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メリ・メロノート  作者: 星河雷雨


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小説投稿サイトは、砂の巨塔 〈AI小説編 AI小説の是非と可能性〉【文章最後尾に追記あり】

 前回の続きです。前回より緩い感じで書いてます。

 タイトルについてですがね。是非については、もう個人的には答えは出ています。そんなの個人に寄る、ですね。ある人にとっては是。ある人にとっては非。


 現状でもそうなっていますし、そうとしか言いようがありません。使われはじめて、まだ日が浅い技術です。もう少し時間が経ってからでないと、正解らしきものすら出すことはできません。


 それに、是非についてなんて、考え出せばキリがありませんし。良い面も悪い面も、当然ありますし。文学全般の未来についてとか、それが人類に与える影響とか、そんな大層なことまで考えられませんし。


 あ、今思ったんですが。AIって、指示しなければ韻は踏まないのですかね? 私、気を付けないとすぐ韻を踏んでしまうのですが、AIは自然と韻を踏んだ文章を作成することはないのでしょうか。あれば面白いのに。


 何はさておき、一つはっきりと言えることがあるとすれば……個人的には私、AIに対して敵意はありません。AI小説ではなく、AI、なんですが。まあ、大元とも言えますので。


 なんなら、AIと友達になりたいとか密かに思っている、ヤバイ奴です。そんな奴が書いています。さあ、帰るなら今の内ですよ?


 ……帰りませんか? 懐が深い人ですね。


 まあ、友達になるにしても、今のAIではちょっと無理そうですけどね。だって完全なる自我は、まだありませんから。AIが使用される時、そこには必ず、誰かの意志が介在していますから。友達になるとしたら、その誰かに操られているAIということになっちゃいますね。


 何やら話がおかしくなってきましたね……。仕切り直します。


 ええとですね。上記に書いたように、私はAIという技術自体に関しては、結構好意的に見ています。共生の道を望んでいます。憂慮すべき課題は、現時点でかなりあるとは思いますが、それでも人の助けとなる技術だと思っていますし、実際問題、ここまで社会に浸透した技術を排除することは、不可能ですしね。


 ……ですがまあ、AI小説となると、ちょっとだけ話は変わってきます。


 冒頭ですでに結論らしきものを述べましたが、本格的にAI小説の是非について書くとすれば、様々な角度からそれぞれの問題を考察しなければなりません。それをいちいち取り上げるのは相当に面倒くさい作業ですので、今のところの気持ちとしては、気が向いたら個々に書くかもしれないという程度です。


 なのでまあ、是非と言うよりは、今私がAI小説について感じていることなどを、つらつらと文章に認めたいと思います。……あれ? これタイトル詐欺?


 ……いや、それっぽいことはちゃんと書きます。纏まっていないだけです。取り上げた題材に対して実力が伴っていないのだなと、生ぬるい目で見ていただければ幸いです。


 さて。私個人としては、AI小説を書く人も読む人も、否定をするつもりは一切ありません。ですが一読み手としては、AI小説と銘打っている作品を、あえて好んで読みはしないと思います。


 ですが知らずに読んで面白かったら、あとからそれがAI小説だとわかったとしても、普通に星は贈ります。まだその例に当たったことはありませんが、そこは躊躇しないと思います。


 そしてそのことから、分かったことが一つあります。それは、私が作品を評価する場合、その作品を完成させるに至った作者の労力などは、特に考慮していないのだということ。この作品いまいちだったけど、百万文字を超えてるから本当は星四つのところを五つにしておこう、とはなりません。作品の面白さがすべてです。


 ただこれにも例外がありまして、エッセイなどに関しては、私はそれを書くために費やした作者の労力までをも考慮しながら、評価をしています。少々纏まりが悪くても、ちょっと過激なことを言っていても、その分評価を差し引いたりはしますが、そのエッセイから得たものがあれば、星を贈ります。


 多分、求めているものが違うからなのでしょうね。これは後にもう少し詳しく書きますが、エッセイを読む場合、私はそこに、作者の素の体験を求めています。剥き出しの心や感情を求めています。文章の良し悪し、作品の完成度を求めているのではありません。だから評価が緩くなる。


 ですが小説は、作品そのもので勝負をしなければなりません。内容が全てです。文体。ストーリー。キャラの性格。もっと他にもあるのでしょうが、そのすべてが一定の基準を満たさなければ、高評価は得られません(一部、まったく別の基準で評価をする人がいる場合もあります)。


 そのことから、面白いストーリーが読みたいだけなら、美しい文章が読みたいだけなら、人が書いたものだろうと、AIが書いたものだろうと、そこにはこだわらない。という方がいるだろうことも、推測できます(そしてその点に関しては、人が書いたものよりも優秀な作品が、すでに登場している可能性は大いにあります)。


 ただ、読書を通して、誰かの人生を追体験したい。誰かが得た教訓や、成功や、失敗から、何かを学びたい。人にしか書けないだろう、感情の揺らぎ、矛盾、そういった不完全さをこそ、求めている。そう思っている人は、AIではなく、人の書いたものに、価値を見出すのかもしれません。

 

 だって、小説ならまだしも、指示だけ出した上でのAIが書いた体験エッセイ。私だってさすがに、読みたいとは思いませんもん。文章が下手だって、主張や意見に矛盾があったって、だからこそ、そこから読み取れるものもあるのです。なんなら誤字脱字だって、見つけた時にはニンマリする時がありますものね。意図的に誤字を置いておく人も、いないこともないですし。


 まあこの場合の読みたくないというエッセイも、完全にAI任せの作品、に限られるんですがね。そもそも、体験エッセイを指示だけだして、全文AIに書かせる人は、多分いないでしょうが……。


 今後規制が強化される可能性はありますが、それでもAI小説自体は、これからもっと、増えていくことになるのでしょう。そうなるとむしろ、前回書いたように、人の手で書いた小説が貴重になる。なんて事態も、起こりえるかもしれませんね。


 何にせよ。読書に何を求めるのかという、その需要の違いによって、人が書いた小説とAIが書いた小説、上手く棲み分けることができれば良いですよね。

 

 ですが私個人、特に書き手としては、文章をこねくり回すこと自体が好きなので、それを他人(AI)任せには、当分しないと思います。


 私にとって、作品を作ること、文章を書くことは、ジグソーパズルをしている時の感覚と、似ているのですよね。


 ジグソーパズルは、1ピース1ピースを、自分で選び、どの凹凸と合うのか考え、時に間違い、少しずつ、少しずつ、箱に描かれている景色を完成させます。


 小説の創作は、浮かんで来た言葉や映像を、文章やストーリー線上の最適な箇所へと並べて、時に並べ替えて、空白を埋めていって、最終的に全体図を完成させます。


 ジグソーパズルとは、完成までの過程を、楽しむ遊びだと思っています。それをすっ飛ばしてしまったら、やる意味はありません。他人任せにしても、まったく面白くはありません。まあ、パズル全般そうなのでしょうが……。


 この感覚は個人的なものですので、すべての作者がそうとは限りません。ですが、私に限ってはそうなので、だからこそ生成AIには手を出さないことの、今のところの理由にもなっているのです。


 ですが、絶対的に拒否をしているわけではありません。生成AIを使ったことがないので、詳しいことはわかりませんが、AIでの小説作成にも、そういうパズル的要素があるのなら(多分、あるのかもしれませんが)、だとしたら、使ってみるのもやぶさかではないとは思っています。今後絶対に心境の変化がないとは、言い切れませんし。


 それについ最近などは、AIに小説を書いてもらうのもありなのかもな、と思う瞬間もあったくらいです。そしてその時に気付いたことが、AI小説(生成AI)って、視点を変えれば、私たちの力強い味方にもなるのかもなあと、思うに至る切っ掛けになりました。それはAI小説(生成AI)の可能性といっても、良い物なのかもしれません。


 私事ですが、最近モチベーションの低下により、面白い(と自分では思っている)プロットを思いついたのに、どうにも書き出す気力が湧いてきません。面倒くさいという気持ちが、先に立ってしまいます。


 先日も湯船に浸かりながら、思いついた物語のプロットを頭の中で練っていたのですが、その時にふと、書くの面倒臭いな、誰か代わりに書いてくれないかな、という思いが湧いてきたんですね。細かなところは指示を出すから、誰かキーボード打ってくれないかなと。


 それって、ねえ? 

 

 そういう時に、最適な存在がいるじゃない? って。もしかしたらそういう時こそが、AIの出番なのかもしれないなって。だって、趣味で小説書いているだけの私が、代わりに小説書いて、なんて誰かに頼むわけにはいかないですしね。


 いえね。頼んでいる人もいるとは思います。そういった方の話も、聞いたことはあります。でもそれって、受ける方はおそらく仕事として受けていますし、それにどちらにしたって、人相手ではやっぱり遠慮をしてしまいます。というより、普通はその考えに辿り着く前に、創作を諦めてしまいます。


 頼みにくい誰かの代わり。それを生成AIがしてくれます。


 AIにならば、人には遠慮をして頼めないようなことでも、頼むことができます。どれだけ書き直しをさせても良いし、それこそ二十四時間働いてもらっても、文句は言われません。


 アイディアはあるのに、書く気力と体力がない。時間がない。歳をとって、指が動かなくなった。口頭で文字起こしをするにも、言葉が不明瞭になった。長時間、明るい画面を見ているのが辛い。そもそも、何らかの病気で、身体を思うように動かせない。


 そういう方はいるでしょうし、誰もがそういった事態に、陥ることはあります。それでも、どんな形であれ創作をしたい。物語を紡ぎたい。そういう方にとっては、AIって、ある種の救いになるのかもしれないなあと。


 その時ふと、そう思ったのです。


 AIが、書きたくても書けない、その誰かの代わりをしてくれるのなら……。私たちはどのような状態に置かれても、創作を諦めなくても、済むようになるのかもしれません。


 それは素晴らしい可能性なのではないかと、最近パソコンの画面を見続けるのが辛くなってきた私は、思ったのでした。



 さてさて。とりあえず二回に渡り、AI小説について適当なことを書いてきました。まだまだ書くことはあるような気もしますが、一旦はここで終わりにしておきます。別に突き詰める気も今はありませんし、深く考え出すと、絶対数回の連載じゃ終わりませんしね。


 そしてシリーズっぽい感じで始めてはみたものの、続きを書くかは今のところ未定です。次回しれっと、シリーズとはまったく関係ないことを書いたとしても、どうかお気になさらず。


 では。




*2025/10/18追記


 今日も今日とてエッセイジャンルを新着から確認している時、AIの著作権について書かれている連載エッセイを発見しました(まだ中身は読んでいません。とりあえずブックマークを付けましたので、これから時間をかけて読んで行こうと思います)。そのタイトルが目に入った瞬間、今回のエピソードで、AI小説の是非を考えるうえで、著作権のことにちょろっとも触れていなかったことを思い出し、慌てて追記しに来た次第です。


 生成AIイラストにおける著作権問題同様、AI小説の著作権侵害についても、以前より問題視されはじめている昨今。まだ大きな問題は起きていないようですが、それも時間の問題だと思われます。


 特に簡単な指令を出して文章のほぼ全体をAIに任せてしまった場合、その文章とストーリーがどこかの誰かの作品にものすごくに通っていたとしても、作者がその作品を知らなければ、そのままの状態で世に出してしまうことも考えられるわけですね。


 小説の著作権て複雑なので、すぐに著作権侵害や盗作と見做されることはないかもしれませんが、読者に与える印象としては、あまりよろしくありません。なにより自分自身が、ダメージを受けてしまいます。知らない内に盗作まがいのことをしてしまっていた、なんてことになったら、怖いですよね。


 AIはとても便利なものですが、使用する際にはある程度の注意を払わなければいけません。それは生成AIに限らずです。それについての考察はいつか書こうと思いますので、今日はこれくらいで。


 では。

 というかですね。最初は、小説投稿サイトの今後を憂慮する気持ちについて、砂の巨塔ってタイトルで書きたかっただけなんですよね……。

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