止められない想い
俺は久々に懐かしい夢を見ていた。その内容は本当に懐かしいもので、小さな頃の杏子と一緒に遊んだり話したりしているものだ。どうしてこんな夢をずっと見ているのかは分からないけど、もしかしたらそれは、夢の世界によく響いてきていた杏子の『お兄ちゃん』と俺を呼ぶ声のせいだったのかもしれない。
「……ここは?」
「おっ! 目が覚めたか!? 大丈夫か?」
「何で渡が居るんだ? ここは地獄か?」
「目覚めて最初の一言がそれかよっ!」
「あ、いや、悪い悪い、ついな」
「たくっ、そんな軽口が叩けるなら大丈夫そうだな」
「ここはどこだ?」
「ここは病院で、お前は患者、そして俺はお前をお見舞いに来た心優しい友人だ」
「病院? そっか、そりゃありがとな。で、俺は何で病院に居るんだ?」
「何があったか覚えてないのか?」
「まあな」
「交通事故にあったんだよ。確か聞いた話だと、お前の家で飼ってる猫が具合悪そうにしてたから動物病院に連れて行って、その帰り道で車にはねられたとかなんとか」
「ああ、そういえばそうだったような……」
渡の話を聞いた途端、おぼろげだがその時の記憶が甦ってきた。
「お前が事故ったあとは大変だったんだぜ? 知らせを聞いた水沢さんや如月さん、クラスのみんなもめちゃくちゃ心配してたし、杏子ちゃんなんて見た事もないくらいに取り乱してたからな」
「そうか、そうだろうな……」
「おっといけね、とりあえず先生を呼ばなきゃな。ちょっと行って来るわ」
「渡、杏子は居ないのか?」
「杏子ちゃんはお前の着替えを取りに戻ってるよ、だから俺がこうしてここに居るんだ。あっ、それと杏子ちゃんが戻って来たら、ちゃんとケアしてやれよ? お前が呑気に寝てた五日間、ずっと時間がある時はお前の側に居たんだから」
「ああ、分かったよ」
俺が返事をすると、渡は病室を出て先生を呼びに行った。
「俺、五日も寝てたのか……」
結構長く意識を失ってたんだなと、我ながら驚いていた。今までの人生で長く寝ていた記録の最長記録だ。まさかこんな形でその記録が更新されるとは思ってもいなかったが、みんなに心配をかけてしまったのだから本当に申し訳ない記録だ。
頭を左右に動かして部屋の様子を見るが、左右にはベッドはない。どうやらここは個室みたいだが、俺としてはそれはありがたい。周りに人が居ると落ち着いて眠れないから。
俺はとりあえず上半身だけを起こしてみようと身体を動かし始めた。
「うぐっ!!」
しかし動かそうとした身体からは鋭い痛みが走り、俺はすぐに起きる事を諦めてベッドに背を預けた。
元の体勢に戻った事でその痛みも治まるかと思ったが、最初に感じた痛みが他の場所の痛覚も刺激したのか、リアルな痛みがあちこちから襲いかかって来る。
「お兄ちゃん!?」
「お、おう、杏子か、うぐっ!!」
「大丈夫!?」
「ああ、ちょっと身体を起こそうとしたら痛かっただけだから」
「全身を強く打ってるんだから当たり前だよっ! 今すぐ看護師さんを呼ぶから!」
「それなら大丈夫だ、渡が先生を呼びに行ってくれてるから」
「そうなの? はあっ、良かった。もうっ! ずっと目を覚まさないんじゃないかって凄く心配したんだからねっ!」
「悪い悪い、でも俺だってこうなりたくてなったわけじゃないんだぜ? だから許せ」
「許さない! 許さないんだから!」
「おいおい」
杏子はそう言うと、俺の胸元に顔を埋めて泣きじゃくり始めた。
俺はそんな杏子の頭に痛みを我慢して右手をやり、そっとその頭を撫でた。他のみんなにも心配をかけただろうけど、杏子が感じていた不安や心配はもっと凄かっただろうと思う。それだけ杏子とは長い時間を一緒に過ごして来たんだから。
それから渡が呼んで来てくれた先生に色々と質問を受けながら診察を受けたあと、俺は治療と検査の為に一週間ほどの入院継続を言い渡された。
× × × ×
交通事故で病院に運び込まれた俺が意識を取り戻してから六日目、俺は最後になる検査を終えて病室に戻り始めた。
あれから俺の身体は順調に回復し、今日やった検査結果で異常がなければ、明日には退院という事になっていた。それにしても、まさか自分がこんなにも長く病院のお世話になるなんて思ってもいなかった。
杏子から聞いた話だと、事故で全身を強く打っていた俺は、病院へ運ばれた当初は命を落とす危険さえあったかもしれない状態だったらしい。だが幸いにしてその危機はすぐに脱したらしく、駆けつけた親もその点は安心したと言っていたらしい。
だが杏子はそう簡単に安心はしていなかったらしく、俺が目覚めるまではずっと気を張っていたみたいだと、お見舞いに来てくれた茜や美月さんはそう言っていた。まあ杏子は杏子で色々と思うところがあっただろうから、それは仕方がないと思う。
「お兄ちゃん、検査はどうだった?」
「とりあえず無事に終わったよ、結果は明日分かるらしいから、それで何もなかったらそのまま退院だ」
「そっか、とりあえず良かったよ」
「お前にも色々と心配をかけたな」
「本当だよ、お兄ちゃんがこのまま目覚めないんじゃないかって、本当に心配したんだから……」
その時の事を思い出したのか、杏子の表情が急激に曇り始めた。
「すまんな、でもさ、あれは信号無視をしてきた車がいけないんだぜ? 俺はちゃんと交通ルールを守ってたんだからさ」
「それは分かってるけど、お兄ちゃんがルールを守ってても、他の人がちゃんと守るとは限らないでしょ? だからもっと気をつけなきゃ」
「うぐっ、まあ、それはそうだよな。分かった、これからはもっと気をつけるよ。そういえば、白雪姫は元気か?」
「うん、お兄ちゃんが病院に連れて行ってくれたから、今は凄く元気だよ」
「そっか、ちゃんと面倒は見てるか? 俺の事ばかりで放置したりしてないか?」
「大丈夫だって、私がお見舞いに来てる間は、美月お姉ちゃんと明日香お姉ちゃんが面倒を見てくれてるから」
「二人に迷惑かけてるんじゃないか? 大丈夫か?」
「大丈夫だよ、美月お姉ちゃんも明日香お姉ちゃんも猫が大好きみたいだし、明日香お姉ちゃんなんか『実家で飼ってる猫みたいで可愛い』って喜んでたから」
「そっか、でもまあ、退院した時に一緒にお礼の品を買って帰ろうな」
「うん」
交通事故に遭うというとんでもないハプニングはあったけど、これでようやく俺の日常が戻ってくる。命がある事のありがたみをしみじみと感じながらベッドに寝そべると、杏子はいつものようにベッドの横にあるパイプ椅子に腰を下ろした。
「……あのね、お兄ちゃん、私ね、お兄ちゃんに言っておきたい事があるの」
「言っておきたい事? 何だ?」
「えっとね……」
物事をわりとハッキリ口にするタイプの杏子が、珍しく口ごもった。それを見た俺は、杏子が凄く言い辛い事を言おうとしている事は何となく分かった。だがその内容が何なのかは正直見当がつかない。
「どうした? そんなに言い辛い事なのか?」
「言い辛いって言うか、今まで似たような事を言ってきたから、改めてそれを真面目に言うのが恥ずかしいって言うか……」
「何だよ、気になるから早く話せよ」
「うん……それじゃあ、ちゃんと真面目に聞いてね?」
「おう」
「……あのね、お兄ちゃん、私の恋人になってほしいの」
「はいっ!?」
杏子の口から出た言葉は大いに俺を驚かせた。そしてその言葉はいつもの杏子の戯れだと思ったけど、それから真剣に俺に向かって思いの丈をぶつけて来た杏子の言葉を聞いた俺は、その言葉が嘘や冗談、戯れではない事を理解した。
そしてその言葉が本気だと分かった俺は、そこから大いに頭を悩ませる事になった。




