最初の記憶
私の最初の記憶は病院のベッド。
それから死んでしまったお父さんとお母さんだったと思われるものが安置所に置いてあった。
葬儀が行われて、引き取り手が無いまま私は児童養護施設に預けられる。
両親が最近まで存命だったからこそある私の名字と名前。
紫雲美希
美しい希望を持てる人生ならさぞ幸せだっただろう。
この北町の施設には全部で十名ほどと少ないながら児童が在所している。
中学を卒業するまでは面倒を見てもらえるけれど、高校に行かず中学を卒業したらその月末までには出なければならない。
私には両親がいないから高校だって大学だって難しいだろう。
だから最初から中学を卒業して手に職を持てる仕事に就く。小学生も高学年に差し掛かるころにはそう思っていた。
施設では何でもした。
家事を覚えるために職員さんの仕事を見て、分からなければ分かるまで聞いて、裁縫だって料理だってそうやって覚えた。
「美希ちゃんは何でも出来て凄いわね」
職員さんにいつも言われる。
料理も調理師さんが来たら一所懸命に教わって覚えて、誰よりも美味しく作れるようになった。
レパートリーもたくさん増やしたし、職員さんが栄養士さんに教わってくる献立表に合わせて料理を作ることだって出来る。
中学に上がる頃には頼れるお姉さんとして施設で慕われていた。
施設育ちの私は、学校では孤独だった。
施設育ちというだけで保護者は忌避し、子どもに関わらないようにと注意を促す。
それでも、施設に帰れば年上だろうと年下だろうと構わず面倒を見てご飯を作ってあげて、服を直してあげて、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
地域の行事では施設の名で出し物を出したり老人や子どもたちと交流を持つから笑顔を振り撒いてあれこれと手をかけているうちに北町の聖女様だなんて恥ずかしい二つ名で呼ばれ始めた。
私には両親が居ない。
後見人も居ないから代理人として弁護士さんがついてくれている。
中学生も三年になれば進路というものが決めなければならない。
進学を選べばお金が必要になる。代理人に申し出たらお金だって使えるけど自由にと言うほどではない。それに施設はいつまでも居られるわけじゃない。
「私はお金がそれほど自由になりませんから、就職先を探そうと思ってます」
進路相談で先生に進路希望の面談をすると私は言った。
「それはそうだけど紫雲さん、学年一位ですから推薦枠を使えば特待生として格安で通える高校もありますけど」
「それでもお金がかかると思いますので、私は就職をしたいんです」
先生は残念がるけれど、両親が残した遺産が自由になる成人まで未だ五年もあるし、それまでは自由にならないお金をアテにしなければならないから、高校生になって代理人や施設の方々にお世話になり続けるのは、どことなく憚られる。
私は施設で唯一の親なしだ。
他の子はネグレクトだったり貧困だったりといった理由で預けているけれど私は居場所がないからここにいる。
彼らの戸籍は私と違って他にも人が居るんだ。私には頼れる人間と言うのは居なくて、もし頼れたとしても限定的でしかない。
働いて自分でお金を稼げば、そのお金は私の自由だ。だから働く。そう決断した。
秋になり、私は仕事を探す。
ハロワに行って中卒でも働けるところを職員さんに聞き出す。
なかなか良い求人はない。
やりたいことは特にない。出来ることで良い。ただ一つ、手に職を持てるもの。
そうした希望を伝えるけれど、そういったものは見つかりにくいものだ。
そこで私は市内の商店街を見て回って何でも良いから探すことにする。
北町にある商店街。西町の商店街。南町の商店街。中町アーケード街。そして、東町商店街。
お金が無いから学校が休みになると時間の限り歩いて探した。
───アシスタント募集!学歴不問。年齢不問。
salon de beauté
シックで落ち着いた雰囲気。それに居心地が良さそうだ。
美容院なんて入ったことが無いけれど、何となく惹かれてドアを開いた。
───カランコロン
ドアを開けると金属や木がぶつかり合って店内に来客を報せる音を出す。
ドアチャイムってやつか。
「いらっしゃい。お嬢ちゃんは始めてかい?予約は入れてある?」
中年のおばさんだけど、とてもキラキラして煌びやかな笑顔を振り撒いている。
「あっ……あのっ……」
予想外に緊張して上手く声が出ない。けど、おばさんの優しい目を見ていると大丈夫だって思えた。
「ドアの貼り紙を見たんです。私、まだ中学生ですけど、卒業したらここで働かせてもらえませんか?」
「ふふふ。知ってた」
綺麗なおばさんが意地悪な笑みを私に向ける。
「ずっと貼り紙見てたもんねぇ。お家の人には言っているのかい?」
「いえ、まだ言ってません。私、施設に住んでて親が居ないんです。就職するとは伝えてありますが、まだ働き先が決まって無くて……」
「あら、そうだったの。じゃあ、ウチで働きたいってことだね?」
「はい!働かせていただけるなら」
「よっし!じゃあ、ウチでお嬢ちゃんを雇ってあげるよ」
「良いんですか?」
「ああ、構わないよ」
おばさんはニコリと微笑んでメモ帳とペンを取りにカウンターに行くと手招きして私を呼んだ。
「学校はどこだい?」
「北町第二中学校です」
「お名前は?」
「紫雲美希です」
「美希ちゃんね。私は戸田歩って名前だよ。好きにお呼び」
「はい。よろしくお願いします。戸田さん」
「あー、戸田さんはダメだね。ここには私の旦那がいるからさー。こんがらがっちゃうなー」
「では、歩さん」
「ん。良いぞ」
おばさん、改め、歩さんは満面の笑みでメモを取った紙をポケットに突っ込んだ。
その仕草はとてもワイルドで男性的だ。
「じゃあ、学校には私の方で連絡をしておいて、職安には指名求人というので出しておくから、念のため履歴書と一緒にここに持ってきておくれ。良いかな?」
「はい!ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
すると、歩さんが私の頭に手を伸ばして唐突に撫でる。
頭を撫でられた記憶は無いけれど、頭を撫でられた覚えはどことなくある。
「あー、あと、ここと私の電話番号を教えておくよ」
歩さんは私に連絡先を手書きしたメモを手渡してくれた。
「何かあったら連絡してくれ。こっちから用事がある時は学校に連絡することにしよう」
「はい。わかりました」
その後は施設に戻って普段の生活に戻った。
それから、歩さんが言った通り学校に連絡が来たしハロワには私への指名求人を頂いたので、履歴書を用意してサロンに行って履歴書を提出してきた。
本当に採用が決まって私は一安心。
年が明けて三月いっぱいで施設を退所することも決まった。
歩さんには夜間に学校に通うことを薦められて、代理人に頼んで学校へ一年間通うことになった。
だから最初の一年間はサロンで働きながら学校で美容のことを習い、その翌年にアシスタントとして本格的に働く。
住まいは歩さんが部屋を貸してくださるということで、最初は遠慮したけど最終的に戸田さん夫妻に甘えることになった。
一人ぼっちだった小学生、中学生と言う学校生活を終えると、私の職場になったサロン・ド・ビューテでは先輩たちに大変お世話になった。
勤務初日はそれはもうイジられて酷い目にあった。
髪を切ってあげるからと閉店後に髪を切られ、ついでにおっぱいを揉まれて「おっきいおっぱい羨ましいなぁー」と女性たちに揶揄われる始末。
おっぱいはともかく、髪の毛を切られて私は印象が変わったらしく、服もエプロンというものを使ってウェストを締めるから胸の下の空間が無くなってスッキリした見た目に変わってた。
ここは男性客も多く、私に声をかけてきた男性たちがそれなりに居て、その度に職場の先輩たちに守ってもらった。
それでも延々としつこく迫ってくる一人の男性のお客様が居たんだけどね。
十六歳になったあたりからしつこく付き纏ってくる彼。
仕事が終わったらいつも店の外で待ち構えてるし、非常に鬱陶しかった。
毎月欠かさず来店して私に話しかけてくるのが一番キツかったなー。
あまりに鬱陶しすぎて歩さんを見習って口癖を少し変えてみた。
高校デビューのヤンキーみたいに。
それでも、彼はめげずに言い寄ってくるし、日が短くなる冬に近づくと私が学校に通うのを送り届けると言って憚らなくなった。
そんな彼のアプローチはしつこくはあるものの一定の距離を保っていてくれて決して恐怖感を感じさせる近さには寄ってこない。
それを歩さんはよく見ていたのか「まあ、本気みたいだから一度くらいはちゃんと話してみたら?案外、良いって思うかも知れないだろ?」と言うので、年が明けてインターンシップが始まるころに彼とデートをしてみることにした。
四月朔日一輝。
そう名乗った彼は私の二倍も歳を取っている男性だった。
結果的に押しに負けて付き合うことになったけど、恋とか好きとかよく分からないまま。
私は仕事を一所懸命にこなして、お付き合いのために時間をひねり出す。
こんな馬鹿げたことに時間を割くのは嫌だ。とそう思う。
ようやっと美容師になれた。
アシスタントと違って給料も上がり、私にお客様が付いた。
こんな私でも気に入ってもらえて指名をくださる女性がいることを私はとても嬉しく感じて、この仕事に例えようのないやり甲斐を感じはじめた矢先だった。
思えばおかしいと思う兆候はたくさんあった。
そして気が付くのも遅かった。
私は身ごもってしまったのだ。
悔しくて泣いた。
歩さんに相談して嘆いた。
「四月朔日さんに話してみたら?まあ、私は意外とお似合いだと思ってたんだよなー。けどさ、子ども産んだらそれで終わりって訳じゃないんだ。産んで落ち着いたら私に連絡しろ。お前の仕事の面倒は見るからさ」
私は美容師を続けたい。
歩さんのアドバイスに従って四月朔日さんに妊娠したことを打ち明けると、とても喜んでくれて結婚を申し込まれる。
けど、私は美容師を続けたい。その事を四月朔日さんに伝えると「俺は君の意思を尊重するよ。やりたいことを束縛したりはしない」と言ってくれたので、結婚は了承することにした。
まー、それからは大変だったな。
四月朔日さんのご両親にはゴミだカスだとめちゃくちゃ言われるし、それを四月朔日さんは怒って絶縁宣言して出ていってしまった。
歩さんに挨拶してもらって、結婚は解消しないけど落ち着いたら職場には帰しますと頭を下げていたのをよく覚えてる。
サロンでは臨月を迎えるまで働いて、お客様の施術をし続けた。
産休を貰って、籍を入れ、私は紫雲から四月朔日へと名字が変わる。
それから生まれてきた子どもには私が和音と名付けた。
旦那となった一輝さんは名付けのセンスが絶望的に悪かったな。
和音が生まれたその日にたくさんの人たちが見に来てくれた。
その中には快く思わない人物が居たりもしたけど、そう関わることのない人物だと高を括ってやり過ごす。
絶縁したはずの一輝さんの両親や一輝さんの友人で家の設計を手伝ってくれた白下さんの奥様、この人たちは特に酷かった。
白下さんは一輝さんの幼馴染で親友だから仕方ないにしろ、白下さんの奥様には関わらないことにしよう。心に誓った。
それからは子育てに悪戦苦闘だった。
私には親が居ない。
歩さんに相談をしようにも歩さんは子育ての経験がない。
だから何とか一人で頑張った。
まあ、施設で下の子達の面倒を甲斐甲斐しく見ていたからその経験はとても活きたけど。
産休という形であれ、サロンを休み、ずっと気にかけていた。
歩さんとは連絡を取り合っていて、というか、歩さんは事あるごとに電話をくれるし、家にも来てくれる。
そんな歩さんは、腱鞘炎の状態が芳しくなく、ハサミをあまり持てない日々が続いているのだとか。
五十歳を迎えた歩さんは東町商店街の客足が鈍りつつあったころにサロンを店に残った美容師に任せて療養すると言い出した。
その後の行動は早くて自宅の一室を美容室に改装したものの腱鞘炎の状況次第でということで開店は見送っている。
歩さんの美容院、サロン・ド・ビューテは譲渡して、店名を変えてしばらくの間営業を続けていた。
ようやっと息子を南町幼稚園に通わせることになる。
あーだこーだと言い合いながら和音の制服を合わせて写真を撮って、入園式では三人で写真を撮った。
まあ、これが親子三人で撮った最期の写真になったんだが。
和音が入園して程なく、パパがあまりの不調で病院に行ったところ、大病を患っていることがわかった。
それからは入院生活を余儀なくされる。
私は和音が幼稚園に行っている間に歩さんにパパが病気だと打ち明けたら働く場所がないと大変だろと戸田夫妻の自宅に作ったサロンを開いてそこで私が働くことになった。
ここは幼稚園から近いし、和音が通うことになる小学校からもそう遠くない。
立地的にはこの上ない場所だった。
戸田美容院と名付けたこのサロンは新しく開いたにも関わらず多くのお客様が来てくださった。
もともとは歩さんの顧客だったり、私の名を聞いて伺ってくれた人もいた。
新装開店のお店だから最初は厳しいかと思っていたけど、そうでもなかった。
営業時間は十時から十九時まで。美容師は私と歩さん、それと歩さんの旦那さんの泰介さん。
歩さんは腱鞘炎で調子の良いときしかハサミを持たない。泰介さんも似たようなものだけど。
それでも慎ましく営業して生活を送る分には十分すぎるほどの利益を得て、給料も主婦のパートとは思えないほどの金額を貰った。
それでも貯金を切り崩しながらの生活で贅沢には結びつくことはない。
それからは和音の送迎、旦那の世話、仕事の日々。
朝、和音を幼稚園に送り出す。その後に旦那が入院する病院に行く。そして仕事。
昼過ぎになると和音を迎えに行き、戸田美容院に一緒に帰る。
戸田美容院に連れ帰った和音は、昔、私が使っていた部屋で遊んだり、和音がサロンで私や歩さん、泰介さんの仕事をお利口さんにして見学していたり手のかからない良い子にしていた。
サロンが終わったら、いつも戸田夫妻と一緒に四人で食事をして、それから家に帰って、和音と一緒に風呂に入って一緒に寝る。
この頃、和音をとっても慕う可愛らしい女の子が居たな。
白下陽那。
憎らしいことにあの母親の娘だ。白下さんの奥様の多香子さんは私が迎えに行く時間に良く出会して、その度にグチグチ言うのが心底ウザかった。
この奥さん。卒園の頃にはとても派手な印象を振り撒いていて正直、近付くな危険っていうオーラを放ってた。
陽那は陽那で和音にべったりくっついて離れないし、和音が鬱陶しがって離れても近くで和音をずっと見てる。
私はこの娘の将来が不安になった。
この頃に切り崩していた貯金は旦那のお金じゃなく、私の両親が残した遺産を使ってた。
存在は覚えているのに顔を一切思い出せない両親が残した遺産の総額を知った時にはそれはもうドン引き。
成人扱いになった私は、それを自由に扱えて、それでも手を付けずにいたけど、旦那の入院費用なんかに充てるのに少しずつそこから使うことにした。
ただ、今後のことを考えると、あまり使いたくはない。和音が大学に進学したり結婚するときにここから使おうと考えていたからだ。
和音が小学校に入学する。
入学式は私が全部一人で準備をして式で着る子供のスーツも全部揃えてさ。
私と和音が写った写真をパパに送った。
もうこのころにはパパは動く元気が無く、余命だって一年もないって言われてた。
ただ目を細めて写真を見るだけで、涙を浮かべて幸せそうに笑う。
見てるだけで切なくなった。なんでこんなことになったのかって未だに思う。
そして、和音が小学生になって最初の連休を待つこと無く、パパは旅立った。
いろんな手続きが矢継ぎ早で悲しむ暇を与えてくれない。
和音なんか何が起きてるのかさっぱりって顔してて、昔の私を思い出させる。
和音からしてみたら病院で寝ている顔を知らないおじさんが居なくなったくらいの認識なんじゃないか。
物心がついた頃にはもう病室のベッドで酸素マスク付けてたんだ。
顔だって満足に見ていない。
写真でパパだってわかるかな?
私は結婚した後に実家に入って初めて私の小さい頃の写真を見た。
そこには私の父と母と私が写った何枚もの写真が残ってた。
和音にはパパとの写真、どのくらい残せたかな。
それなのにさ。ずけずけとやってきた一輝の両親。
「この家は一輝のものだ。お前にはやらんッ!」
「一輝が私たちに残したものなの!あなたみたいなゴミカスにはくれてやらない」
仮にも自分たちの孫の前でそれかよ。
くっだらねー。
私は代理人としてお世話になってた弁護士に頼んでこの人たちをどうにかしようと思っていたら、パパが弁護士に遺言を預けてあったらしく、その遺言を元に対処してくださった。
私は四月朔日から旧姓の紫雲に名字を戻した。
一人息子も四月朔日和音から紫雲和音になった。
そうしてようやっと落ち着いたらさ。
急に泣けてくるのな。
そんなに好きじゃないのに付き合って。そんなに好きじゃないのにセックスして。そんなに好きじゃないまま子どもが出来て結婚して。
でも、世話を焼くのは嫌いじゃなかったし、私の料理だって美味い美味いと幸せそうに食べてくれた。
和音の面倒だってよく見てくれてたし、良く遊んでくれていた。
残念なことに和音の記憶にそれが残っているかは怪しいもんだけど。
愛してたんだな。
胸の中にぽっかりと空いた大きな穴は、どれだけ泣いても埋まらない。
それでも、和音は私が居ないと生きていけないんだ。
私みたいに施設育ちにはしたくない。
こっから私と和音の二人三脚の人生が始まった。




