのは、拷問吏の被る頭巾の無表情だ。
「ぎゃっ!?」
風切り音を上げて振り下ろされた腕の先、存外大きく、しかし薄いてのひらが、容赦なく御者の横面を打った。
薄いレースの手袋は、緩衝材としては全く役には立たなかったようだ。
撓る手首が、振り下ろされる腕の運動と重量を無駄なくエネルギーへと転換し、御者の横っ面へと、打撃となって手の平から一気に叩き込まれる。
強烈な一撃を受けた頭部の後を追うように、切れた口内からの出血と鼻血を撒き散らしながら吹っ飛ばされた御者のもとへ、それは、ことさらゆっくりと歩み寄った。
「いつまで呆けてる?」
前屈みになり、野辺の花を摘む淑やかさで伸ばされた手が、御者の髪を、根元から引き抜かんばかりの力で鷲掴む。
そのまま、腕一本で持ち上げられ、跪くように膝立ちの姿勢を取らされた御者は、どうにか目の前のそれを懐柔しようと、無抵抗を示すように両手を上げ、へらりと卑屈な笑みを浮かべた。
「な、なあ、落ち着けよ。悪かった、俺が悪かった。なあ、俺を殺さなかったってことは、俺は、助けてくれるってことだろ? なあ、そう」
だろう、と続く予定の言葉は、御者の耳元を通り過ぎた音にかき消された。
ひゅん、と空気を裂く音の直後に生じた、側頭部の灼けるような熱さ。
頬に飛び散り、ぬるりと生温かく湿った感触が首を伝い落ちたあたりで、熱さは激痛に変じ、悲鳴を上げた御者が激痛に身を捩れば、掴まれていた髪がぶちぶちと引き毟られていく。
その様を、どこに隠し持っていたのか、細長く華奢な、飾り物のような刃物を手に、温度のない目で眺めているそれの足元に落ちているのは、御者の顔の横に、ついさっきまでくっついていた部品だ。
まだ人体としての温度が残るだろう部品を爪先で小突き、ひたりと刃先を御者の鼻の付け根に添える。
「他の部品をなくしたくないなら、今からする質問に答えろ。……お前の飼い主は、誰だ?」
頭の中で、ありとあらゆる罵りの言葉を目の前の化け物と、こんな化け物を引っ張り出した糞野郎に投げつけながら、御者は口を開いた。
へらりと笑った顔には、ごってりと卑屈が塗りつけられていることだろう。
そこに、腹を見せ強者に服従する追従の色を乗せれば、あるいは。
だが。
「ゆ、ユーバーシュスの」
「ユーバーシュスの旦那、か? 違うだろう? ユーバーシェス商会に入り込み、今回の一件のためそこの連中を動かすよう、お前に命じた奴のことだ。……もう一度聞く。お前の飼い主は、誰だ?」
鼻の付け根に押し当てられた刃物が、するりと肉に入り込んだ。
じわじわと、しかし確実に、明確な意志を持って動く刃物の冷たさ以上に、こちらを見据えるひたすらに美しく――美しいだけで、何の感情も揺らぎもない薄青い一対の宝石の威圧に、御者の背を、痛みのせいだけではない汗が流れていく。
これは、違う。
こんなもんで誤魔化されてくれるような、甘っちょろいタマじゃない。
増してや金で転ぶクチでもない。
「飼い主に忠義立てするなら、それはそれで構わない。もっとも、お前のような狗は、わが身の保身が第一だろうからな? そういう狗は大抵、飼い主に裏切られた時の保険をかけているものだ。……ああ、お前を黙らせて、保険を探した方が早いか」
鼻の付け根にあった刃物の冷たさと、髪を掴んでいた手が離れ、首の後ろに、無数の百足が縺れながら這い回るような感覚が走る。
小さく折り畳み、ベルトの内側に隠した羊皮紙へと動いた目の動きを、それは見逃さなかった。
次の瞬間、首側面に手刀を叩き込まれた御者は、荷馬車に轢き潰された蛙のような呻きをあげて、意識を手放した。
受け身も取れず倒れた御者を、それは相変わらず冷やかな眼差しで見下ろし、お仕着せの、膝丈の折り返しがある長革靴、上着、袖無し胴着、ズボンはベルトごと手早く剥ぎ取っていく。
着るものが血で汚れたシャツと肌着のみになったところで、手首、足首、肘、膝、股関節、肩関節、顎関節を外された御者の姿は、ぐにゃりとした肌色の海鼠のようだ。
作業を終えたところで、それはベルトを手に取ると、内側にある不自然な縫い目の糸を、ナイフの刃先で切り、縫い目を開いた。
小さく折りたたまれた羊皮紙の存在を確認して、酒瓶が並ぶ粗末なテーブルにベルトを置き、腕にかけていたお仕着せを椅子の背にかける。
レースの手袋を外し、ドレスの首元に手を伸ばし、手触りのよさそうな、幅広の鉄紺のリボンを解くと、背に流していた銀の巻き毛を、首の後ろで一まとめにくくった。
顔の両側に落ちる髪は、首の後ろでくくるには長さが足りず、顎の先でくるりと巻いた毛先が踊っている。
首筋を覆う高いレース飾りの襟は付け襟だったようで、鬱陶しいとばかりにむしり取り、椅子の座面に投げる。
首元から肩にかけてをカバーしていた付け襟がなくなり、露わになった首筋は白く細いが力強く、思いの外しっかりとした肩幅が見て取れた。
続いて腰の両脇に結ばれたリボンを解いて、スカートにボリュームを持たせていたバッスルを外すと、腰の後ろに手を伸ばし、スカートのボタンを外してペチコートとドロワーズごと床に落とす。
ドレスはワンピースではなく、ブラウスとスカート、バッスルでドレスらしく見せていたらしい。
背中から腰にかけてのラインの美しさと腰の細さは変わらないが、足の付け根より少し丈の長い、ぴったりとした黒い肌着に覆われた腰から下、すっきりとした無駄のない、のびやかな脚は確かに美しいが、山岳地帯に生息する大型の山猫の、しなやかな強靭さを宿したそれに、少女らしいまろやかさ、柔らかさはない。
がばりとブラウスをたくしあげ、少々手荒にビスチェコルセットを引っぺがすが、腰の細さははがす前とほぼ同じだ。
そこだけは自前だったようだが、本来は胸を形よく見せるためのカップ部分には、大量の綿が詰め込まれている。
ブラウスの首元のボタンを二つばかり外し、椅子の背にかけたズボンと上着、袖無し胴着を着込み、ゆるいウエストをベルトで押さえ、脱ぎ散らかしたものを拾い集め、丁寧に畳んでテーブルの上に置くと、思いついたように手の甲でぐいと唇を拭った。
柔らかな淡紅藤色が手の甲に移って、やや薄い唇はとたんに硬質さを帯び、目元に刷かれたごく淡い色を、親指の付け根で同じように拭えば、現れるのは、大きくはあるが怜悧な切れ長。
高い背、しっかりとした肩幅、すらりと長い手足をしているが、ほとんど目立たない喉仏や、まだ幼さの拭いきれない頬は、十かそこいらの少年のものだ。
十四、五の少年が同い年の少女に化けるのは難しいが、十の少年が十四、五の少女に化けるのは、そう難しいことではない――もっとも、ある程度の素材のよさを求められはするが。
さすがに長革靴をはく気にはなれなかったようで、足元だけはハイボタンブーツのまま、床に落ちている御者の襟首を掴み、小屋の外へと引きずっていく。
二輪幌馬車のそばまで来たところで、一度手を離し、御者台に上って座面を上げる。
ちょっとした荷物がしまえるようにできているそこに、よいせ、とぐんにゃりした御者を収納し、また座面を下す。
「あ、いけね」
一仕事終えた風で馬車を降りた少年は、そう呟くと思いついたように馬のハーネスを外し、逃げないよう手綱を持ち、小屋の傍に生えた糸杉につなぐと、小屋の中へと取って返した。
少しして、どこにあったのか大きな盥を持ってきて馬の前に置くと、糸杉からやや離れた場所にあった井戸から水を汲み、盥になみなみと注ぐ。
ぶるる、と鼻を鳴らし、盥に顔を突っ込む勢いで水を飲みだした馬の首筋を優しくひと撫でしてやり、少年は再び二輪幌馬車に向かう。
後部座席の座面を上げ、しまってあったなめし革の背嚢を引っ張り出し、中から大きな麻の頭陀袋と、青い格子柄の布包み、藁で編まれた緩衝材で包んだ瓶とを取り出した。
格子柄の布包みの端からは、瑞々しい林檎の赤色が除いている。
どうやら、ここで食事を取る気らしい。
「……いただきます」
冒険者崩れの首を三つ落とし、人ひとり海鼠にしたばかりとは思えぬ朗らかさで、少年は膝に置いた布包みを開く。
遅い月の青白い顔は、どこか少年によく似ていた。
この話の間違いを探しなさい。
答え:少年の女装じゃなくて少女の正装を作者が忘れている




