出稼ぎ
住む場所と食料はなんとかなったが、運営資金がない。
王家からの手切れ金という名の左遷手当は雀の涙ほどだったし、孤児院を運営するには現金が必要だ。
「街へ行って、少し稼いでくるか」
俺は翌日、最寄りの街へ出かけることにした。 ここから歩いて一時間ほどの場所に、冒険者や商人が行き交う宿場町がある。
「私も行く!」
アリスが元気よく手を挙げた。
目が見えるようになって嬉しいのか、彼女は最近とても活発だ。俺のローブの裾を掴んで離さない姿は愛らしいが、俺と一緒に歩くと「人攫いと被害者」に見えないか心配だった。
「わかった。だが、離れるんじゃないぞ」
「はーい!」
俺たちは教会を子供たちに任せ、街へと向かった。
道中、森の中でキラーベア(体長3メートルほどの熊の魔物)に遭遇した。
「グルアアアアッ!」
「きゃっ!」
「危ない!」
俺は咄嗟にアリスを背に隠し、襲いかかってくる熊の眉間をデコピンで弾いた。
宮廷魔術師は魔力障壁を常に張っているため、素手の打撃も攻城兵器並みの威力になるのだ。
ドォン!!
大砲のような音がして、キラーベアは白目を剥いて沈んだ。
「……ふう。怪我はないか、アリス」
「すごい! アデル様、一撃だね!」
「運が良かったんだ。……せっかくだし、この熊も素材として売っていくか」
俺は気絶した巨大な熊を軽々と担ぎ上げた。
端から見れば、黒衣の巨漢が、巨大な熊の死体を片手で担ぎ、幼女を連れて歩いている図だ。
完全にホラーである。
街の入り口に到着すると、衛兵たちが槍を構えていた。
だが、俺の顔と、背負っている熊を見た瞬間、全員が「ヒッ」と息を呑んで道を空けた。
「と、通れ……! どうぞお通りください……!」
「ご苦労さまです」
俺が会釈すると、衛兵の一人が腰を抜かした。なぜだ。
街に入ると、モーゼの十戒のように人が避けていく。
アリスは「わあ、歩きやすいね!」と無邪気に喜んでいるが、これはそういう魔法ではない。
俺は冒険者ギルド兼、素材買取所へと入った。
酒場の賑わいが、俺が扉を開けた瞬間に静まり返る。
「……換金をお願いしたいんですが」
俺が熊をカウンターに『ドンッ』と置くと、受付の女性職員が涙目で震え出した。
「は、はひッ! す、すぐに! すぐに金庫のお金を全部お持ちしますから! 命だけは!」
「いや、強盗じゃない。この熊の買い取りだ」
「く、熊……? ……ひぃっ! こ、これ、『森の主』と呼ばれていた赤カブト熊……!? Bランク指定の……!?」
ざわっ、とギルド内が騒然となる。 たまたま通りかかっただけなのだが、どうやら大物だったらしい。
「そ、それで、おいくらで……?」
「相場で頼む」
「そ、相場……!?」
職員は青ざめた顔で計算をし、震える手で革袋を差し出した。
「き、金貨50枚でいかがでしょう……! こ、これ以上はギルドの資金が……!」
「50枚? そんなに高く売れるのか?」
熊一匹で、平民の年収の数倍だ。俺としては金貨数枚になればいいと思っていたのだが。
俺が驚いて少し目を見開くと、職員は「ひいいッ! すみません! 足りないですよね! 私のへそくりもつけますから!」と自分の財布まで出そうとした。
「いや、十分だ。むしろ多すぎるくらいだ」
「え……? ゆる、して……くれるんですか……?」
「ありがとう。これで子供たちに服とお菓子を買ってやれる」
俺が微笑んで金貨を受け取ると、職員は糸が切れたように椅子へ崩れ落ちた。
周りの冒険者たちも、誰も俺と目を合わせようとしない。
「……アデル様」
「ん?」
「みんな、アデル様のこと『殺し屋ギルドのマスター』か何かだと思ってるよ」
アリスがこっそり耳打ちしてくる。
俺は肩をすくめた。
「まさか。ただの引退した元公務員だよ」
こうして俺たちは潤沢な資金を手に入れた。
しかし、翌日からこの街で「黒き処刑人が、みかじめ料を取り立てに来る」という噂が流れることになるのを、俺はまだ知らない。
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