動き始めた事態
美月さんの想い人である遠い昔に出会った男子、それが俺だったと判明してから一週間が経った。
あの時から俺と美月さんの間で何か特別な変化があったかと言うと、特にそんな事はない。あれからお互いに昔の話や今回の件についての話は一切していないし、二人の関係性や距離感は真実を知る前とあまり変わりは無いと俺は思っている。
俺としては真実を知った事で多少尻込みする場面はあるけど、美月さんも普段と変わらない様子で接して来るから、変に緊張したりするのもおかしいと思い、俺も努めて普通に接する様にしているわけだ。とは言え、俺があれから更にモヤモヤとした気持ちを抱えているのは間違いない。
「龍之介さん、先日デバッグしていただいた内容を修正したので動作テストをお願いしたいんですが、大丈夫でしょうか?」
「もちろん、それじゃあ今日も美月さんの家にお邪魔するね」
「はい、それではよろしくお願いします」
いつもの柔和な笑顔を見せつつ、美月さんは机の中にある教科書を鞄に入れ始める。こうしていつもと変わらない態度を見せてくれる事には安心するけど、なんとなく寂しい感じもしていた。
「鳴沢くん、美月ちゃん、一緒に早く帰ろー」
そんな美月さんを見ながらのんびり待っていると、いつもの明るく弾む声でそう言いながら桐生さんが近付いて来た。
桐生さんと初めて出会ってからもう一年が過ぎたけど、この明るさは最初に出会った頃と何も変わらない。きっとこの明るさとポジティブさが、転校して来る前の美月さんをずっと支え続けていたんだろう。
「お待たせしました」
「おっし、それじゃあ帰ろうか」
「おーう!」
最近ではすっかり定番となった帰宅メンバーだが、帰宅する時に話す話題は結構まちまちで、テレビの話題やニュースの話題を話す時もあれば、好きなアニメやゲーム、漫画についての話題になる時もあるし、なぜか海の生き物についての話になる時もある。これも三人で居るからこそのバリエーションだろうけど、これが秘かな俺の楽しみでもあった。
そしていつもの様に三人で盛り上がりながら帰宅したあと、今日も桐生さんと美月さん、俺の三人でやる静かな作業が開始された。
デバッグ作業をやり始めた当初は、この沈黙が結構辛かったのを覚えている。騒がしいのは好きじゃないけど、静か過ぎるのも好きじゃないからだ。でも人ってのは環境に慣れるものだから、今ではすっかりこの状況にも馴染んでしまった。しかもこうやって馴染んでしまうと、この沈黙がどことなく心地良く感じるから不思議だ。
このままこんな時間が続けばいいのに――と思ってしまうけど、それが無理な事は十分に分かっている。誰だって望む望まざるに関わらず、いずれは進路やら何やらで別れてしまう時が来るんだから。しかしそれが分かっていても、美月さんとはずっと一緒に居たいと思っている自分が居る。そう思うのはきっと、俺が美月さんを一人の女性として好きだからだ。
今までずっと自分の美月さんに対する気持ちが分からないでいたけど、こうやって一生懸命に頑張っている美月さんを見ている内に、ようやく自分の気持ちがハッキリと分かった。
「――ちょっと休憩しよっか?」
「そうだね、ちょっと目も疲れてきたし、美月ちゃんも少し休もうよ」
「はい、分かりました」
「それじゃあお茶を淹れて来るね」
「いつもすみません」
「気にしなくていいよ、美月さんはこの制作研究部の要なんだから、休める時にしっかり休んでおいてもらわないと」
「そうそう、鳴沢君の言う通りだよ。ただでさえ美月ちゃんは根を詰めるタイプなんだから」
「分かりました」
「うん、よろしい! それじゃあ鳴沢君、休憩の準備しよっか」
「えっ? お茶は俺が準備するから、桐生さんも休んでていいよ?」
「ムフフ、実は今日の為に用意しておいたとっておきのケーキがあるのだ。だからそれは私が準備しないと」
「なるほど、それじゃあ行こっか」
「OK!」
用意しているケーキによっぽどの自信があるのか、桐生さんはスッと席から立ち上がって部屋を出て行く。そして俺はそんな桐生さんに続く様に部屋を出てから台所へ向かい、いつもの様にお茶の準備を始めた。
「ねえ、鳴沢君、美月ちゃんと何かあった?」
「えっ!? どうして?」
「だって最近の鳴沢君、前より頻繁に美月ちゃんの事を気にしてるから。だから何かのかなーって思ってたんだけど、私の勘違いじゃなかったみたいだね」
「俺はまだ何も答えてないけど?」
「答えなくたって今の反応で分かっちゃったよ。本当は何があったのか聞きたいところだけど、とりあえずそれは我慢しておくね。でも、前にも言ったけど、何かあったら相談してね」
「……うん、ありがとう」
「よしっ、それじゃあ早く戻ろう! 美月ちゃんが待ってるよ」
「そうだね」
俺は手早くお茶を淹れ、ケーキを乗せたトレイを持った桐生さんと一緒に部屋へ戻った。
勘のいい桐生さんの事だから、きっと俺と美月さんの間に何があったのかある程度察している気はする。その事について今更誤魔化す気は無いけど、ちゃんと話すべき時が来たらその事も話そうと思う。
こうして桐生さんが用意したケーキと俺が用意したお茶でしばらくの休憩をとったあと、俺達は再びそれぞれの作業を再開した。
× × × ×
「鳴沢君、ちょっといいかしら」
桐生さんにちょっとした探りを入れられてから数日が経った頃、突然放課後の教室に取材部のリーダーである、四季さんこと霧島夜月さんがやって来た。
「どうかしたの?」
「少し話したい事があるの、付き合ってもらえないかしら?」
そんな風に言う霧島さんの表情は、どことなく怒っている様な感じに見えた。いつもはポーカーフェイスな霧島さんだけに、その様子がとても気になってしまう。
「分かった。美月さん、桐生さん、ちょっと用事があるから、今日は先に帰ってて」
「そうなの? 分かった」
「分かりました、それでは気を付けて帰って下さいね?」
「うん、二人も気を付けてね?」
手を振って出て行く二人を見送ったあと、俺は更に不機嫌な様子を見せる霧島さんに屋上へと連れて来られた。
そろそろ九月の中旬を越えるとはいえ、外はまだまだ暑い。蝉はまだ元気に鳴いているし、屋上の地面からも陽炎の様な靄が立ち上っている。そんな中を霧島さんはスタスタと歩き、ちょうど陰になる部分へ入ってから俺を手招きした。俺は素直にその手招きに従って霧島さんの元へと向かう。
「それで、話って何かな?」
「鳴沢君は最近、如月美月と何かあった?」
「えっ? 急に何?」
「答えて! 美月と何かあったの!」
いつもは冷静沈着な霧島さんが、初めて感情を剥き出しにして声を荒げる所を見た。その事にただならぬものを感じ取りはしていたけど、だからと言っておいそれとこちらの事情を話すわけにはいかない。
「何で怒ってるのか分からないけど、とりあえずちゃんと説明をしてくれないかな? そうじゃないと、こっちだって話のしようもないよ」
「…………ごめんなさい、取り乱してしまって。とりあえず一つ質問をさせて、鳴沢君は如月美月の事を好きなの?」
「そ、それは……好きだよ」
「それは友達としてではなく、異性として?」
「うん、俺は美月さんを一人の女性として好きだ」
その返答を聞いた霧島さんは、目を閉じて軽く溜息を吐いた。
「鳴沢君、二年前、私と初めて会った時に話した事を覚えてる?」
「初めて会った時の話?」
「そう、如月美月を好きになっちゃ駄目――って言った事よ」
もうだいぶ昔の事だからその記憶もかなり薄れてはいたけど、そんな事を言われたのは覚えていた。
「確かにそんな事を言われたのは覚えてるけど、それがどうしたの?」
「鳴沢君が如月美月を好きなのは分かったけど、あの子の為にその恋心を胸に秘めたままでいてくれないかしら?」
「どういう事? 俺が美月さんに恋心を伝えない事が、どうして美月さんの為になるの?」
「……この際だから鳴沢君には話をしておくわ。私の今の名前は霧島夜月だけど、その前の名前は如月夜月だったの」
「如月夜月って、まさか……」
「そう、私と美月は双子の姉妹で、私は美月の姉なの」
それから霧島さんは色々な話をしてくれた、双子である霧島さんと美月さんが別々に暮らしている理由や、美月さんがそれを知らなかった理由、二人の両親について。
そしてなぜ美月さんに恋をしてはいけないのか、その理由もここで聞かされた俺は、そこから長い間悩み続ける事になった。




