閑話 老大公と第二王子 その三
*おじいちゃん視点
獣を使役する人間を、獣遣い、と呼ぶ。
この国では、犬の調教師や鷹匠ぐらいしか思い浮かばないが、隣国では、使役する獣の種類は幅広い。
狼、熊、雪豹等々、肉食獣が多く含まれるのは、祖神の女神と同じく、自らの護衛にする為だ。
――更に、罪人の処刑まで獣に行わせる隣国の人間達は、横着なのか、軟弱なのか……。
一方、この国で、その類の獣遣いの需要が隣国より少ないのは、自分の身ぐらい最低限自分で守れ、というのが、王家の基本方針であるからだ。
流石に、雪山でも生存可能なラザロスは極端に過ぎるが、幼いシャルロッティや基本引き籠りのゼノンも、簡単な護身術ぐらいは身に付けている。
老大公とて、今は老い故に足が萎えたが、若かりし頃は、それなりに剣を嗜んでいたのだ。
そして、獣遣いが城下に現れたのは、ほんの少しばかり前の事。
今までの無礼が何たらと、聞いているだけで疲れてくる理由で、夜中に獣達を嗾けてきたのである。
幸い、彼等の存在をいち早く察知していた奇形ワンコ集団や、ラザロスの部下達の奮闘により、死者も怪我人も出すことは無かった。
しかしながら。
――肉だ! 毛皮だっ!! 熊鍋だっっっ!!! と、目の色を変えて、獣達を狩りまくったという騎士団員達には、少し休暇を与えてやった方が良いと、彼は思う。
もう、猟師も真っ青な手際で、肉を解体したり、毛皮を剥いだりできてしまう程、大自然の中でラザロスに扱かれてしまっている若人達だ。
……手遅れなラザロスはさておき、文明に回帰する為の時間を、与えてやっても良いのではなかろうか……。
ラザロスに悪気は皆無だが、未来ある騎士団員が彼女無しばかりなのは、恋人へのお土産に燻製肉や毛皮を持ち帰り、フラれる事例が多発しているせいもある。
恋人との時間が取れないと、さめざめ嘆く部下を、比較的休暇が取りやすい部署に異動させてやっているから、ラザロスに本気で悪気が無いのは分かるけれど。
後、獣達の襲撃に紛れ、大公家に侵入しようとした痴れ者もいたが、そちらはシルキーに脚を食い千切られた上で、捕らえられた。
ラザロスが奇形ワンコ集団を拾って来た時は、正直不安しかなかったが、中々有能で助かっている。
よくよく考えれば、突拍子も無いラザロスの行動は、長期的な視点ではそれなりの場所に落ち着いていると、老大公もさっき気が付いた。
少なくとも、ラザロス側で不幸になっている人間はいない。
一応。
……鍛練に関しては、強くなる為だから頑張れとしか言えないし、再起不能者を出していないのだから、不幸に数える必要はない、と思う。
多分。
また、恋人にフラれる件については、愛があればお土産が何だろうと問題ない訳で、結局、お土産の件が無くとも上手くいかなかった可能性が高い。
きっと。
……それに、女性関係は悲惨かつポンコツ仕様のラザロスが、恋人達の復縁なんぞ、何とか出来る筈もなかろうし。
獣遣いが引き起こした騒動にて発覚したあれこれに、想いを馳せている老大公の前で、ラザロスは視線を落とした。
主人の様子に何かを察したのか、ふにゃふにゃだったシルキーが、シャキッとラザロスの膝から降り立ち、お座りしながらキリっとした顔をする。
が、見た目がメルヘンなふわもこワンコなので、シルキーがキリっとしても、凛々しさは無く、可愛さの方向性が変わるだけだ。
「……先生は、ご自分が神だと思われていらっしゃいますか?」
適切な言葉を選べず、困り果てて、それでも言わねばならぬと。
「まさか」
悩んだ様子の教え子に、老大公は片眉を上げた。
「君もそうだけれど、うちの王位継承者に、そんな人間はいないだろう?」
神の存在も、その血を自分達が引き継いでいることも、老大公は事実と認識しているが、ただ、それだけだ。
神の血を継いでいようと、何処までいっても、彼等は人間でしかない。
――王位継承権を持たない王族が、どう思っているかは、知ったことではないけれど。
ラザロスが、少しだけ眉間の皺を深める。
「――恐らく、人間以外の力の介在が、あったのだと、思います。
捕縛した獣遣い達は、全員、生きながら腐っていったので」
老大公は、すうっと、目を細める。
彼等の祖先はそれを放棄したから、彼等自身は、神の力など持ってなどいない。
だが、――神の力の断片は、未だにそこかしこに遺り続けている。
……その一つである神剣に関して、万能調理器具扱いは心底どうかと思うが、それを言っても、ラザロスには通じないだろう。
ラザロスにとって、神剣は、台無しになった愛用品達の代替品でしかないのだから。
「隣国が、こちら側にまた手を伸ばすと?」
「いいえ」
老大公の危惧に、だが、返ってきたのは、明確な否定だ。
「隣国は、恐らく、自分で自分を喰らっていきます」
ラザロスの、彼と同じ薄い琥珀色の瞳が、僅かに翳る。
「……神を喰らえば、神になれると、――そう、言っていましたから」
その言葉が意味する事実に、彼は顔を顰めた。
「……あちらは正気かい?」
「正気ではないでしょう、初めから」
ラザロスは、静かに溜息を吐いた。
「だから、平気で色々なものを捻じ曲げて、そうして傷付く人間を一顧だにしないのでしょう?
――何かは知りませんが、箍が、とうとう外れたのでしょうね」
無意識に癒しを求めたのだろう、ラザロスが傍らのシルキーの頭を撫でまわす。
途端、えへへ、という感じで、キリっとしていたシルキーの表情が崩れた。
へにゃっとなっても、可愛さが気持ち悪さに変わらないのは、シルキーの良いところである。
「とばっちりが、こちらにまで来なければ、それでいいのだけれどね」
大丈夫だと、楽観視できないあたりが、隣国の非常に厄介なところだ。
――とっとと滅べばいいのに。
シルキーを撫でながら、ラザロスは頬杖をついた。
「兄上と、シャルロッティが心配です。
二人共、私と違って、そう見做されかねないですから」
まあ確かに、ゼノンは謎の魅了体質で、シャルロッティは王家の鬼子だが。
老大公からしてみれば、王家の三兄妹の中で、一番祖神の血が濃いのはラザロスだと思うのだ。
ラザロスの髪色だけが、半神のものを引き継いで、……何より、幼子のラザロスにあの戦闘狂がつけた傷は、人間ならば、死んでいなければいけないものだった。
ラザロスは、人間、意外に死なないものだと暢気に笑っているが、――普通に、あの戦闘狂を怒っていい案件だから。
……酔っぱらって手加減を間違えたとか、あれは一体何をやっていたのだろう。
「――ヨアナ殿も、少し気を付けるべきかと」
「――」
妻の名に、老大公の瞳が、金色の光を帯びる。
徒人を圧する、神の名残の金色を、しかし、ラザロスは静かに見返した。
「……謝りたかった、そうですよ」
微かに、誰かを憐れむ様に。
「伯爵家に仕えるただの使用人が、主だった人に謝る為に、獣遣いの力を得たそうです」
「謝って、私の朝焼けの姫への仕打ちが、無かったことになるとも?」
灼熱を通り過ぎた、凍てつく怒りを孕む老大公の声に、ラザロスは肩を竦めた。
「いいえ。
彼女は、初めから謝り方を間違えて、最後まで間違えたというだけです。
ヨアナ殿が、気に病む価値は無い」
珍しく、ラザロスが零したのは、嘲笑だった。
「伯爵家を騙って、ヨアナ殿の日記帳を送っても、何がある訳でもなかったというのに。
――記憶があろうと、なかろうと、ヨアナ殿はヨアナ殿なのに、何を考えているのやら」
「別に何を考えていたとしても、構わないよ。
もう、私の朝焼けの姫を煩わせることは、しないのだろう?」
「ええ。
これについて、ヨアナ殿が知る必要があるものは、何もありません」
妻を呼ぶラザロスの声に潜む、何故か本人は一欠けらも気が付いていない感情に、彼は非常に複雑な気持ちになった。




