気になって仕方ない
まひろが突然早退をした翌日の朝、俺はベッドで目を覚ましたのと同時に枕元に置いていた携帯を手に取り、メッセージの有無を確認した。
「……いったいどうしたってんだ?」
昨日送ったメッセージの返答は、日付が変わってもなかった。それどころか、俺が送ったメッセージには既読すら付いていない。
返答はおろかメッセージすら見れない程に具合が悪いのかと心配になるけど、こうしていつまでもまひろの事を心配しているわけにもいかない。俺も学園へ行く準備をしなければいけないから。
まひろの様子が分からないから何とも言えないけど、元気になっていれば登校の途中でメッセージが来るかもしれないし、仮にメッセージに気付いていなくても、学園に来ていれば話もできる。ちょっと希望的観測が過ぎるかもしれないけど、俺としてはまひろが元気になっていてくれればそれでいい。
俺は急いで制服に着替えて朝食を準備し、杏子と一緒に朝食を摂ってからいつも通り花嵐恋学園へ向かった。
「――おはよう、美月さん」
「あっ、おはようございます」
いつもなら絶対に俺より早く登校しているまひろだが、今日はまひろの席にその姿は無い。まだ体調が良くなっていないのか、それとも登校しているけどここに居ないだけなのか、現状ではどちらなのか判別がつかない。
少し焦る気持ちがあった俺は、挨拶を交わした美月さんにまひろの事を尋ねてみる事にした。
「美月さん、まひろを見なかったかな?」
「まひろさんですか? 今日はまだ登校して来てないみたいですよ」
「そっか……ありがとう」
いつも朝早くから来ている美月さんがこう言っているんだから、まひろが来ていないのはほぼ確定だろう。と言う事は、まだ具合が良くなくて自宅で休んでいる可能性が高い。
俺は自分の席に座って胸ポケットに入れている携帯を取り出し、メッセージ画面を開いた。昨日まひろに送ったメッセージには未だに既読が付いていないが、俺は『体調は大丈夫か? 元気になった時で良いから返事をくれ』と書いてメッセージを送った。
まひろが男として過ごしていた時期も、体調を崩す事は多々あった。だから今回もそれと同じだろうと俺は思っていたけど、翌日になっても翌々日になっても返事が来る事は無く、まひろは学園を三日連続で休んだ。
そしてまひろが学園を休んでから三日目の放課後、この日は制作研究部の活動を早目に切り上げ、俺と茜と美月さんの三人でまひろのお見舞いに行ってみようという話になった。
「よくよく考えるとさ、誰かが代表で行く方が良かったんじゃないかな? 迷惑になるかもしれないし」
「確かに龍ちゃんの言う通りかもだけど、それは今更じゃない? お見舞いの品も買ってここまで来ちゃったわけだし」
「まあ、確かにな」
花嵐恋学園からの帰り道、商店街で買った果物セットを持つ茜がそう言うと、その隣で小さな花束を持つ美月さんがにこやかな笑顔で頷いた。そして俺はと言えば、果実セットと花束を持つ二人の鞄を茜に言われて持たされている。
まあそれはそれでいいんだけど、二人のお供の様にして後ろから付いて行っている俺は、傍から見ればただのオマケだろう。だがそんな事はこの際どうでもいい。今回はまひろの体調がどうなのかを確かめるのが最優先だから。
そして花嵐恋学園の最寄り駅から電車で移動すること三つ目、弥生駅へと着いた俺達は、まひろの家へと向かい始めた。
こうしてまひろの自宅へ向かうのは、四月の中頃過ぎに一度行ってから二度目になる。つい三ヶ月くらい前の事なのに、ずいぶんと昔の事の様な気もする。
夏の厳しい暑さの中を歩き、俺達はまひろの家へと向かい始めた。そして弥生駅から歩くこと約十数分、俺達はまひろの自宅前へと辿り着いた。
「相変わらずでけー家だよなあ……」
「だねえ、初めて見た時も思ったけど、お姫様が出て来そうな感じだよね」
「私も茜さんと同じ事を思ってました」
お姫様が出て来そう――と言う茜の表現はあながち間違いではないと思う。なにせ女性としてのまひろは男の時よりも格段に可愛らしく、お姫様と表現しても特に違和感が無いからだ。
俺は持っていた鞄の持ち手を左腕に通し、空いた右手で外門のチャイムボタンを押した。
「はい、どちら様でしょうか?」
「あっ、アナスタシアさんですか?」
「はい、そうですが」
「こんにちは、鳴沢龍之介です。今日はまひろさんのお見舞いに来ました」
「あらまあ、そうだったんですね、わざわざありがとうございます。すぐに門を開けますね」
言うが早いか、大きな外門が音を立てて左右へ開き始めた。そして俺達は開き始めた門を抜け、大きなお屋敷の玄関へと歩き始めた。
「皆様、ようこそおいで下さいました。今日は娘の為に来て下さったとの事で、ありがとうございます。さあ、どうぞお上がり下さい」
「ありがとうございます、それではお邪魔させていただきますね」
「お邪魔します」
「お邪魔させていただきます」
それぞれに挨拶をしてから靴を脱いで用意されたスリッパを履き、アナスタシアさんの案内に付いて行く。
どこまでも先に続いている様に感じる長い廊下、そんな廊下を歩いて行くと、アナスタシアさんは一つの扉を開いて中へ入った。
「すみませんが、こちらで少しだけお待ち下さい。お茶をお持ち致しますので」
「あっ、どうぞお構いなく。それとこれはお見舞いの品です、あとでまひろちゃんと一緒にどうぞ」
「本当にすみません、ありがとうございます。それでは少々お待ち下さい」
丁寧にそう言った茜が果物セットのカゴをアナスタシアさんへと差し出すと、それを見ていた美月さんも持っていた花束を差し出した。
するとアナスタシアさんは満面の笑みを浮かべ、受け取った果物セットと花束を持って部屋を出て行った。
「ふうっ……やっぱり緊張しちゃうなあ。まひろちゃんのお母さん、絵の中から出て来たみたいに美人だから」
「そうですね、とても綺麗で憧れてしまいます」
俺から見ると茜も美月さんもベクトルの違いこそあれど、可愛くて美人な方だと思う。だけどそんな二人が溜息と共にそんな言葉を漏らすほど、アナスタシアさんは美しい。流石はまひろの母親だと思える。
そしてアナスタシアさんが部屋を後にしてから十分くらいが経った頃、人数分のアイスコーヒーを持って戻って来たアナスタシアさんとの会話が始まった。
「改めまして、今日は娘の為にお見舞いに来ていただいてありがとうございます」
「いえ、気になさらないで下さい、僕達もまひろさんの具合はずっと気になっていましたので。ところで、まひろさんの具合はどうなんでしょうか?」
「娘はまだ熱がありますが、最初に比べれば今は落ち着きました。今の様子なら明後日には登校できると思います」
「そうですか、それを聞いて安心しました」
まひろからの返答が無いから相当に体調が悪いのかと思って心配していたけど、容態は回復に向かっていると聞いて本当に安心した。それを聞けただけでも、こうして自宅を訪ねた甲斐があったってもんだ。
「あの、もしかしてですが、娘の携帯にご連絡をいただいていたのでしょうか?」
「あっ、はい、心配になっていくつかメッセージを送らせてもらいました」
「やっぱりそうでしたか……すみません、娘の携帯は具合が良くなるまで私が預かる事にしていましたので、返事をさせる事ができませんでした」
「そうだったんですね」
これで俺が送ったメッセージに対し、まひろが既読すら付けなかった理由が分かった。それが判明した事も俺としては安心できて良かった。そして本当なら一目でもまひろの様子を見たかったが、今は安静にして寝ているとアナスタシアさんから聞いたので、それは自重する事にした。
こうして俺達はしばらくの間アナスタシアさんと会話を交わしたあとでまひろの家を後にし、そのまま自宅へと帰った。
そしてそれから二日後の終業式、俺は体調が良くなったまひろと学園で会い、その日の放課後に出来なかった告白の返事をする事にしていたんだけど、なぜかまひろは屋上に来てくれず、そのまま夏休みを迎える事になってしまった。




