セカンド・キス
それから少し日が経って月を跨いだ。
salon de beauté
いつも通りに学校が終わってサロンに行くとフロアにはカットをしている三人の女性が忙しなく働いていた。
三人?
「おはようございます!」
着替えて直ぐに俺もフロアに出た。
母さん、聖愛さん。
それに二年ぶりに見る実弥さん。
最後に一緒に過ごしたのは忘れもしない見送りの時。
強烈な置き土産をこの人は置いていったのだ。
実弥さんは中背で髪を長くしているけれど後ろで束ねてくるっと丸めている。
一部を除いて全体的にほっそりしていて、大きな胸とお尻が特徴的な女性だ。
顔の作りは柚咲乃にそっくりだけど、スラッとして少年っぽい柚咲乃と比べて、女性らしい印象を与える。
これは俺が知る小さい頃、彼女が小学生くらいのときから変わらない。
衣服も女性らしいものを好んでいて、中性的な服装を好む柚咲乃とは反対とも言える。
テキパキと働く彼女は可憐で、明るい印象を与える笑顔は可愛らしい。
普通で健康的な人当たりの良い聖愛さん、それに、世が世なら傾国の美女と呼ばれても不思議ではない長身で類稀なプロポーションを誇る母さん。そして、実弥さん。
このお店、大変に眼福である。
そんな実弥さんとの再会を喜ぶ暇はなく、客足が絶えないサロン・ド・ビューテは閉店まで四人が動き続けた。
「あッ!!アイくぅーーんッ!」
閉店作業を終え、時間が空いた途端に実弥さんは俺に抱き着いてきた。
以前よりも大きくなった胸の圧迫感で俺の胸が痛苦しい。
「みっ……」
実弥さんッ!と言おうとしたけど、俺の言葉よりも早く、実弥さんの腕が俺の首に伸びてくると、そのまま抱き寄せられて唇を塞がれた。
「んっちゅうーーーッ♡」
そして力強く割り込んでくる舌。
「るっれろぉーーーッ♡」
ジュルジュルと音を立てて口の中から唾液が絡め取られる。
ガッチリ腕を回されて俺は身動きが取れないまま抵抗すらも諦めた。
数分。
「ぷっはあーーーッ♡」
唇から唾液の糸が引いて顔が離れていく。
俺はホッとして、実弥さんは息を大きく吸い込んでから俺の顔を見上げている。
その様子を聖愛さんがあんぐりと口を開けて見ていた。
「久しぶり!ただいま!」
そう言って今度は腰に手を巻き付けて俺を抱きしめる。
「お、おかえり。実弥……さん」
俺はおずおずと声を出し、実弥さんは俺の胸を頬でスリスリと擦り付ける。
「まー、ほどほどにな」
横から母さんが実弥さんに言った。
「むぅーーッ!」
更にその横では聖愛さんが面白くない顔をしている。
「実弥、和音には挨拶をしてないよな?一応、職場だからな。挨拶くらいはしてくれ」
母さんは呆れ顔で実弥さんに言った。
実弥さんは改まって俺と向き合いお辞儀をする。
「今日からお世話になります。柊実弥です。よろしくお願いします」
実弥さんは二度、頭を下げた。
「よろしくお願いします。……ってか、実弥さん、ここで働くんですか?」
俺がそう訊くと母さんが答える。
「そうだよ。先週、日本に帰ってきてさ。それで香苗さんから実弥の働き口を紹介して欲しいって言われてウチに引き込んだんだよ」
母さんは実弥さんの肩に手をポンと置いて言う。
「あの、ところで実弥さんと和音くんって……」
横から恐る恐ると言った表情で聖愛さんが尋ねる。
「恋人ではないから心配なさらずに」
実弥さんがニンマリとした笑顔を聖愛に向けて答えたが、更に言葉を続ける。
「けど、わたしとアイくんはファースト・キスの相手同士で、この様子だとセカンド・キスの相手もお互いに同じみたいね」
勝ち誇って口端を釣り上げてたわわな胸を張る。
「こっ!恋人じゃないのにあんなキスを!?しっ……しかも人前で?」
聖愛さんが声を荒らげるが目線は実弥さんのおっぱいに釘付けだ。
ちなみに俺の人生で初めてのキスは成●空港のロビーで、しかもその時も舌を捩じ込まれた。
「ファースト・キスだって人目を憚らなかったものね。アイくん覚えてる?」
そう言って実弥さんは人差し指の先を下唇に添えて目線を俺に向ける。
今だって昨日の出来事と違わず思い出せるさ。蕩けたキャラメルみたいな感触と甘ったるい味。咽返る甘い芳香と赤い頬の実弥さんの顔。
味に関してはきっと甘いものを食べた後だろうけれど、衝撃的ではあったからね。
「そりゃ、まあ、覚えてるけどさー……」
俺がバツ悪く答えると実弥さんが俺の胸元に身体を寄せて背伸びする。
「二年前は背を伸ばさなくても良かったのに今は背伸びしても届かないのね。背が伸びたわね」
眩しそうに目を細めると実弥さんは今度はキス顔を向けて俺からのキスをねだっているらしい。
いや、しないから。
実弥さんの背は留学前と変わっていなければ百五十六センチメートル。
俺は中三の身体測定時は百六十センチメートルと少しくらいだった覚えがある。
俺の背は家に帰れば母さんが俺の成長の記録を持っているはずだ。
二年前なら背伸びをしなくても届いていたから突然のキスも俺は何の抵抗も出来ずにされるがまま。
首に腕を回されてがっちりとホールディングされて引き剥がすこともできなかった。それははっきりと覚えてる。
「これじゃあ、届かないものね……。男の子の成長って早いわ」
うっとりした顔の実弥さんを見て「確かに今年の春から比べると和音くんの背、伸びたよね」と聖愛さんが寄ってくる。
聖愛さんに気が付いた実弥さんが身体を俺の半身に密着させるとその大きな果実が俺に押し付けられて形を変える。
その横で俺の腕に巻き付く聖愛さんは程よい大きさの双丘の谷間を押し当てている。
言い得て両手に花。
だが、健全な高校生男子ならこれは天国であり、毒でもある。
それに俺は未成年。大人のふたりには自重してもらいたいものだ。
「い、いや、もうやめよう?ね?キミたち大人でしょう?俺、まだ子どもだからさ」
二人の肩を押して距離を取った。
「ちょっとくらい良いじゃない?二年ぶりなんだよ」
俺の肩に手を置いてそれを支えにつま先立ちする実弥さんは俺の耳元で聖愛さんに聞かせる音量で囁く。
耳に生温かい吐息がかかって肌がざわついた。
囁き声の語尾を発すると、実弥さんは横目で聖愛さんを見てニヤける、
それを見た聖愛さんも何故か対抗意識を丸出しにして──、
「あ、あたしだって」
と、俺の背中に胸を押し当てて耳に口元を近付けている。
それをジーッと見ている意地の悪い顔の母さんが「くくくくく……」と笑いを堪えていた。
「くっくっくっくっくっ……いやあ、和音……くっくっくっ……彼氏にしちゃいけない3Bってこういうやつのことを言うんだよなぁー、おぃ!」
母さんは最後に「あははははは」と腹を抱えてでかい声で笑う。
「なぁなぁ、お前ら、そんなに欲しいならくれてやるぞ!どっちかが童貞貰ってくれりゃ和音も箔が付くだろ。なあ!そう思うだろ?」
おいッ!親ァッ!と思ったりもするけども、母さんはこういう時はいつも女の子に俺を売ってしまうんだ。
そんな母さんを前に二人は我に返って顔を朱色に染めて顔を逸らす。
二人ともいい大人とは言え、多少は恥じらいというものがあったらしい。
「あんまり遅くなっても明日に響くからそろそろ行くか」
実弥さんと聖愛さんが落ち着いた時宜を見計らって母さんが彼女たちに声をかけた。
「和音は悪いけど今日はタクシーで帰ってくれ」
今日は実弥さんが初日だったから飲みに行くんだとさ。俺はここでお役御免。
四人でサロンの戸締まりをして俺は女性三人を別れてタクシーに乗って家に帰った。
実弥さん、こと、柊実弥。
昔はお姉ちゃんと呼んで懐いていた覚えがある。高学年になる頃から実弥さんと呼び始めた。
その時は何だかめちゃくちゃ嫌な顔されたし、今も実弥さんと呼ばれるのを嫌がっているフシがある。
実弥さんは俺と一緒に戸田美容院で歩叔母さんに色んなことを学んだ仲だ。
実弥さんや柚咲乃のお母さんの香苗さんが来なくても、時間があれば戸田美容院に俺が居れば独りでもやってきて俺と一緒にカットやセットの練習や着付けを教わった。
着付けも一緒に練習し合ったし、お互いの身体の隅々まで見知った健全な幼馴染。歳は離れているけど、柚咲乃の姉だし、柚咲乃だって幼馴染だ。
実弥さんは歳が離れていても俺のことが好きだと訴えて憚らない。それも異性として好きだといつも伝えてくる。
人目を憚らずに抱き付くし、海外留学の見送りに行った二年前は空港で「二年分だから」と濃厚過ぎるキスをされた。
「好き」「大好き」「愛してる」「アイくんとずっと一緒」
いつもそういう割に返答に困る俺に「付き合いたいとかそういうのは考えてないのよね」と最後に言う。
美容師として働き始めてから一層その傾向が強くなった。でも、それはきっと、大人と子どもと言う年の差を気にしてのことだろうと俺は思ってる。
俺が高校に通いながら専門学校の通信教育を受けているのは実弥さんの影響だ。
実弥さんには言っていないけど、実弥さんと同じ高校に通って実弥さんと同じ専門学校の同じ通信教育を受けている。
実弥さんが母さんに憧れて美容師を目指したけれど、俺は母さんを助けたくて美容師になりたい。
その道標を見せてくれた実弥さんを追いかけてる。きっと柚咲乃から見ても、そう見えてるんじゃないかな。
まあ、何にせよ、だ。
実弥さんは好きを隠さないし、母さんは面白がって女の子たちをけしかけてるし、今日はなんか聖愛さんまでバグってた。
その所為で今日は練習できなかったしな。俺の安寧はどこに行ったんだろう。
ついこないだまでイジメに遭っていてどこにいってもボッチで陰キャにしか見えなかったはずなのに。
極端過ぎるよ。
とは言え、学校で俺に関わる人間は柚咲乃と一条さんの二人だけ。
学校生活は前より良くなったし、仕事だって実弥さんが来てくれたから俺が着付けをする必要もなくなっていくだろう。
こうして色んなことが上手く回っていけば良いのにと思いながら机に向かって勉強を始めた。




