『今はまだ分からない』
「お帰りなさい、兄さん。今日もお疲れ様でした」
仕事を終えて借りているアパートに帰ると鍵が開いており、中に入るとエプロン姿の妹がそう言って俺を出迎えた。
伸びた髪をヒモでまとめたポーニーテール。ピンク色の可愛らしいエプロンの下から薄っすらと浮き出ている身体のライン。
傍から見れば結婚したばかりの夫婦の様に見えるのではないだろうか。
朝出掛けた時には散らかっていた部屋の中が、今では綺麗に整理整頓されている。散らばっていた雑誌が本棚に収まっており、カップラーメンや弁当の空の容器などもすっかり片付けられていた。
栞は部屋の合鍵を持っており、自分の都合が合った日に俺の元にやってくる。そして部屋を片付けたり料理を作ってくれるのだ。汚いのは嫌いなのだが、片付けるのが億劫で散らかしたままにしてしまう俺にとってはかなりありがたい。
「ただいま。今日も来てくれたのか」
栞は俺の着ていたコートを受け取り、ハンガーに掛けてくれる。こうしてみると、まるで新婚さんみたいだ。
小さく汚いキッチンでは鍋がグツグツと煮えており、栞は料理を作っている最中だったらしい。
「兄さんは放っておくとちゃんとした物を食べませんから、私がたまに料理を作ってあげるのです」
俺がこのアパートに来てから一週間くらい経った日に栞が家に押しかけてきて、そんな宣言をした。それ以来栞は週に一度はやってくる。家で料理の勉強をしているらしく、栞は料理上手だ。リンと料理勝負したら面白い事になりそうだな。
「来てくれるのはありがたいけど、お前受験生だろ? 俺の所に来てて大丈夫なのか?」
「ふふん、私は優等生ですから。行きたい大学の指定校推薦を既にゲットしています」
「指定校推薦ってなんだっけ? 普通の推薦とは何か違うのか?」
「ああ、兄さんは推薦じゃなかったですもんね。えっとですね。普通の推薦、つまり公募制推薦は大学側の基準を満たしていたら誰でも出願できます。それに対して指定校推薦は高校が大学に相応しい生徒を選抜して、大学側に推薦するんですよ。ですから指定校は誰でも出願することは出来ません」
「あー公募の方は基準さえ満たしてれば誰でも受験できるけど、指定校は数人しか受けられないってことか?」
「はい、そうですね。あと指定校はよっぽどのミスをしない限り、基本的に落ちませんね」
「へぇえ……。でも凄いな。ブレオン内で数年間過ごして、勉強の事とかすっかり忘れてただろ?」
「抜け落ちてた部分も結構ありましたが、一度習っている所ですからね。国語や古典、数学は元から得意だったのですぐに出来るようになりました。英語や暗記科目は結構苦労しましたけどね」
服を脱いで部屋着に着替えながら、料理をする栞と会話する。
数年ものブランクがあるというのに、栞はほんの数ヶ月で授業に支障がないレベルにまで知識を取り戻したらしい。カウンセリングやら何やらで栞も忙しかった筈なのによく勉強ができたな。流石としか言いようがない。
ドルーアや林檎の二人はすっかり知識を失い、授業についていけるレベルになるまで相当苦労したらしい。七海とところてんは栞と同じように数ヶ月で知識を取り戻したようだが。凄まじいな……。
「出来ましたよ、兄さん」
グツグツと煮えたぎる鍋の火を止め、栞がこちらを振り向いた。正面から見ると毎回思うが、やはり栞は美人だ。学校ではかなりモテると思う。なのに全く恋愛方面の話を聞かないのは何故だろう。ドルーア達に情報を流すように依頼しているため、彼氏が出来ればすぐに分かる筈なんだがな。
別に彼氏が出来て欲しいと思っている訳ではない。だけど、彼氏を作らない理由が分かっている俺としては、栞の事を心配せざるを得ないのだ。
栞が作ってくれたのは、昆布の肉巻きと五目チラシだった。
肉厚な昆布で豚肉を巻き、かんぴょうで止めた物を砂糖や醤油、日本酒やみりんを入れた鍋の中でグツグツ煮た昆布巻き。
タケノコ、レンコン、人参、椎茸、錦糸卵などの具材を甘めの酢飯の上に散りばめた五目チラシ。
ハードな仕事を終えて帰ってきた俺の空きっ腹には、どちらも非常に魅力的な料理だ。
「家の料理本に乗っているのを見かけまして。昆布巻きと五目チラシを作ってみたくなっちゃったんです」
そう言いながら栞は取り皿に昆布巻きと五目チラシを装ってくれる。昆布の出汁がよく出た昆布巻きの汁が、非常に食欲を唆る匂いを湯気とともに立ち上がらせている。
「いつもありがとうな、栞」
「ふふ。食べましょうか」
二人で手を合わせて「頂きます」をして、料理に手を付ける。
最初に箸を伸ばすのはやはり湯気を立てている昆布巻きだ。箸で掴み汁が零れないようにしながら口へ運ぶ。
昆布に歯を立てると中からはアツアツの汁が溢れ出てくる。調味料と昆布の出汁が合わさった汁には甘さと昆布独特のコクが出ていた。よく煮られているのか昆布が凄く柔らかい。昆布の下の肉もよく味が染み込んでいて美味しい。かんぴょうのコリコリとした食感も楽しい。
熱さにハフハフと口から息を吐き出しながら、昆布巻きを何個か食べていく。栞はゆっくりと昆布巻きを食べながら、俺のそんな様子を嬉しそうに眺めている。
それから俺は五目チラシに箸を伸ばす。
何種類もの食材で綺麗に彩られたチラシは見るだけでも楽しい。
酢飯を口に運ぶと、ちょうどいい具合の酸味と調味料の甘さが口の中に広がる。咀嚼すればタケノコやレンコンのシャキシャキとした歯ごたえの良い食感が伝わってくる。ふんわりとした錦糸卵や人参の甘さも酢飯の味を引き立てている。
「美味しいよ」
料理に対する率直な感想を述べると、栞は頬を僅かに赤く染めると嬉しそうに笑った。そんな栞の様子にほっこりとした気分になりながらも、俺の胸の中には小さな刺が刺さっている様な嫌な感覚が広がっている。しかし栞の様子を見ると、その感覚について触れてはいけないのではないか、そんな気がしてくる。
俺達は料理を食べながら他愛のない話に花を咲かせた。一人でカップ麺を啜っているよりも、やはり誰かと話しながら料理を食べていた方が楽しい。仕事の疲れが抜けていくような気がした。
それから栞が食器を片付けている間にお風呂に入ってくる事になった。自分で片付けると言ったのだが断固拒否されてしまったので大人しく引いておいた。
ぼろくて小さいお風呂で身体を小さくしたながらお湯に浸かる。その中で俺は栞と自分の関係に対して考えなおした。やはり、一度俺は栞に言うべきだろう。
お風呂から上がると、俺と入れ替わりに栞がお風呂に入っていった。その間、俺は仕事についての書類を整理しておく。やはり仕事というのは大変だ。身体が疲労でボロボロになる。だけど引き篭っていた頃にはない、充実した疲労感だ。この忙しい生活を、俺は幸せだと感じている。
「あがりました」
お風呂から出てきた栞は下着しか付けていなかった。正確に言えば髪にタオルを巻いているのだが。
色はピンクに統一されている。どちらも白色のフリルがあしらわれており、下着には赤色のリボンが付いている。
揉んだらプニプニとしてそうな健康的な肌の面積が非常に広い。
俺はぎこちなく栞から視線を外し、手元の資料に向ける。
「お、おう」
「この後、何します?」
「んーDVD借りて来てるし見るか?」
「じゃあそうしましょうか」
そう言って栞は部屋の隅に置いてあった自分のかばんからパジャマを取り出して着ていく。何故最初から下着と一緒に出しておかないんだ。
栞が着たのは下着と同じくピンク色のパジャマだった。なんというか、ふんわりとしていて柔らかそう。
どうやら栞は今日は泊まっていくつもりのようで、色々荷物を持ってきたらしい。
「兄さん、髪やってください」
栞はドライヤーを手に、こちらにやってきた。
俺はドライヤーを受け取ってコンセントに差し、電源を付ける。栞はタオルを取り、座って後頭部を俺に向けた。
頭から二十センチほどドライヤーを離し、髪の根元から毛先の方向へ流すように風を当てていく。手櫛で髪を整えてやりながら、時間を掛けてゆっくり髪を乾かしていく。
「んー」
栞は気持ちよさそうな声を上げ、俺に頭を預けている。小さい頃はよくこうやって髪を乾かしてやったな。そのお陰で髪の扱い方は多少慣れている。
「兄さんー」
「なんだー」
「上手ー」
「どうもー」
髪が乾いた後は二人で名作のゾンビ映画を見た。かなり昔の映画だが十分に楽しめる。ショッピングモールに逃げこむのは定番だが、定番だからこそ面白い。唯一気に入らないのは終わり方だ。バッドエンドとか全滅エンドが好きではない俺は、折角ショッピングモールから逃げ出したのに、逃げた先にもゾンビがいましたなんていう展開は嫌だな。
見終わった後、布団を敷いて眠る。
栞の分の布団を出そうとしたら、一つの布団で寝たいと言い出した。仕方なく俺は栞と二人で布団の中に入る。
狭い。
お互いの身体が密着する。
「兄さん」
栞が俺の胸に頭を乗せる。そして鼻を俺の身体にくっつけ息を吸う。
「遺伝子が近いと、その相手の匂いに対して嫌悪感を覚えると言いますが、兄さんの匂いはそんなことないですね。落ち着きます」
確か近親相姦を防ぐ為じゃなかったか、それって。
しばらくお互いに身体を密着させて、くつろぐ。
「なあ、栞」
そこで俺は話を切り出した。
「なぁに?」とトロンとした声が返ってくる。
「お前はさ、その、俺の事をどう思っているんだ?」
我ながら馬鹿な発言だと思う。
栞は俺の胸の上で動きを止めた。
「俺とお前の関係は、正直兄妹の枠から外れてると思うんだ。重度のシスコンブラコンっていう言葉で片付けられない程に、さ」
「…………」
「もしかして栞は、俺に恋愛感情……みたいな物を抱いているんじゃないか、と思って」
歯切れ悪く言葉をつなげていく。栞は何も言わない。
「俺自身、お前に対しての感情は普通じゃないんじゃないかと思う。お前とこうしていてもおかしいと思わないし、むしろ落ち着く。だけどお互い、もう大人みたいなもんだ。この年齢でこの関係はおかしい……んじゃないだろうか」
何を言っているか分からなくなりそうになりながらも、なんとか俺は言い切った。
幼稚園、小学生の兄妹とは訳が違うのだ。俺はもう社会人だし、栞だってもう少しで大学生だ。表向きは普通の兄妹かもしれないが、ひと目が無い所では少々兄妹の枠から外れている。この裏向きの姿を他の人に見られればどう思われるかは容易に想像がつく兄妹恋愛とか、近親相姦とか、そういう物は昔から嫌悪感を向けられ続けているのだから。
栞はしばらく黙っていたが、それから俺の身体に手を回して更に密着してきた。
「分からない」
「…………」
「私がどう思っているのか、なんて分からないです。私も今の関係は兄妹としての関係から外れている……かもしれないと思っています。だけどこうしていると幸せなんです。兄さんと一緒にいたいんです。これが恋愛感情なのか、家族愛なのかは分かりません」
「栞……」
「その……兄さんとエッチな事がしたい……って訳じゃないんです。その、兄さんがしたいなら……あっ、いえ……なんでもないです。あぁ……私は何を言っているんでしょう」
「……」
「私はただ、兄さんの側で話したり出来るだけいいんです。今の関係じゃあ、ダメ、ですか?」
「ダメじゃない、よ。俺も栞とこうしてるのは好きだ」
「この感情については、保留にしていいですか?」
「……ああ」
「今はまだ分かりません……。でもいつか答えを出します。その時に、また」
今は保留。
それが俺達の出した答えだった。
今はまだ、この関係で。
この辺りで強い眠気が襲ってきて、少しずつ意識が薄れていく。
「おにぃちゃん」
栞が俺の足を自分の足で挟んだ。俺の名前を呼びながら、挟む足にぎゅっと力を入れる。
この時には俺の意識は殆ど残っていなかった、その後しばらく栞が動く気配がして、そこから先は覚えていない。
朝起きると、隣に栞はいなかった。
大きくあくびをし、布団から起き上がる。
台所の方へ視線を向けると、栞がエプロンを着て料理している所だった。
「おはようございます、兄さん」
栞と俺の関係。
保留。
多分いちばん力入れたの料理の所




