今でも好きな人
先に楽しみがあると、人は多少の嫌な事は我慢できる。だから人は、その楽しみの為に生きていると言っても過言ではないだろう。そう考えると人ってのは複雑そうに見えるけど、根っこの部分はかなり単純なのかもしれないと思える。
でもまあ、人間社会で生きて行くにはこれくらいじゃないとキツイと思う。なにせ今の人間社会は、とてつもない種類のストレスに溢れているから。
あとしばらくすれば冬休みを迎えようという寒い朝。俺はいつもの様に教室の中から外の景色を見ながら、退屈な授業へ反抗する様に欠伸を出した。しかしその反抗は決して先生に気付かれてはいけないので、目立たない様にやらなければいけない。
反抗だと言っているのに矛盾した事をしていると思われるだろうけど、誰だって怒られると分かっている事を、堂々とやろうとは思わないだろう。だからこそ、こっそりとやるわけだ。この自己満足満載のささやかな反抗を。
「――ふあぁぁ~」
朝起きてから放課後になるまでに、俺はいったい何回欠伸をしただろうか。数えてたわけじゃないから正確には分からないけど、多分、三十回くらいは欠伸をしてたと思う。
我ながらよく欠伸をしてたよなーと思いつつ、必要な物を鞄へ詰め込んでから後ろの席へと振り返る。
「るーちゃん、今日は買物どうする?」
「今日は日用品を買っておかないといけないから、買い物には行くよ」
「そっか、うちの日用品もそろそろ切れそうだから買っておこうかな。一緒に行ってもいい?」
「もちろん! あっ、でも、少しだけ待ってもらっててもいいかな?」
「どうかしたの?」
「うん……ちょっと用事があるから」
「そうなの? 良かったら手伝おっか?」
「あ、ううん、大丈夫だから気にしないで。それじゃあ、ちょっと行って来るね」
「うん、校門前で待ってるよ」
「分かった、なるべく早く行くね」
そう言うとるーちゃんは鞄を持ち、そそくさと教室を出て行った。
――なんか様子が変だったな……。
るーちゃんの様子は気になったけど、本人が大丈夫と言う以上は追求しても仕方がない。
気になる気持ちをグッと抑え、鞄を持って教室を出る。そして生徒達でざわつく廊下を歩き、階段を下りて下駄箱へと着いた時、俺は思わずるーちゃんの靴箱へと視線を向けた。
――靴が上履きに変わってる? てことは、外に出たのか? いったい何の用事なんだろ。
気にしても仕方のない事だと分かってはいるけど、やっぱり気になるものは気になる。多分、こんなにるーちゃんの事が気になるのも、過去の事があるせいだと思う。
るーちゃんは男に対する不信感や嫌悪感から、告白して来た男子達を手酷く振っていたという過去がある。そしてそんな事が重なる内に多くの女子達から疎まれる様になってしまい、結構酷い苛めを受けたりもしていた。
俺もその全てを知っているわけじゃないけど、何度かそんな場面に遭遇した事もある。だからこっちに転校して来てまたそんな事になったりしてないだろうかと、そんな感じで気になったりするわけだ。
「――待たせてごめんねっ!」
校門前で冷たい風に耐えながら待つこと約二十分。るーちゃんが息を切らせながら校舎側から走って来た。
「用事はもう済んだの?」
「うん、もう大丈夫。ちゃんと話をして来たから」
話をして来たから――その言葉を聞いた俺は、なんとなくだがるーちゃんの言っていた用事が恋愛ごとの様な気がした。
「そっか。それじゃあ、買い物に行きますか」
「うん、行こう♪」
いつもの柔和な笑顔を浮かべ、るーちゃんはスーパーへ向けて歩き始めた。
そんなるーちゃんの笑顔を見ている時、俺は心に安らぎを感じる。そしてそれと同時に、その笑顔を独り占めしたいと思ってしまっている。
「こっちの高校にはだいぶ慣れた?」
「うん、みんなとっても優しいし、たっくんも相変わらず親切だから助かってるよ」
「ははっ、それは当然の事だよ」
「ホント、たっくんは昔から変わってないね」
「えっ? どんなところが?」
「困ってる人を見て見ぬ振りができない、そんなお節介で優しいところかな」
「あはは、それは買い被り過ぎだと思うけどね」
「そんなに謙遜しなくてもいいと思うんだけどなあ」
るーちゃんは本気でそう言ってるんだろうけど、俺はそんなご大層な人間じゃない。だからその真っ直ぐな気持ちはとてもむず痒くなる。
「でもまあ、そう言ってもらえるのは嬉しいけどね」
「ふふっ、でも、それだけ優しかったら沢山の女の子にモテたんじゃない?」
「それがさーっぱりモテなくてね、言い寄って来る女の子なんて、今まで一人も居なかったよ。妹以外はね……」
自分で言ってて虚しくなるけど、事実だから仕方がない。
「そっか、変な事を言ってごめんね?」
「いやいや、別にいいよ」
「うん……あ、あのね、たっくん、突然だけど、私が引っ越した時はどう思った?」
るーちゃんは伏せ目がちにそんな事を聞いてきた。
俺はるーちゃんと再会してから、あえてあの時の事は口にしない様にしていた。だけど、まったく聞きたい事が無かったかと言えば嘘になる。
しかし、わざわざ暗い過去をほじくり返す必要はないと、その事については何も聞かないつもりでいた。けれど今は、るーちゃんからその話題に触れてきた。
「……正直な事を言えば、引越しする事を言ってほしかったかな。まあ、あんな事があったから仕方がなかったとは思うけどね」
「そっか、ごめんね……」
「ううん、その事はもういいんだ。でも、るーちゃんの事は結構心配してたよ」
「心配してたの?」
「うん。ほら、るーちゃんってあの時、ちょっと素直じゃないところがあったから、別の学校で上手くやってるかなーとか、また男子達に告白されて困ってないかなーとか、色々と心配してたんだよ」
「私って居なくなってもたっくんに心配かけてたんだね、駄目だなあ……」
「いやいや、そんなに落ち込まないでよ」
「うん。でもね、たっくんが私の事を心配してくれてたのが分かったから、凄く嬉しかった。あの出来事のせいで絶対に嫌われたと思ってたから……」
「まあ、当時は色々と思うところがあったけど、ふとした時にるーちゃんの事をよく思い出してたよ。今頃どうしてるのかなーって」
「そうなんだ」
「うん。やっぱり一度好きになると、そうやって気になっちゃうものなのかも……な、なーんてねっ!!」
自分の言ってる事が恥ずかしくなり、ついつい茶化す様にそんな事を言ってしまった。我ながら余裕の無さが情けない。
「……私もね、たっくんの事がずっと忘れられなかったよ」
「えっ?」
「私のせいで傷付けてしまった事、私を好きになって告白してくれたのに、それを断ってしまった事、色々な事を後悔してた。引っ越して離れれば忘れられると思ってたけど、そんな事は全然なくて、むしろ近くに居た時よりもたっくんの事を考える時間が多くなって辛かったよ……」
「そっか、お互いに色々と辛い思いをしてたんだね。でもさ、今はこうして一緒に居るわけだし、あの時の分も思い出を作ろうよ」
「うん、そうだね、そうだよね……」
「そうだ! 良かったら二十四日は一緒に料理を作らない?」
「あ、いいね、賛成賛成!」
「それじゃあ今日は、その日の為の買物もしておこっか?」
「うん! あっ、それならせっかくだから、商店街の雑貨屋さんとかにも行ってみない?」
「いいね! いい機会だから色々と見て回ろっか?」
「やった! それじゃあ早く行こう!」
笑顔で楽しそうなるーちゃんに右手を握られ、そのまま引っ張られる。
俺はそんな笑顔のるーちゃんを見ながら、やっぱりまだるーちゃんの事が好きなんだな――と、そんな事を思っていた。




