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願いよ、叶え




 オーガストの息が上がる。あちこちから鎧のこすれる金属音と、「探せ」とか「そっちに行ったぞ!」という騎士たちの声が聞こえてくる。その度に茂みから茂みへと身を隠し、どうにか谷から抜け出そうとするのだが、入り口付近までの道にはオルダリア騎士団が詰めかけていて抜け出せない。


 夜を待つという手もあるが、彼らが諦めるとは到底思えなかった。


(何故だ……何故上手くいかないッ)


 シルビアに助けを求めたかった。全て彼女が用意してくれたものだ。毒サソリの結界も、ダイアウルフの発生を誘発する薬も。安全に身を隠すための隠し砦ですら、シルビアが用意した物だったのだ。


 その地に帰ることもできない。


(すべては簡単にいくはずだった……!)


 リディアと結婚し、じわじわと弱らせて殺し、遺産を手に入れる。爵位と金を持ってシルビアに求婚し、二人で大手を振って暮らしていくはずだった。


 それが、喜んで求婚を受け入れたはずのリディアが逃げ出したことから話がおかしくなった。


(絶対に殺してやる……絶対にッ……!)


 茂みの中に身を隠ししゃがみ込む。怒りに赤く染まる視界のまま大地を睨んでいると、そこに、不意に白い手が飛び込んできた。


「ッ!?」


 ばっと視線を上げて身を引けば、近くに生える黒い木の、黒い根の間に何かが蹲っている。


 声を上げるのを堪え、オーガストは座り込んだまま後退る。それに合わせるように、何かがゆっくりと、木の根元からこちらに向かって這い出してきた。


 雪よりも青白い白い腕が、身体全体を覆う、これも真っ白な髪の間から覗いている。その長い髪の所為で身体のラインは見えないが、鉤づめのように曲がった指が土の混じった雪を掻いてずりずりと近づいて来る。


 やめろ、と声を上げたいが、上げれば見つかるからひゅうひゅうと喉を鳴らすしかできない。


 後退り続けたオーガストの背が、やがて一本の木にぶち当たり、弱々しい悲鳴が喉から漏れた。


「あ……あああ……」


 慌てて立ち上がって木を迂回し、姿がバレるのも覚悟で走り出そうとするが、足は大地を蹴るだけでなかなか力が入らない。そうこうするうちに、這いつくばる人の不気味な手がオーガストの膝を掴んだ。


「ひいっ」


 情けない声が漏れた。


 嫌がるように首を振る男の身体を、長い髪に全身を覆われた何者かがゆっくりと這い上っていく。


「や……やめ……」


 恐怖から首を振り、夢中で「それ」を振り落とそうとするが、何故か身体が動かない。その間に、長い髪の物体はとうとうオーガストの肩を掴み、両手を首にかけた。


 ──ユルサナイ


 地獄の底から響いてくるような声が、上げた怪異の顔の、ぽかりと空いた黒い口から漏れる。


 オーガストが目を見開く。

 同時に怪異もぎょろりとした目を見開いた。


 ──ユルサナイ


「ま……まってくれ……お、おまえ……」



──ユウウウウルウウサアアアナアアアアアイイイイイ



 何十人もの声が重なったような、耳障りなノイズのような声が迸り、細く長い指がオーガストの喉に絡みつく。そのまま人とは思えない力で締め上げ、彼は狂ったように怪異の手を引っ掻いた。


 だが。

 復讐はあっけなく終わった。


 嫌な音が周囲に響き、ぶらん、とオーガストの頭が垂れ下がる。万力のような力で憎き男を締め上げていた白き手のリディアはようやく首から手を離すと身を持ち上げた。


 すっくと雪の大地に立ちつ彼女は、さらさらと足元から崩れ落ち、乱れた白い髪の毛の間から空を見上げる。


 大きく息を吸い、彼女は両手を天へと差し伸べた。


(さあこれで……消えられる)


 ようやく自分の役目は終わった。あとは呪いの消えたその身体を、精一杯頑張った彼女が使ってくれるだろう。


 ふわりと、元の姿を取り戻したリディアが微笑む。

 いきたいと、声に出して言った彼女ならきっと、この先も生き抜いていけるだろうとどこか穏やかに思いながら。




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