二十五撃目 家に着くまでが遠足ですが、目的地に着ても遠足が終わらない件。
はーっるばる来たぜセぇぇーッドぉぉぉぉ~♪
どうもこんにちわ、道中で銀河の歴史ならぬ黒歴史がまた一ページしちゃったツァスタバです。
あれれー? みたいなあざとスマイル&子供ボイスとか羞恥プレイどころの話じゃねーぞ。もう恥ずか死ぬわ。
予定ではセドには明日の夕方着く予定でしたが、途中ステアーさんのお陰で荷馬車に便乗することもう一回、割れんばかりのケツの痛さと引き換えに、大幅に過程を省略できました。夕日が目に染みるわー……。
お客様の中に、板バネ・サスペンション・ゴムのタイヤにお心当たりのある技術チート系転生者の方はいらっしゃいませんかー! と世界の中心で叫びたくなりましたわホンマ。
なお、黒歴史作っちまったYo! の宿ですが、翌朝出発に際して生ハムとルッコラ挟んだバゲットサンドを、朝食とは別にサービスでいただきました。
うん、やっぱあれ誤解されてるよねー。単に今後二度と会わないこと確定ってだけで、どっちも生きてるし。
……あれ? そう言やあそこん家って何て家だったっけ。ぶっちゃけ興味ないことに関しては、海馬さん仕事してくれないんですわ。これは前世の頃から変わってなかった模様。
オンナスキーじゃったろかー? ギャワー。あれ? 違ったっけ。えーと、ココナッツトゥーホールドとかア○ラックとか何とか、そーいう感じだった的なことしか既に覚えてないとか、海馬さんも大概だわー。
さて、ここセドから三日も街道沿いに行けば、ドナルーテの王都であるスターバトでして、その最後に来るのがジョン・ラン○ーもといドライゼのおっさんなのですが。
いやね、予定より相当早く着いたのに、宿に行ったら既にスタンバってらっしゃるとかどんだけー。
飯屋と飲み屋を兼ねた一階で、日も沈みきらないうちから、グラス片手に葉巻をふかしていらっしゃいます。
思わず宿代節約用の鳩雉四羽、落っことすとこだったやないかーい。
多分、ポカーンのAAみたいな顔してたんじゃないかな、私。
何で先回りしとんねん、と顔に出ていたらしい。
「そりゃ歩きと馬とじゃ早さが違うからな」
競歩の隣を颯爽とセヴ○ェイが走り抜けてくようなもんじゃね? それ。
つか、馬って個人持ち出来るの? いや、馬って労働力である以上に軍需物資でしょ? 農家の馬は労働力だし、個人としてではなく一家の共有財産として所持してるんだろうし。もしかしたら複数家族の共同財産ってとこもあるだろうし。
さすがにレースに出すサラブレッド程じゃないだろうけど、維持管理費だってかかるべ。
と思ったら、貸本屋ならぬ貸馬屋なるものがあるそうで、一定区間を一定金額で貸し出すのだとか。
宿場町には、基本的にどんなに小さいとこでも貸馬屋があり、借りたとこでなくても貸馬屋ならどこに返してもいいそうな。レンタルサイクルですね分かります。
元々は戦時下に伝令の早馬を確保するためのものだったのが、長い平和の中、先を急ぐ旅人の足として根付いたそうな。
ただ、万が一のため国が一時的に民間に経営を委託してる状態で、あくまで根本は国が握っていて、万が一の時には、速やかに軍が接収するそうな。
へぇー。
つか、世間話のノリでそーいうことをポロリしないで。
冒険者ギルドん時に散々ポロリされたから。寧ろあれモロリだったから。当分ポロリもモロリも結構ですから。
はぁー、とため息をつきつつ、宿代節約用の鳩雉を宿の主人に渡す。
よく肥えた鳩雉は、セドのちょっと手前で荷馬車を降りて狩ってきたものだ。この大きさなら、一羽で一家族三世帯のメインを二回は勤められると思う。
勿論血抜きもワタ抜きもしてある。血抜きワタ抜きはもうね、手抜きしちゃいけない作業だから。美味しいものを食べたいなら、妥協は敵です。
でだ。
現時点をもって、最後の保護監察官であるドライゼさんへの引渡しがなされた訳ですが。
とりあえずスターバトまでは全力で猫を被っておけと、囁くのよ……私のゴーストが……。厄ネタのニオイがプンプンするぜぇー! と。
え? 今更被る猫がいるか、と? 大丈夫だ問題ない。ないったらない!
にやにやと人の悪い笑みを浮かべるおっさんたちに、がっくり疲れがのしかかる。
ただでさえケツの痛さにSAN値が削られてるとゆーのに、このおっさんどもときたら……!
あ、そう言や今日はステアーさんとは同室じゃないんだよね。ドライゼのおっさんに引き渡し完了してるし。
となると今日はドライゼのおっさんと同室になるのかな? それとも別部屋?
部屋どーすんの、と視線で問えば、ドライゼのおっさんは、宿の主人らしいどすこいとしたマダムに、
「おう、部屋ぁ頼むぜ。一人部屋二つだ。そこの坊主の方は、割引利くだろ?」
「あいよ。……おまえさんも年貢の納め時かねえ。で? 心当たりはあるのかい? ま、坊はお父っつぁんに似なくて良かったねえ」
って、うを! 流れ弾キター。
違うから! 全力で違うから! 生物学上の父親別にいますから! 存在は記憶の彼方だしぶっちゃけカテゴリ:どうでもいいだけどドライゼのおっさん違うから!
全力で首を横に振ると、マダムはからから笑って豊満なウエストをぽんと叩いた。
ああ、吉本の女芸人のス○ンドが、マダムの背後で腹ポーン叩いてわははと笑っていらっしゃる。
「おまえさんの部屋はいつもの部屋だよ。坊の部屋は二階の奥から三番目を使いな」
そう言って、ほらよ、と投げ渡された鍵をキャッチする。
丈夫そうな鉄製の鍵には小さな木の札が付いていて、大分すり減っていたけど木の葉の図柄が刻まれていた。
旅館とかによくある『○○の間』みたいなもんか。
「……ありがとう」
ぺこりと頭を下げ、帯の間に鍵を挟み込む。
ちょっとした小物やなんかが挟めるので、結構便利な帯ですが、いざって時にはロープの代わりや止血帯にも使えてまあお得、なんですねー。
基本装備のベルトやら帯やらは、止血帯とか包帯とかの代替品前提だし。ま、ちゃんとしたファーストエイドキットは持ってるけど、転ばぬ先の杖とか備えあれば嬉しいな、ってやつですはい。
「もうちょっとしたら晩飯だからね。坊はその前に風呂入っといで」
さっさと危険地帯を離脱しようと腰を浮かすと、すかさずマダムの声が飛んできた。
晩ご飯前にお風呂入っちゃいなさい、とか非常にかーちゃんである。これで晩飯がハンバーグとか唐揚げだったら益々かーちゃんだ。あと、ポテトサラダとほうれん草のおひたし、イカと里芋の煮っ転がしがテーブルに載ったら更にかーちゃんだと思う。
和洋折衷どころか和洋中折衷がかーちゃんクオリティだけど、ヌクモリティでもあるのがかーちゃんのかーちゃんたる由縁なんでしょうか。
ま、そんなかーちゃん論は置いといて、風呂です風呂。
飛び石宿場町にも共同浴場はあったけど、結構混んでたからなー。ちょっと小さめの銭湯みたいな感じで、非常にアットホームです。
大きな街の宿の内風呂は、共同浴場ほど広くはないけど、宿泊者しか使わないからそこそこゆったりできるし。
荷物置いたら風呂入ってくるか。古代ローマ人と日本人ほど風呂を愛する人種は、滅多におりませんからぬ。
「わかった」
さーて、風呂だ風呂。
見えなくてもツァスタバさんはっさいなので、女湯として使ってる時間でも入れるのよね。つかそもそも元から♀だし。XX染色体だし。
ついてないことをつい忘れそうになる今日この頃、自分の女子力に危機感を感じます。骨格の女子率と一緒に駆け落ちでもしましたか私の女子力さんや。
ハハキトクスグカエレ、とスベテユルス、どっちなら帰ってきてくれるの女子力=サン。
上がった二階の部屋で旅装を解き、軽装になったところでいざ鎌倉。
肉体に引っ張られてるのか、最近じゃ風呂上がりの一杯に欲しいのが、冷ったいビールじゃなく冷たーいフルーツ牛乳になってたりする。
早く成人したいです安西先生……!
† †
さて。
ドライゼのおっさんと、一応の目的地であるドナルーテの王都、スターバトを目指してセドを出立してから、大体三日が過ぎました。
何かもうんで、すごく普通なんですわ。フツーに親戚のおっさんが子供連れてちょっと旅行してるって感じ。
菊○郎の夏とか、ラストでホロリとくるちょっといい話でまとまるロードムービーの、途中でカットされる部分みたいに、拍子抜けするくらい超平和。
泊まった宿も、ものっそく普通だったし。あ、でも食事は美味しかったかな。昨日の宿の、ピーターウサギのお父さんとか、マジ美味でした。
ウサギ肉の甘さ、美味さがしっかり味わえるアレを、ローナーさんとの道中で獲った、あのでっか美味いウサギで作ったら、どんなに美味くなるんだろう、って思ったらそれでけで涎出た。
兎にも角にも、気張りすぎ、と言われたこともあって、そこそこに肩の力を抜き、ほどほどの隠行で、当たり障りのないただの子供という猫を丁寧に被っての三日間。
小学生な高校生探偵のメンタルさすがやな、としみじみしてます。まあ、あの事件との遭遇率考えれば、チタン合金製メンタルってレベルじゃねーぞ、も納得いくし。
それでも宿代割引のためウサギやら雷鳥の大きいのやら鳩雉やら狩ってくるのは止めなかったけど。
よーく考えなくてもお金は大事。まあ、金は命よりも重い! とは言わないけど、金がないのは首がないのと同じ事なのは、どこでも変わらないのです。
それに、ちょっとくらい息抜きしたっていいジャマイカ、人間だもの。
かくして四日目を迎えました全英オープン、もといドナルーテオープンも最終日、残すところあと数時間でしょうか。
街道上には遮蔽物もなく、概ね直線コースなので見通しはいいですねぇ。
ただ、グリーン手前にラフならぬ、スターバトの圧倒的な街壁手前の微妙なアップダウンと、ちょっとした雑木林がかすめているのが見えますが、どうでしょう。
ああ、あれはちょっと問題ですねえ。
……そう、例えば日が沈み、暗くなりつつある時間帯、これといって武器を身につけているように見えない二人連れ、しかも子供なんて足手まといのオプション付きの旅人には、特に。
ちょっぴり首の後ろにモゾっとした感じがね、さっきっからするんですよ。
奥歯にひょろ白いエノキが挟まったみたいなモヤっと感っつーか、そういうスッキリしない感? みたいなのがこう、もだもだと。
なお、市川家におけるエノキとは、雪かき分けて山ん中で取ってくるどっしりした代物なので、スーパーのひょろっと白長いアレが世間で言うところのエノキだと知った時にはホント驚いたっけ。
自然と眉間に皺が寄ってくるのを、ドライゼのおっさんは何が面白いのか、人の悪っそーな顔でこっちを見ていた。
天下御免の向こう傷があるでもなし、あるの皺だし。何がそんなに面白いんだか。拝観料取るぞ。
そうしてる間にも、何とももだもだしたスッキリしない感じが、濃くなっていく。
ああ、苛々する。こいうのは嫌いだ。殺る気ならキッチリハッキリ殺る気をだな……って、ん? 殺る気?
あ、そうか。これ殺気だ。おっそろしいほどのナマクラっぷりのお陰で気付くの遅れたけど、確かにこれは殺気、いや、害意だ。
もだもだとはっきりしないのは、対象が誰であってもいい、そういう曖昧な指向性のせいだろう。
無差別な害意、よくある「誰でもよかった」って言うアレに近いのか? だからこんなに苛々するんだ。
ちらりとドライゼのおっさんを見れば、難しい問題を解いた生徒を見る教師、にしてはかなり人の悪い笑いを口元に浮かべている。
あー、はいはい。そういうことですか。とっくに気付いてましたよね私より早く。
性格悪いわーこのオッサン。
あのスッキリしない気配に気付かなかったら、多分このオッサン、ちょっと用事思い出した、とか何とか言っていたいけな子供をほっぽったに違いない。
サコーの父ちゃんに言いつけんぞゴルァ。
が、そんなこと言ってる場合じゃなさそうだ。
雑木林のかすめているポイントは、なだらかなアップダウンのダウン部分にある。街壁の上に歩哨が立っていても、完全な死角にはならないが、気付くまでにはちょっと時間がかかるだろう。
こんな場所放置してるとか、どうかしている。訳がわからないよ。こーいう死角になりそうなとこから真っ先に潰してくもんだろ。
「どうする?」
歩く速度を少しだけ緩めたドライゼのオッサンが、声だけで問う。
向こうがこっちをスルーしてくれるなら、放置一択。理由? そんなもん、もしかしなくても:めんどくさい。ですが何か。
なので、
「……りんき、おーへんで」
向こうの出方次第、ってことにしておこう。
こっちをスルーしてくれるんなら、わざわざ藪を突きに行かなくてもいいだろう。
スルーした結果、私らの後に通った誰かが面倒なことになるかもしれないのは理解してるが、こちとら正義の味方じゃござんせん。
誰も彼も、「かもしれない」で手を伸ばすような聖人君子じゃないし、そもそもいたいけな八歳児に求めるこっちゃなかろうて。
つか、そもそもそーいうポイント含む面倒の種を放置してる、スターバトのお役人とか軍人とか騎士とか兵士とか、そっちの責任だろJK。
なんだけど……相変わらずポンコツな会話機能のお陰で、難しい言葉を覚えたての子供が、意味も分からずやたら多用してる系の微妙な発音になってるのが、もうね。
こんなことなら「てきとー」とか言っときゃよかった。
「そうかそうか、りんきおーへんか」
プークスクスしながら微妙な発音でリピートするドライゼのオッサンや、毟るぞ。髭を。
髪は長い友達だし、古代ローマの時代からの野郎ども諸君の深刻な悩みの原因の一つだし、さすがにそれを毟るほど鬼じゃないからねー私。
そもそも毟れないけど。実力差なめんな。
スルーしていただくのを期待しつつも、叶わなかった場合に備えて、心の準備は忘れずに。
どう頑張ってもドライゼのオッサン相手の追い剥ぎは無理ゲーどころか詰みゲーだと、頭ではなく心で理解してくれる奴がいればいいんだけど。
だってね、ドライゼのオッサンもだけど、サコーの父ちゃん含む保護観察官の皆さんどいつもこいつも、ぶっ殺すと思ったなら、既に行動は終わっているタイプばっかですけんのー。
問題のポイントが近付く。
もだもだした気色わっるい不っ細工な害意が、密度を増す。
あーもー、あーもー、なんでそう致命的に空気読めてないんだよ。読めよ。あ、これ無理ゲー超えてる詰みゲー(ヘルモード)だって。
溜息の一つも出るっちゅーねん。
はあ。
† †
憂鬱そうに溜息をつく子供に、ドライゼはおや、と片眉を上げた。
めんどくせえ、と、そんな声が聞こえてきそうではあったが、どこかでこうなるのを予測していた節もある。
臨機応変、と言ったその中に、手出ししてこなければ無視する、が含まれていたことと言い、なかなかにいい性格をしている。
ここで見逃した場合、後続に被害がないとは言い切れない。
だが、子供――ツァスタバは、その可能性を理解しながらも、無視という選択肢を作っていた。
子供らしい、夢見がちな正義感を持ち出すこともない割り切りっぷりに、世間一般の八歳の子供とは別種の生き物と思う方がいいだろう、とドライゼは考えていた。
これなら、次の仕事に"大老"から金を払ってひよっこを借りなくても済むな、と、頭の中で既にツァスタバを使うポジションまでできつつある。
だが、その前にどこまで"できる"かを自分の目で見ておきたい。
はあ、と再び憂鬱そうな溜息をついたツァスタバの手が、腰の後ろに伸びる。
ごく自然な、流れるような仕草で帯の下から細いダガーを引き出し、掌の中に隠すのも、実に手慣れている。
面白い。
過剰な気負いも躊躇いもなく、淡々と戦闘の――殺し殺されの準備を進めるその有り様は、端から見れが異常だろう。だが、ドライゼはその異常を異常と認めた上で、面白がっている。
結局のところ、ちょっと若いかちょっと年を食っているかの違いであって、己とこの子供の根本の部分はかなり近いのだろう。
ざわ、と膨れ上がるナマクラの害意に、ドライゼもまた、何気ない仕草で隠し持っていた拳鍔を取り出して、両拳に握る。
害意はナマクラでも、ここ最近のスターバト近辺で起きた追い剥ぎのうち、死者を出した数件が、雑木林に隠れている連中によるものなのだが、無論そのことをドライゼは知らない。
知らなくても、害意をもってやってくる者に対する情状酌量の持ち合わせなど、元々ない。
「できるか?」
何が、とは言わない。
その問いに、ツァスタバは、
「前にも、やった」
そう返してきた。
「そうか。なら――」
「分かってる」
目線すらも合わせず、段取りもないまま、進む。
王都手前、緩い起伏のある丘陵の、雑木林が覆い被さる特に窪んだ辺りに差し掛かった。
気配どころか足音すらも隠さないのは、そもそも隠す気も、その技術もないからか。
背後に三人、前方に三人。二人連れ、しかも片方は子供というハンデがあるのだから、実際は一対六。勝ち目は十分と判断したのだろう。
ざ、と雑木林の間から飛び出した六人組は、自分たちの優位を確信していた。
中年男とガキ二匹、特に武器を帯びている様子もないとくれば、無理もない。
つい三日ほど前の男は行商人だったようで、そこそこの金を持っていたが、今度のはどれほど持っているか。
銭の持ち合わせが少なくても、身ぐるみ剥げばそれなりの金になる。
金を出せ、だの身ぐるみ置いてけ、だのやっているのはまどろっこしい。死体にしてしまえば、小銅貨一枚、下着一枚余さず漁れるのだ。
それを浅ましいと感じる感性も罪悪感も、とっくに手放したから、生きている。
そんな連中だったが、ただ、今日に限っては運にとことん見放されていたのだと、思い知る羽目になる。
雑木林から飛び出し、突然のことに狼狽える旅人の頭に鉄棒を振り下ろし――刃物は手入れが面倒な上、派手な出血を伴うので、折角剥いだ衣類が金にならなくなるからだ――後はくたばるのを待てばいい。
だが。
「遅ぇ、減点だ」
力任せの、しかし必殺であるはずの鉄棒が打ったのは、空気と地面。
「へ?」
間抜けな声を上げた男の目に飛び込んできたのは、何か四角い金属の塊のようなものだった。
それが、分厚く重たい金属板を貼り付けた拳鍔だと理解することもないまま、男は顔面を大きく陥没させて、その場に崩れ落ちた。
ならば、と子供を人質に取ろうとしたのはいい判断と言えよう。
当の子供が、規格外であることを除けば。
目深に被ったフードの下、面倒な用事を言いつけられたように嫌そうな顔を垣間見た男の目が、中心に向かって一気に寄る。
何かが、目と目の間に立っている。そこに視点が集まったせいだ。
立っているのは、柳の葉に似た細長い楕円形の金属である。
きひぃ、とおかしな声を上げた男の目がひっくり返った。
とん、と軽やかに地面を蹴り、白目を剥いた男との距離を詰めた子供の手が、眉間に突き立ったそれを抜き取るが早いか、背後に迫る男の眉間に投じる。
振り向きざまではあるが、申し分ない速度をもって放たれたそれは、大の男の頭蓋を貫くだけの威力があった。
二人目の顔面を陥没させた中年男が吹き鳴らした口笛の、場違いな陽気さに、襲撃者はやっと、自分たちの手に負えないものに手を出したことを理解した。
理解したからと言って、どうなるものでもない。
顔面の陥没した男と、眉間にすらりとした溝を作った男の合計が六になるまで、さほど時間はかからなかった。
拳鍔をしまい、何事もなかったように葉巻をくわえたドライゼを横目に、ツァスタバは回収したものを、陥没男の服の裾で拭っている。
嫌そうな表情は消えたが、気落ちするでも恐れおののくでもなく興奮するでもなく、実に落ち着いている。
前にもやった、というのも嘘ではなさそうだ。
癖なのか、片方眉をひょいと上げて何やら算段を始めたドライゼに気付くこともなく、ツァスタバは回収したダガーを腰の後ろの鞘に収めた。
今日はとっとと風呂入って飯食って寝よう、とでも言うように、星の瞬き始めた空を見上げたツァスタバは、憂鬱そうに溜息などついている。
そこに、己の行為に対する感傷が見つからないのも、鮮やかな手並みと合わせて「前にもやった」という言葉が嘘ではないことの何よりの証明だ。
最初は興味本位で関わったが、これはなかなかの掘り出し物だな、と、次の仕事にどう引っ張りこもうかとドライゼが頭を巡らせていると、
「……こいつら、どうする」
振り向いたツァスタバの、整った容姿が七割損をしているような無表情の仏頂面の中で、透き通った枯れ草色の双眸が、面倒くさいと雄弁に物語っている。
追い剥ぎを討伐した、と首を持っていったとしても、被害者が正しく被害者として確認されてるかは不明だ。こいつらに殺されていたとしても、死体が発見されていなければ行方不明でしかない。
そうしたことを踏まえて、手っ取り早く面倒くさくない後始末をしよう、と言いたいのだろう。
清々しいほどの斟酌のなさだが、ドライゼも、ここまで零落れた理由やらその背景やらの察しはつくが、「だからどうした」である。
故に。
「放っておけ」
ベルトポーチから葉巻を取り出し、ナイフで吸い口を切って、錫の箱に入ったマッチで火を付け、言い捨てる。
「ん」
ツァスタバにも異存はないようで、そう短く返すと、おもむろに転がっている追い剥ぎの足首を掴み、雑木林の奥へと歩き出した。
「おい」
放っておけと言ったんだがなぁ、そんな含みを持たせて声をかけると、
「もうじき、来る。そしたら、余計面倒」
足を止め、ちらと街道の、セドの方角を見やった。
思い当たるのは、数時間前に見かけた、二人連れの女冒険者だ。
街道沿いの、ベンチ代わりに置かれた細長い石に腰かけ、スターバトに着いたら風呂のある宿に泊まろうとか何とか話をしていたが、この状況で行き会えば、確かに面倒なことになるだろう。
そこを踏まえて、放っておくが、あくまでそれは「衛兵の詰め所に追い剥ぎを返り討ちにしたことを知らせない」ということであって、死体の始末をしないということではない、と取ったようだ。
「……あー、それもそうだな」
歳食うと手抜き癖がついていけねえや、とぼやきながら、追い剥ぎの襟首を掴み、二体を同時に雑木林の中へと運ぶ。
それなりに体格のいい成人男性だが、ドライゼにしてみれば、そう大した荷物とはならない。
二往復でさっさと片付け、一体一体運んでいるツァスタバを尻目に、のんびりと葉巻をふかすこと五分弱。
自分のやった分を片付けたツァスタバが雑木林から出てきたところで、夕焼けの残照も消えた夕空の下、目と鼻の先となったスターバトへと向けて再出発となった。
王都だけに、ウェーラや、途中途中の大きな街のそれとは比較にならないスケールの街壁だ。近付くほどに、その偉容がはっきりとしてくる。
街壁に開いた大門と一体化するように建っている衛兵の詰め所では、篝火の準備を始めていた。
その周りは開けた草地で、柵と水桶が用意されている。荷馬車は別として、個人の乗用馬は、受け入れ先が整うまで外で係留するのだ。
大門に近付くと、篝火の準備をしていた衛兵のうち、にきび面のまだ若い方が寄ってきた。
「ようこそ、スターバトへ。何か身分を証明できるものは持ってますか?」
年の頃は十六、七くらいの、まだ子供っぽさの抜け切らない顔だが、目は油断なくドライゼとツァスタバを観察している。
声は届くが、剣は届かない距離を置いているのは、先輩の教育の賜物だろう。
「こいつでいいか?」
両手を開き、何も持っていないことを見せてから、ドライゼがベルトポーチから取り出したのは、成人男性の人差し指二本分ほどの多きさの銀色のプレートである。
冒険者ギルド――ヴェルヴェリア大陸自由傭兵協会の発行する認識票は、国の発行する身分証明手形に次いで信頼できる身分証だ。
上部に開いた穴に革紐を通してあり、その紐を持ってぶら下げているのだが、それを目にした衛兵は目を丸くすると、
「……ええ、問題ありません。お通り下さい」
上ずった声で言うと、その隣に所在なげに立っているツァスタバに目を向けた。
「その、そちらは?」
「ああ、こいつか。預かりもんだが、身元の保証は俺がしよう」
通ってもいいな? と目線で問うドライゼに、若い衛兵は首を縦に振り、立ち位置をずらす。
すぐに大門に行けないよう、進路上に立っていたからだ。
巻き上げ機で上げ下げする格子門の、鈍器のような先端が覗く大門を通り抜けると、足元は踏み固められた土から石畳へと変わっていた。
夕餉時とあって、あちこちから腹の虫を刺激する匂いが漂い、一杯引っ掛けにいくのだろう職人、家路を急ぐ奉公人、持ってけ泥棒とばかりに値引きの声を張り上げる物売りの声に、流しの楽士の奏でるリュートに合わせ、すでに出来上がっている酔っ払いが張り上げる、少々下品だが陽気な歌声が響く。
半分ほどまで減った葉巻をくわえ、これまでの街や飛び石宿場町のそれとは桁の違う、圧倒的な人の営みに、軽く目を見開いて見入っているツァスタバの首根っこを、ぐいと小脇に抱え込む。
八つにしてはかなり背は高い方だろうが、ドライゼからすればまだまだチビのガキである。
何すんだ、と睨んでくるツァスタバに、
「なぁに、いい宿を紹介してやろうと思ってな」
ばしばしとドライゼの腕を叩き、抜け出そうとじたばたしだした。
傍から見れば、おとなげない叔父が甥っ子をからかってじゃれていると映るだろう。
「そうかそうか、そんなに嬉しいか。いい宿だぞ。主人はちょと変わり者だが、飯はそれなりに美味いし、酒はもっと美味い」
抜け出せないと理解したか、ツァスタバはがっくりと肩を落として恨めしげにドライゼを見上げている。
それだけじゃないだろ、絶対何かあるだろ、何かない訳がない。
口ほどにものを言う目には、はっきりと文句が浮かんでいるが、気にするようなタマではない。
「何より、身寄りなし訳ありのガキが転がり込んでも気にしねえ」
ドライゼの一言に、ドライゼがよくしたように片方の眉を器用に上げたツァスタバが、眼差しに探る色を乗せた。
博打の負け分なら、十分に払ってもらった。これ以上はこちらの取り分が多すぎて公正じゃない。
「……何考えてんだ、あんた」
本音は何企んでんだ、だろう。
裏を読もうとするのは、子供としては可愛げがないが、こっちでやっていくなら欠かせないものの一つだ。
「将来有望な若者への投資、って奴だな」
より正確には、将来有望な若者が投資するに値するか否か、判別するための簡単なお仕事をしてもらう、だが。
言葉には出さず、にやりと笑ってみせれば、地面にめり込むように重い溜息をこぼしたツァスタバは、
「……やれやれだぜ」
心底面倒くさそうに小さくぼやいた。




