第117話 リンデさんにドン引きした。
侯爵様からの依頼であった王女様への給仕をなんとか終え、さあ退室だ、という所で、二人いる王女様の護衛の内、小柄な方の女性――リンデさんというらしい――から『手合せしてほしい』と言われた。視線の向く先的に、相手はメリアさんらしい。
…………うん。自分で言ってて意味分からんね。前後で話が全く繋がってない。でも事実なんだよなあ、困った事に。
「手合わせ……ですか?」
俺と同様、頭の上に疑問符がプカプカ浮かんでいるメリアさんが聞きなおすと、リンデさんはコックリと頷いた。
「はい。あなたの給仕の時の動きを観察させていただきました。最初こそぎこちない物でしたが、緊張がほぐれてからの動きはとても良かった。素早く、軽やかに動き回りながらも、身体の中心は一本芯が通っているかのようにブレる事無く、とても安定していました。素晴らしいです」
「え、あ、はい。ありがとう、ございます……?」
べた褒めである。突然の褒め殺しに、メリアさんは困惑気味だ。もちろん俺も。
…………で、褒めてくれるのは嬉しいんだが、給仕の時の動きが良かったのが、なんで手合わせに繋がるんだろうか?
「あそこまで体幹がしっかりした動きは、給仕だけで身に着ける事は不可能です。恐らく、なんらかの武術で身に着けた動きを、給仕に応用しているのだと推測しました。そして、その身に着けているであろう武術も、かなりの物であると感じられました。我々は王女殿下の護衛です。王女殿下をお守りするのは、強くなくてはなりません。そして、強くなる方法はいくつかありますが、その中でも特に効果的なのが、強者と手合わせする事だと私は考えています」
……機関銃の如く語っていただけました。口調こそ冷静なのに、言葉に込められている熱量が半端ない。小柄で、色々な面で母性溢れる見た目なのに、ギャップが酷い。もっとほんわかしていて欲しかった。
「ですので、是非私と手合わせしていただけないでしょうか。お願いいたします」
そう言ってリンデさんは頭を下げた。
(え? 何これ。どういう事なの結局?)
メリアさんが【念話】で話しかけてきた。めっちゃ困惑してる。
(うん。まあ、ざっくり言うと、メリアさんが強そうだから、いっちょ拳で語り合おうぜ! って事だと思うよ)
(…………どうしよう。全然意味が分からないんだけど)
脳筋的思考はメリアさんには難易度が高かったらしい。身近にそういう人いないしなあ……。
顎に手を当てて、悩んでいるポーズを取りつつ、チラっと王女様に視線を移してみると、『またか』とばかりに頭を抱えている。あの様子を見るに常習犯っぽい。
まじかよ。こんな問題児を使わなきゃいけないとか、王城は人材不足なのか?
今度は首を回して、侯爵様の方に視線を移してみる。
俺の視線に気づいた侯爵様は、俺と目を合わせて真顔で首を――――横に振るだと!?
俺の驚いた顔を見て、俺が意味を理解していると判断したらしく、今度は首を縦に振った。
うわあ、まじかあ…………。
(あー。おねーちゃん。残念だけど、侯爵様は『受けろ』ってさ)
(嘘!? 受けるの!? なんで!?)
俺から伝えられた悲しい事実に、メリアさんは驚愕に目を見開いた。表情に出しちゃ【念話】で内緒話してる意味ないよメリアさん。気持ちは分かるけど。
(そればっかりは俺も正確な所は分からないけど。でも、依頼主で、しかも貴族の指示だから、これはちょっと断れないかなあ)
侯爵様から不興を買うと、この街にいられなくなるからね。俺とメリアさんの二人きりだったらどうにかなるかもしれないけど、俺達は総勢二十名の大所帯だ。気軽に移住するには人数が多すぎる。
…………まあ、危害を加えてくるようなら、そんなもんお構いなしに全力で抵抗するけどね。
(ううううう。もう! 分かったよ! 受ければいいんでしょ受ければ! くそう! 報酬上乗せしてやる! 交渉頼んだよレンちゃん!)
(だね。これはがっつり乗せてもいい奴だわ…………って俺が交渉するの!?)
(だって、そういうのはレンちゃんの方が得意でしょ!? 身体動かすのは私がやるから、頭使うのは任せた!)
(いや俺も別に得意って訳じゃ…………あーもー分かったよ! 分かったからそんな顔で見ないで!)
泣きそうな顔でこっちを見るメリアさんに敗北し、依頼料値上げの交渉は俺がする事になってしまった。
俺、営業じゃなかったから、口八丁って得意じゃないだけどなあ……。
「……分かりました。お相手させていただきます」
「本当ですか! ありがとうございます!」
【念話】での内緒話を経て、メリアさんが渋々ながら承諾したのを受けて、先ほどまでの冷静な様子はどこに消えたのか、リンデさんは華やぐような笑顔を浮かべながら早足で近づいてきた。
そしてそのままの勢いでメリアさんの腕を掴み――
「それでは早速参りましょう!」
「えぇ!? い、今からですか!?」
「はい!」
ちなみに、先ほどの食事は夕食である。食堂には窓がないので外の様子を伺う事はできないが、俺達がこの屋敷に来た段階で日は沈み始めていたので、恐らく外はかなり暗いだろう。
そんな中で手合わせとか、正気の沙汰ではない。どんだけ戦いたいんだよ。バトルジャンキーか。
「ちょ、ちょっと待――――」
「リンデ」
慌てて止めようとした所で、俺の声を上書きするように、底冷えのする声が響く。
その瞬間、メリアさんの腕を掴んだまま、スキップしそうな勢いで食堂から出ようとしていたリンデさんがビクゥッ! と身体を震わせて停止し、ソロソロと後ろを振り向いた。
「で、殿下…………」
そう。絶対零度の声の主は王女様だった。
初めて見た時の可愛らしさは鳴りを潜め、代わりに見る者を震え上がらせる冷たさが溢れ出ている。心なし室温も下がったような気がする。本当に同一人物か? と疑いたくなるほどイメージが違う。
「折角侯爵閣下が設けてくれた歓談の場で。わざわざこの場の為にいらっしゃった方に意味の分からない事を宣い。半ば強制的に手合わせを承諾させ。このような時間にも関わらず。閣下の許可も得ずに。護衛対象である私を置いて。退室しようと言うのですか?」
一言一言を区切り、指折り数えるようにリンデさんの所業を挙げていく王女様。
荒げたりしていない、普通の声量のはずなのに、その声は良く響く。怖い。こちらに向けての言葉じゃないのに体が震える。
「あ、あ、あの。これは…………」
「言い訳は結構。これ以上醜態を晒す事は許しません。戻りなさい」
「…………はい」
王女様は、口ごもるリンデさんを一刀両断して戻るように命令し、リンデさんはがっくりと項垂れながらメリアさんの手を離し、スゴスゴと王女様の背後に戻った。
「…………ふぅ。私の護衛が迷惑をお掛けしました。謝罪させていただきます」
リンデさんが元の場所の場所に戻ったのを確認し、王女様は僅かに頭を下げ、目を伏せた。
それに合わせて護衛の二人も深く頭を下げる。……長身の方の女性が、自分は頭を下げながら、リンデさんの頭にゲンコツを落として、上から抑えつけて下げさせた結果なんだけど。離れた場所にいる俺達の所まで『ゴッ!』という音が聞こえた。めっちゃ痛そう。
王女様の頭を下げる角度はかなり浅いが、謝意は伝わってくる。あれだ。王族は気軽に頭を下げちゃいけないとか、そういうのがあるんだろう、きっと。
「い、いえ! 大丈夫です! 気にしないで下さい!」
雲の上の人とでも言うべき王族から頭を下げられて、メリアさんが慌てて顔の前で手を振る。
その様子が見えたらしく、王女様が頭を上げた。
「ありがとうございます。リンデは優秀なのですが、強い者を見ると見境なく勝負を挑む悪い癖がありまして…………ご迷惑をお掛けしました」
「そ、そうなんですか……」
王女様の告白に、メリアさんは笑顔で返そうとして見事に失敗していた。頬が盛大に引き攣っている。多分俺も似たような表情を浮かべている事だろう。
いや、いくら優秀だっつっても、そんな奴を連れまわすなよ。完璧地雷じゃないか。というか優秀? あれが? 信じられないんだけど……。
……まあいいや。王女様がリンデさんを叱ったって事は、メリアさんとの手合わせを認めなかったって事だよね? って事はこの話もこれで終わりだよね? よし、今度こそ帰れる。いやー、いくら給仕自体は慣れてるとはいえ、位の高い人相手は疲れるなあ。早く屋敷に帰ってのんびりしたいなあ。
――――という俺の考えは、王女様の次の言葉で粉々に打ち砕かれた。
「それで、ですね…………重ね重ね申し訳ございませんが、明日、リンデと手合わせをしていただけませんでしょうか?」
「「………………え?」」
え? ついさっき王女様がリンデさんを叱って、手合わせを止めさせて……で、王女様がリンデさんとの手合わせを依頼してきて…………え?
俺達が混乱の極みにあるのを見て取ったのか、王女様は俺達に手合わせを依頼するに至った経緯を説明してくれた。
「リンデの悪癖なのですが、無理に止めさせると何故か、数日後に体調を崩してしまうのです。ですので、癖が出た場合は一度止めさせた後に、改めて上司である私が相手の方と交渉して落としどころを見つける、という形を取らせていただいています。そうすれば、王女である私の依頼によって手合わせを行う事になった、という体裁を取る事ができますので、多少なり外聞が良くなります」
「「…………」」
十歳の子供らしからぬ、仕事につかれたOL感を醸し出す王女様に、俺は一言物申したい。
王女様。悪い事言わないから、まじでリンデさんを使うの止めた方がいいよ?
リンデさんがどれくらい優秀なのか知らないけどさ、確実に王女様の心労の原因になってるよ? 若い頃からそんな気苦労背負ってたらハゲるよ?
つーか、手合わせを止められたら体調が悪くなるって…………もしかして、ストレス?
うん。リンデさんにも一言物申したい。あなたがストレスを感じるとか、とんだお門違いだよ。あんたは護衛じゃなくて、冒険者の方がお似合いだよ。自由すぎるという意味で。
まじで王女様が不憫だ。なんとか王女様の心労を和らげてあげたいが……現状出来る事って、素直にリンデさんと手合わせする事くらいなんだよなあ。
「分かりました。王女様からの依頼、お受け致します」
メリアさんも俺と同じ結論に達したらしく、俺に【念話】で相談する事なく、受ける事に決めたようだ。
「感謝します。それでは閣下。お手を煩わせてる事になり、申し訳ありませんが……」
「場所の手配ですな。承知致しました。何この程度、大した手間でもございません。……それでは、今宵はこれまでとしましょう。……二人は明日の朝、屋敷まで来てくれたまえ」
「「分かりました」」
心底申し訳なさそうに言う王女様のお願いを侯爵様は朗らかな笑顔で請け負い、その流れのまま、本日の食事会はお開きとなり、俺達は食堂から退室。そのまま帰路に就いた。
…………屋敷に戻ったら、メリアさんと明日の事について相談しよう。
ちょっと、やりたい事が出来たから。




