次期大公、熊を見る
*軽いスプラッタ描写有の為、苦手な方はご注意ください。
シャルロッティの朝は早い。
そもそも、夜眠るのも早いのだ。
それは、彼女がお子様だというのもある。
子供の成長に、適切な睡眠時間の確保は必須、というのが、シャルロッティの家族の基本方針だ。
睡眠不足では、逆に仕事の効率が下がる、という事実も、シャルロッティが早く寝る理由の一つである。
脳筋の次兄ではないが、身体作り、もとい、健康管理は大事だ。
それに、夜に油を消費して仕事を行うよりも、朝早く起きて仕事を始めた方が、金を節約できるという結論に、シャルロティが至ったことも大きい。
一方、長兄は寝るのが遅い為、シャルロッティよりも遅く起床することが多いらしい。
だが、その日は珍しく、シャルロッティと同じくらいに早く起きた様だった。
身支度を整え、朝のホットミルクを飲んでいたシャルロッティの下に、長兄からの手紙が届いた。
それも、緊急用の鷹便である。
急ぎ、シャルロッティは文を開き、――中身を確認するなり、眉間に皺を寄せた。
長兄の字が、物凄く震えているのだが……。
いつもは流麗な長兄の字が、痙攣を起こしたのか、ミミズがのたくった様になっていて、ちょっと読み辛い。
内容は、昼前に、次兄が大公家に向かうとのこと。
更には、肉を持参するので、料理人に言い含めておくように、と。
性格のひん曲がった長兄の事だ。
――絶対に、故意に記してない事情がある。
だって、明らかに大笑いしながら書いた手紙を、緊急用の鷹便で送り付けてきたのだ。
恐らく、次兄が何かをやらかして、それが長兄のツボにはまったのだろう。
一体、何をした、脳筋。
シャルロッティは、溜息を吐いて、頭を振った。
毎度毎度、シャルロッティの予測をヘンな方向に超えていく次兄について、一々考えてみても仕方がない。
次兄を迎え入れる支度を指示するべく、シャルロッティは、手元に置いてあった鐘を持ち上げた。
◆◆◆
――本日の肉は、熊だった。
何故次兄が口を開く前に分かったと言えば、解体もせずにそのままどデカワンコが咥えてきたからだ。
頭部が一目瞭然な感じに陥没し、首があらぬ方に折れている熊は、血抜きの為だろう首筋の傷から、ダラダラと血を流していた。
どデカワンコこと、スカーが、隣の馬よりも穏やかな性情であるのは、シャルロッティも良く知っている。
が、顔面の傷痕のせいで強面の彼女が、中々に悲惨な見た目の熊の死骸を咥えているのは、普通に子供が泣ける光景だ。
屋敷の中で養父と一緒に待機中のお義姉様が、この場にいなくて良かったと、シャルロッティは心底思った。
心優しいお義姉様に、こんなものは見せられない。
熊から流れている血を見るに、明らかにさっき仕留めましたという状態だが、シャルロッティが過ごしているのは、王都のど真ん中だ。
熊が生息している訳がないのに、どうして次兄はこんなものを持ち込めたのだろうか?
身体の特徴からして、哀れな熊の本来の生息地は、もっと北の方の筈であるし。
「……兄上、スカーが咥えているそれは、一体どこから持ってきたのですか?」
「ここに来る途中で、アストゥラビが轢いたのだ。
折角だから、スカーのおやつに持ってきた」
轢いたって。
――シャルロッティの脳裏に、次兄の愛馬が、猛突進をしてきた猪を跳ね飛ばす光景が、再生された。
王家所有の狩場で開催された遊猟会にて、シャルロッティは、馬が猪を仕留めるという、世にも珍しい光景を目撃したことがある。
アストゥラビは、以前巨大猪を蹴り殺した実績がある馬だ。
神馬の末裔には、熊を打ち倒すことも容易いのだろう。
「……愛馬が仕留めたからって、大自然の掟を街中で適用しないでくださいよ。
街には、街の規則があるのです。
どこかの屋敷から逃げ出した熊だとしたら、殺して食べたら、問題でしょう」
シャルロッティは、げっそりと溜息を吐いた。
大自然に鍛えられた次兄の中では、仕留めた獲物は有効活用するのが常識なのだろうが、熊の飼い主にしたら、堪ったものではないだろうに。
「街中に害獣を放つのは、規則違反だろう。
害獣の駆除と、その遺骸の処理は、軍の管轄だから問題ないのだ」
シャルロッティの苦言に対し、次兄はしれっと答える。
確信犯か。
長兄と次兄は、全く容姿が似ていないが、こういうところは兄弟だなと、シャルロッティは思った。
と、湿った音が聞こえ、宙を漂う血の匂いが濃くなる。
シャルロッティが、スカーの方を見やれば、どデカワンコは、いつの間にか外に出ていたユニとシルキーに熊肉を分けているところだった。
大公家の屋敷の玄関前の石畳の上に、血だまりが広がる。
普段は大人しくとも、神獣の末裔と言うことか。
ワンコ達は、野性丸出しで、おやつをぱくつきだした。
骨ごとがぶりとか、どれだけ歯が頑丈なのだ。
次兄はほっこりとワンコ達を見守っていたが、シャルロッティはそんな気分になれなかった。
自分の屋敷の目の前が、血みどろになって嬉しい人間はいないだろう。
後、内臓ずるりとか、普通にトラウマになれそうだから、ちょっとぐらい自重してほしい。
掃除するのは、誰だと思っているのだ。
掃除をしない次期大公は、掃除係の使用人達が味わうだろう辛苦に、遠い目で想いを馳せた。




