‐22‐ 想い
浮上艇の船内。
横壁に蝋燭が取り付けられている。揺らめく炎が不気味だった。
暗がりの中、船室を一つ一つ隈なく捜索する。それぞれの部屋には、戦争で使われる予定だった武器が貯蔵してあった。だが、未だに見つからない。まだ奥にいるのかと歩きだそうとすると、後ろから物音がする。
ライオネルが後ろを振り返ると、逃げ去る足音が船内に響く。ライオネルはズキズキと体が痛みながらも追いかける。
バッと、甲板に出ると、虚無の空が広がる。
「クロエ!」
クロエの見開く瞳は潤んでいる。
逃げ出したのは、ライオネルのことをハンスマンだと勘違いしたからだろう。拘束されていたのか、手首には縄の跡。傷ついたような表情をしている。拷問か、それに似た類のことでもされたのかもしれない。瞳と膝がガクガクと揺れている。
「ライオ……ネル。ライオネル!」
クロエは歓喜の表情で、腕の中に飛びついてくる。
勢いが余って、抱擁し返す腕が外れそうになる。それを防ぐために、ギュッと強く、強くクロエの柔らかい身体を抱きしめる。
涙を見せたくないのか、ぐずぐずと洟をかみながら顔をライオネルの胸あたりに押し付ける。それがちょっとだけ擽ったかった。
「ライオネル、どうして来ちゃったの?」
「うん。……ごめん。だけど、やっぱりクロエのことを救いたいって思ったんだ。――だから、僕はきっとここにいる」
まるで星々が、ライオネル達の再会を祝福するかのように輝いている。クロエの身体はこの寒空の下でも温かかった。ずっと抱きしめていたいとさえ思った。
「クロエが無事でよかったよ」
「……ライオネル。こんなに、傷ついて……」
「このぐらい平気だよ。クロエを助けることができたんだから」
浮上艇から煙が上がっている。
大砲の砲撃によって破壊された箇所は、ボロボロに崩れている。遥か後方には尾行するかのように、一つの浮上艇が追ってきている。その浮上艇には見覚えのある王国の印が刻まれていた。
「早くどこかに着陸しないとね。じゃないと、また砲撃される」
「一体、誰がこんなことを?」
「……多分、僕の知り合いだと思う」
頬のラインを冷や汗がなぞる。
ライオネルに恨みを持っている人間に違いない。どうやってハンスマンの計画を嗅ぎつけたのかは分からないが、恐らく砲撃したのは悪い意味で優秀な男だ。大義名分を得たとばかりに、ライオネルごとこの浮上艇を墜落させてもおかしくない。
「そんな、ライオネルがいることを知らなかったの?」
「いや、きっと知っててやったんだと思う。……ちょっと変わった人だからね」
騎士の称号を与えられるのは、軍の中でもほんのひと握りの人間だけだ。襲名したのがライオネルであったことが気に喰わなかったらしい。彼は事あるごとに勝負を仕掛けてくる。
「それにしても、スカーレットの事といい、また迷惑かけちゃったね」
「……う、うん」
スカーレットの名前を出すと、クロエは何故か困惑したようにしどろもどろになる。
ライオネルは理由を訊いてみる。
「どうしたの?」
「……う、ううん、なんでもない」
クロエの張り詰めたよう声色。
それから、不規則な呼吸音。
「ねえ、ライオネル。ずっと聞きたいことがあったの」
「……どうしたの、藪から棒に」
ライオネルから少し身体を引き剥がすと、上目遣いでこちらを見てくる。その眼に孕んでいたのは、決して折れることのない覚悟のようなもの。
思わず、ゴクリと喉を動かす。
震えている指から緊張が伝わってきて、ライオネルにも伝染する。唇を真一文字にキュッと絞り、ひと呼吸置くと、唇を緩める。
「その、ね。ライオネルには、好きな……好きな人がいるのか聞きたかったんだ」
「――いないよ」
今は、と胸中で付け足す。
すると、みるみるクロエは首から顔全体まで朱に染まる。頭から湯気がでそうなぐらいだった。挙動不審ぎみに手をわきわきとさせながら、
「それじゃあ、私のこと……好き?」
「えっ……それは……」
クロエの瞳は不安げに揺れる。
適当に言いくるめることなんてできない。できたとしても、クロエにはしたくはない。そう思えるほどに、ライオネルはクロエのことを想っていた。
なにより、クロエに失望されたくはなかった。
嘘をついて、それが見破られてしまったのなら、なんと言われるのだろうと恐れた。そんな考えが及んだ時に、えっ……と驚愕の声を漏らしそうになった。
そもそも、どうしてここまでクロエのことを思っているのだろうと。
本当に大切な人が、ライオネルの隣にいなくなってから、ずっと心は闇に閉ざされたままだった。思えば、ずっと誰かに想いを寄せるという心情なんてものは存在などしていなかった。
だが、いつの間にか光はあった。
まるで閃光のように現れ、そしてライオネルの胸を貫いて通り過ぎていったように思えるがあった。
そうか。
ただ、気がついていなかっただけだ。いいや、きっと気がついていないフリをしていただけだ。また掌からこぼれ落ちることが、何より恐怖していたから。……だけど、ずっと、ずっと、もしかしたら出逢ったその時から、ライオネルは眼前の少女に心惹かれていたのかもしれない。
「好きだよ」
恥ずかしげもなく、ただ告白する。
言葉にすると、自分の発した言葉がじんわりと胸に染み込んできた。尚更実感が湧いてきた。そうか、ずっとずっとクロエのことが好きだったんだ。
滲んできた想いは、段々と体中に巡っていく。力が漲っていく。誰かを好きになるというだけで、こんなにも世界が変わって見える。
そんな当たり前のことを、いつの間にか忘れ去ってしまっていた。
「そっか……そっか! 嬉しい……な」
クロエは弾けるような笑顔を作る。
幸福感に満ちた顔をすると、ライオネルの身体に腕を回す。決して離したくないように、心を込めて力強く。
そうしていると、とても温かくて、そしてとても痛かった。胸がズキズキと傷んだ。これが恋焦がれるってことなのか。それにしても、本当に、温かくて、痛――
「――じゃあ、私があなたを殺そうとしても反撃できないよね」
残忍な表情でクロエはライオネルからそっと離れる。
ライオネルの口からブッと、紅い血が吹き出す。
背中に刺さっていたのは、クロエの愛用していた短剣だった。ライオネルは歯ぎしりしながら、短剣をカラン、と投げ捨てる。温かな血が足首にまで流れ、そして血が甲板に流れていく。
「…………どう…………して?」
体の芯まで冷たくなっていく。
冷気を帯びた風が、急激にライオネルの体温を奪っていく。
「どうしてって、そんなの当たり前でしょ? 元々ライオネルと私は敵同士。それも、私の育ての親を殺した……最高に憎い敵なんだから」
キョロキョロと何かを探すようにクロエは歩くと、落ちていた長剣を拾い上げる。そして、頭上高くまで刃を振り上げる。
ライオネルは浮上艇の端にまで追いやられる。
目の前の光景が信じられなかった。
「そん……な」
「私のこと好きなんでしょ? だったら、私のために潔く死んでよ。そしたら、もっとあなたのことを好きになってあげるから」
刃のような言の葉が、体に突き刺さっていく。それは、どんな斬撃よりも、深くライオネルの肉体にめり込んでいった。
「ク…………ロエ」
「うるさいなー。もう……死んでよ」
斜めに血が飛ぶ。
肩口から下腹部まで血が噴き出すと、ライオネルは全身から力を失う。突進するように斬りかかったクロエの勢いに負けると、空に体を投げ出される。
体中から血液が流れ、重力に負けると、そのまま轟音を立てて地面に落下する。
ドゴォオオオン!! と、背中を強打したが、痛みはもう感じなかった。全身の骨が粉々に折れたのか、動けない。
景色がどんどん濁っていく。
走馬灯のようにクロエとの出逢いから今までのことが、頭の中で稲光のように駆け巡っていく。最後の断末魔すらあげることさえできない。どうしてこんなことになったのかも分からない。
目蓋を開けていることすら面倒になった。
全身の出血が止まらない。
もう、どうでもいいとさえ思った。
――そして、ライオネルの心臓が完全に停止した。




