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ひとしきり主役級のイベントシーンをこなした後、王子は私に解説を加えた。
それはひとえに、悪魔の邪知暴虐なる歴史であった。
私の誘拐後、城はにわかに浮足立った。聖女が神殿を告発したのだ。
通常ならば裏で握りつぶされるこの事件。しかし王子がそれを許さない。聖女を保護し、彼女の意見を大義名分に、神殿の力のそぎ落としを始めたのだ。悪魔にかかればそぎ落としなど、端の方をちらっと削る程度では済まない。
そぎ落としとはすなわち根こそぎ。これぞ悪魔の辣腕である。
聖女の王権屈服、そこからの恋人騒動に、神殿魔術師の引き抜きと、思えばこれまでも王子は好き放題にやってきたのだ。
それに加えて私自身のしでかした、帰還の魔術要請と魔術効率化の促進。このあたりも王子にとっては笑いが止まらないほど都合がよかったらしい。
私の必死の努力はむなしく王子の養分とされ、聖女利権はもはや神殿の独占事業とは言えなくなってしまったのだ。
「百年近く前、神殿が力を持つ前は、聖女の帰還もあり得た」と王子は言った。「私はその時代まで、神殿を巻き戻すつもりだ」
百年前に帰還した聖女と言えば、いつかショウコと二人、図書館で調べたことがある。
ということをショウコにささやかれて思い出した。むろん私は忘れていた。思えばあの日に、帰還の方法があるらしいと知ったのだ。
しかし、帰還の方法は神殿の闇に葬り去られていた。つまりは神殿の権力増強とともに、聖女のあり方も変わってきたのか。などとよくもわからないまま納得した。
そんな悪の権化が高笑いする現状、神殿は涙目である。そこへきて駄目押しとばかりに告発されてしまえば、相手も黙ってはいられない。
だが、裏で手回しをするには、あまりに事件が表沙汰になりすぎた。ならばと直接行動に出た結果、ここ数日の城は阿鼻叫喚の地獄絵図であったそうだ。
なるほど、兵士も危機感を持つというものだ。王権派の貴族が暗殺されたり、神殿派の貴族が懐柔されたり、兵たちの間で王権派と神殿派が二分されたりと、もはや想像を絶する世紀末的状況下に陥っていたらしい。
○
そんなことは知らなかった。知らなかったぞ!
疲れた顔のショウコや、緊張を解かない短毛種。腕の力が入らない王子に、怪しい微笑み崩さない諜報班。難しいことをかみ砕かれ、かいつまんでかいつまんで四方八方から説明されながら、私は得も言われぬ感情に打ち震えた。
まるで私だけのけ者にされていたみたいではないか。一方で私はなにをしていたかと言えば、カミロ邸で貞操の危機である。あとは物置に閉じ込められた。上天気の中よく茶を飲み、そして脱走を見つかっては羽交い絞めにされた。
私だけ別時空で生きていたのか。危機に対する経験値が、すでにショウコと私とで桁ひとつ違う気がする。
「お前に血なまぐさいところを見せたくなかったんだろう。けなげなことだ」
王子が小馬鹿にしたように言った。腹心に裏切られたくせに、偉そうなものである。
そんなけなげさが、王子への裏切りにつながったのだ。カリスマ性の欠如を恥じ、穴に埋もれて冬眠するがよい。
私が言うと、王子は表情を変えずに鼻で笑った。
「あいつの行動くらい計算の内だ」
「情報漏洩はいかんとするのです! おかげで行動がだだ漏れだったのです!」
「諜報なんて、お互い一人二人ではない。それにあいつから行動が漏れたところで、何か困ることがあったか?」
「元聖女様の身の上に危機まで訪れたんですよ!」
「お前?」
王子は私を見やった。無表情のくせに、嘲りの色がありありと見える顔というのも貴重である。
「今、こうして無事だろう」
「結果論です! 詭弁です! 非論理的です!」
果たして私が本当に無事だったか、それは神様しかわからない。しかしこの世界の神に知られるのはご遠慮願う。変態によるプライベートの覗き見などまっぴらごめんだ。
「あいつはお前に手出しできない。……弱い男だからな、カミロは」
その根拠のなさはなんだ!
「しかし、おかげで間に合ったわけだ」
私の憤りは軽く流し、王子は顔を上げた。視線の先にいるのはあの恐るべき諜報である。
諜報は王子の視線を受け、軽くドレスの端をつまんだ。
「そろそろ行かれますか?」
そろそろ、とは。
「帰還の魔術は完成しています。私たちの研究所で、聖女様を待っておりますわ」
私は目を瞬いた。どこへともなく流れる視線は、ショウコの前で止まった。彼女も私を見ていた。なにか言いたくとも、言葉は出ない。ただ重たく、圧倒的な感情がある。
ついにこの時が来た。
帰る時が来たのだ。
○
宮廷魔術師の研究所は、やはり地下にあるらしい。ところ変わっても魔術師の生体は変わらないようだ。穴暮らしで日光と人目を避け、無心に魔術の研究をする。
「入口はいくつかありますの。いつもは魔術で隠しているのですけれど」
入口一つでは、追われたときに逃げられない。王宮魔術師の研究は、神殿とは違って実用的であり、多岐にわたる。戦争や諜報に向けた研究も、王子の意向により行われているそうだ。それならば敵やらスパイやらに狙われることもあるだろう、ということらしい。
「魔術師でなければ入口に気がつかないはずです。隠れた入口のある場所を知っているのは魔術師と……あとは、殿下くらいですから。地下にさえ降りれば大丈夫――魔術師の中に、裏切り者がいなければ、ですけど」
などと不吉なことを言いながら、諜報もとい宮廷魔術師の少女は、私とショウコを先導して部屋を出るように促した。護衛もついてくるようにとのお達しである。万が一の事態を、やはり警戒しているのだろう。
魔術師に次いで外に出るとき、ショウコは一度王子を振り返った。
「王子様……」
なにか言いたげに王子を見つめるが、彼女の口から言葉は出ない。王子はそんなショウコの様子をいつもと変わらない様子で眺めていた。
王子は私たちにはついてこない。足手まといと知っているからだ、とは本人が言った。一人で残るのも危険だと思うのだが、そのあたりはあとあときちんと迎えが来るらしい。さすが悪魔の手腕に抜かりはない。
「上手くやることだな」
王子は自身の銀の髪をもてあそび、冷淡を絵に描いたような声で応えた。
ためらうショウコの手を取って、「行くぞ」と赤毛が声をかけると、彼女は寂しそうな顔で出て行った。
○
去り際、最後に部屋を出ていく私に王子が声をかけた。あろうことか、この私にである。
「ナツ」
と呼ばれて私は心底驚いた。王子から、犬と猿と馬鹿以外の名詞で呼ばれたのは初めてだった。この事実だけで、私が王子を心底憎む理由もご理解いただけるだろう。
「あいつがどうしてお前に惚れたか、教えてやろうか」
「惚れてなどいない!」
「お前は、少し私に似ているんだよ」
私の無意味で反射的な反抗は聞かず、王子はとんでもないことを言った。
私は飛び上がると同時に後ずさり、思い切り首を振った。
「それは今世紀最大の侮辱です」
悪魔になんてなりたくない。
「……最高の褒め言葉だろう」
私から、知性と教養と美貌と成熟した精神を抜いたらお前になる、などと王子はほざいた。
褒め言葉には極端に弱いと自認する私でも、さすがに万歳と喜ぶことに抵抗がある。どう考えても、侮辱の言葉に相違ないだろう。
「カミロは弱い男だ。神殿と王家に挟まれて、無難でつまらない男でいることを要求された。あいつは一人でなにかを選び取ることができず、意思の決断に弱く、よく迷う。だから、自分とは正反対の人間が好きなのだろう。惑わされず、目的だけを見据えられるような」
「私だって繊細でか弱い淑女です」
心は揺れるし意思は覆す。人生の信条は主に日替わりで、精神は常に迷走中だ。我が内面を覗き見ることがあるのなら、愛しさと切なさと心細さで形成された、複雑怪奇な心の迷宮に圧倒されることだろう。
そう言うと、王子はかすかに目を細めた。王宮の無表情系アイドルの笑みには万札が飛ぶし、またもや新刊が出る。飛ぶように売れた結果、なのはは完売する。
「私だって繊細で弱い人間だ。この世で一番繊細だと自負している」
私は微笑む王子を唖然と見上げた。これほど堂々と嘘をつく人間がこの世にいるだろうか。
王子は威風堂々を体現し、無尽蔵の殺意が滾々と湧き上がる美貌でもって、弱さを微塵も見せずに言った。
「弱いから、人に弱さを見られたくない。迷っている姿も知られたくはない。別れがたい相手との別れにも、見苦しい真似はしたくない。それだけだ。だが、それを強さと呼ぶ人間もいる」
うむ、と私はうめいた。それは単なる意地っ張りではないだろうか。
「それなら、意地っ張りが好きなのだろう、カミロは」
唸る私をさておいて、王子は一度視線を逸らし、扉の外に目を向けた。外には王子と問答する私に、早く来るようにと呼びかける三人の姿がある。
「だいたい、それは私ではなくショウコちゃんに言うべきだと思います」
「そうだな」
王子は唯々諾々とうなずいた。
「追いすがって行かないでくれと言えた方が幸福だったかもしれない」
想像するに相当な気色悪さであるが、言われた方はきっと喜ぶのではなかろうか。
そう思ってから実際に言われた私自身の体験を思い出し、危うく私は奇声を上げかねなかった。すんでのところで飲み込み、代わりに頭をかきむしって表情をゆがめた。奇声を上げることとあまり大差ない奇行である。
私の発狂寸前の正気度を一瞥し、王子は特にリアクションなく言葉を続けた。
「だが、私は言うつもりはない」
「……それならなんで私に言ったんです」
「私の弱さゆえだ。私もその程度の男ということだな」
私は頭を抱えた。あまり小難しいことを言われると思考が追い付かなくなる。
そもそも私に心の機微を察しろと言う方が無理なのだ。そして相手は機微把握の最高難度を誇る王子である。
実に自分勝手に言葉を締めた王子を前にして、煩悶する私。その頭上から、かすかに笑うような呼吸が聞こえた。しかし見上げると、先ほどまでのかすかな笑顔さえも消して、常日頃から私の憎しみを一身に浴びる悪魔に戻った王子がいる。
「カミロはお前のために今回の決断をした。あの融通の利かない男が。今のお前があるのはあいつのおかげだ、感謝してやれ」
「カミロは、私のことを帰したくないと幽閉した男です!」
「だが、結局は逃がしたわけだろう」
私は顔を思い切りしかめ、苦々しさを全身で体現した。外から見ても、「なるほど、あれは苦々しい!」と手を打つこと請け合いである。
だいたい、そう言われると感謝したくなくなるのが人情というもの。
王子同様、私も存分に意地っ張りなのだ。
「さあ、もう行け。お前が私のために役立てる、最後の機会だ。与えてやったことに感謝しろ」
感慨の欠片もない王子の意地を見た。
わずかな感謝も湧きあがらない、冷淡極まる声である。




