【十五】違う未来と天然爆弾
物事が自分の望んだ通りに進んでいくことを喜びながらも、頭の冷静な部分が油断するなと警告する。
四年前、幸せの絶頂期に確かに自分の手の中にあると信じていた二人の未来は、あっけなく消え去った。そのことが知らず知らずの内にトラウマになっているのか。
それでも、愛先生の送迎が終わり肩の荷が下りたことによる開放感と高揚感は、まだまだ続いている気がする。そんな無意識のハイ状態で、今夜もあいつに電話を掛けた。
「拓都に聞いたか?」
二人の電話は、やはり拓都の話題が中心だ。
「何を?」
「縄跳び。あいつ、二重跳び、今日は五回もできたんだ。よく頑張っているよ」
発表会の練習で、拓都は二重跳びをマスターし、今日は五回も跳べたのだ。拓都の頑張りに感動した俺は、自慢げに話した。
「聞いている、聞いている。今日学童へ迎えに行ったら、満面の笑みで報告してくれたよ。そうそう、ハヤブサっていう跳び方は難しいの?」
「うーん、練習すれば跳べるようになると思うけど、一年生にはまだ難しいかなぁ。拓都も練習しているけど、まだまだかな?」
「拓都ね、節分に恵方巻きを食べながら、ハヤブサが跳べますようにってお願いしたんだって。よほど飛びたいんだね。それに、守谷先生は何回でも飛べるんだって自慢していた」
少しからかい気味な笑いを含んだあいつの言い方でも、拓都の自慢と聞くと妙に嬉しくて、からかいを咎める反発心は起こらなかった。
「拓都は今、縄跳びがマイブームだからな。それにしても、何自慢しているんだか」と俺は嬉しさを苦笑で誤魔化した。
「それでね、私のお願いは拓都がずっと笑っていてくれることって言ったら、拓都も私にずっと笑っていてほしいって言うんだけど、ママは溜息を吐いていたって言われてしまって。溜息吐くと嬉しいことが減っちゃうって注意されたの」
驚いた。教室で子供達に何気なく言った話を、拓都は覚えていて、あいつに注意までするなんて。
「あっ、それ、俺が言ったんだ」
「そう、守谷先生が言っていたって。それで、笑うと嬉しいことが増えるんだって教えてくれたの。慧って、いい先生だね。私、感動しちゃった」
なんだよ。美緒までそんなこと言い出して。
俺は照れ隠しに「ばーか。当たり前だろ」と乱暴に言うと、その後は笑って誤魔化した。暖かい気持ちがジワジワと胸に染込む。
「俺さ、拓都に俺を意識しないで一年生を過ごしてほしいって言っていたけど、俺も拓都を特別視しないようにと思っているんだ。だけど、最近、拓都を見る目が以前とは違うなって思うんだ」
自分の中の変化を意識しないようにしていたけれど、なんだか気持ちがほっこりして素直な気分になり、しみじみと語ってしまった。
「以前とは違う?」
「うん。父親の目っていうのかなぁ。どこか心配気に見ている自分に気付くことがある。これってちょっとまずいかなぁ」
時々本当に無意識に拓都を見ていることがあって、自分を諌めることがある。自分の中に父性を感じて、照れ臭くなる時がある。
「慧ったら……」
こんな公私混同してしまう俺を、あいつは咎めもせず甘やかす。四年前とは違う未来がここにはあった。
*****
二月の第二週が始まった。学習発表会は来週の火曜日だから、後約一週間、子供達の練習と準備に気忙しい。そんな中、水曜日は学習発表会に向けてのクラス役員会議がある。その役員会議の三十分前に、クラス役員のあいつと西森さんと自分の三人が集まって、クラスの提案を相談することにしている。
あいつと想いが通じ合ってから初めての役員会議だ。他人のいる前で二人が顔を合わすのは、この間の委員会の夜以来だ。あの時も西森さんが一緒だった。あの時はほんの短い時間だったから、何も知らない西森さんの前でも、いつもどおりに振舞えたと思う。
あいつは俺たちのこと、西森さんに話しただろうか。
あいつと俺は、再会してから西森さんの明るさに随分助けられてきたと思う。あいつなんかは、学校のことでもプライベートでも随分頼りにしているから、本当なら俺達のことを真っ先に話したいんじゃないだろうか。それでも俺達の立場を思うと、あいつは話すことを躊躇しているようだ。
そんなクラス役員会議が控えた週の月曜日の夜、いつものように俺はあいつと電話で話しをしていた。役員会議の話題の流れから、俺は懸案事項を尋ねてみた。
「それで、俺達のこと、西森さんには話したの?」
「まだ、言っていないの。クラス役員の仕事が済んだら、話そうと思っているんだけど……」
やはりあいつはまだ躊躇しているようだ。俺の立場を思ってくれているのだろう。
「俺のことなら、気にしなくていいよ」
「そういう訳じゃ無くて、恥ずかしいというか、何となく話し辛くて。でも、千裕さんには心配かけているから早く話さなくちゃとは思っているんだけどね」
ああ、そういうことか。恥ずかしい気持ちも分かる。けれど西森さんって、愛先生と俺のことを誤解しているよな。そんな思い込みをしているのに、今まで本当のことを言ってこなかった美緒の話を信じるだろうか。
「美緒の話し辛い気持ちも分かるよ。西森さんに話す時は俺も一緒にいようか?」
「えっ? 一緒に?」
「ああ、西森さんって思い込みが激しそうだから、美緒が話しても信じてもらえないかもしれないだろ?」
「そうかな? そんなこと無いと思うけど」
「それに、美緒は西森さんに対して、本当のことを話してこなかったこと、申し訳ないって思っているだろ? それは俺のせいでもあるんだから、俺からも謝りたいんだ」
本当のことを話せなかったのはあいつのせいじゃないのに、きっと何もかも自分のせいだと抱え込んでいるのだろう。これからは、二人で解決していくことだと、早くあいつにも自覚してほしい。
「け、慧、ありがとう。でも、私一人で話したいの。いきなり慧も一緒だと千裕さん驚くと思うし……」
あいつの戸惑い振りは図星だったからだろう。でも、俺からも西森さんに謝らないと気が済まない。
「じゃあ、美緒が話した後で、俺からも話をさせてくれるかな? 西森さんに謝りたいというのと、お礼も言いたいんだ」
「お礼?」
「そう、俺達が再会してから、いつも間に西森さんがいただろ? 西森さんの明るさに助けられたことも多かったと思うんだよ。だから」
「そうだね。千裕さんがいてくれなかったら、役員するのも辛かったと思う。私もお礼が言いたいから、一緒にお礼を言おう」
そして、俺達は話し合い、十五日の学習発表会の後、まずあいつが西森さんに話し、その後に俺も合流して、二人で謝罪とお礼を言おうということになった。
*****
そうして水曜日のクラス役員会議当日がやって来た。今日はまだ西森さんにカミングアウトをしないので、今まで通りの態度で挑まなければいけない。特に三人だけでする会議の前の相談は、自分は担任だと言い聞かせて動揺しないようにしなければと、今朝から何度も頭の中でシミュレーションをしている。
あいつは大丈夫だろうか。俺よりも西森さんに近い立場だから、西森さんの能天気な発言に動揺しなければいいが。
放課後になり、雑務に追われている内に気付けば約束の会議三十分前。俺は慌てて自分のクラスの教室へと向かった。
「あっ、守谷先生、こんにちは」
近づく俺の足音に気付いたのか、西森さんが振り返り、明るい挨拶の声が人のいない廊下に響いた。
「こんにちは。いつもより早く集まってもらって、すみません」
同じ様に挨拶を返すと、あいつはどこか緊張気味で、挨拶の言葉を発するタイミングを失ったようで、会釈のみが返って来た。
「どうぞ」と言いながら、教室の中へ先に入りファンヒーターのスイッチを入れる。そして、子供達の机をいつものように三人で向かい合わせにしてつき合せ、それぞれの席に着いた。
「親子レクリエーションは、考えて来てもらいましたか?」
いつものように西森さんの方へ先に声を掛け、あいつへも質問の返事を促すように微笑む。あいつはまだやっぱり緊張しているようだ。
「親子レクといっても来られない親もいるから、親子がペアを組んでするようなレクリエーションは避けた方がいいと思うの。上の子の時はね、『ころがしドッヂ』をしたのよ。楽しかったから、それもいいと思うし、『玉入れ』なんかも面白いかも」
さすが西森さんだ。経験を生かした発言に感心する。俺は一年生の担任は初めてなので、このような意見は貴重だった。
「『ころがしドッヂ』というのは、ころがしてするドッヂボールのことですね?」
「そうそう、普通のドッヂボールだと一年生では危なかったりするからね」
俺は、西森さんの説明をメモに取りながら、クラスの提案として何がいいかと考えていた。あいつはどんなレクリエーションを考えてきたのかと意見を聞くため顔を上げると、どうやら俺の手元を見ている様だ。フッと笑いながら「篠崎さんは何かありますか?」と話を振った。
再会してからの役員活動を通じて、だんだんと担任である俺の存在に慣れて来たあいつなのに、また最初に戻ったように緊張しているのが、どこか可笑しい。普段強がるくせに、恋愛事が絡むとすっかりヘタレになるあいつ。
「あ、あの、保育園の時にした『ジャンケン列車』が楽しかったからいいと思うんだけど、準備するものも要らないし……」
戸惑いながらもあいつが意見を言う。やはりあいつも母親としての経験からの意見だった。俺の知らないレクリエーションの名が語られ、西森さんもそれに嬉しそうに反応した。
「あー、それもあったね。『ジャンケン列車』は面白いよね。確かに準備も要らないから楽かも」
「『ジャンケン列車』というのは?」
自分だけ知らないことに憮然とし、二人の会話に口を挟む。
「あー、それはね、誰とでもいいからジャンケンして、負けた人が勝った人の後ろに繋がるの。それで、先頭の人がどんどんジャンケンをするたびに、負けた方が後ろへ列車のように繋がって行って、最後は一本に繋がった列車になるのよ」
すかさず西森さんが説明してくれた。あいつも嬉しそうに相槌を打つ。確かに簡単で楽しそうな遊びだ。
「それは、何も準備が要らない上に楽しそうですね。他に提案はありますか?」
他に提案がないのならと、俺は自分の考えて来た『ボール送り』と『ハンカチ落とし』について説明した。そうして、話し合った結果、『ジャンケン列車』と『玉入れ』を一年三組の提案ということになった。
話し合いは思ったよりも早く進み、予定していた時間よりも早く終わった。本会議まで時間があったので、誰とも無く雑談が始まり、和なごんだ雰囲気になった。
「何だか守谷先生、役員活動を始めた頃はどこかピリピリして固い感じだったのに、最近落ち着いたっていうか、柔らかくなったっていうか、プライベートでいいことがありました?」
突然西森さんがこんな問いかけをしてきたので、驚くと共に唖然とした。あいつはまだ話していないはずなのに、もしかして、バレているのだろうか? それとも、いつもの的外れな思い込みだろうか?
あいつは何か聞かされているのだろうかと、チラリと視線を向ける。あいつは居た堪れないのかすぐに目を伏せた。
「私も一年生の担任は初めてで、緊張していたんですよ。西森さんのお陰でどうにか慣れて、無事に終われるとホッとしているからじゃないですか? 篠崎さんも小学校は初めてでいきなり役員になって、最初緊張してみえたみたいだけれど、最近は慣れたみたいで、それも西森さんのお陰ですよね?」
自分は関係ないとばかりに知らん振りしているあいつを、わざと巻き込むように話を振る。お前だって当事者だぞと言外の意味を込めて、俺はニッコリと笑顔であいつに問いかけた。
「そ、そうなのよ。千裕さんのお陰で、この一年間何とか役員を務められたと思うの。本当にありがとう、千裕さん」
少々慌てたように答えるあいつを見て、俺は溜飲を下げた。そんな俺達の精神的攻防など気付きもせず、西森さんはあいつの言葉に感動しているようだった。
「何よ、みずくさいわね。私は役員になったお陰で、美緒ちゃんに出会えて嬉しいのよ。それに、守谷先生とも沢山話せたし」
「私もお二人との役員活動は楽しかったですよ。いろいろとご協力頂いて、ありがとうございます」
ここで話を締めくくろうと、俺は話をまとめお礼を言いながら頭を下げた。二人からも「こちらこそ、ありがとうございました」とお礼の言葉が返って来た。こうして会議のための話し合いも、今回で最後だと思うと、感慨深いものがあった。
「守谷先生にそんな風に言ってもらえるなんて、役員した甲斐がありました。それよりも、本当はプライベートが充実しているから、そんなに落ち着いたんじゃないですか? 聞きましたよ、骨折した愛先生の送り迎えをしていたこと。もうぉ、先生、関係ないなんて言っちゃって、照れなくてもいいんですよ」
もうすっかり話は終わったものだと思っていた俺に、再び西森さんの天然爆弾が落とされた。一瞬その場が凍りついたように思ったが、それは俺とあいつだけだったようだ。
ニコニコと話す西森さんに対し、怒りさえ湧き起こる。あいつを一瞥すると、驚いた表情をした後視線を机へ落とした。
一体西森さんはいつまで愛先生と何かあると思い続けるのか? それに、送迎していたことをどうして知っているのか? もしかして、あいつも知っていたのか?
それでも担任という立場を忘れてはいけないと思い直し、冷静になるように自分に言い聞かせる。
これ以上西森さんに愛先生のことを言われたくないし、あいつにも聞かせたくない。俺は心の中で大きく溜息を吐くと、覚悟を決めた。




