何にも負けない笑顔
九月もそろそろ終わりを迎えようとしているこの時期。我らが花嵐恋学園では、修学旅行が行われていた。
俺達一年生の修学旅行先は九州を巡る旅だが、今から楽しみでならない。
「やっと着いたな」
飛行機に乗って約一時間半。
俺達は九州の福岡空港へと降り立った。そこからバスに乗り換え、そのまま長崎へと向かう事になる。
修学旅行の醍醐味と言うのは色々とあるだろうけど、それには乗り物の中で行うやり取りや、遊びなども含まれるのは言うまでもないだろう。
「こうなった以上は先に言っておこう。俺は特製チャンポンにデザート付きを所望する!」
「龍之介てめー! 俺は絶対に負けねえからなっ!」
「悪いが渡、俺が先に抜けた時点で、お前の負けは確定しているんだよ」
今回の修学旅行におけるグループメンバーは、まひろ、渡、美月さん、真柴、俺の五人だ。
そして今、俺達は長崎へと向かうバスの中で自由行動中の昼食を賭けたババ抜き勝負をしているんだけど、この勝負の行く末はもう、俺には見えている。
「――ば、馬鹿な……この俺が負けるなんて……何でなんだー!?」
ババ抜き勝負で一番に俺が抜けてから約十分後。
この昼食を賭けたババ抜き勝負に終止符が打たれた。俺の予想通りに負けた渡は自分の敗北が信じられない様子だが、あんな勝負のやり方をしていたら負けるのは当然だろう。
渡は美月さんや真柴が困っていると、わざわざ分かりやすくババ以外を引かせてやったり、逆にババを自分が引いてやったりしていた。そんな事をしていたら、普通は勝てる訳が無い。つまり渡は、男である俺が勝ち抜けした時点で負けが確定していたわけだ。
ちなみに残ったメンバーにはまひろも居たわけだが、親友の俺でも血迷いそうになるベビーフェイスで可愛いまひろを前に、あの渡が血迷わないわけは無いとだけ言っておこう。
しかしまあ、渡が女の子に甘いのは知っているけど、あそこまで露骨に甘いと多少引いてしまう。まあ、その甘さのおかげで遠慮無く昼食を堪能できる事になったのだから、それはそれで良しとしよう。
「ご愁傷様」
負けて発狂する渡に合掌をし、昼食の時間を心待ちにする。こうしてみんなで遊びながらバスの旅を楽しみ、しばらくして長崎へと着いた俺達は、ホテルへ向かう前に一回目の自由行動となった。
小学生の頃にも長崎には行った事があるけど、ここ長崎はとても坂道が多い事で有名だ。地元の人はほとんど自転車には乗らない――なんて話を聞くくらいに。
そして昼食も兼ねた自由行動を取る中、俺は訪れたお店で出されたちゃんぽんの美味しさに甚く感激をしていた。
「ああーっ! うめえーっ!」
「本当ですね。とても美味しいです」
「うんうん。麺がもっちりしてて、食べ応えがあるしね」
大き目のボックス席に五人で座り、頼んだちゃんぽんに舌鼓を打つ。
美月さんも真柴もちゃんぽんをとても美味しそうに食べていて、その食べ方も上品だ。そして俺の右隣にはまひろが居て、それはもう、男とは思えない程の上品さで食べている。
それに比べて左隣に居る渡は、まるで早食い競争をしているお笑い芸人の様にちゃんぽんを食い散らかしている。その汚らしい食べ方に、思わず溜息が出てしまう。
「どうかしたんですか? 龍之介さん」
「あ、いや、何でもないよ」
「そうですか? それならいいのですが」
美月さんに気を遣わせては悪いからと、俺は気を取り直して再び絶品ちゃんぽんを食べ始める。
こうしてみんながちゃんぽんを食べ終わったお昼過ぎ、俺達は長崎の街をゆっくりと楽しみながらバスへと戻り、今日お世話になるホテルへと移動を始めた。
バスに乗ってしばらく移動をし、そろそろ太陽が赤く染まり始めた頃、小高い山の上にある真新しい感じの綺麗なホテルに到着した俺達は、バスから降りるとすぐに割り振られた部屋へと向かった。
そして部屋に持って来た荷物を全て置き、ビュッフェスタイルの夕食を終えた後、俺達は旅行の楽しみの一つである風呂へ向かおうとしていた。
「龍之介! 早く風呂に行こうぜ!」
「おう! まひろも早く行こうぜ」
「あっ、ごめんね、龍之介。少し具合が悪いから先に行ってて……」
「えっ!? 大丈夫なのか?」
「うん。しばらく休んでたら治ると思うから」
まひろはそう言って薄く微笑むが、どう見ても無理をしている様にしか見えない。言われて気付くのもどうかとは思うけど、確かにちょっと顔色が良くない様に見える。
「何してんだよ、龍之介! 早く行くぞ!」
「あっ、わりい、先に行っててくれ!」
渡は俺の言葉に『しょうがねえなあー』と返事をすると、部屋を出て足早に風呂場の方へと向かって行った。
「ほら。行くぞ、まひろ」
「えっ?」
「えっ? じゃないよ。具合悪いんだろ? 宮下先生が居る部屋まで一緒に行くぞ」
「……ごめんね、ありがとう」
具合が悪いくせに、にこっと笑顔を浮かべるまひろ。
こんな時にアレだとは思うけど、本当に可愛い奴だ。思わずお姫様抱っこで抱え上げて連れて行ってやりたくなる。
× × × ×
ホテルへ着いてから時間はあっと言う間に過ぎ去り、就寝時間を一時間くらい過ぎていた。
移動の疲れもあったから、本当なら今頃すやすやと寝ているところなんだけど、隣の布団に居る渡の呟きと呻きがうるさくてなかなか眠れない。
その理由はなんともくだらない事だが、女子の露天風呂と男子の露天風呂が隣接していなかったみたいで、可愛らしく騒ぐ女子達の声を堪能できなかったから落ち込んでいるとの事だ。
「お前は欲望に直球過ぎるんだよ」
「くううぅ……」
渡は悔しそうに諦め悪く呻きまくっていたけど、しばらくすると大人しくなって眠った。だが、大人しくなってからしばらく経つと、今度は激しい鼾をかき始めた。
――ちっ、うるせえなあ……せっかく少しウトウトしてたのに……ティッシュを丸めて鼻に突っ込んだろか?
渡の鼾に悩まされながらまひろが居る方へ寝返りを打つと、そこにまひろの姿は無かった。まひろの居ない布団を見ながらトイレにでも行っているのかと思っていると、バルコニーがある側のカーテンがゆらりと揺れ、そこに人影が見えた。
俺は身体を起こして布団から抜け出ると、人影が見えるバルコニーへと向かった。
「よっ!」
「あっ、龍之介。ごめん、起こしちゃった?」
「いや、起きたのは渡の鼾のせいだ。だから後で、アイツの鼻に大量のティッシュを詰め込んでやろうぜ」
「ええっ!? それは渡君が可哀想だよ」
「まひろは相変わらずお優しいですねえ。まあ、渡には過ぎた優しさだとは思うけど」
「あはは、そうかな?」
「ああ。まあ、そんなところがまひろらしいんだろうけどさ」
「そっか、ありがとう…………いい景色だよね」
「そうだな」
バルコニーから見渡せる夜景はとても幻想的だった。
街灯や建物が放つその光は、さながら散りばめられた星が暗い闇で輝いているかの様に美しい。
「でもなあ……さっきまでこの光景を眺めていた恋人持ちリア充共が居るかと思うと、ちょっとイラッとするけどな」
「もう……龍之介はムードが無いなあ」
――何その表情、超可愛いんですけど。
まひろのむくれた表情はとても可愛らしく、頭でも撫でてやりたい衝動に駆られてしまう。
「あっ、それと今日はありがとね。わざわざ宮下先生の部屋まで付き合ってくれて」
「おう。気にすんな」
「龍之介は優しいよね」
「男として当然だ」
「それじゃあ、渡君が同じ様にしててもそうしてた?」
「それは絶対に無い!」
「もう、酷いなあ、龍之介は」
そう口にしながらも、楽しそうな笑顔を見せるまひろ。なんだかこっちまで釣られて笑顔になってしまう。
「でも、本当に嬉しかったよ……」
遠くの夜景を見ながらそう言うまひろは、男なのに凄まじく色っぽかった。
そして俺は、この時ほどまひろを女性にしてくれなかった神様を呪った事はない。
「またこうやって、一緒に旅行に来たいね」
「また行けるさ」
「本当に?」
「ああ。今度は少人数で旅行なんてのもいいかもな」
「うん。絶対に行こうね」
とても嬉しそうな表情のまひろ。それは今日一番の素敵な笑顔だった。
それからしばらく俺達は長崎の夜景を楽しみ、修学旅行の一日目を終えた。




