まったくわかってないなー
日ごとに寒さが身にしみる頃となってまいりました。
明日は勤労感謝の日。
そして、今日はマラソン大会。
午前の四時間を使って行われるこの行事は東高の生徒全員が一斉に同じ距離を走る。
走行距離にしておよそ二十一キロメートル。フルマラソンの半分。ハーフマラソンだ。
去年は理由をつけて休んでいたから今年も走らないで良いよね?と思っていた。
「ウチ、ちょっと生理が重くて走りきれそうにないから棄権するわ」
「ボクは行けるから和音先輩、一緒に走ろうね」
依莉愛は学校で待機して、俺は柚咲乃と一緒に走ることになった。
「俺、運動音痴だからそんなに走れないけど良いの?」
「マラソン大会ってそういうんじゃないから良いでしょ。歩いたって四時間あれば余裕で帰ってこれるしさ」
速歩きした場合ってことだよね?
普段から運動しない俺なんだけど?
制限時間内に完走できんのか?
そんな不安を他所に俺は柚咲乃に手を引かれてスタートラインに並ばされてスターターピストルの音がグラウンドに響いた。
「和音先輩、ゆっくりで良いからね。ゆっくりで!おーけー?」
「わかってるよ。俺普段運動してないからちょっと走っただけで死んじゃうから」
柚咲乃はずっと速いペースで走れるのにずっと遅い俺に付き合ってくれる。
「ボクは先輩を置いていかないよ。倒れたって立ち上がるまで待つよ」
そういう柚咲乃に申し訳ないので、少しだけでも頑張って走ってる。
「やー、実は今日、すっごく楽しみだったんだよねー」
はっはっと小気味良く息を吐きながら隣を走る柚咲乃が言う。
「どうして?」
ぜえぜえと息を切らして走るのが俺だ。
「だって、全校生徒が一斉に走るこのマラソン大会だけが和音先輩の隣で過ごせる唯一の学校行事なんだよ」
「そう言えばそうだな」
「そうだよ。他の行事は学年別だったりクラス別だからね。だからボク、絶対に和音先輩の隣を走るって決めてたんだ」
「考えてみたらそうだね。純粋に一緒にできる学校行事ってマラソン大会だけか」
「でしょ?それに写真撮ってもらえたら和音先輩との想い出を残せるしねー」
俺は歩くよりも少しだけ早くてジョギングよりもずっと遅いペースで走る。
そんなクソ遅いペースに付き合ってくれている柚咲乃。
通り過ぎるセイヨウヒイラギの生け垣に真っ赤な実がついているのを見る。
「ボクの名字と同じだよね。柊。ま、セイヨウヒイラギとはちょっと違うかもだけどさ」
「そう言えばそうだね」
「ん。ヒイラギってクリスマスリースに使われるらしくてお姉ちゃんが今めっちゃ頑張って作ってるんだよ」
「あー、そう言えば少し前に実弥さんと買い物に行った時に何か言ってたな」
クリスマスリースをサロンに飾るだったっけな。
「それでかー」
「たぶんそれだな」
「てか、お姉ちゃんとデートしたの?お買い物デート!」
「え、んー。デートって言うならそうかも知れないけど、修学旅行期間中の定休日に実弥さんの車で行ったんだよ」
「ふーん。そっかー……。へーー……そうだんだぁ……」
タッタッタッタッと小気味良い足音を鳴らして柚咲乃は走る。
ゆっくり過ぎる俺のペースに合わせてくれている。
「デートって言ったって、ホムセンとショッピングモールで買い物に付き合っただけだよ」
って、何で俺は浮気した言い訳みたいなことを言わなければならないのか。
柚咲乃とはそういう関係だったか?違うよな?どうも解せん……。
「まあ、聞きたいのは言い訳じみた話じゃないけどさ」
小さく声にして口を尖らせる柚咲乃は言葉を続ける。
「いーや、ボクも悪いよね。彼氏の浮気を責めてるヤンデレ女子みたいで自分が超カッコ悪い……ごめんね」
「そうだよなー。俺もカッコ悪かったよ。浮気の言い訳をするダサいおっさんみたいだった。ごめん」
タンタンタンタンと鳴る柚咲乃の足音。
ダッダッダッダッと鈍い音の俺の足音。
「なんで、ボク。こんなに焦ってるみたいになってるんだろ……」
風に消えそうな小さな声で柚咲乃が独り言ちる。
一瞬、地面を見た柚咲乃が真っ直ぐに向き直して俺に訊いた。
「ところで和音先輩って彼女を作ったりしないの?」
急にぶっこんできたな。
とはいえ、気になるんだろう。
柚咲乃のその言葉をきっかけに俺と柚咲乃はたくさんの言葉を交えた。
「今のところは自分のことで精一杯だよ。ずっと長いこといじめられっ子で恋愛っていうものがどういうものなのかイマイチ理解できないんだよね」
「和音先輩の言う恋愛ってのは異性を好きって気持ち?」
「うん。たぶんそうなのかな……。憧れみたいな気持ちは持ったりしたけど、後夜祭で見たカップルみたいなのはちょっとまだわからないんだよ」
「へー。あんときってボクと依莉愛先輩がガーッて話してたけど、聞いてたでしょ?それについてはどう思った?」
「正直、キスやセックスはシてみたいと思うし想像だって妄想だってする。俺も男だからね。でも今は、そういう事をするために好き合って付き合うっていうことが俺には難しいっていうかハードルが高いんだよ」
「ボクや依莉愛先輩とはやっぱ違うんだね」
「そりゃあ、そうだろ。男女差ってあるんじゃないの?」
「でも、ボクだって想像したり妄想はする。きっと依莉愛先輩も同じ。お姉ちゃんみたいに行動に移せる勇気も甲斐性もまだ持ててないだけかなー」
「実弥さんは特別っていうか、ああいう人だから……きっと俺とセックスしたとしても、付き合いたいって言わないし責任を取るから付き合うって言われても断られると思うんだよね」
「んー……お姉ちゃんのそれは何となくわかる。だけど、ボクは和音先輩のことが大好きだし一緒に居たいけど今はまだその時じゃないって思っちゃうんだよね」
「そういうのは俺にはよく分からないからなー」
「そこは分かってもらわなくたって良いところだからさ。それに今は今で居心地が良いっていうか、依莉愛先輩と一緒に居るのも楽しくてね。依莉愛先輩ほど楽しくお話できる同性の友達って今まで居なかったからさ」
「依莉愛のことを大事にしたいんだろ?何となく分かるよ」
「いーや、違うッ!依莉愛先輩のこともだよ。まったくわかってないなー。ボクの一番は和音先輩だけだからッ!」
「柚咲乃にそんなに好かれてて俺は嬉しいよ。返す気持ちがまだ見付けられないのが残念だけどさ」
「もし今、和音先輩に好きって言われてもボクも応えてあげられるほどのものがないんだよね。だからお互い様ってことで」
「そうだな」
「ボクは今の和音先輩と依莉愛先輩とボクっていうこの関係をとても好ましく思ってるよ。ボクが三年生になったらどうしようって思うくらいに」
「その時はサロンに来れば良いよ。その頃には俺は美容師になってるからさ。帰りは実弥さんと一緒で良いだろうし、受験勉強を教えることくらいはできるかもしれないしさ」
「それもそうだね。とは言ってもさー。ボク、和音先輩と依莉愛先輩と修学旅行には行きたかったなー。学年が違うのが本当に残念ス……」
そうして話し込んでいたらいつの間にか折り返し地点。
お、一時間ちょいでここまで来れたか。
水分を補給して復路を走る。
柚咲乃は相変わらず俺のペースに合わせてくれていた。
「やー、和音先輩ってさ。炭水化物を過剰に摂らないし、脂身なんかの脂質の高いもの食べないよね」
また、ゆったりしたペースで小気味良く良い足音を鳴らす柚咲乃。
「それがどうかしたの?」
「いやさ、食事って大切なんだなって和音先輩と一緒に走って思ったんだよね」
「そう?何で?」
「和音先輩ってたしかにペースがゆっくりなんだけど、ペースが全く落ちてないじゃん?それで逆に凄いなって思い始めてたところだよ」
「そうかな?」
「ん。間違いなく。ボク、バスケしてたからね。ガチでスポーツをするなら食事にも気を使えって中学の時の顧問の先生に言われたことがあってさ」
「あー……そういうのじゃなくて、俺の食事は母さんに合わせてるだけだよ」
「それが良いんじゃないかなー。炭水化物は少ないかもって思うけど、脂身とかいつもお弁当にないし鶏肉も胸かささみだったしさ。脂質が少なくて良いメニューなんだよね」
食事に関してはネットで調べたり、本を買ったりしてだいぶ研究したからな……。
最初は朝がつらそうだったから何気なく「晩ご飯を少し軽めにしたらどう?」っていう提案で今の食生活が始まった。
それから消化に良いものやバテにくい食事なんかを調べてる内にアンチエイジングのためだったり、立ち仕事でもキツくなりすぎないメニューとか色々調べて試してみたんだよね。
「そういうもんなのか……」
まあ、良く分からない。
折り返し地点で貰ったペットボトルのキャップを開けて水を飲み始めた。
俺と柚咲乃がゴールしたのはスタートしてから三時間弱。
まあまあのペースだったかも知れない。
俺に合わせてくれていた柚咲乃が何故か俺の隣で伸びていた。
「やー、最後、めっちゃキツかった……」
「俺もキツかったよ」
「でもさー、ペース落ちないじゃんね?和音先輩は男子で、ボクは女子だよ。いくら女子では速いって言ってもさー。男子と比べるには限度があったよ……男子の遅いを舐めてました……」
寝そべってはあはあと大きく呼吸を繰り返して胸を上下する。
「やー、でも、和音先輩と走れて良かった。楽しかったよ。本当に」
俺と柚咲乃で話していたら後ろから涼やかな声が耳元を擽る。
「おかえりなさい」
依莉愛だ。
俺と柚咲乃が依莉愛のほうを見ると乾いているタオルを俺と柚咲乃に手渡してくれた。
「ただいまス」
「ただいま」
俺と柚咲乃はタオルを受け取って汗を拭く。
「思ってたよりずっと速くてビビる」
と、依莉愛が言えば──。
「あ゛ー、予想外に和音先輩がいいペース過ぎて最後ガチでしんどかったぁ……」
と、柚咲乃が返す。
「でも頑張ったんでしょ?どうだった?」
「んー。こういうデートもアリかなーって、ボクは思いました」
ニヒッと屈託ない笑顔を依莉愛に向けて柚咲乃は言った。
それから、依莉愛と柚咲乃が延々と話しだす。
まあ、いつものことだ。




