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運命フラグ




「当家の騎士たちも今は自家の砦に向かってるはずです。わたしは閣下に報告に上がったわけで……」

「ご当主自らすみません……」


 思わず告げれば「いえいえ」と彼が笑う。古めかしい樫の扉を開いて中に招き入れれば、彼の苦笑いを明るい厨房の光が照らし出した。


(おお……小説の描写の通りイケメンだ)


 流石恋愛小説だ。悪役以外の登場人物のほとんどが顔面偏差値が高い。情けない様子だったセインウッド子爵は、特徴的な大きなオレンジ色のどんぐり眼と同系色の、サラサラヘアーそれと少し童顔だが柔らかい雰囲気の容貌を持っている。


「すみません、遅くなりました」


 厨房の奥に声を掛ければ「はーい」と快活な声がして身のこなしが素早い料理人が籠を受け取って風のように去っていく。相変わらず人の行き来が激しい厨房を通り抜け、リディアは子爵を連れてリアージュの寝室を目指した。


 解熱薬を、とか治療師はまだか、とか使用人の切羽詰まった声が足音と共に廊下に響き渡る。不安そうな顔をした子爵を連れて階段を上り、開け放たれたままの主寝室の扉からそっと中を覗き見る。


 各家に与えられた砦はそれほど大きくなく、よって一部屋も普段暮らす屋敷よりも半分くらいの広さしかない。そこに公爵とフィフス、ナイン、タイニー、それから医療班の人間が数名詰めかけ、その隙間からベッドが見えた。


 真剣な表情で横たわる人物を見つめるリアージュが目に映り、リディアは一歩退いた。


「……取り込み中の様ですね」


 そっと小声でセインウッド子爵が告げる。その彼に、リディアは落ち着くまで別の場所で待機しましょうかと提案した。


 子爵を連れて再び廊下を行く。食堂は騎士達が詰めかけているし、オーガストとエトワールの話を聞きたいリディアは人がいなそうな場所を探して自室の前にある共用スペースへと彼を案内した。


 途中、厨房から持ってきたパンとチーズ、サラミやソーセージをソファ前のローテーブルに置き、改めて並んで座る。正面の暖炉では薪がぱちぱちとはぜる音を立ててよく燃えていた。


「エトワールさんの毒に関してですが……何故彼女が閣下を庇ってサソリの前に?」


 手づから紅茶を淹れて尋ねるリディアに、彼はうむむっと眉を寄せた。


「僕も報告を受けただけなのでまた聞きですが、我々セインウッドとオルダリアは合同で東の沼地の平定を依頼されてました。回復役に星教会の方が数名、同行してくれたのです」


 魔物の主が住まう大沼をリアージュを中心とした精鋭部隊が掃討し、自分たちはそこから逃げ出した小規模の魔物を討伐するのが役目だった。


「神星官は回復魔法の他に浄化の神星力を持っています。沼の主だった巨大な暗黒ナマズを倒して、浄化作業を行ってる最中に、毒サソリが現れたそうです」


 唐突に現れたそれに完全に不意を突かれた。一瞬の隙をついて、サソリは公爵に迫り、存在に気付いたエトワールが咄嗟に身を投げだし、肩を尾が貫いたそうだ。


(……完全にフラグが立った感)


 ずん、と胃の奥が重くなりリディアはきゅっと唇を噛んだ。こんなに早くヒーローとヒロインが出会うというのならやっぱり婚約式などするのではなかった。せっかくの挑発だったのにオーガストは今のところ動きすら見せていないし。


 ぎゅっと両手を組んで握り締めるリディアに、セインウッド子爵が慌てたように語を繋ぐ。


「エトワールさんとは今回の任務で初めて一緒になりまして。本当に偶然、閣下を助ける形になっただけで、あの……前からお二人が知り合いだとかそういうことはないと思いますよ」


 大急ぎでそう締めくくる子爵に、リディアはぽかんとする。それから数度目を瞬いたあと、ふっと小さく笑った。


 もしかして彼は、私がエトワールとリアージュの関係を疑っていると思っているのか。


(まあ……疑うというより確信してるんだけどね)


 思わず苦笑しながら、心のどこかが痛む気がするのを無視してリディアは口を開いた。


「まあでも、結構運命的な出会いだと思いませんか?」


 身を乗り出し、彼を下から覗き込むようにしてイタヅラっぽく言えば、子爵がぶんぶんと首を振る。


「そんなことは」

「でも見たでしょう? エトワールさんに親身になっている公爵閣下を」

「あそこで自分の命を護った存在に無関心なのは……指揮官としていけないでしょう」


 うぐ、と口の端を下げて告げるセインウッド子爵にリディアは破顔した。


「ミス・リディア」

「ごめんなさい」


 この人は本当にリディアとリアージュが恋愛結婚をしようとしているように見えているのだろう。必死にフォローする姿が少し可愛くて、リディアはいくらか和らいだ気持ちで彼を見る。それから百面相で言葉を捻り出そうとする子爵の袖をちょっとだけ引っ張った。


 うんうん唸っていた彼の視線がリディアに向く。


「大丈夫ですよ、セインウッド卿。今はエトワールさんの怪我が回復することを祈りましょう」


 安心させるように告げれば、彼は情けなく眉を下げて溜息を吐いた。それから膝の上にそろえられていたリディアの手を取る。


「必ずや、公爵閣下の名誉のために毒サソリの出所を突き止めて見せます」

「はい。お待ちしてます」


 真剣な表情と口調なのに何故かおかしくてくすくす笑っていると、不意に冷たい声がのんびりした空気を切り裂いた。


「人一人生死の境を彷徨っているというのに……楽しそうだな」


 はっとしてリディアが振り返り、反射的にセインウッド卿が立ち上がる。


公爵閣下(ユアグレイス)


 慌てる彼に、鷹揚に頷き返す。


「セインウッド」


 子爵は続く言葉を探してあわあわし、その彼を一瞥したリアージュの視線がリディアへ向かう。


(な……なによ)


 なんだかよくわからないが、彼の薄明の瞳はいつにもまして金色が輝いている。顎の辺りが強張っているのを見て、彼の苛立ちが手に取るようにわかった。だが何に苛立っているのか……見当もつかない。


(あ……そうか)


 言葉の通り、エトワールが死にそうだというのにのんびり会談しているのが気に入らないのだろう。


(確かに、自分を庇って怪我を負った女性が死にそうなのに、自分に近しい婚約者が他の男性と楽しそうにしていたら腹も立つでしょうね)


 だが自分たちは契約上の関係なのだ。心配はしているが……かといって、彼と彼の恋人予定の二人に気を使ってお通夜状態でいろというのも……オカシナ話だ。


「ここで何をしている」


 地を這うような……ごろごろと鳴り響く雷鳴のような不穏な声音で言われ、リディアは背中に冷たいものを感じながらも肩を竦めてみせた。



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