第38話
私は、アニスが亡くなり、憔悴しきった様子でヘイデールがここにやって来たあの日のように、彼を抱きしめた。それから、出来得る限りの優しい声を作り、諭す。
「ヘイデール、もう終わりにしましょう。あなたは本当は、私のことなんか好きじゃないし、アリエットのことも、好きじゃないのよ。あなたはずっと夢の中で、アニスさんの幻を追いかけ続けているだけなの。……でも、もうそろそろ、目を覚まさなきゃ」
ヘイデールは、小さく何かを呟いた。
それは、言葉としての体を成していない、唸り声のようなものだったが、かすかに、「よせ」「やめろ」と言っているようにも聞こえた。
その唸り声にかぶせるように、私は説得を続ける。
「ヘイデール……ただいまをもって、あなたとの婚約を解消します。これは私の為であり、あなたの為でもあるわ。私とあなたに婚約関係がなくなれば、あなたはきっと、アリエットの本当の姿を知ることになる。……そうすれば、わかるはずよ。アニスさんの生まれ変わりなんて、存在しないってことを。だから、これからは前を向いて……」
「やめろおおおおおおおおおおおお!! それ以上言うなあああああああああああああああああああ!!!」
どん、と突き飛ばされ、私は軽く背中を打った。
よろけながらも立ち上がったときには、ヘイデールの姿はもうなかった。
彼もいつか、妹の死を受け入れ、新しい人生を歩んでいくことができるのだろうか?
……そうであってほしい。
そのように思いながら、私は店の小窓から、沈みゆく夕日を見つめていた。
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時は流れるように過ぎ去り、あっという間に、旅立ちの前日となった。
時刻は夜の9時過ぎ。
私は一人、自室の机で頬杖をつき、ぼおっとしていた。
父さんと母さんは、昨日から泊まりがけで温泉に行っている。今までの経験上、恐らく、二人が戻ってくるのは明日の夜くらいになるだろう。
……つまり今、この家には、私とアリエット、二人きりである。
あの子と二人っきりだと思うと、なんだか気持ちが落ち着かない。本でも読んで、気を紛らわそうかしら。でも、お気に入りの恋愛小説は全部アリエットに取られちゃったから、今本棚にあるのは、あんまり好みじゃない本ばっかりなのよね。
それでも、何もしていないよりはいいかと、棚を漁ってみる。
見つかったのは、まだ最初の方しか読んでいない冒険小説だ。
主人公は、とても強い探検家の女性で、いかなる権力や暴力にも決して屈せず、たいだいのトラブルを、最終的には剣を抜いて大暴れすることで解決してしまう、まあ、どちらかと言うと、女性向けではない内容である。




