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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
6章

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037:歴史の足音 3


 転移基地の受付で名前を言い、渡された整理番号を見る。壁の掲示板から同じ番号を目で探し、リンナは眉をひそめた。

「王都第二ステーション行き……」

 行き先の予想がついて、リンナは長い息を吐いた。


 転移装置の中はごくごく狭い。窮屈に足を折って座席に座って待っていると、一瞬だけ浮遊感が生じる。

 気がつけば、目の前にあった金属の扉がより新しいものに変わっていた。既にここは王都である。

(転移装置は、容器内に入ったものを、同じ容量の別の容器内に移動させる)

 何とも凄まじい技術である。感服しながら、リンナは鞄を手に装置を降りた。

 それなりの人波に揉まれながら、通路に出る。第一ステーションに比べれば控えめだが、旧都の静かな待合室とは比べものにならない賑やかさだ。


「エディリンナ様」

 どこへ行ったものか、と周囲を見渡したところで、声をかけられる。背の高い女が、数人の軍人を従えて立っていた。

 見覚えのある顔に、リンナは目を丸くする。

「ご足労ありがとうございます」と、彼女は小さく会釈する。少し伸びたのか、短い金髪は後ろ頭でひとつにまとめ、背筋の伸びた立ち姿は相変わらず生真面目そうだった。


 リンナは友好的に声をかける。

「イーニル少佐、お久しぶりです」

「はい。エディリンナ様もお元気そうで何よりです」

 はきはきとした口調で告げるイーニルもお元気そうで何よりである。取調中に比べれば、随分にこやかな態度だ。



 が、儀礼的な対応であることに間違いはない。今日は容疑者に対してではなく、要人を相手取るようなそぶりだ。

(この人、いまいち読めないのよね……)

 リンナは鞄の肩紐を握りながら肩を竦めた。

 通りすがりの旅行客たちが胡乱げな目を向けてくる。軍人に囲まれている様子は、ことによっては犯罪者に見えなくもない。


「行きましょうか」とそそくさ促すと、イーニルは小さく頷いた。

 頭上の案内板を見上げながら、駅へ続く連絡通路の方向を指さす。

「ここから二駅ほど移動します」

 二駅、とリンナは小声で繰り返した。

 どうやら予想は的中したらしい。


「目的地は軍本部ですね」


 唇を動かさず、穏やかに指摘する。

 それまで淡々としていたイーニルの表情に一抹の動揺が浮かんだ。彼女は珍しく微笑みを浮かべ、宥めるような口ぶりで「はい」と応じる。

「我々は、エディリンナ様を必ずお連れするよう命じられております。同行して頂けない場合、お互いに困ったことになってしまいます」

「それは誰に命じられているんですか?」

 イーニルは答えなかった。


 四方を軍人に囲まれ、混雑する通路を進む。天井が高く開放的なホームに出ると、いくつもの線路が並び、列車が左右から出入りしていた。もちろん目的地のホームからは、リンナの予想通りの方向へ列車が出ていく。

 周囲にいるのは都に到着したばかりの旅客が大半のようだ。はしゃいだ声を上げる家族連れや、時計を見ながら早足で歩く大人など、雑多な顔ぶれがめいめいの列車に乗り込んでゆく。



 リンナたちが並んだホームにも、数分も経たずに車両が滑り込んできた。真新しく、表面の塗装はつやつやとした新緑だ。徐々に減速してぴたりと止まると、自動で扉が一斉に開く。

 わあ、と隣の列で小さな少女が声を上げるのが聞こえた。

「わたし、王都に来るのはじめて!」と幼い声が言い、大人がそれに応える。


 イーニルに誘導され、リンナは人気の少ない一等車に乗り込んだ。コンパートメントのひとつに入って少しすると、一度大きく揺れて車両が動き出す。

 順調に加速した列車は、ホームの開口部から外に向かって大きく弧を描いて滑り出した。

 高架橋から、どこまでも続く王都の景色が視界を占める。よく晴れた春の日とあって、そこかしこの並木の枝先には鮮やかな花が咲き、建物の影や道の先に青々とした公園の形も見える。目を凝らせば、道端で駆け回る子どもの姿が目に映った。


「……イーニル少佐とあの人が繋がっていたなんて知らなかったわ」

 窓際に座って頬杖をつき、リンナは努めて平坦に口を開いた。向かいにはイーニルが腰かけ、隣は屈強な軍人が固めている。

「私が呼ばれるということは、例の事件の続報でもありましたか?」

「ご明察のとおりです」とイーニルが答え、手のひらほどの大きさの箱を取り出すと、つまみに触れた。列車の車輪がレールの継ぎ目を踏む音が、ふっと遠ざかる。防音の魔道具だろう。


 イーニルは膝を揃えて向き直った。

「指名手配されていたエルウィ・トートルエが保護されました。取り調べを行っていますが、あなたが来なければ何も話す気はないと強弁しており、一切口を割らない状況です」

 嘘はなさそうな口ぶりだ。

 リンナはゆっくりと頬杖から顎を上げ、彼女に向かって顔を向ける。


「……保護という言い方、すこし不思議ですね。確保とか、発見とかじゃないんですか?」

 イーニルは咄嗟に反応を示さなかったが、隣席の若い軍人はわずかに体を揺らした。思わず視線を向けると、イーニルが叱責するように部下の名を呼んだ。「申し訳ありません」と小さな声で呻いて、彼は目を伏せて沈黙してしまう。


(指名手配されていた容疑者が見つかったにしては、妙に緊張感があるのね)

 リンナは内心で呟いた。

 窓の外の景色は絶え間なく流れ、豊かで広大な都の様子を映し続けている。

「エルウィは、どこで、どのように、誰に保護されたんですか?」


 乗り物に乗って、これだけ周りを囲まれている状況だ。自白の呪いなんかを使って強制的に聞き出すのは得策ではない。努めて抑えた口調で問うと、イーニルは一瞬だけ躊躇うように足元を見た。

「本部に着いてしまえばどうせ分かることですから」と、彼女は気が進まない様子で口を開く。


「国内全土に出された指名手配にもかかわらず、エルウィ・トートルエの足取りや所在に関する手がかりは、全くと言って良いほど見つからない状態が続いていました」

 捜査はよほど難航したとみえて、彼女の口ぶりは苦々しかった。

「が、一昨日、ある一報が本部に入った」


 列車が次の駅へと吸い込まれてゆく。陽射しが屋根に遮られ、車内に影が落ちる。直射日光の射す窓際に慣れていた目は、いきなり暗くなった座席をぼんやりとしか映せない。

 減速するにつれて、体が引っ張られるような感覚が襲う。イーニルは背筋を正したまま微動だにせず、薄暗がりのなかでこちらを見据えていた。その双眸が鋭く光る。


「東部戦線、第一防壁外にて、指名手配犯が保護を求めている、と」


「東部戦線って?」

 聞いたことはある。兄の新たな配属先だ。名前からして軍の関係だろう。

 イーニルは淡々とした口調で答える。

「国境警備における重点区間のひとつです。たとえば、セラクト家の屋敷の裏手にある砦も東部戦線に含まれます」

 へえと答えて、リンナは腕を組む。


 ……あれ?

(砦って、いつからあるんだっけ?)

 この国は山と砦に囲まれている。砦の向こうは魔獣が巣食う、人の住めない土地だと聞かされて育ってきた。

 逆に、それ以上の情報はろくに知らない。


「……国境の外って、いったいどうなっているんですか?」

 問いかけると、イーニルの表情には厚い幕が降りた。

「申し訳ありませんが、機密情報ですので」


 リンナは眉根を寄せて声を大きくする。

「国境警備隊って、毎年毎年市民団体から猛抗議を受けているところじゃないですか? 実態の分からない事業に予算を割きすぎだって」

「我々は市民の安心安全を守るため、常に最善を尽くしております」

 イーニルの答えは壁を叩くくらいにべもなかった。諦めて窓辺に肘をつき、額を支える。


 列車がふたたび駅を出た。

 リンナは窓に顔を向け、国内で最も大きい都を見渡す。最近の試算では、人口が二百万人を越えたという。黙って車窓の向こうを眺めるリンナに、イーニルも何も言わずに視線を追う。

 列車の走る高架橋の先に、小さな駅が見えた。駅と目と鼻の先に、宮殿のように広大な施設が広がっている。

 軍本部である。


 目も眩むような真昼の光を額に受けながら、リンナはイーニルを横目で見やった。

「……私を連れて来いと命じて、私をこれほど厳重な態勢で監視するように命じたひとは、誰ですか?」

「それは、」

 イーニルの視線にふと戸惑いが浮かぶ。意外と表情は雄弁な人だ。知らなかったのか、とその顔が語っている。


 リンナは思わず笑みを零した。

「教えてください。イーニル少佐の知るあの人は、何ていう肩書きですか?」

 先頭車両が駅のホームへ差し掛かる。イーニルは魔道具に手をかけたまま、しばらく押し黙った。

 ややあって、その指が魔道具の上の突起を回す。


 周囲の音が更に遠くなり、隣に座っていた年若い軍人が不思議そうにこちらを振り向くのが分かった。「イーニル少佐?」とその唇が動くが、声は聞こえない。

 すぐ横にいる人間にも聞こえないほど、防音の範囲を狭めたのだ。

「博物館の事件の際には存じ上げませんでした」

 イーニルは目を伏せた。

「しかし、あれから数日後に閣下自ら私のところまでおいでになって、『本件に自分と妻が関与したことは伏せておくよう』という指示を頂くとともに、お身体に抱えている不都合について伺いました。……軍におけるお立場に関しても」


 アルラスにかかった不死の呪いまで知っているとは、イーニルはかなりの精鋭とみた。

 イーニルは魔道具を手に身を乗り出す。唇を動かさずに、ごくごく潜めた声で囁いた。

「軍の国境防衛部長官。ならびに東部戦線の特別顧問、と」

 列車が駅のホームで停止する。顔を上げれば、国旗が軍本部を背景にはためいていた。


(やっぱり、投資家なんかじゃないじゃない)

 リンナは内心で呟いて、長い息を吐いた。

 手を伸ばし、魔道具を無効にする。駅の喧噪と、列車の通路を歩く乗客の話し声が一気に流れ込んだ。

 イーニルが不安そうにこちらを見る視線には、職務を越えた気遣いが垣間見える。事態はよほど切迫しているのだろう。


「案じてくださってありがとう。あとは夫から直接聞きます」

 リンナは自身の格好を見下ろして肩を竦める。一般的な外出には耐える格好だけれど、なんだっけ……国境防衛部……長官? とやらの妻として相応しい服装とは思えない。


「もっとゴージャスな格好をした方がよかったと思います?」

 冗談めかした問いに、イーニルが小さく笑った。怪訝に思って視線を向けると、彼女は弁明するように「実は」と答える。

「少し前に閣下が、『たまには装飾品を買ってやろうとしたら固辞されたが、これは遠慮なのか本当に不要なのか』と私に聞いてきたことがありました」


 リンナは思わず口元に手を当てて笑いを堪えた。そういえばそんなこともあったが、まさか部下に相談しているとは。

「聞きました? あの人の宝石のサイズの基準。受け取れるわけないじゃない!」

 イーニルは笑い声を上げかけて、すんでのところで飲み込んだ。上官の金銭感覚を笑い飛ばすのは、軍人として許されない一線らしい。


 ふざけた質問が功を奏して、イーニルの表情が和らぐ。リンナは一度頷くと、勢いをつけて立ち上がり、列車の通路へ出た。


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