恋の種
私が桜花高校総合演劇科に入学してから、もうすぐ一年が経とうとしている。冷たかった空気は次第に暖かさを増してきていて、もうしばらくすれば、桜が咲き始めるだろう。
窓から射し込む優しい月の光を感じながら、私は下宿先の二つに分けられた室内で龍之介君とメッセージのやり取りをしていた。
特別に感じる時間というのはいくつかあるけど、龍之介君とこうやって繋がっている時間は、私にとってまた特別に感じる。
――へえー。今日はそんな事があったんだ。
私は龍之介君から来たメッセージを見て、自然と微笑んだ。
龍之介君とは特別なやり取りをしているわけじゃない。その日にあった学校での出来事や、前にあった面白い話など、そんな普通の話題をやり取りしているだけ。
でも、それを特別に感じるのは、私が龍之介君に対して特別な感情を持っているからだと思う。
龍之介君と初めて出会った頃は、まさか私がこんな気持ちになるなんて想像もしていなかった。
私は携帯の画面を見ながら、遠い昔に感じる去年の五月の事を思い出していた。彼と初めて出会い、恋と言う名の種を心の中に持った時の事を。
× × × ×
五月の初日。
私は高校入学と同時に入ったアルバイト先へと急いで向かっていた。
自分がやりたい事をやる為に、私は両親の反対を押し切って見知らぬ土地での生活を始めた。この生活に不安を感じる事は多いけど、後悔はしていない。何もせずに諦めるくらいなら、やれるだけの事はやっておきたかったから。
そして今日という日も、私にとっていつもと同じ、何気ない日常として記憶されるはずだった。いや、本当ならいずれは記憶にも残らなくなる様な、そんな平凡な事だったはず。
「よーし。今日も頑張るぞー!」
進む速度を上げてバイト先へと着いた私は、更衣室で着替えをしてから売り場へと向かった。
「あっ、雪村さん。ちょっといいかな?」
「はい。何ですか? 店長」
「今日からバイトに来てくれる事になった鳴沢君だよ。短い間になるけど、面倒を見てあげて」
「はい。分かりました」
「えっと、鳴沢龍之介です。よろしくお願いします」
この日。私は彼と初めて出会った。
私の人生も、きっと数多くの人達と出会うだろう。そしていずれ、その登場人物達の一部の事は忘れてしまうだろう。
彼と初めて出会った時、私は彼も、いずれは忘れ去ってしまう登場人物達の一人だと思っていた。
「雪村陽子です。よろしくお願いします」
このゲームショップで働き始めた当初は、先輩店員も多く居たけど、その多くが就職やら進学やらを理由に辞めた。
そう言った事情もあり、今は猫の手も借りたい程に人手が足りていない。だから期間が短くても、今は人手があるだけで助かる。
「それじゃあ、さっそくだけど仕事を教えるね」
「はい。よろしくお願いします」
私はまず、鳴沢君にレジの打ち方や接客の仕方を教える事にした。
なんでも彼はこのお店の昔からの常連さんらしく、店長と仲が良かったという経緯から雇ってもらったと聞いた。理由は何であれ、仕事を共にする仲間が居るというのは心強い。
こうして私は、鳴沢君が働き始めてから一週間、じっくりと仕事を教えていった。
「――鳴沢君は本当に覚えが早いね。これならすぐに、私の手助けなんかいらなくなっちゃうかな」
「あはは。そんな事は無いですよ。でも、仕事の覚えが早いとしたら、それは雪村さんの教え方が凄く上手だからですよ」
「もう。鳴沢君は口が上手だね」
「いやいや、本当の事ですよ?」
「ふふっ。ありがとう」
なんだかんだと言いながらも、そう言ってもらえるとやはり嬉しく思う。
鳴沢君は本当に仕事の飲み込みが早いし、私としてはとても教え甲斐があった。それにゲームについては私なんかよりも遥かに詳しく、お店に訪れたお客さんとも、ゲームの話題で盛り上がったりで本当に楽しそうに仕事をしていた。
そしてそんな楽しそうに仕事をする彼の姿は、私にとって少し羨ましく見えた。
こんな感じで鳴沢君とのバイトの日々は過ぎ、早くも一ヶ月が経過した頃。私は最近訪れるようになった一人のお客さんに、ちょっと悩まされていた。
「ねえ。今度俺と一緒に遊びに行こうよ」
「すみません。そういうのはちょっと……」
そのお客さんはこうしてお店にやって来ては、毎回のように私を誘ってくる。
そんなお客さんのお誘いは、正直に言ってとても嫌だった。今が仕事じゃなければ、とっくにこの場から逃げ出しているくらいに。
「雪村さーん! これって倉庫のどこに仕舞えばいいのかなー?」
「あっ、今行くねー! すみません、失礼します」
私はお客さんに軽く頭を下げ、鳴沢君の待つ倉庫へと早足で向かう。
するとそんな私の背後から、お客さんの大きく舌打ちする音が聞こえた。
「大丈夫だった?」
「ありがとう、鳴沢君。助かったよ……」
呼ばれた倉庫に急いで入り、私は安堵の溜息を吐く。
あのお客さんが来るようになってから、私は毎回のように誘われる事に困っているのを、鳴沢君だけには話していた。
そしてそんな話をしていたからか、鳴沢君はそのお客さんが来る度に、こうやってタイミングを見ては私を助けてくれるようになった。
「本当にしつこい人みたいだね。やっぱり店長に相談した方がいいんじゃないかな?」
「うん……でも、店長に心配をかけたくないし……」
今思えばこの判断が、後にあの事件が起こる原因になったんだと思う。
「まあ、気持ちは分かるけど……雪村さんも仕事がやり辛いでしょ?」
「うん……」
「……まあ、とりあえずは今までどおりにしてよっか」
「ごめんね、鳴沢君」
「気にしなくていいよ。さて、あのお客さんが帰ったら教えるから、それまではここを頼んだよ?」
「うん!」
こうして働いていれば、嫌なお客さんに当たる事も当然の様にある。
だから今回の件も、その一つだと私は考えていた。でも、そのお客さんの行動はそれからも変わらず、お店に来ては私を誘うという行動を繰り返していた。
鳴沢君が居る時はいいけど、居ない時は本当に苦痛でしょうがなかった。
そして月日は流れて七月に入り、もうすぐ鳴沢君がバイトを辞める時が迫っていたある日。その事件は起こってしまった。
「なあ。一度くらい付き合ってくれてもいいだろ? 毎回こうやって誘ってんだしさあ」
例のお客さんは日を追う度に誘い方が強引になっていき、もう本当に私では手に負えないところまで来ていた。
「あ、あの、止めて下さい」
「ちょっと手を握っただけじゃないか」
そう言って握った私の手を更に強く握ってくる。
私は叫びたくなる気持ちを押し殺しながら必死に耐え、いつもの様に鳴沢君が助けてくれるのを待っていた。いつもならもう、鳴沢君が声を上げてくれている頃だけど、今日はなぜかその声が上がらない。
私は救いを求めるようにして視線を泳がせ、鳴沢君を捜す。
――あっ……。
そんな私の瞳に映った鳴沢君は、他のお客さんの接客をしていた。なんてタイミングが悪いんだろう――と、私は泣き叫びたくなった。
でも、鳴沢君の視線は時々こちらを向いていたから、私の事を気にしてくれているのは分かった。私は鳴沢君が早く接客を終えてくれる事を祈りながら、必死にお客さんの行為に耐えていた。
「なあ。そんなに嫌がらなくてもいいだろ?」
そう言った次の瞬間、そのお客さんは握っていた手を引っ張って強引に私の身体をグイッと引き寄せようとした。
「いやあっ!!」
バチッ――と、生々しく乾いた音が店内に響く。
私は突然のお客さんの行為に驚き、思わずその頬を思いっきり平手打ちしていた。
「いってえー! 何すんだよっ!?」
「あっ……す、すみません!!」
私は慌ててそのお客さんに向かって頭を下げる。
――いくら驚いたからって、私はなんて事を…………。
色々な感情がごちゃ混ぜになりながら、私は何度も何度も頭を下げた。
「そうだな。一度付き合ってくれたら許してやるぜ?」
そのお客さんはニヤッといやらしい笑みを浮かべ、此れ見よがしにそんな事を言ってきた。
「そ、そんな……」
「それが嫌ならすぐに店長を呼んで来るんだな。客に平手打ちをしてくれた責任を取ってもらうから」
私はもう泣きそうだった。
こんな人とは一秒だって一緒に居たくない。でも、その要求を飲まなければ、お店に迷惑がかかってしまう。故意じゃないとは言え、自分でやってしまった事だから、誰にも迷惑はかけられない。
私にはもう、覚悟を決めてその提案を受け入れるしか選択肢はなかった。
「わ、分かりま――」
「すみません!!」
覚悟を決めて私が返事をしようとしたその時、鳴沢君がそう言って間に割って入って来た。
「彼女がした事は僕も一緒に謝ります。だから、許してあげて下さい」
「そりゃあ無理だな!」
鳴沢君はそう言ってからお客さんに向かって深々と頭を下げたけど、そのお客さんは考える間も無くそのお願いを一蹴した。
そしてそのお客さんは、自分が有利な立場にあると思っているからか、更に表情を怖くして鳴沢君を威嚇する様に見た。正直、鳴沢君が目の前に居なかったら、私はこの場にへたり込んでいたと思う。
「どうしても許してはくれませんか?」
「ああ。ただでは許せないね」
「…………分かりました。それじゃあお客さん、僕と格闘ゲームで対戦してくれませんか? どのゲームで対戦するかはお客さんにお任せします。ですから、その対戦で僕が勝ったら、今回の事は許してもらえませんか?」
唐突な鳴沢君の提案に、私は驚きを隠せないでいた。
私はそんな提案をした鳴沢君を止めなきゃと思いながらも、小刻みに震える身体はまともに動かず、その様子をただ黙って見ている事しかできなかった。
「ほお。それじゃあ、俺が勝ったらどうするんだ?」
「確かお客さん、最近出たばかりの最新ゲームハードを欲しがってましたよね? それを僕が差し上げます」
「ほー、面白いじゃないか。いいぜ。その勝負、受けてやる」
「ありがとうございます。それでは、あっちのプレイルームに行きましょう」
鳴沢君はお試しプレイが出来る場所にお客さんと向かい、そこでお客さんが選んだソフトを私に持って来てくれと言った。
私は鳴沢君に言われるがままにゲームソフトを取りに行ったけど、手が大きく震え、棚から上手くソフトが入ったケースを取り出す事ができなかった。だって鳴沢君が言ってたゲームハードって、確か五万円はする機種だったはずだから。
もしも鳴沢君がゲーム勝負に負けたら、私は彼にも多大な迷惑をかける事になってしまう。とんでもない事に鳴沢君を巻き込んでしまったと、私は後悔の気持ちでいっぱいだった。
「大丈夫だよ。絶対に負けないから」
震える手でソフトが入ったケースを持って行くと、鳴沢君はそんな私の心を見透かした様な優しい笑顔でソフトを受け取り、小さくそう呟いた。
「言っておくが、俺はこのゲームで全国チャンピョンにもなった事があるんだぜ?」
鳴沢君の言葉に少しだけ安堵しかけたその時、お客さんが唐突にそんな事を口にした。その言葉を聞いた私の心に、さっきよりも大きな不安が広がっていく。
「全国チャンピョンですか? それは凄い。少しは手加減して下さいね?」
でも、そんな私の不安をよそに鳴沢君は終始笑顔で、その表情には、負けるかもしれない――と言った不安の様なものはまったく感じられなかった。
そしてゲーム勝負はお客さんの提案で三本勝負となり、どうなるのかと不安でしょうがなかったけど、鳴沢君はその三本勝負を十分と経たない内にあっさりとケリをつけた。
「そ、そんなバカな……」
お客さんは対戦結果に茫然自失と言った感じだったけど、驚きを隠せなかったのは私も一緒だった。
「勝負ありです。さっきの約束、守って下さいね?」
「く、くそう……」
「あれ? 龍之介君に雪村さん。お客さんと対戦してたのかい?」
出かけていた店長がタイミング良く戻り、私は少し胸を撫で下ろした。
「あっ、店長。そうなんですよ。ちょうど対戦が終わったところなんですけど、いや~、お客さんが凄く強かったんですよ。完敗でした」
「ほお」
鳴沢君のそんな言葉に、店長が対戦画面を覗き込む。
事実とは違う事を口にする鳴沢君に視線を向けると、鳴沢君はいつの間にか、お客さんが持っていたはずのコントローラーを持っていた。
「お客さん、どうでしたか? お試しプレイは?」
「ま、まあまあだったな……」
お客さんはそう言うと、意気消沈と言った感じで店を出て行った。
「店番ご苦労さん。二人共、今日はあがっていいよ」
正直、店長のこの申し出はありがたく思った。今日はもう、とても働いていられる精神状況ではなかったから。
そして着替えを終えて店を出た帰り道。私は自転車を押して歩く鳴沢君と一緒に帰っていた。
外はすっかり暗くなり、街灯が明るく道を照らしている。
「あの……鳴沢君。今日は本当にごめんなさい……」
「ん? ああ、さっきの事? そんなの気にしないでいいよ」
「良くないよ! だって、私のせいで鳴沢君に迷惑をかけちゃったんだから……」
そんなつもりはなかったのに、つい大きな声を出してしまった。
「んー、でもそれを言うんだったら、俺は店に来てから何度も雪村さんに迷惑をかけて助けてもらったし、お互い様じゃないかな?」
「今回の場合は状況が違い過ぎるよ……もしあの勝負に負けたら、私は鳴沢君にどうやって詫びればいいんだろう――って、ずっと考えてたし……」
私はあの時の事を思い出し、思わず瞳から涙が溢れ出してしまった。
「ちょ、ちょっと!? 何も泣く事はないじゃない。勝負には勝ったんだからさ」
「だって、だって……」
鳴沢君はハンカチを取り出し、それを私に手渡してくれる。そのさり気ない優しさが本当に嬉しかった。
「まあ、終わった事だから言うけど、あの人が大したプレイヤーじゃないって事は、ある程度分かってたんだよね」
「えっ? どうして?」
「あのお客さん、俺とやったゲームで、全国チャンピョンになった事がある――って言ってたでしょ? それは絶対にありえないんだよね」
「どうして?」
「あのゲームの全国大会があったのって、三年ちょっと前の一度きりなんだけど、その時の全国チャンピョンて、実は俺の妹なんだよね」
「えっ!?」
「だからさ、あの人がチャンピョンだなんて絶対にありえないんだ。それにね、三本勝負を申し込んできた時点で確信したよ。大した事は無いって」
「何で?」
「本当に上手な人は自信があるから、ガチの一本勝負を求めるんだよ。あの人はきっと、俺の実力が分からないから様子見をしたかったんだね。つまり、自分の実力が大した事はないって、無意識に言ってるみたいなもんだったんだよ。だから雪村さんに言ったんだ。絶対に負けないから――って」
鳴沢君はまるで、ネタばらしをするマジシャンの様にそう説明をしてくれた。
私にはいわゆるゲーマーの思考と言うのはよく分からないけど、鳴沢君の説明に対して素直に感心すると同時に、その優しさに温かさを感じていた。
「まあ、つまりはそういう事。それじゃあまたね、雪村さん」
「あっ、うん。またね」
話を聞く内にいつの間にか自宅近くの最寄り駅に着いていたらしく、鳴沢君は自転車に乗って夜の住宅街の中へと去って行った。
そしてこの一件以来、あのお客さんも少しは大人しくなり、私は順調にバイトをこなしていった。鳴沢君と共に。
「――短い間でしたが、お世話になりました!」
時は過ぎて七月の中旬。
今日は鳴沢君のバイト最後の日。ここまで本当にあっと言う間の日々だったと思う。
そして鳴沢君に助けてもらって以来、私は彼という存在を気にかけるようになり、お店の中でも暇さえあれば、自然と彼の事を目で追うようになっていた。でも、今日でそれもお終い。
「雪村さん、今日までありがとう。雪村さんのおかげで楽しく仕事ができたよ」
この日は用事があるからと、鳴沢君はいつもより一時間早く仕事からあがる事になっていた。これで鳴沢君とさようならかと思うと、とても寂しくなる。
「あっ、あの……鳴沢君、良かったら連――」
「すみませーん!」
私が鳴沢君に連絡先を聞こうとした瞬間、お店の中に居たお客さんが声をかけてきた。
「あっ、お客さんが呼んでるよ。それじゃあ雪村さん、バイバイッ!」
「あっ! ちょ、ちょっと!?」
鳴沢君はスッと片手を上げてから、急いでお店を出て行く。
私がモタモタしたせいで、鳴沢君と連絡先を交換する最後のチャンスを逃してしまった。そして自分の勇気の無さに落胆しつつ、私はどこか寂しい気持ちで閉店まで働いた。
「――そう言えば雪村さん。最近はお客さんに嫌がらせとかされてない?」
その日の閉店作業中、店長が唐突にそんな事を聞いてきた。
どうして店長がその事を知ってるんだろうと思いながら、私は恐る恐るその事を尋ねてみる事にした。
「あの、知ってたんですか?」
「うん。鳴沢君が負けてたお試しプレイの翌日に、僕が聞いたんだよ。何があったの? ってね」
「えっと……すみません、黙っていて……」
「うん。でもこれからは、何かあったらちゃんと話してね?」
「はい。あの……店長は何で気付いたんですか? あれがお試しプレイじゃなかったって」
「それは簡単な事だよ。あの時、鳴沢君はボロ負けしてたでしょ? あんなのはありえないんだよね。彼の実力はなかなかのものだし、間違ってもあの人には負けるはずがないんだ。あのお客さん、決してゲームが上手ではなかったからね」
「でも、お客さんにソフトを買ってもらう為に、接待プレイをしてたのかもしれないじゃないですか?」
「まあ、その可能性もあるにはあったけど、鳴沢君はそういったプレイを一度もした事は無いんだよね。どんな時でも、誰が相手でも、真剣勝負をしてたから分かるんだ。鳴沢君があんな負け方をするはずが無い――ってね」
「そうだったんですね……」
「うん。それとね、本当は内緒だけど、鳴沢君が先日こう言ったんだよ。『僕がバイトを辞めたあと、また雪村さんがあのお客さんに困っている時には、よろしくお願いします』ってね」
「そうだったんですね……」
それを聞いた私は本当に嬉しかった。まさか鳴沢君が、そこまで私の事を心配してくれていたなんて想像もしていなかったから。
鳴沢君の優しさに、胸がキュッと締め付けられる。こんな事は初めての経験で、私にはそれが何なのかよく分からなかった。
でもそれは決して嫌な感覚ではなく、心が温かくなる感じだった。
「また会いたいな……鳴沢君に」
お店の片付けをしながら、私は小さくそんな事を呟いた。
そしてこの時の私は、まさかこれから二週間後に偶然にも彼と再会できるとは思ってもいなかった。
× × × ×
「あっ、もうこんな時間」
思い出の世界から戻って携帯の時間を見ると、既に二十三時を過ぎていた。
私はちょっと寂しく思いながらも、龍之介君におやすみなさいのメッセージを送った。
メッセージを送ったあとで部屋の電気を消し、私は眠る為に布団へと潜り込む。そして掛け布団をしっかりと掛け終わると、枕元に置いていた携帯がブルルッ――と震えた。
私が携帯を手に取ってメッセージ画面を開くと、そこには一言、『おやすみなさい』と書かれていた。私はそのまま携帯を枕元に置き、暗くなった部屋の天井を見つめる。
――いつか龍之介君に、この気持ちを伝えたりする日が来るのかな……。
その場面を少し想像してみると、途端に顔が熱くなってきた。こんな事でちゃんと気持ちを伝えられるのかと、とても不安になってくる。
想像だけでこんなに顔が熱くなるんだから、実際にその場面が訪れたとしたら、私は頭の上でヤカンの水が沸かせるかもしれない。
そんなちょっとした妄想で顔を熱くしながら目を瞑り、私は一言静かに呟いた。
「おやすみなさい。龍之介君……」
今日の夢に彼が出て来る事を願いつつ、私の意識はまどろみの中に溶け込んでいった。




