伝えたかった想い
憂さんに呼び出され、陽子さんのお見舞いに行った翌日の十九時頃。俺は陽子さんと待ち合わせの約束をした、駅前の時計塔下に来ていた。
高校生活最後の夏休みも、中盤を過ぎようとしている時期だが、十九時と言う時間帯にしてはまだ明るい。
――陽子さん、大丈夫かな……。
今更だとは思うけど、俺は陽子さんの体調を心配していた。昨日の今日で体調が良くなってる保障はどこにもないのに、俺は陽子さんの申し出を受けてしまったからだ。本当ならしっかりと体調の事を考慮しないといけないのに、憂さんの告白の件で気を取られていたり、陽子さんからのメッセージをで気持ちが舞い上がっていた事もあり、そこまで気が回っていなかった。
「龍之介君、待たせてごめんなさい」
自分の行動について反省をしていると、後ろから控えめな声音をした陽子さんの声が聞こえてきた。そしてその声に後ろを振り返ると、そこにはとても神妙な面持ちをした陽子さんが立っていた。
「あ、いや、大丈夫だよ。俺も来たのは五分くらい前だし」
本当は約束した時間の三十分くらい前に来てたんだけど、わざわざそんな事を馬鹿正直に言う必要はない。そんな事を言えば、陽子さんが気にするのは火を見るよりも明らかなのだから。
「そうだったんだ。でも、ごめんなさい。来てくれてありがとう」
「ううん。それよりも、体調は大丈夫?」
「うん。龍之介君がお見舞いに来てくれたから、すっかり元気になったよ」
「そっか。突然お見舞いに来て迷惑だったかなって思ってたけど、それなら良かったよ」
「うん。本当にありがとう」
にこっと優しく微笑む陽子さんの表情を見た俺は、胸の鼓動が速くなっているのが分かり、それと同時に、全身が急激に熱くなっているのを感じていた。
「ところで、メッセージに書いてた話って何かな?」
「あ、うん……ここでは話し辛いから、私について来てもらってもいいかな?」
「うん。大丈夫だよ」
「ありがとう。それじゃあ行こう」
陽子さんはお礼を言うと、どこかへと向かって歩き始めた。俺はそんな陽子さんの横に並び、速度を合わせる。
「明日の舞台、楽しみにしててね?」
「うん。お誘いを受けてずっと楽しみにしてたから、精一杯頑張ってね。見ながら応援してるから」
「ありがとう。その言葉を聞けたから、もっと元気が出たよ」
「陽子さんの演技を見るのは好きだからね。何度だって見たいくらいだよ」
「そうなの?」
「うん。最初は演劇とか演技とか、そういう事にあまり興味は無かったけど、陽子さんからそういう話を聞いたり見たりする内に、段々とそんな気持ちが変わっていったんだ」
「そうだったんだね。でも、龍之介君が興味を持ってくれたのは、素直に嬉しいな」
「陽子さんには本当に感謝してるよ。もしもアルバイトで陽子さんと知り合わなかったら、俺はずっとこんな楽しい事を知らないままだったかもしれないわけだし」
「そっか。そう言ってくれると、凄く嬉しいな」
そう言って微笑む陽子さんの顔を見ていると、胸の鼓動が更に速くなってくる。俺が高齢者なら病気を疑う現象だが、そうじゃない俺がこうなっている原因はもう、恋心としか考えられなかった。
そんな結論を自分の中で出しつつ、俺達は歩き続ける。
そして二人で何気ない話をしながら歩いていると、俺が一時期働いていたゲームショップが、大きな道路の向こう側に見えた。すると陽子さんは進めていた足を止め、懐かしむ様な表情でゲームショップを見つめ始めた。
「……私と龍之介君は、あそこで初めて出会ったんだよね」
「そうだね。ほんの少しの間だったけど、あそこで一緒に働いてた時の事は、今でもちゃんと覚えてるよ」
「龍之介君には沢山迷惑をかけちゃったもんね」
「なーに言ってんの。俺だって陽子さんに沢山助けてもらったじゃない」
「そうかな?」
「そうだよ。それに、陽子さんが居てくれたから、俺は楽しくバイトができたんだから」
「そ、そうなんだ。それなら良かった……」
陽子さんは小さく顔を伏せ、呟く様にそう言うと、止めていた足を進め始めた。
そしてそこから歩く事しばらく、陽子さんは人気の無い公園へと入り、一直線にブランコの方へと向かって行った。
俺はそんな陽子さんを見ながら公園前の自販機で二人分の飲み物を買い、急いでブランコに座っている陽子さんの所へと向かった。
「はい、どうぞ。喉渇いたでしょ?」
「あっ、ごめんなさい。ちゃんとお金は払うから」
「いいよいいよ。明日は舞台を見せてもらうわけだし、大した物じゃないけど、誘ってくれたお礼だと思ってよ」
「本当にいいの?」
「もちろん」
「分かった。ありがとね」
陽子さんは手渡した缶ジュースの蓋を開けると、中身を一口だけ飲み、ふうっ――と大きく息を吐いた。そして俺も同じく缶ジュースの蓋を開け、陽子さんの隣にあるブランコへと腰を下ろした。
俺としてはここから本題の話が始まるんだろうと思っていたけど、陽子さんは一度だけ口をつけた缶を見つめたまま、口を開く気配すらなかった。そしてその様子を見る限りは、とても言い辛い話なのかもしれないと思った。
「……ねえ、陽子さん。俺に話したかった事って、何だったの?」
「えっ? そ、それは……」
俺の言葉にはっとした様子を見せた陽子さんは、一度は俺の方へ顔を向けたが、すぐに別の所へと視線を逸らしてしまった。
――やっぱり言い辛い話なのかな?
そんな風に思いながら視線を逸らした陽子さんを見ていると、急に何かを決意したかの様にして小さく『よし』っと声を出して立ち上がり、座っていたブランコの上に缶を置いてから、真剣な表情で俺の前へと立った。
「あ、あのね、龍之介君。憂先輩から告白、どうするのかな……」
「えっ? それはその……正直、どうすればいいのか悩んでるんだよね」
「憂先輩の事が好きじゃないとか?」
「あ、いや、別にそういうわけじゃないんだけどね……」
陽子さんの事が気になって――なんて事が言えるはずもなく、そのまま口ごもってしまった。
「……あのね、私も龍之介君の事が好きなの」
「えっ!?」
その言葉は唐突だが、ハッキリと俺の耳に届いた。しかしあまりに突然過ぎて、俺はその言葉の意味をしっかりと捉える事ができていなかった。
「私はね、龍之介君の事がずっと好きだったの。こんな気持ちになったのは初めてだから、どう言っていいのかよく分からないけど、憂先輩にも誰にも、龍之介君は渡したくない。そんな気持ちなの……」
真っ直ぐに俺を見ながら、陽子さんは言葉を紡ぐ。
しかし俺は、何も反応ができなかった。驚きとか凄く嬉しい気持ちとか、色々な感情が自分の中に渦巻いていたからだ。
「えっと……突然ごめんね? でも、今日伝えておかないと、私はきっと後悔する。だから、私の今まで言えなかった気持ちを伝えておきたかったの。龍之介君。明日、憂先輩と一緒に龍之介君の気持ちを聞かせてくれないかな? その結果がどうなっても、私はそれを受け止めるから。……突然こんな事を言って悪いとは思うけど、よろしくお願いします。それじゃあ、私は帰るね。ジュースありがとう。明日の舞台、絶対に見に来てねっ!」
そう言うと陽子さんはブランコの上に置いていたジュース缶を手に取り、足早に公園から去って行った。
俺はと言えば、最後まで何も言う事ができず、陽子さんが去って行った方をじっと見つめているだけだった。




