【七】縮まる距離
『せんせい、あのね、きょうりくくんのおうちにあそびにいったよ。みんなでゲームをしたよ。りくくんのおにいちゃんはゲームがじょうずだけど、ちょっといばってるんだ。でもね、りくくんのパパはとてもじょうずなのにやさしいよ。りくくんは、おにいちゃんもパパもいていいなとおもったよ。』
週明けの月曜日、子供達が帰った後、先週末に出した宿題の日記を読み一言ずつ言葉を書き込んでいく。
普段は特に拓都のことを意識しないけれど、この『せんせい、あのね』の日記を読む時だけ、妙に意識してしまうのは、あいつの家庭を覗いているような気にさせられるせいか。
『りくくんは、おにいちゃんもパパもいていいなとおもったよ』
あいつにこんな言葉を見せなくて済んで良かったと、少しだけホッとしている。
先週のあいつとの電話の時に、あいつが拓都に宿題の日記を見せてもらっていないことが分かったから。
でも、拓都があいつの前でも同じことを言っていたとしたら、あいつは拓都のために父親をと思うのだろうか。
ついこの間まであいつは結婚していると思っていたくせに、独身だと知ったせいか、あいつが結婚するかもと想像することさえ苦しい。
もしかして、俺と別れた後に付き合った奴とまだ続いているのなら、そいつが一番の父親候補になるのか。
ダメだ、ダメだ。あいつが拓都を引き取った時に、結婚しようと言いださなかった奴なんて。あいつが母子家庭で苦労しているのを知らんふりした奴なんて。
「守谷先生」
名前を呼ばれて初めて周りのざわめきが耳に入ってきた。どうやら、すっかり自分の世界に入っていたようだった。そして俺の名を呼んだ机の横に立っている人を見上げた。
「あ、大原先生」
あいつのことに気を取られていた俺はどこかバツが悪く、視界に入ったその人を見て少々慌てた。そんな俺の様子が可笑しかったのか、愛先生はクスッと笑った。
「守谷先生のクラスの転校生の川北君はもうクラスに馴染めました?」
川北君と言われて、それが先程の拓都の日記に書かれていた『りく』という児童のことだと思い至った時、再び思考が戻りそうになるのを遮断し、誤魔化すように笑顔を向けた。
「保育園の時に一緒だった篠崎拓都が同じクラスなので、すんなり馴染みましたよ。お兄ちゃんの方はどうですか?」
二学期から転校してきた川北陸の兄は、愛先生のクラスだった。
「それが、四年三組の西森智也君と仲が良いみたいで、長い休憩時間は彼のクラスへ行ったり、一緒に外へ遊びに出たりで、クラスの子とあまり遊んでいないみたいなんです。クラスに馴染めていないのかと心配しています」
西森智也と言えば、クラス役員の西森さんの長男だ。去年は俺の受け持つクラスだった。
そして、また思い至ったのは、以前拓都の日記に書かれていた川北、西森、篠崎の三母子で遊んだということ。
あいつが川北親子と西森親子を会わせたんだよな。
せっかく遮断した思考が、また戻ってしまったことに気づいて、俺は顔を上げた。
「それでお兄ちゃんは、クラスにいる時は一人でポツンとしているんですか?」
「いえ、そんなことはないんですけど」
愛先生はどこか不安げに答える。
「弟は小学校へ入って一学期だけだったし、転校先には友達もいるから良かったけど、兄の方は三年以上馴染んだ小学校からの転校で不安だったと思うんですよ。西森君はそんな時に知り合った同級生だから、心理的に頼っている部分もあるんだと思います。でも、そんなによく遊んでいるのなら、気も合うんでしょうね。大丈夫ですよ。新年度が始まった時のクラス替えの後もそんな状態になりますよ。しばらく前のクラスの仲良かった子と遊んだり、その子のクラスへ行ったりするのは。でも、だんだんと新しいクラスに馴染んでいくものですよ。転校して来てまだ一ヶ月ちょっとじゃないですか。クラスでも一人ぼっちじゃないのなら、大丈夫ですよ」
俺は勢い込んで言うと、安心させるようににっこりと笑った。そうして脳裏に何度も浮かんでくるあいつを押し込める。
愛先生は少し安心したのか「そうですよね」と確認するように言うと、同じように笑って見せた。
「大原先生、よかったらこの椅子使ってください」
俺の前の席の四組の担任が部会の会議があるからと、立ったまま話をしていた愛先生を気遣うように声をかけた。
腰を落ち着けてまでするような話だとは思っていなかった俺は、その提案にギョッとし提案者の方へ視線を向けると、俺と目が合った彼はニヤリと笑った。
ああ、またか。
最近時々こんな風に気を回されることがある。まるで俺と愛先生のことを応援しているとでもいうように。いや、違うな。あれは面白がっている顔だ。何にしても厄介だよな。
「いえ、もう終わりましたので、大丈夫です」
愛先生も慌てて申し出を断る。四組の担任はそれ以上勧めず、会釈して職員室を出て行った。
「守谷先生、お仕事の手を止めてすみませんでした」
愛先生は四組の担任を見送るとこちらを向いて頭を下げた。
「いえいえ、たいしたこと無いですよ」
やれやれと思いながらも笑顔を返す。そして先程のようにからかいの様な気の回され方をされるのも、元はと言えば俺の態度のせいなのだと自戒し、去ってゆく愛先生の後姿をぼんやりと見つめながら、どうすれば誤解が解けるのかと心の中で嘆息した。
* * * * *
その週の水曜日は二学期の学級役員会議の日だった。その会議の議題は今月ある親子ふれあい学習会の内容についてで、先週あいつと電話で話した時、『今度の会議までに、親子ふれあい学習会ですることを考えておいてほしい』と伝えていた。
しかし当日になって、内容についての肝心なことを伝えていなかったことに気付いた。
今回の親子ふれあい学習会では十一月にある文化祭で展示するための作品を、親子で作るということになっていたのに、そのことを言い忘れたのだ。
「いまさら気付いたって遅いしな」
俺は溜息をつきながら、無意識に心の声がこぼれたことに苦笑した。
そのことをあまり苦に感じなかったのは、自分の中で一つの案があったからだった。
会議が始まり、クラスごとに意見をまとめた後で各クラスの出した意見を元に話し合って決めることになり、前回の様にクラスごとに担任とクラス役員が集まって意見をまとめることになった。会議室の長机に並んで座っているあいつと西森さんに会釈して二人の正面に座る。先週あいつと昔のように話せたからだろうか、目があった時、自然な笑みを浮かべることが出来た。あいつも同じように笑顔を返す。以前よりちょっと距離が縮まったようで嬉しくなる。
「学習会の内容について考えて来てくださいと言いましたけど、一つ肝心なことを言い忘れていました。文化祭で展示するための作品作りを、親子でしてもらうということです。考えて来てもらったことは、それにあいますか?」
とりあえず俺は伝え忘れていたことを話した。案の定西森さんは作品を作るなんて考えても見なかったと不満げに訴え、あいつも同じように頷いている。まあ、想定内だよな。
「ハハハ、申し訳ない。それで、私が少し考えたことがあるんですが、親子で折り紙をして、それを画用紙に貼って、何かを表現してもらうというのはどうでしょう?」
俺は笑って誤魔化す訳じゃないけど、想像通りの反応と自分の考えていた案を推し進めようと思っていたので、気持ちは軽かった。
あいつとの出会いのきっかけとなった『折り紙』。あいつとの距離を縮めたくて『折り紙』を提案した訳じゃないけど、あいつがどんな反応をするかと少しだけワクワクしてあいつの様子を窺ってしまった。
「あー守谷先生、自分が大学の時、折り紙サークルだったから、得意なものを出してきましたね?」
ニヤリと笑ってツッコミを入れる西森さんの言葉に、そう言えば以前教育実習生が来ていた時に、折り紙サークルだったことはバレていたんだったと思い出した。
どうやらあいつは自分も折り紙サークルだったことは、西森さんには伝えていないようだ。今更言える訳ないだろうけど。
「まあ、そうですね。でも、これなら準備も簡単だし、親子で教え合いながら折り紙をするのもいいんじゃないかと思うんだよね」
「折り紙か。上の子が小さい時は一緒に折ったりしたけど、あまり折り方知らないしなぁ」
西森さんが独り言のように言う。ここであいつはどんな反応をするのだろうか? 西森さんに同意してあまり折り方を知らないと言うのか、折り紙は得意と言うのか。あいつの反応にワクワクしている俺は悪乗りし過ぎだろうか。
「折り方は、いろいろプリントしますし、家に折り紙の本のある人は持って来てもらうよう、事前にプリントで知らせますし、当日も私が分からない人には、教えに回りますよ」
二人から特に反対の声も上がらないので、俺は自分の考えを推し進めていく。あいつは二人にとってのキーワードの『折り紙』という言葉が出て来て戸惑っているのか、神妙な顔をして俺と西森さんの会話を聞いていた。
「ウチに折り紙の本なんてないなぁ。美緒ちゃんは持っているの?」
西森さんの無意識だけど絶妙なツッコミに、内心ニヤリとしてしまう。あいつが折り紙の本を持っていない訳ないもんな。
「まあ、一応は……」
言葉少なに返答するあいつは、まだまだ戸惑っているようだ。
「そうだよね。小さい子がいる家は、結構折り紙の本買っているよね。ウチは、子供が興味を示さなかったから、買わなかったなぁ。もっぱら外遊びだったしね」
あいつの戸惑いなど気付きもしない西森さんは、呑気な会話を続けている。そろそろ話をまとめる時だと俺は息を吸い込んだ。
「それじゃあ、折り紙ということでいいですか?」
「良いも悪いも、守谷先生、最初から決めていたくせに」
西森さんのツッコミに苦笑しながらも、二人が頷いてくれて、俺はホッと安堵の息を吐き出した。
その後、各クラスからいろいろな案を出し合い、学年全体で話し合って、とうとう折り紙に決定した。そして準備についての話を詰めた後、会議は終了した。
皆が帰るためにざわざわとしだした頃、以前から西森さんにこの機会に伝えておかなければと思っていたことを告げるため、椅子から立ち上がった二人の前に進んだ。
「西森さん、この前、警告頂いた件、解決しましたので。ご心配いただき、ありがとうございます」
そう、藤川さんの件を西森さんが伝えてくれたお陰で解決できたので、是非お礼を言わなければと思っていたのだ。あいつには先週の電話の時に話したけれど、それは写真を撮られた当事者としての話だったから、あいつから西森さんには話せなかっただろう。
「あ、あの、やはり藤川さんが関わっていたのですか?」
ああ、やっぱり。あいつが写真のことを知っていたように、西森さんも全て知っていたんだ。藤川さんのことを忠告してくれたのに、関わっていたのっていう聞き方はおかしいけれど、写真の投書事件を知っていたら、そんな質問が出てもおかしくないよな。
それにしても、どこから大っぴらな噂にもなっていない事実を拾い出してくるのか。
恐るべし母親の情報網。
「そうですね。いろいろと誤解されていたようで……。でも、話を聞いていたおかげで、早く解決することができました。ありがとうございました」
俺は西森さんが知っていたことを追及すること無く、知っていることを前提の様に話をさらりと流した。
「いえいえ、良かったです。守谷先生が、担任を降ろされたらどうしようかと思っていたので」
「ハハ、大丈夫ですよ。元々処分なんてされていないんですから」
これ以上心配を掛けないためにも俺は笑って明るく返した。そして西森さんの隣に立つあいつも先程の戸惑いは消え、安堵の表情を浮かべていた。
その夜、今日の会議で折り紙に決まったこともあり、家にある折り紙の本を全て取り出してみた。ぱらぱらと見ている内に、折り紙サークルでのことが思い出された。
あいつの白い指先から生まれ出す色々な花の折り紙達。あの頃、まるで魔法のようでただ見惚れていたっけ。
今度の親子ふれあい学習会で、数年ぶりに再びあいつの折り紙を折る姿を目にするのだと思うと何とも言えない感傷的な気分になった。そして、今更ながらのことに気付いた。
親子ふれあい学習会は一週間後の十月二十日。その日はあいつの誕生日だ。




