03 龍殺しは戦場に舞った
焼け爛れた左腕を押さえ、苦悶の表情で岩陰に身を隠すオルゴ。
彼の傍らに寄り添ったポートが回復魔法をかけ、その間アリエスが箒で飛び回り、邪龍を引きつける。
「リノ、いくらなんでも遅すぎる……」
龍の口から放たれる火炎魔法を掻い潜りながら、アリエスは小さく呟いた。
リノがバルトを追って飛び出してから、体感で二十分以上は経っている。
「アリエスさん、本当にリノさんは戻ってくるのでしょうか。まさか、彼女まで逃げ出したんじゃ——」
「リノに限って、そんなのあり得ない」
ポートの発言を、静かに、僅かばかり怒気を含んだ口調で遮る。
「……そうですね、失言でした」
リノは仲間を見捨てて逃げるような性格じゃない。
幼馴染として、アリエスはそう断言出来る。
ならば戻ってこない理由は。
「まさか、バルトに——」
殺された。
あまりにもおぞましい、しかし十分に在り得る可能性。
大切な親友の無残な姿が脳裏に過ぎり、アリエスの集中力が乱れる。
「しまっ……」
箒の高度がガクン、と下がった。
アリエスを乗せて軽快に飛んでいた箒が、一瞬だけコントロールを失ったのだ。
彼女のマジックアイテム、スターブルームは、緻密な魔力操作によって空を飛ぶ箒。
一瞬の気の乱れ、緩みが大事故に繋がると、アリエスも熟知していたにも関わらず。
生じた隙を逃すまいと、邪龍が大口を開け、火炎魔法を放つ。
猛然と迫り来る炎。
落下を続けるアリエス。
箒のコントロールは、まだ戻らない。
「俺が行く……!」
オルゴが岩陰から飛び出した。
腕の火傷は完治し、状態は万全。
魔防結界ならば、炎を防ぎきれるはず。
問題は、アリエスまでの距離。
「遠すぎます、間に合いません!」
「ダメ、かっ……!」
オルゴの素早さでは、炎とアリエスの間に割り込むのは不可能だった。
もはや打つ手なし。
龍の炎を浴びた後、彼女が生き延びてくれることを祈るしか。
「もう、ダメっ……」
眼前に迫る業火。
その身を灼熱に包む覚悟を決めた、その時。
スパァァァァンっ!
疾風の如き速度で飛び出した一人の少女が、剣の一閃で炎を断ち切った。
「あれは……!」
「嘘でしょう……」
オルゴも、ポートも、目の前の光景が信じられず、ただ立ちつくす。
アリエスの赤い瞳が映すのは、龍の炎を斬り払った幼馴染の背中。
「リノ、なの……?」
リュックを背負った、赤茶色の髪の少女。
手にした片刃の曲刀、その刀身を風魔法による真空の刃が包み、切断力を大幅に上昇させている。
魔法剣、こんな芸当が彼女に出来るはずが。
不時着したアリエスを背に、少女は軽やかに着地し、その切っ先を邪龍に向けてニヤリと笑った。
「なーんだ。随分とチャチいドラゴンじゃん」
『ギギャアアァァアアァァン!!』
「おっと、しかも言葉を話す力も失われてると来た。こんな三下、伝説のドラゴンスレイヤー復活の初陣にしちゃ物足りない相手だね」
まるで人が変わったかのような口調、態度。
そして、首からぶら下げた紅い首飾り。
リノのあまりの変貌ぶりに三人は、特にアリエスは驚きを隠せなかった。
彼女は背負ったリュックをアリエスに投げ渡し、一歩、二歩と前に出る。
「あんたたちは下がってて。この程度、あたし一人で十分だからさ」
「……なっ、無謀です! そもそもリノさんに、戦う力なんて無かったはず!」
「何があったかは知らんが、リノは確かに剣で炎を斬り裂いた……。だが、勝利を確実にするためには、全員でかかるべきだ……!」
「だからこんなやつ……っ!」
リノが剣を一度、鋭く振るう。
刀身が纏っていた真空の刃が飛び、龍の甲殻に斜めに傷を刻んだ。
『ギシャアァァァァアアァッ!!?』
「一人で十分なんだってばさ!!」
怯んだ龍に、一気に肉薄する。
その時、リノの意識がようやく覚醒。
『んん……っ、ここは……? 私、どうして……』
目を覚ました彼女がまず目にしたのは、怯んで顔を背ける邪龍ベルセロスの姿。
『ひひゃああああぁぁぁぁっ!!? ドラゴン!? なんでドラゴン!?』
「やかましいなぁ、ようやく起きたと思ったら」
ため息混じりに、リノはベルセロスの甲殻を斬り付ける。
どんな攻撃をも跳ね返すはずの硬い鱗が、あっさりと切断された。
赤い血を傷口から吹き出しながら、怒りに燃える龍は太い尻尾で薙ぎ払う。
『何コレ、戦ってるの私!? てか、なんか視線低い気がする!』
勝手に動き、尻尾を軽々と飛び越えて、背中に着地する自分の身体。
リノの視線は胸元の辺り。
なんだかゆらゆら揺れている。
「当たり前さ、宿主さん。あんたは今、首飾りの中に入ってるんだから」
『……はい? え、つまりそれって、あんたが私の体を乗っ取ったってこと!?』
「乗っ取るだなんて人聞きの悪い。ちょっと借りてるだけ。後で返すよ」
背中から頭へと駆け上がり、頭頂部に剣を突き刺しながら、なんでもないことのように言ってのけた首飾りの精霊さん。
そもそもコイツはなんなのか。
本当に意思を持ったマジックアイテムで、首飾りの精霊なのか?
『そ、それは信じるしかないとしても。あんたは一体何者なの!』
「あたしかい? あたしはライノルード。首飾りに魂を封印された、伝説のドラゴンスレイヤーだよ。気軽にライナって呼んじゃって」
『……はぁ、なるほど、伝説』
もはやどう返事を返せばいいのやら。
邪龍は頭を大きく振って、リノの体を振り落とそうとする。
『じゃあ、ライナさん、でいいかな。色々聞きたいことはあるんだけどさ』
「なにかな? 可愛いお嬢ちゃんの言うことなら、何でも聞いてあげるよ」
リノ——ライナは頭部から跳び、着地して軽やかなステップを踏む。
『なんで龍の甲殻、普通に斬れてんの?』
「なーんだ、そんなことか。答えは簡単、あたしのパッシブスキル、【龍殺し】の効果さ」
【龍殺し】。
そんなパッシブスキル、リノは聞いたこともない。
「あたしにかかれば龍の甲殻なんて、紙っぺらも同然ってこと。いままで何匹ものドラゴンが、あたしの刃に斬られてきたのさ」
『ふーん……、さすがは伝説のドラゴンスレイヤーだね……』
今まで何匹ものドラゴンを倒してきた口ぶりだが、ドラゴンの出現頻度は百年に一度レベルのはず。
そもそもなんで、首飾りに封印されているんだ。
なんだか頭が痛くなってきた——頭も体も取られているが。
邪魔物を振り落とした龍は、口から雨あられと火炎弾を放つ。
踊るような足さばきで軽やかにかわすライナ。
今、【回避】のパッシブスキルは発動しておらず、彼女は自分の意志で動き、攻撃を避けている。
手にしている剣も、【収納】で取り出した物ではなく、あの部屋に落ちていた錆だらけの代物。
『ライナさん、私のスキルは使えないの?』
「そうみたいだねー。スキルは肉体じゃなくて、魂と繋がってるからさ」
『なるほど。……まぁ、使えなくても別に困らないだろうけどさ』
あんなスキル、別に使えなくても。
火炎弾を避けられ続け、業を煮やしたのだろう。
翼を大きく広げ、邪龍は上空高く飛び立った。
無論、目的は逃走ではない。
三十メートルほどの高さまで舞い上がると、口を大きく開き、喉奥に大量の魔力をチャージし始める。
ベルセロスの奥の手、周囲百メートルを灰も残さず焼きつくす最上級火炎魔法。
「大火葬送……。リノ、早く止めないとまずい」
アリエスは、その脅威を知っていた。
何故なら彼女も、この魔法の使い手だから。
一撃放つだけで殆どの魔力を持って行かれるが、格上の魔獣を灰も残さず焼きつくしたことがある。
あの魔法を、もしもベルセロスの魔力で放ったら。
「心配しなさんな、可愛いお嬢ちゃん。アイツにあれは、撃たせやしない!」
ライノルードのユニークスキルは【魔法剣】。
四属性の魔力を自在に操る魔法剣士。
風の魔力を刀身に纏った彼女は、上空の龍を目がけて跳んだ。
常識外れの跳躍力を風が更に後押しし、龍の目前まで肉薄。
「まずは一匹、駆除完了!」
風を纏った龍殺しの刃が、邪龍の首に振るわれる。
火炎魔法の発動は間に合わず。
太い首がずれ、喉奥の魔力は霧散。
ライナの着地から少し遅れて、邪龍ベルセロスの首と胴体が轟音と共に落下した。




