旅館・防具・街金
草木の眠る丑三つ時。
ついにこの時が来た。
街金業者から用意してきた元手を使い購入した、ボロボロの軽自動車が玄関に到着した。
もう戻れない。
膨れ上がってしまった借金。
藩主の城下町の時代から百三十年もの伝統を誇る、森保旅館。
温泉もなければ、特産物もない。
東京でみっちりと叩き込まれてきた礼儀作法と経営マネジメント、そしてスタフラニスキィの演劇論を学んできた僕にとって、まさにこれからというところで。
父親は、二千万円もの借金を背負わされることになってしまった。
漫画でよくある、差押の赤い印が家中の至る所に貼られている。
父の愛する陶器も。
植木の鉢にも。
それはまさに、理不尽な暴力に他ならなかった。
「行こう」
僕は必要最低限の荷物を詰めたリュックサックを座席の足元に降ろし、いつ来るかもしれぬヤクザに怯えながら、見知らぬ土地へと出発した。
多分、この一週間後には、僕たちの旅館は既に競売物件として出されるのだろう。
口には出せない。
それは父を責苦するのと同じだから。
一時間程過ぎ、県境を越え、明かりの消えたファミリーレストランにて小休止した。
僕が運転する番だ。
「なぁ、あかり」
「なんだい、父さん。僕は少し眠れたから、缶珈琲でも買ってくるよ」
「あぁ、頼む」
父のお気に入りのモーニングブラック。
この時間でも蒸し暑さは肌で感じれる、雨上りの夜空の下で。
父は切り出した。
「実は、お前に持っていて欲しいものがあるんだ」
「なんだい、父さん」
そうすると、軽自動車の後部座席の荷物の山からごそごそと、そっと小さな腕時計を探し出した。
「母さんの肩身だ。当時の初任給二ヶ月分だ。これからあかりを見守ってくれるよう、俺の祈りも詰め込んでおいた。受け取ってくれ」
800字という括りで書いています。




