神の存在
屋上で渡にコミケのサークル参加について話をしてから二日後の朝。登校して教室の扉を開くと、俺を見た美月さんが嬉しそうな表情で駆け寄って来た。
「龍之介さん! サークルの参加ができる事になりました!」
「えっ!? どういう事? 参加枠の当選には漏れたって言ってなかった?」
「実は先日、日比野さんからサークル参加の枠に当選したお友達を紹介してもらったんです。そしてその方と直接交渉をして、委託販売をしていただける事になったんですよ」
――委託販売か。なるほど、渡が言ってたのはこういう事だったのか。
委託販売については、コミケ参加に関する記事をネットで観覧した時に見た覚えがある。しかし俺にはコミケに参加している知り合いなど居ないので、すっかりそんな事も忘れていた。
そして今更ながら、あの日の渡の強気な発言の意味が分かった。それならそれで、あの時にもったいぶらず教えてくれればいいのに――とは思ったけど、何はともあれサークル参加ができる事になったんだから、願ったり叶ったりだ。
――よっしゃ。ここは一つ、渡が言ってた様に奴を神と崇め奉ってやるか。
「とりあえず参加できる理由は分かったけど、委託販売って具体的にはどういう感じになるの?」
「本来は私達が作った体験版をその方が売っている作品の近くに並べて販売していただくのですが、委託販売をしていただく条件として、『そちらのサークルから二名の売り子を貸して下さい』と言われているので、当日は私と他の誰かに売り子として参加してもらおうと思っています」
「それじゃあ、俺が一緒に売り子として参加しよっか?」
「いいんですか?」
「もちろん。みんなで一緒に作ってきた作品がどんな反応をされるか気になるし、それにコミケ自体にも興味はあるからね。あっ、でも、売り子は女性の方が良いのかな? コミケに来る人って男が多いだろうし」
「そうですね……では、そのあたりも含めて色々と考えておきます。考えが纏まったら龍之介さんにお願いをするかもしれませんから、その時はよろしくお願いしますね」
「うん、分かったよ。それじゃあ俺は、夏コミに誰が参加しても良い様に色々と準備をしておくよ」
「はい。よろしくお願いします」
美月さんはにっこりといつもの柔和な笑顔を見せながらそう言うと、自分の席へと戻り始めた。
俺を含めた制作研究部の全員がコミケ初参加になるわけだが、ネット記事を見ていた限りでは夏コミは相当過酷だと書いてあったから、十分な準備が必要になるだろう。今日自宅に帰ったらもう一度しっかりと情報を集め、誰が売り子として行っても良い様に万全の準備を整えておかなければいけない。
「ふあぁぁ~。おっ~す、龍之介~」
夏コミの事を考えて少しワクワクしていた俺の後ろから、美月さんと入れ違いになる感じで渡が声を掛けて来た。
「おはようございます! 渡様!」
「はっ? 今なんて言った?」
「『おはようございます! 渡様!』と言いましたが?」
「えっ? えぇっ!?」
俺の態度に渡は分かりやすいくらいの戸惑った表情を浮かべると、その戸惑った表情のまま鞄を床に落として一歩俺へ近付き、おもむろに俺の額へと右手の平を伸ばした。
「どうかしましたか? 渡様」
「えっ!? いやその、何で渡様とか呼んじゃってんの?」
「ははっ。これはまた妙な事を仰る。私は渡様とお会いした頃からずっと、渡様と呼んでいたではないですか」
「そ、そうだったっけか?」
「そうですよ。渡様は全知全能の神なのですから!!」
「か、神!? 俺が!?」
「その通りです! ですから渡様が、今日が期限の数学の宿題をやるのを忘れていたとしても、渡様は神ですから許されるのです!」
「そ、そっか、俺はこの世の神だったんだな。宿題の事もすっかり忘れてたけど、神なら大丈夫だなっ!」
本当に忘れてたのかよっ! ――と、思わずツッコミを入れてしまいそうになったのを堪え、俺はあくまでも渡が神であるという態度を貫き通す事にした。
本来ならどう考えても嘘だと分かる内容なのに、渡は俺の言った事を本気にしている。この素直なまでの思い込みは時々羨ましくも思うけど、こんなアホにはなりたくはないなとも思う。
「おっし! 俺は神だから、次の授業はずっと寝てるぞ!」
意気揚々と床に落としていた鞄を手に持って自分の席へと向かう渡。そんな渡が一時間目の数学の授業でこっ酷く怒られる事になったのは、わざわざ言うまでもないだろう。
単純な性格もここまでくると考え物だよな――と思いつつ、少し良心の呵責を感じた俺は、一時間目の終了後にお詫びの缶コーヒーを買いに向かった。
暦はもうじき六月へと変わる。
俺達三年生がこの花嵐恋学園を卒業するまで、残り十ヶ月もない。この残された僅かな月日で、俺達はいったいどれだけの思い出を残せるだろうか。
とりあえずは目先の予定として、夏コミを成功させる為に頑張らないと。




