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あの虹の向こう側へ【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第五章:婚約編
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【十八】バレンタインデー(前編)

 週末は金曜日の建国記念日から続けて三連休だった。週明けの月曜日がバレンタインデーだと思い出したのは、休日一日目の朝のテレビ番組で、デパートのバレンタイン用チョコレート売り場の様子を映していたのを見たからだ。この時期だけ外国の有名ブランドのチョコレートが沢山出店しているらしく、女性で溢れている様子が映っていた。

 バレンタインデーと言えば、以前あいつと付き合っていた時の、初めてのバレンタインデーを思い出す。

 あの頃のあいつは公務員試験の勉強中で、バレンタインデーなんて頭にも無かったのだろう。只でさえ恋愛スキルのほとんど皆無のあいつのこと、期待していなかったというと嘘になるが、諦めてもいた。だから自分からしようと思い立ち、外国のバレンタインデーのように花を贈った。女性に花を贈るのは初めてで、花屋に行って戸惑ったのを覚えている。

 今回も、あいつのことだから、拓都の手前バレンタインデーは無しかもしれない。それはそれでもいいと思っている。でも、あの頃のことを思い出したら、無性に花を贈りたくなった。すぐさま、インターネットでバレンタインデーに届くよう、注文を入れた。


 今回の三連休は、地元の友人達からスノーボードの誘いがあったが、断った。お正月にあんなことがあったからじゃないけれど、学習発表会も控えている今、怪我でもしたら大変だからだ。

 それでもせっかくの三連休なので実家へ帰ろうかと思っていたら、今朝、姪の葵がインフルエンザになったから来るなと連絡があった。

 怪我も大変だけれど、今インフルエンザにかかってしまったら、それこそ目も当てられない。

 他には何の予定も無く、窓から冬晴れの空を見上げた。あいつと拓都は今頃どうしているのだろうと思いを馳せる。この冬が終われば、今度こそあいつと一緒になるんだと強く思う。拓都の反応は気になるけれど、諦めはしない。

 あいつと結婚したら、この部屋から出ていくのだと改めて思うと、この休日の間に不要なものは捨てて、片づけようと決めた。それだけで浮かれている自分がいることに気付き、苦笑する。

 あいつは俺が結婚後のことを具体的に考えているなんて思ってもいないだろう。今のあいつは、俺との急な関係に戸惑い、まだまだ罪悪感を抱えたまま、何処か遠慮がちだ。『本当にこんな私で、いいの?』なんて言葉が出るくらいに。そんなあいつに結婚の具体的な話なんかしたら、余計に尻込みしてしまいそうだ。

 それでも、『これからの人生をあなたと歩いて行きたいと』と言ってくれた。今はその気持ちがあれば十分だ。

       *****


 連休明けの月曜日、バレンタインデーのバの字も思い出すこと無く、いつもの月曜日が始まった。明日に迫った学習発表会のための最後の練習会に、教師も児童も熱が入る。一通り本番どおりの順番で予行演習を行い、子供たちは自信もついたようだ。

 放課後になり、子供達の宿題である『せんせいあのね』の日記作文を読み始めた。この三連休の様子が書かれているものが多く、その文章から様子を想像して、胸がほっこりと温かくなった。

『せんせいあのね、きょうはママといっしょにチョコレートをつくったよ。チョコレートをどろどろにとかして、れいぞうこでひやして、それからおだんごにしたよ。てにいっぱいチョコレートがくっついて、ママがおいしそうだねっていったよ。このチョコレートはバレンタインデーにしょうやくんとりくくんにあげるぶんと、ママはおしごとのところの人にあげるぶんをつくったよ。おいしくできたよ』

 拓都の日記を読みながら、内心ニヤニヤしながら読んでいる自分を自覚していた。

 あいつはバレンタインデーのことなんて一言も言わなかったけれど、チョコレートを作ったんだ。でも、俺の分は拓都の手前、作れなかったのだろう。

 少々へこんだが、こんな思いも今年限りと自分を慰めた。

 虹ヶ丘小学校では、バレンタインデーに義理チョコなどのやり取りは殆ど無いが、誰かが持ってきたチョコレートを少しずつ男女関係無く配ってくれたりすることはある。

 今年は一年一組の担任の学年主任が、高校生の娘さんの手作りのチョコレートを、少しだけだからと一年の担当教師にだけ分けてくれた。

 少しいびつなチョコレートを見て、拓都の作ったチョコレートを想像した。来年は俺も食べられるかなと未来への期待に頬を緩ませた。


 明日の学習発表会の最後の打ち合わせと準備が長引き、外はすっかり暗くなり、職員室へ戻るとすっかり人口密度が下がっていた。

 その後もしばらく仕事を続けていると、携帯メールを受信した音に気付いた。送信者を見てみると愛先生だ。何だろうと、まったく想像もつかないまま、メールを開く。

『守谷先生、お疲れ様です。骨折の時には大変お世話になり助かりました。お礼と言っては何ですが、お渡ししたいものがありますので、体育館の渡り廊下の所まで来て頂けないでしょうか。人に見られるとまた変な誤解を受けると申し訳ないので。宜しくお願いします』

 は? 今頃お礼って? もうすでに夕食をご馳走になったのに。

 何だかマンガなんかでよくある、高校生の体育館の裏での告白を思い出すシチュエーションだ。おまけにバレンタインデーだし。

 俺はすぐに返信をした。

『お疲れ様です。骨折時の送迎の件はもう十分感謝をしていただきましたし、夕食も頂いたので、これ以上はお気遣い無しでお願いします』

 またすぐに返信があった。

『夕食は母からのお礼でした。私はもう少し回復してからと思っていたので、快気祝いと思って受け取ってください。本当にお礼の気持ちですので』

 はぁーと大きく溜息を吐いた。お礼と言われると無碍にも出来ず、自分の中では完全に終わったこととなっていた送迎問題。再び問題を蒸し返さないでほしい。

 それでも今までになくやけに強引な愛先生の態度に、これは俺が行くまで帰りそうに無いなと観念し、『わかりました』と返信する。

 トイレでも行くようなフリをして、静かに職員室を出る。つい周りをキョロキョロと伺い、誰もいないことにホッとしながら、指定された体育館の渡り廊下へと足を向けた。

 体育館の外灯のぼんやりとした灯りの下に、愛先生が俯いてたたずんでいた。俺の足音が聞こえたのか、顔を上げた彼女が恥ずかしそうに微笑み、頭を下げた。

「お待たせしてすみません」

「いえいえ、こちらこそ無理を言って、来て頂いてすみません」

「もうそんなに気を遣って頂かなくてよかったんですよ」

 あえてもう一度、苦言を呈する。

「すみません。実は私、来年度に転勤する予定なので、お礼もきちんとせず転勤したら心残りな気がして。わがままに付き合せてすみませんでした」

 愛先生の転勤の話はすでに校長から聞いていたものの、改めて本人の口から聞き、驚いた。

「転勤って、まだ三年も経っていないのに……」

「ちょっと事情があって。それより、なかなかお礼ができなかったので、バレンタインに便乗してのお礼で申し訳ないんですが、本当に送迎して頂いたことはとても助かりましたし、嬉しかったです。ありがとうございました」

 愛先生は四角い包みを差し出し、頭を下げた。

 俺は心の中で嘆息しながら、「ありがとうございます。でもこれでお礼はもうおしまいにしてくださいね」と念を押し受け取り頭を下げた。そしてすぐにその場を離れた。


 受け取ってしまってから、どうしたものかと悩んでしまった。

 これはバレンタインのチョコレートではなく、お礼のチョコレートだからホワイトデーに返さなくてもいいよな。お礼のお返しなんて、変だしな。

 自分の中で自分に確認しながら、自分に言い聞かせる。そんなことより一番気になるのは、このことをあいつに言うかどうかだ。

 以前の俺なら、きっと言わなかっただろう。別にやましいことは無いのだから、余計な波風は立てない方がいいんだから。

 しかし、これまでの愛先生に関する一連の出来事は、言わなかったことが余計に不安にさせる要素になってしまった。それは、俺と愛先生に関する出来事が、いつの間にか噂となってあいつにまで知れ渡っていたからだ。

 じゃぁ、今回のお礼チョコは、当事者以外誰も知らないことだから、噂にもなりようがないとしたら、あいつに言わない方がいいのか?

 知らない方がいい場合もある。

 でも、言わないことの方が、なぜかやましく感じるのはなぜだろう。

 誰にも言わずに黙っていても、チョコレートを受け取ったという事実は、消えない。そのことを自分が一番知っている。

 もしも受け取らなかったら、言わないことによるやましさなんて感じなかっただろうに。

 俺は自分のお人好し加減に、呆れ果てる様に嘆息した。




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