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あの虹の向こう側へ【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第四章:決意編
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【十五】大学祭(後編)

「伊藤先輩」

 折り紙サークルの展示会場まで来ると、ゆるキャラの巨大折り紙を好奇心いっぱいの瞳で見ている伊藤先輩に気付き、声をかけた。

「守谷、久しぶり」

 振り返った伊藤先輩の笑顔は三年半ぶりだ。その笑顔にホッとして、胸の中のモヤモヤはいつの間にか霧散していた。

「伊藤君、お久しぶり、元気だった?」

 俺の後ろにいたあいつが、続けて挨拶をする。しかし、あいつの存在を認識した伊藤先輩が「えっ? 美緒先輩?」と驚いたのを見て初めて俺は、伊藤先輩に俺とあいつの現在の関係を説明していなかったことを思い出した。

「おい、守谷、どういうことだよ? 美緒先輩とよりが戻ったのか?」

「伊藤先輩、違うんです。そのことは後で話しますから。美緒とは偶然会って、伊藤先輩に会いたいって言うから連れて来たんです」

 説明を求めるように俺を見る伊藤先輩に、俺は慌てて取り繕う。こんなところで詳しい話はできない。

「美緒先輩、すみません、余計なことを言って。久々に会えて嬉しいです」

 伊藤先輩はひとまず俺の言外の雰囲気を汲み取ってくれたのか、それ以上何も言わずにあいつに挨拶を返した。

 その時「守谷せんぱーい」と呼びながら駆け寄る人物を見て、俺は自分の迂闊さを悔やんだ。

 安藤……お前という地雷を忘れていたよ。どう誤魔化せばいいのか。ここには事情を知らない伊藤先輩もいるし。

 俺が逡巡している間にあいつは、伊藤先輩に俺たちが以前付き合っていたことを内緒にしてくれるよう頼んでいるようだった。

 あいつもさすがに俺たちの過去の関係が、安藤にバレるのはまずいと思ったのだろうか。

 安藤が教育実習に来ていた時に、俺とあいつはお互いに知らないフリを通したけれど、事情を知らない伊藤先輩の前では誤魔化しもできないだろう。せめて同じサークルだったことぐらいは話すべきか。

「守谷先輩、来てくださったんですか? 今回は一人ですか?」

 安藤は嬉しそうにニコニコと首を傾げた。そう言えば去年は同僚のメンバーで来たっけ。

「いや、ここで先輩と待ち合わせしていて……」

 ここに何故あいつがいるのかと問われたら、たまたま出会ったと言おうか。それとも同じサークルだったとバラそうか。

 まだどこか迷いながら、なるようになれとばかりに俺は安藤の問いに答えながら振り返った。安藤も俺の視線に合わせて俺の背後に目を向ける。

「あれ? 美緒さんじゃないですか?」

「詩織ちゃん、お久しぶり」

 こんな時あいつは肝が据わっているのか慌てず、安藤に笑顔で挨拶をしている。

 打ち合わせ無しの茶番劇を、あいつはすんなりと受けて立ったようだ。

「美緒さん、どうしてここに? もしかして、私がいること覚えていてくれました?」

 安藤、そう来たか。さて、あいつはどう答えるのか。

 俺はすっかり傍観気味の他力本願だ。ところが、ここで思わぬ伏兵が口を挟んだ。

「何言っているんだよ。美緒先輩は、以前、折り紙サークルのリーダーだったんだよ」

 あー伊藤先輩、何ムキになっているんですか。あいつも突然の暴露に動揺を隠せず、すがるような眼差しを俺に向けた。

 まだ覚悟の出来ていない俺は、どうフォローしようかと躊躇している間に、安藤はあいつに詰め寄った。

「美緒さん、小学校で会った時、守谷先輩のこと、知らないって言っていたのに。知り合いだったんですか?」

「ごめんね。ほら、守谷先生には保護者にファンが多いから、知っているなんて言うと、いろいろ聞かれそうだから、知らない振りしたのよ」

「安藤、悪かったな。知っているなんて言うと、おまえ、もっとうるさくいろいろ言いそうだったから」

「守谷先輩、私そんなにうるさく言いません。何ですか、二人して知らんふりして。私バカみたいじゃないですか!」

 あいつが申し訳なさそうに謝るから、俺も続いて謝ったが、余計な一言のせいで安藤をさらに拗ねさせてしまった。

「詩織ちゃん、ごめんね。そんなつもりじゃなかったんだけど、あの時は周りに人もいたし……」

 あいつの落ち込んだ表情の謝罪が安藤を我に返したのか、安藤は「私の方こそ、興奮してすみません」と謝った。

 つい本音が出てしまったとは言え、余計なことを言ってしまったと反省していると、再び事情の知らない伊藤先輩が口を開いた。

「ちょっと、守谷。どういうことだよ? 小学校に美緒先輩が来たのか?」

 ああ、そこ、突っ込む? さらっと流してくれたらよかったのに。

「あれ? 知らないの? 守谷先輩は美緒さんの子供の担任なんだよ」

 後で説明しますと言おうと思っていた矢先、今度は安藤が爆弾を落とした。その途端、伊藤先輩はたれた目を見開いて驚き、「美緒先輩、結婚したんですか?!」とあいつに詰め寄った。

 あいつが怯んで何も言えずにいると、不意にあいつの携帯電話の着信音が流れ出した。あいつはホッとしたように携帯電話を取り出すと、「ごめんね」とその場を離れた。

 その隙に俺は伊藤先輩に「後でちゃんと説明しますから」と言い、「いろいろ事情があって、驚かせてすみません」と謝った。

 通話を終えたあいつが再び俺たちの方へやってくると、「私帰らなくちゃいけなくなったから、もう行くね。伊藤君も詩織ちゃんも、元気でね。守谷先生、今日はありがとうございました」と、保護者の顔で頭を下げた。

 なんだよ、こんな状態で逃げるのかとあいつを睨んだが、視線を逸らされてしまった。

 一瞬呆けていた伊藤先輩と安藤が、あいつの別れの言葉に反応して「お元気で」と笑顔で返している。

 俺はムッとした気分のまま「気をつけて帰って」と素っ気なく言った。

「美緒さん、家族で来たのかなぁ。ご主人、どんな人だろう?」

 皆で去っていくあいつを見送っていると、安藤が知っていますかと俺に問いかけるようにこちらを見た。再びさっきの疑問が蘇った伊藤先輩も答えを求めてこちらを見る視線が痛い。

「いや、違うんです。友達、ほら、副リーダーだった本郷さんと来たみたいですよ」

 俺が慌てながら言うと、再び驚いた表情になった伊藤先輩が「えー、美鈴先輩も来ていたのか? なんだよ。早く言えよ。俺も会いたかったのに」と責めるように言う。

「いや、俺も会ってないんです。本郷さんが教授に会いに行ったから別行動していたみたいで。その時にみ…篠崎さんに会ったから、俺も本郷さんには会っていないんですよ」

 俺は安藤を無視して、伊藤先輩を落ち着かせようと一生懸命説明した。後で全部説明しますからとアイコンタクトで訴えると、なんとか分かってくれたようでホッとした。しかし、まだ地雷が傍に居たんだ。

「美緒さん、お二人が大学生だった時のリーダーだったんですね。それが今は担任と保護者って不思議な縁ですね」

 黙れあんどー! 話を蒸し返すな!!

 俺が安藤を視線で黙らせようと睨むと、横に居た伊藤先輩が不思議そうに呟いた。

「美緒先輩、小学生の子供がいるって、年齢合わないよな」

 あー伊藤先輩まで。

「そうですよね? 美緒さん学生結婚だったのかなぁ」

「そんなことないよ。美緒先輩、卒業まで結婚なんかして無かったよ。それに、卒業後すぐに生んだとしても、まだ五歳ぐらいだから……」

「二人とも、いろいろ詮索しないでください。プライバシー侵害です。篠崎さんにもいろいろあるんですよ」

 二人の会話が俺を無視してドンドン嫌なほうへ流れていくのを止めるため、俺は少々大きな声で、感情的にならないように、それでいて威嚇するように釘を刺した。

「それに安藤、採用試験に合格して浮かれているかも知れないけど、児童や保護者の個人情報に興味を持ったり、人に話したりするのはダメだぞ」

 そうなんだ、安藤は先日、教員採用試験に合格したと虹ヶ丘小学校まで報告に来ていたのだった。

「あ……ごめんなさい」

 安藤はシュンとして俯いた。しかし、伊藤先輩の方はまだ納得がいかないようで、そのまなざしが「おまえはそれでいいのか?」と責めているように見えた。

「伊藤先輩、そろそろ行きましょうか」

 言外に後で説明しますと含みを持たせ、俺は外へと促す。これ以上安藤と伊藤先輩が一緒にいては危ない。

「えーもう行くんですかぁ。暇だからもう少しいてくださいよぉ」

 安藤がまとわりつく子犬の様に粘着してくるのを「がんばれよ」と突き放して、折り紙サークルの展示会場を伊藤先輩と共に後にした。


           *****


 その後、俺の家で鍋でも食べてゆっくりしようということになり、食材とビールを買って帰宅した。普段使わないため押し入れに仕舞っておいた土鍋を久々に出しながら、この前はいつ鍋をしたかなと記憶を辿る。そう言えば一年ほど前に同僚のいつものメンバーで鍋パーティーをしたっけ。その時使った土鍋は四、五人用の大きな奴で、実家に余っていたのを鍋パーティーするからと貰って来た物だった。

 大は小を兼ねると言えども、これは大きすぎるかなと思っていたら、奥に二、三人用の土鍋を発見した。それを見た途端、記憶が蘇った。

 あいつと付き合っている時、鍋をしようと二人で選んだ土鍋だった。こんな所にまだあいつの思い出が隠れていたなんて。

 そんなに感傷的にならなくても、今日は幸せなひと時を過ごしたじゃないか。

 それでも、拓都の真実を話してくれないことや、手を繋ぐことを許していたあいつが最後は逃げるように帰ってしまったことが胸に引っかかる。

「守谷、土鍋あったか?」

 伊藤先輩の呼び掛けに我に返り、小さい方の土鍋を取り出した。

伊藤先輩にあいつのことをどう説明しよう。

俺は土鍋を流し台へ運びながら、又今日のあいつのことを思い出していた。


「守谷、美緒先輩が結婚したって、本当なのか?」

 鍋の中身が半分程無くなった頃、伊藤先輩は会話の途切れ目で急に真面目な顔になり、本日一番の話題を持ち出した。ずっと聞きたくて我慢していたのかも知れない。

「いや、結婚はしていないです」

 俺はついに来たかと思いながら、とりあえず否定し、どう説明しようかと頭の中で必死に考えを巡らす。

「でも、子供がいるって……」

「子供はお姉さんの子供なんですよ」

「お姉さんの子供?」

「はい、美緒のお姉さん夫婦が亡くなったらしくて、遺されたその子供……つまり美緒の甥を自分の子供として育てているらしいんです。でもそのことをあいつは何も話してくれないし、学校へ提出する書類も親子として出しているんです。たまたま美緒の近所の人の話を他の人経由で聞いただけで、俺が知っていることもあいつは知らないんですよ」

 結局俺は、あいつが話してくれないことを愚痴っているようなものだ。それでも伊藤先輩は考え込むような顔になった。

「どうして守谷はそのことを美緒先輩に聞かないんだ?」

「教師の立場では保護者が言わないプライベートを詮索することはできません。それに俺は美緒の方から話してほしいんです」

 俺とあいつの間にある壁を、あいつの方から壊してくれないと二人の未来は無いのだろう。

 まだ納得できないという顔をした伊藤先輩に、俺はその後、あいつと再会したところから説明した。全てを話した訳では無いが、大まかな流れを説明し終えると、伊藤先輩は大きく溜息を吐いた。

「守谷はモテモテのくせに臆病なんだな」

「元々俺はフラれているんです。だから、あいつの方から心を開いてくれないと…」

「何気弱なことを言っているんだよ。今日の雰囲気は元サヤかと思うぐらい良かったのに」

 伊藤先輩のこんな言葉を聞いても、どこか気持ちは晴れなかった。

 今日のあいつの前での強気な俺と、今の弱気な俺と、心は大きく揺れ動いている。やはり俺は、まだあの拒絶を引きずっているのかも知れない。

 



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