昔の自分と今の自分
今日一緒に撮影をする五人の中で一番緊張しそうな相手の名を挙げるとすれば、それは間違い無くまひろになるだろう。
出会った頃からどんな女の子よりも可愛らしく、言動も雰囲気もどんな女の子よりも女の子らしかったまひろ。そんなまひろを見続けた俺は、何度となくまひろを女の子にしなかった神を呪ったもんだ。だけどそんな事を思っていたのも、二年生の修了式まで。
あの日、水族館でまひろから真実を告白されてから三ヶ月ほどが経った。まひろが実は女の子だったという事実を知ってから、多少はその事に慣れてきたとは言え、それまでまひろを男だと思っていた期間が長かったせいか、今でも会話や態度にぎこちなさが出る事はある。
でもそれは状況的に仕方のない事だと思うから、今更気にしてもしょうがない。この問題もいずれは時間が解決してくれるだろう。とは言え、のんびりと時間が過ぎ去るのを待つだけでは良くないのも事実だ。
まひろも自分なりに頑張ってるだろうし、俺もそんなまひろの事を考えて何かしなくちゃ駄目だとは思う。そして俺がそんな風に思えるのも、まひろが今までの偽りの日々を一生懸命に取り戻そうとしているのが分かるからだ。
男として偽りの日々を送っていた事をみんなに告白し、偽りの無い姿で残りの高校生活を過ごす事を選んだまひろ。その偽っていた日々の事を告白するのは、どれだけ勇気が必要だっただろう。正直、その重圧の様なものは俺には想像もつかない。
とは言え、知り合った頃から女性である事を知るまでの間のまひろの存在が無かった事になるわけではないので、やはり俺の心境は複雑だ。
そしてその点だけを切り取って言えば、茜や杏子はまひろが女性である事を上手に自分の中で消化しているみたいで、以前と変わりない距離感を保っている様に見える。そういった割り切りの良さと言うか器用さは、女性ならではと言っていいのかもしれない。
そういえば少し前に、『まひろが女の子だった事についてどう思う？』と、茜に聞いてみた事があったけど、その時に茜から出た言葉は結構意外だったのを覚えている。
あの時の茜は俺の質問に対し、少しだけ考える様に間を空けてからこう答えた。『うーん……ちょっとビックリしたけど、あー、そうだったんだなー、て感じだったかな』と。
そしてこの言葉を聞いた時の俺の正直な気持ちを言えば、なんだか軽いな――と言う感じだった。俺がまひろから本当は女性であると打ち明けられた時の衝撃は凄まじく、色々な意味で混乱をしていたから、茜のこの言葉はある意味で相当なショックだったわけだ。
しかしこのあと、茜は俺の気持ちを汲み取ったかの様にしてこう言った。『だってあんなに可愛い子が男の子だって方が違和感あるもん。むしろ女の子だって聞いて色々とスッキリしたくらいだよ』と。
俺はその言葉に妙に納得したのと同時に、なんだか少し吹っ切れた様な感覚になったのを今でも覚えている。それに茜の言葉に妙に納得をしてしまったのも、まひろが男であるという事に常々違和感があったからだろうと思う。
未だまひろに対するぎこちなさはあるけど、茜からこの言葉を聞いていなければ、俺はまひろの目すらまともに見れないほどにぎこちない関係と距離感になっていたかもしれない。そういった意味では、あの時にあの質問を茜にして良かったと思える。
「龍之介君。どうかしたの？」
「へっ？」
杏子と茜との撮影時に使っていた会場から別の会場へと移動をし、次の撮影相手であるまひろとの撮影を始めてから一時間。
休憩に入ってから用意された椅子に座って喉を潤したあと、ぼーっとそんな事を考えていた耳元で、優しく柔らかな声が聞こえてきた。
「あ、ああ。ごめんごめん。ちょっと昔の事を思い出してたんだよ」
「昔の事？」
隣には真っ白なプリンセスラインドレスを身に纏った可愛らしい俺の嫁――もとい、親友のまひろの姿がある。
「ああ。まひろと出会ってから今までの事とかさ」
「あっ……」
まひろはその言葉を聞いた途端、表情を曇らせて顔を俯かせた。
どうやらまひろの中では男として過ごして来た期間の事は相当に心苦しいらしく、この手の話題になると急に口数が減ってしまう。まあ、女性である事を告白してからまだ間もないから、それも仕方ない事だとは思う。
けれど、どんな形であれまひろと過ごして来た事に変わりはないんだから、その事は後悔しないでほしい。そうじゃないとあまりにも悲しいじゃないか。俺の中には男として過ごして来たまひろとの思い出も沢山あるんだから。
チラリと周りを見ると、スタッフさん達は撮影の為の最終チェックをまだ終えていない。撮影が再開されるまでにはまだ少し時間があるだろうと思い、俺はまひろと思い出話をしてみる事にした。
「なあ、まひろ。初めて俺の家に来た時の事を覚えてるか？」
「えっ？ うん、ちゃんと覚えてるよ」
「あの時は本当に大変だったんだぜ？ 母さんがまひろを女の子だと勘違いしてて、まひろが帰ったあとにやたらと色々な質問をされてさ」
「そうだったの？」
「ああ。『いつの間にあんな可愛い子と知り合ったの？』とか、『どうやって仲良くなったの？』とか、本当に色々な事を聞かれたもんだよ。でも途中でどうも質問が変だと思ったから、『まひろは男だよ』って言ったらさ、母さん俺が照れて嘘をついてると思ったらしくてさ、全然信じてくれなかったんだよ」
「そんな事があったんだね」
話を聞いてくすくすと笑うまひろ。
まひろは俺の母さんとは面識もあるし、そんなやり取りをしているのがなんとなくイメージとして頭に浮かんだんだろう。
「ああ。それでさ、あれからしばらくはまひろが来る度に同じ様な事を言われてたもんだよ。まったく、我が母親ながら本当にしつこかったぜ……」
「色々迷惑かけてたみたいでごめんね。でも、龍之介君と知り合ってから、こうやってずっと親友で居続けられた事は凄く嬉しかったよ。時々ビックリしちゃう事もあったけど、それも今では良い思い出だし」
「えっ？ ビックリした事？ 例えばどんな事？」
「えっ！？ そ、それは…………」
特にまひろをビックリさせた覚えが無い俺にとっては、いつそんな事があったのかが非常に気になる。だからこの質問は、至って普通の会話の流れだと思う。しかしまひろは予想に反して顔を赤らめ、顔を横に逸らしてしまった。
――何だ？ そんなに顔を赤くする様な事なんてあったか？
まひろがこういった反応を見せる時は、だいたい俺がろくでもない事をしている時だけど、はっきりと覚えが無いからどうしても知りたくなってしまう。
「それは？」
「えっとあの……中学生の時に龍之介君の部屋でエッチな本を見せられた事とか…………」
「へっ！？」
そう言われて色々と思い出してきたけど、俺って男として過ごしていた時のまひろに、結構とんでもない事をしていた様な気がする。
「いや……あの時はその、生真面目で初心なまひろがどんな反応をするのか見てみたかったからと言うかなんと言うか……」
あの時もエッチな本を見せた事に後悔していたけど、まひろが女性だと明かした今となっては、その後悔具合は半端ではない。そりゃそうだ。どこの世界に物静かな女友達に堂々とエッチ本を見せる男が居るってんだ。
まあ、そんな奴がまったく居ないとは言えないけど、相手が女の子だと分かっていてそんな事をするのは、もはや只の馬鹿としか言い様がない気がする。
「もう、あの時は本当にビックリしたんだよ？ 『面白い物を見せてやる』って言うから楽しみにしてたのに、まさかあんなエッチな本を見せられるなんて思ってもいなかったから」
「わ、悪かったって。あの時の事はマジで反省してるんだからさ。許してくれよ」
「あっ、別にまだ怒ってるわけじゃないから誤解しないでね？ あの時もビックリしただけで、別に怒ってたわけじゃないから。それよりも、あの時は本を破いちゃってごめんね。男の子には大事な物なんでしょ？ あ、ああいうのって……」
「えっとぉ……まあ、そうだな……」
――そうだなって、何を言ってんだ俺は！？
「本当はあのあとにちゃんと謝りたかったんだけど、あの時の事を口にするのが恥ずかしかったから……」
本当に申し訳なさそうにしながらも、恥らう様に顔を赤くしているまひろの表情はどこまでも清純で可愛らしい。男装をしていようと女性の姿に戻ろうと、まひろはやっぱりまひろなんだな――と、改めてそんな風に思った。
「いやいや、そんな事は気にしなくていいから。それよりまひろ、今度俺の家に遊びに来ないか？」
「えっ？ いいの？」
「もちろん。いいに決まってるじゃないか」
女性である事を明かしてから、まひろが我が家へ遊びに来た事は一度もない。遊ぶ約束をしてなかったからと言えばそれまでだが、なんとなく我が家へ来るのを遠慮してるんじゃないだろうかという思いはあった。
「それじゃあ、今度のお休みにお邪魔してもいいかな？」
「おう。それじゃあ今度の休みに待ってるよ。あっ、せっかくだからその時に、いい物を見せてやるよ」
「うん。楽しみにしてるね。あっ、でも、エッチな本を見せるのは嫌だからね？」
「そ、そんな物見せるわけねーだろっ！？」
「ふふっ。冗談だよ」
「たくっ……」
くすくすと楽しそうに笑うまひろを見ながら、俺は休憩が終わるまで思い出話に華を咲かせた。
