意識し合う二人
夏のコミックマーケットも無事に終了し、俺は至って平凡な日常へと戻っていた。
しかしそうは言っても、制作研究部の恋愛シュミレーションゲーム制作が終了したわけじゃない。むしろ夏コミが終わったこれからが忙しくなっていくだろうから、油断してのんびりしていると冬コミまでの完成に間に合わなくなる。
「ふぁぁぁぁ~、そろそろ起きるか……」
夏コミが終了してから最初の日曜日、自室のベッドで惰眠を貪りつつ寝返りを打った俺は、カーテンが閉まった窓の方を見た。
今日は二度寝三度寝をしていたせいか、カーテンの小さな隙間から射し込んでいた太陽の光はいつの間にかなくなっていた。そんな状況を見て部屋にある掛け時計へ視線を移すと既にお昼を過ぎていて、俺はのそのそと起き上がってから部屋を出て一階の台所へと向かった。
「あっ、牛乳切れてたの忘れてた」
仕方なく麦茶が入ったボトルを手に取り、もう片方の手に持っていたコップの半分くらいまで麦茶を注ぎ入れる。
「ぷはーっ!」
夏の寝起きで飲む冷たい飲み物は、身体中にその冷たさが伝わっていく様で好きだ。酒飲みのオッサンみたいなリアクションをしてしまった事など気にもせず、麦茶の入ったボトルを冷蔵庫へと戻す。
昨日は杏子から早くに出掛けると聞いていたから、家の中は至って静かなもんだ。テレビの音はおろか、エアコンの稼働音すら聞こえてこない。
静寂が包み込む中を移動してリビングへと向かい、テーブルの上にあるテレビリモコンを手に取ってスイッチを入れる。するとテレビには懐かしいドラマの再放送が流れていた。
「すげー懐かしいな。これって確か、俺が小学六年生くらいの時にやってたドラマじゃなかったっけ?」
今流れている場面は確か、最終話の最後の場面だと記憶している。ついついリアルタイムで見ていた当時を思い出し、画面に見入ってしまう。
これは幼い頃に出会って別れた男女が大人になって偶然にも再会したが、お互いに幼い頃に出会って遊んでいた想い人である事に気付かずに日常を過ごして行くというドラマだ。当時の俺は子供ながらにこの二人のすれ違いを見てやきもきしていた覚えがある。まあ最後にはお互いに幼い頃の想い人だったと気付いて結ばれるんだけど。
懐かしいドラマをエンディングまで堪能したあと、俺はふと思った事があった。それはこのドラマの主人公が置かれていた状況が、今の俺と少し似ているという事だ。
これはまだ確定情報ではないけど、俺と美月さんは幼い頃に出会っていた可能性がある。そしてもしそれが事実だとしたら、美月さんは俺の事がずっと好きだったという事になる。
「やっぱり気になるよな……」
なるべく気にしない様にしてたけど、正直な事を言えばあのゴールデンウイークから少なからず美月さんの事は気になっていた。もしかしたらそれは、これまでの美月さんを見ている内に彼女の事が気にかかる様になっていたせいかもしれない。
それが美月さんに対する恋心かと言えば自分でもよく分からないけど、それでも彼女の一挙手一投足が常に気になっているのは事実だ。
色々な事を確かめたいと思いつつも、実際にそれを実行できるかと言うとそうでもない。だって真実を知るのは凄く怖い事だから。だからこそ俺は、ゴールデンウイークの時に見た事の真実を確かめなかったんだから。
そしてテレビを見ながらそんな事を思っていたその時、不意に玄関のチャイム音が鳴り響いて身体がビクッと跳ねた。俺は驚きでドキドキする胸を左手で押さえながらソファーから立ち、急いで玄関へ向かった。
「はーい! どちら様ですかー?」
「あっ、龍之介さんですか? お隣の美月です」
「美月さん!? ちょっと待ってね! 今開けるから!」
さっきとは別の意味で心臓がドキドキと高鳴り始める。それはさっきまで美月さんの事を考えていたせいかもしれないけど、彼女がこうして我が家に来たという事を嬉しく感じているのは事実だった。
俺は高揚する気持ちを抱えながら急いで玄関へ向かい、いそいそとドアロックを解除して扉を開けた。
「待たせてごめんね」
「いえ、大丈夫ですよ」
美月さんはいつもの涼しげで柔和な笑顔を浮かべながらそう答えた。
普段から穏やかさを絵に描いた様な人柄だけに、美月さんの丁寧な口調や物腰は凄まじいまでの癒しを感じる。そしてそれは、俺以外の人達も感じているだろう彼女の魅力だと思う。
「今日はどうしたの?」
「はい、実は今しがた昼食を作ったんですけど、ちょっと張り切って作り過ぎてしまったんです。それで龍之介さんの昼食がまだでしたらご一緒してもらえないかと思ったのでお誘いに来たんです」
「そうだったんだ、それなら是非お誘いに乗らせてもらうよ。実はさっき起きたばっかりで、食事の用意もしてなかったからね」
「それならちょうど良かったですね。では自宅で待っていますので、準備ができたら来て下さいね?」
「うん、分かったよ、超特急で着替えて行くからさ」
「ふふっ、それではお待ちしていますね」
美月さんは楽しそうに微笑むと、そのまま自宅へ戻って行った。
俺はと言えばそんな美月さんを見送ったあとでドタドタと階段を駆け上がって自室へ入り、急いでパジャマを脱いでから普段着へ着替えて美月さん宅へと向かった。
「――やあやあ鳴沢君! 待ってたよー♪」
「あっ、桐生さん、こんにちは」
美月さん宅へ入ってリビングに向かうと、四人掛けテーブルに着いた桐生さんが元気に声を掛けてきた。いつもながら底抜けに元気で明るい人だ。
「こんにちは、来てくれてありがとね。ちょっと二人で料理作りにエキサイトしちゃったから」
「そうだったんだ、でも俺としてはありがたかったよ」
「そっかそっか、それなら良かったよ。美月ちゃんも喜んでるしね」
「えっ? 美月さんが喜ぶ?」
「あっ、いや、何でもないよ。それより鳴沢君、早く席に座って! 私もうお腹ペコペコなんだから!」
「う、うん」
いつもの勢いでそう言われ、俺は食事の用意された席へと着いた。
それから自分の食事を持って現れた美月さんが席へ着くと、ちょっと遅めの昼食タイムが開始になった。
「うん! いつもながら美味しいね!」
美月さん達の作った料理に舌鼓を打ちつつ、その美味さに絶賛の声を上げた。
彼女達の作った料理はこれまで何度か食べたが、今回の料理もまた絶品で、その料理は毎回食べる度に美味しさを増している。
「そうですか? ありがとうございます」
「特にこの里芋の煮付けは絶品だね、流石は美月さんだよ」
「へえ~」
俺が美月さんの作った料理に賛辞を送ると、左斜め前に座っている桐生さんがニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。
「な、何? 突然ニヤついて」
「いやー、鳴沢君が美月ちゃんの事を分かってて凄いなーと思ったから」
「どういう事?」
「鳴沢君さ、今食べた里芋の煮付けを作ったのが美月ちゃんだってどうして分かったの? 私も美月ちゃんもどっちが何を作ったかなんて話してないのに」
それを聞いて桐生さんの言いたかった事が分かった気がした。そしてそれが分かった瞬間、俺は気恥ずかしさで顔が異常に熱くなるのを感じて焦ってしまった。
「え、えーっと……」
「ほらほら~、答えてよー♪ どうして美月ちゃんが作ったって分かったのー?」
そんな俺を見ても尚、桐生さんは追及の手を緩めない。こういうところは陽子さんの先輩である金森憂さんとよく似ている。
「そ、それはその……美月さんらしい味付けになっていたから分かったと言うか何と言うか……」
「なるほどなるほど、つまり鳴沢君は美月ちゃんの作る料理の味をしっかり覚えてるって事だね?」
「ま、まあそういう事になるのかな……」
「だって、良かったね美月ちゃん♪」
桐生さんの言葉に恥ずかしそうに顔を俯かせる美月さん。そんな姿がまたとても可愛らしい。
「ねえ、鳴沢君、こんなに美味しい料理を作れるんだから、美月ちゃんは将来は良いお嫁さんになると思わない?」
「そ、そうだね、きっと良いお嫁さんになると思うよ」
「あ、ありがとうございます……」
「あ、いや、どういたしまして……」
美月さんの言葉を聞いて思わず恥ずかしくなり、返答の言葉が尻すぼみで小さくなってしまった。
そんな俺と美月さんを満面の笑顔で見守る桐生さんを前に少し居心地の悪い感覚を覚えつつ、美味しい昼食タイムは過ぎて行った。




