ヤブ医者に行く
母に対してなんだか言葉では言い表せない気持ちになった。
あんなに歳をとったのかと、信じたくないような。
どうして気付かなかったのだろうとも。
私って本当に要領が悪くて、どうしようもない娘なのかも。
気落ちしながら家へ帰ると、娘たちが満面の笑みで出迎えてくれた。
見たこともないオモチャを手に持ちながら。
「ママ、おかえりなさい」
ゆまがご機嫌に、魔法のステッキを振り回している。
みゆは見たこともないキラキラしたドレスを着て、ご機嫌に踊っていた。
「ほのかちゃん、おかえりなさい」
義母がニコニコと出迎えてくれるけれども、それどころじゃない。
「あ、あの、お義母さん。これって……」
「んふふふ、可愛い孫へばあばからのプレゼント」
「あの、困ります」
「いいって、いいって、気にしなくって」
そういうことじゃないのだけれど。
むやみやたらに買い与えないでほしいのだけれど。
義母は私の言いたいことに気付かず、娘たちに明日は一緒に公園行くんだもんねと話しかけていた。
「えっ、公園?」
「ばあばと行くの。じいじとバス乗ってくの」
「明日、近所の公園で花まつりがあるのよ。出店とかでるし、キッズコーナーなんてものがあって、ほら。ボールプールっていうのあるらしいから、連れていってくるわ」
呆気にとられてる私に、義母は気にしなくていいからねと再度言った。
「こういう時はお互い様だもの。介護ってねぇ、最初は色々手続きするものだから、大変だけどね。それが終わっちゃえば、なんとかなるから。ほのかちゃん、しっかりとお母さんのこと支えてあげてね」
「えっと」
「明日もおばあさんのところへ行くんでしょ? 退院する日決まったら、その日も孫の面倒見に来るから、遠慮なく言ってちょうだいね」
本当に気にしないでと、義母は笑っている。
勝手に予定を決められた私は、引き攣りつつも愛想笑いを浮かべるしかできなかった。
義母が帰った後で。
夫が帰宅して、さっそくオモチャを見つけた。
買ってもらってよかったなと、呑気に笑っているけどそうじゃない。
「お義母さんに言ってよ、ケーキとかオモチャとか服とか、勝手に買わないでって」
「そうは言っても、孫には何かしらあげたくなるんじゃないのか?」
「それでも!」
「まあまあ、面倒見てくれてるんだから。今回は大目に見て、な?」
いつもこう。義母の行動に対して、夫はなあなあで済ませようとするのだから。
「母さん、ほのかのこと好きなんだよ。いつもちゃんと話聞いてあげてるだろ」
「聞かされてるんです!」
私だって話を切り上げたい時だってあるの。
「看護師の時も同じようなこと言ってなかった?」
「だってあれは、患者さんがずっと話してるから……」
夫はまあまあと穏やかな声で言った。
「ほのかなら話を聞いてくれるっていう安心感があるんだって。信頼される、いいことじゃないか」
うまく丸め込もうとしているな。
「話を聞いてるだけで仕事になるわけないもの。看護師時代、それで先輩に怒られたの覚えてるでしょ」
話を聞いてお金がもらえるわけないと、先輩から散々言われたのだ。
あれは確か、入院したばかりで不安がっていた高齢者のおばあさんの話を、夜勤中に三時間くらい聞いていた時だったかな。
朝の点滴と経管栄養の準備が遅れて、同じ夜勤に入っていた先輩にガチギレされた。
「でもそのおばあさん、次の日からは朝まで寝るようになったって言ってただろう。ほのかのおかげじゃない?」
「私の時にたまたま起きてただけだって。適当にあしらって業務を進めるようにならなきゃって、同期からも言われたんだから」
あのおばあさん。本当に次の日からはめちゃくちゃ寝てた。朝まで寝てた。
後で記録を読んだら、問題行動なんて、私が夜勤に入った時だけだった。本当になんで。
私が顔を思い切り顰めるもんだからか、夫は話を変えてくる。
「そういえば、明日はおばあさんのところへ行くんだろ?」
「強制的にそういう予定にされましたけどね」
苛立ちながら答えると、夫はあははと笑っている。あははじゃない。
「まあいいじゃん、おばあさんのこと心配だったんだろ? ゆっくり会ってくればいいじゃないか。面会中止で様子がわからないって、この前は怒ってたじゃないか」
「それはそうだけど」
病院とかはすぐに面会中止になる。
看護師をしていたから、理由はわかる。感染症が流行ると、外部の人間の出入りを制限する。
看護師時代は、咳をするだけで先輩から睨まれたものだ。
昔のことは思い出さないようにしようと、私は必死に首を振った。
「おばあさんが入院してる病院ってどこだっけ?」
「薮総合医療病院だよ」
「……すごい名前だね」
「よく言われる」
私の実家の近所にある、一番大きな総合病院。通称ヤブ医者。腕は確かだっていう話と、その名の通りヤブ医者だっていう話と、両方ある病院だったりする。
昔からある病院なんだよなぁ。
院長の薮先生は、HPとかパンフレットに写真載ってるけど、ものすごく胡散臭い笑顔なんだよな。
実家の近隣の住民は、基本的にあの病院へ行くので、祖母も入院したのだろうけど。
「色々と心配になる……」
「だったら尚更、ちゃんと面会してきなよ、ね?」
「うん」
***
お昼過ぎ、私は薮総合病院へ来ていた。
実家によると母から差し入れを持っていってと言われて、紙袋を渡されたけど。
なんだかすごく重たい。タッパーが入ってるけど、中身なんだろ。
「おばあちゃん、ほのかが会いにきたよ」
四人部屋で、祖母のベッドの周りにはカーテンが閉められていた。声をかけるが、祖母の返事はない。
カーテンを開けてみると、ベッドは無人だった。
「あら、るりさんのご家族の方?」
「あ、はい、孫です」
「るりさんなら、リハビリに行きましたよ。そこ出てすぐのところに、リハビリ室があるのよぉ」
「ありがとうございます」
隣のベッドの人が、親切に教えてくれた。
リハビリって大変だけど、頑張ってるのかな。
入り口に見学自由って書いてあったので、何の気なしにリハビリ室への扉を開けた。
途端、激しい音楽が耳を貫いた。
――そして。
「おばあちゃん!?」
音楽に合わせて、激しく踊る祖母の姿があった。
「ちょっと、何やってるの!?」
私の叫びは、音楽にかき消されて祖母には届かない。
骨を折ったのに、こんなことしてて大丈夫なのだろうか。
というか、リハビリのスタッフはいないのかと、周囲を見渡す。
この部屋にいるのは、祖母の他に一緒に踊ってるギャルっぽい人と、あとニコニコ顔の。
「ホトケさん!?」
「あら、こんにちわぁ。昨日はどうもありがとうございました」
相変わらずの呑気な様子のホトケさんがそこにいた。
耳を擘く音楽の中でも、ホトケさんの声が何故か聞こえている。
「あの、これって、何してるんですか!?」
「ふふふ、リハビリ室でやることって言えば、リハビリですよ」
「いやでもこれって」
「この病院、リハビリに力を入れてらっしゃるから、すごいわよねぇ」
すごいも何も、すごい爆音でダンスミュージック流れてるこの状況。どういうことは教えて欲しい。
「は〜い、今日のダンス終わり〜。るりちゃむ、超マジ、気分も筋肉もアゲ〜って感じ」
「そうかい、そうかい。わたしゃその昔は、祭響ダンスホールのラピスラズリって呼ばれてたんだよ」
「ガチの踊り子じゃん、るりちゃむスゲ〜。それじゃ椅子座って、最後に筋肉とかやわのやわにしてやっし」
ギャルの人と凄く仲良く喋ってるんだけど。
しかもギャルの人は血圧計とか指先につけて酸素飽和度を測る機械を、祖母の手に取り付けている。めちゃくちゃ手際良いけど。えっ、もしかしてこのギャルの人、病院のスタッフだったりするの。
「ああ、この方。るり様をご担当されている理学療法士の希良梨ハナコさんですよ」
私の疑問に答えるべく、ホトケさんが教えてくれた。私に気付いたらしいギャル、もとい希良梨ハナコさんがウィンクしながら挨拶をしてくれた。
「ご紹介に預かりましたぁ、リハ主任のキラ☆リハでっす。気軽にリハちぃって呼んでね〜。るりちゃむのご家族さん? 超マジるりちゃむに似てるねぇ。綺麗系じゃんねぇ」
「あら、ほのか、きてくれたの? どうよ、わたしの動き。これなら介護なんて必要ないでしょう」
ピピっと音がして、血圧計に数値が出た。リハちぃさんが、血圧は大丈夫だからと言って笑ってる。祖母は当たり前だと言って豪語しているものの、肩で息をしていた。
やっぱりリハビリ、激しすぎたんじゃないのかな。
「お、おばあちゃん。本当にこの病院でいいの?」
ギャルのリハビリスタッフが主任とか。ヤブ医者の名前の通りな気がして、不安がのしかかった。
「ホトケさん、ここのリハビリ本当に大丈夫なんですか!?」
「ほほほ、リハちぃさんは優秀な方でしてね、一部の界隈ではゴットハンドって呼ばれてるんですってよ」
「あたしの評価マジ神〜、いえーい。でもさ、薮院長、超胡散臭えじゃん。マジ金のためならなんでもします的な悪役顔800%だから、あたし藪の中のゴッドって言われてるし」
それはすごいのか、すごくないのか。
というかスタッフも薮院長のことを胡散臭いと思ってるの。
本当にこの病院、大丈夫なだろうか。
「るりちゃむの家族の方ならスマホで連携しよぉ〜。そこのQR読み込んで、登録してねぇ。るりちゃむのアゲアゲな写真とか、ばんばん送っちゃうんで」
強引にスマホで登録させられたのだけど。
開いたページには、祖母のリハビリの様子の写真とか、今までの経過とかがこと細やかに報告されている。予想以上に真面目でまともな内容だった。
「やっぱ、家族の人って、どれくらい動けるようになったとか、知りたいじゃん。でも、面会中止だと、不安だしぃ。やっぱスマホで、こういうこと共有するの、ありよりのありっしょ」
リハちぃさんは、スマホの画面を祖母に見せて、この写真良いかもとか話しかけている。祖母は満更でもない顔で頷いていた。
「これなんて、10歳若く見えるっしょ」
「見え透いたおべっかなんていらないよ」
そう言いながらも満更でもない祖母の様子に、私はただたた呆気に取られるだけだった。




