出発
「にーちゃま、いってらっしゃい。はやくかえってきてね?」
「うん。わかった。早く帰れるように頑張るね」
メルは泣きそうな顔をして僕に抱き着いている。
僕はメルディの背中をポンポンと軽く叩いて優しく声をかけた。
その様子を見ていた父上がわざとらしく咳払いをした。
「ゴホン、そろそろ出発するぞ」
「はい。わかりました。メル、すぐ帰ってくるから、ね?」
「うん……」
まるで今生の別れのような顔しているメルは涙を流さないように必死にこらえている。
その時、父上が心配そうな顔でメルのことを気にしていることに気付いた。
僕はそっとメルにあることを耳打ちした。
メルはすぐに首を縦に振ると、父上の足に抱き着いた。
「ちちうえもすぐにかえってきてね?」
涙で潤んだ眼で上目遣いをして、父上の顔を見るメルはとても可愛かった。
父上は胸にハートの矢が刺さってのたうち回っているような姿が想像に難くないほどに、顔がほころんだ。
その顔を見たその場にいる面々全員の時間が一瞬で「ピシ」と凍った気がする。
父上は、足に抱き着いたメルを抱き上げるとほころんだ顔のまま言った。
「うむ。出来る限り急いで帰ってくる」
「ほんとう? ちちうえ、やくそくね」
二人は「指切りげんまん」をすると、父上は抱きかかえていたメルをゆっくり地面におろした。
この世界にも「指切りげんまん」があるのかと少し目を丸くする。
その時、見送りに来ていたサンドラと目が合った。
すると彼女は、笑みを浮かべてこちらに近寄ると耳元で囁いた。
「リッド様、出る杭は打たれますから、出過ぎた杭になってくださいね」
「いやいや、その話はもういいから。それよりも母上のこと、お願いね」
「わかっていますよ。私の命にかけてお守り致します」
僕のことはおどけたように話すが、母上のことになるとサンドラは顔を引き締めて真剣な表情で言った。
いつも、それぐらい真剣ならいいのに。
「また、何か失礼なことを考えましたね? 私はいつも真剣ですよ?」
「……何も考えてないって」
サンドラは僕にニヤニヤしながら「リッド様はわかりやすいのです」といつも通りの言葉をかけてきた。
ちなみに僕と父上が乗る馬車の後ろにはもう一台、別の馬車がある。
クリスティ商会の馬車だ。
僕が乗る馬車は乗客用という感じだが、クリスの馬車は荷物を多く積載する屋根付き荷台と言った感じだ。
レナルーテでの取引用と思われる荷物も積んであるようだ。
クリスは護衛の騎士達と馬車の動き、護衛の位置や隊列などの打ち合わせしているようだ。
忙しいようだし、いまは声をかけないほうがいいかな?
そう思い僕はその姿を見るに留めた。
僕は深呼吸をすると見送りに来てくれた皆に「行ってきます‼」と言って馬車に乗り込んだ。
乗り込んだ馬車には後追いで父上も乗り込んできて対面に座った。
すると、外に居たディアナが「失礼します」と開いているドアに手をかけて言った。
「ドアをお閉め致します」
「うん」
僕が返事をして、父上は首を縦に振る。
それを確認するとディアナは馬車のドアを閉めた。
その後、ルーベンスの声があたりに響いた。
「レナルーテに向けて出発致します‼」
声と同時に「ガタガタ」と馬車が軽く揺れ始めた。
僕は馬車が動き始めると、窓からメルに向かって「いってくるね~」と声をかけ、姿が見えなくなるまで手を振っていた。
メルも大きな声で「いってらっしゃーい‼」と馬車が見えなくなるまで手を振ってくれた。
その日、僕たちはレナルーテに向けて出発した。
レナルーテに行くのはバルディア家からは僕と父上。
あとはルーベンス、ディアナほか騎士団の面々。
そして、クリスティ商会の人達と代表のクリスだ。
馬車は僕たちとクリスティ商会の計2台。
その2台の馬車を囲むように位置して護衛する騎士団の面々。
全体の人数としては結構多くなったと思う。
メルの姿も見えなくなり、馬車の椅子に腰かけると正面に座っている父上から忠告を受けた。
「はじめての長距離馬車は覚悟するように……」
「へ……? どういう意味でしょうか?」
僕の返事を聞いても父上はサンドラのように意地の悪そうな笑みを浮かべるだけだった。
父上の言葉に首を傾げつつ、僕は「少し寝ますね」と言って寝たふりをする。
そして、心の中で魔法を唱えた。
「メモリー」
「……やぁ、リッド。そろそろ呼ばれると思ったよ」
心の中で呟くと、頭の中に彼「メモリー」の声が響く。
メモリーはお願いすれば、僕の記憶の中から必要な情報を集めてくれる存在だ。
そして、呼び出した理由は先日、「あるお願い」をしていたからなのだけど。
彼の声から察するに結果はあんまりよくないらしい。
「どう? 間に合いそう? もうレナルーテに向かっているのだけど」
「……だから言ったでしょ? 未読スキップして見た情報は無理だって、期待はしないで欲しいって……」
そうか、やっぱり無理だったのか。
実は彼、メモリーが引き出せる記憶には条件がある。
それは、引き出したい記憶を「意識的に記憶したか」ということである。
この世界に酷似していたゲーム「ときレラ!」を前世でした時、僕は本編クリア後のおまけ要素を早くしたくて本編ストーリーをすべて未読スキップしたのだ。
その記憶を先日、メモリーに時間がかかってもいいから何とかならないかと持ち掛けた。
すると彼は渋々、やってみると言ってくれたのだが、無理だったらしい。
「うーん。それならしょうがないけど、何か現状で拾えたものはない? 何でもいいのだけど?」
頭の中にメモリーの「うーん」と言う声が静かに響く、そして一瞬の間のあとに再度声が聞こえてきた。
「何でもいいのであれば、名前とかでもいい? レイシス・レナルーテって言うみたい」
「レイシス……ね。他には?」
「うーん。あとはゲーム画面に出ていた立ち絵の顔つきぐらいかな? 美青年だったよ」
おお、キャラの立ち絵は復元出来たのか。
それなら、キャラの顔つきで性格とかわかるかも知れない。
そう考えると僕はメモリーに美青年レイシスの顔つきを教えて欲しいと伝えた。
「それなら、立ち絵を見たほうが早いかもね」
「へ……立ち絵が見られるの?」
「まぁ、記憶だからね。ただ、意識的な記憶じゃないからさすがに現物とまったく一緒じゃないと思うけど」
メモリーがそう言うと目を瞑っているのに、目の前に絵が浮かんできた。
「おおー、凄い‼」
「どうした、リッド? 何が凄いのだ?」
どうやら、あまりの衝撃に思ったことが声に出てしまったらしい。
父上が僕の声に反応した。
どうするか悩んだが、ここは狸寝入りをすることにしてさらに寝言を続けた。
父上が喜びそうな寝言を。
「ちち…うえの…けんぎ……すごい…です……スースー」
「……フフ、寝言か。こうして、見ているとまだまだ子供。可愛いものだ」
少し良心が痛んだが、よし何とかごまかせた。
僕は再度、心の中でメモリーを呼んだ。
「何をやっているのさ……」
彼は呆れた声で返事をしてきた。
「しょうがないじゃないか。あんな瞼の裏に立ち絵が出てきたらびっくりするよ」
「というか、そもそも父上の前で僕を呼ぶこと自体どうなのさ?」
確かに、言われればそれはそうかもしれない。
でも忙しくて、メモリーと話す時間がなかったのでしょうがない。
「ともかく、もう一回お願い」
「はいはい……」
彼は呆れた様子で僕に返事をすると再度、瞼の裏にレイシスの立ち絵を浮かばせた。
うーん。
髪は黒、目は黄色。
ダークエルフ特有の褐色肌。
他にも何か情報はないだろうかとよく見ていると気付いた。
目つきが悪い。
いや鋭い。
その時閃いた、乙女ゲーや美少女ゲーで目つきが鋭い。
もしくは悪いと言えば恐らく「ツンデレキャラ」だ。
もちろん、そうじゃない場合もある。
「クーデレ」とか「ヤンデレ」の可能性も0じゃない。
でも、「ときレラ!」は王道ストーリーが基本だったはずだから、「ツンデレキャラ」の可能性が高いはず。
僕はそう確信して新たに手にした情報に喜んだ。
……しかし、それがわかったところでどうしろというのだろうか?
とふと我に返ってしまった。
仮に性格がツンデレキャラに近いとした場合、ツンデレキャラ鉄板セリフの「おまえ、バカァ?」とか言われる覚悟をしておけば良いのだろうか?
しかし、王子ということは今回、僕が婚姻する人の兄弟になるわけだ。
義理の兄弟となる人がツンデレ。
……ツンデレ。
義理の兄弟になる人の性格が「ツンデレ」だと事前に知ってしまうと、何故かどっと疲れる気がした。
非常に扱いが面倒くさそうだ。
でも、今から会う人の性格がある程度の想像が付いているのは、会話で優位に立てるかもしれない。
僕はそう前向きに捉えることにした。
しかし、考えている事とは別に何だが気分が悪くなってきた。
メモリーとの会話で魔力を使い切ったのか?
いや、そんなはずはない。
と思ったその時、頭の中で再び声が響いた。
「リッド、リッドってば‼」
「……うん、どうしたの」
「君……馬車酔いしているから、一度目を覚ましたほうがいいよ」
「へ……?」
「また今度、続きは話そうよ。僕のいる所も君が酔っているせいか、ぐわんぐわんして大変だからさ」
その言葉が最後でメモリーとの会話が途切れた。
そして、僕が寝たふりから目を覚ました瞬間、頭の中がグラグラして凄い吐き気が襲ってきた。
「……うっぷ」
「リッド、吐くなら窓の外にしろ」
僕は父上の言葉通りに口を手で押さえつつ窓の外に顔を出して吐いた。
「うげぇえええ」
僕が窓の外に吐いている様子を護衛の騎士の皆は微笑みながら生暖かい眼差しを向けていた。
その時、父上の言葉を思い出した。
「はじめての長距離馬車は覚悟するように……」
こ、このことだったのか……
僕はこの日、長距離移動の馬車が嫌いになった。
絶対に何かしら改善してやる‼ 僕は誓った。
……うげぇええええ
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