15.罠?
「まだ決まったわけではございません」
怜悧な声が被さった。
ルリシア王女の後ろから背中を押しのけるようにして小柄な女性が部屋に踏み込んでくる。
ロロニア嬢もいたのか。
「決まったようなものだ」
「違います。
まだ決定事項ではございません。
あくまで仮のお立場でございます」
何だか知らないけどユリス王子とロロニア嬢がドアのそばでやり合っている。
ルリシア王女は困ったような顔で突っ立っているだけだ。
「そのくらいにしておけ」
苦笑したルミト陛下の声にユリス王子とロロニア嬢はやっと口論を止めた。
で、何なんですか?
「まあ座れ」
国王陛下の命令で三人がソファーに腰を降ろす。
ユマさんがにこやかに笑いながらお茶を配膳した。
メイドに徹するつもりか。
逃げる気だな。
誰も何も言わないのでしょうがなく聞いてみた。
「ルリシア王女殿下が、その、王太女になるんですか?」
「王太女」って確か王太子の女性版だったっけ。
俺にそう聞こえているということはそうなんだろうな。
中世ヨーロッパの各国の王室では制度上、女王が認められていた例が多いからね。
日本は緊急避難的な措置として女皇や女宮が立ったことは歴史上何回かあるけど、それはあくまで例外的な状況だ。
天皇候補がまた幼いので成人するまでの繋ぎとか。
でもヨーロッパは普通に女王が登極することが結構あるんだよ。
今のイギリスだって王様は女王だ。
つまり女性が君主に登極することに抵抗が少ないわけだ。
王太子は次代の国王という位置づけだけど、その立場にも女性が立つことがある。
その場合は「王太女」になるんだったっけ。
うろ覚えだから正しいかどうか判らないけど。
「決まったわけではありません」
ロロニア嬢が平板な口調で言った。
いい度胸だ。
ここにいるのはロロニア嬢以外は国王とか王子とか王女とか大公とか大公代行とかばっかなのに。
さっきも王子殿下と平気で口論していたよね。
つまりこの場が私的なんだろうけど、それでも腹の据わり方がハンパないな。
さすがに帝国での事業を一人で仕切っていただけのことはある。
「陛下に裁可を頂ければすぐだ」
ユリス王子が面倒くさそうに応じる。
「つまりまだ裁可を頂いてないわけでございますね」
ロロニア嬢、何か必死臭くない?
いや口調も内容も落ち着いているんだけど、いつものロロニア嬢と違うような。
焦りを感じる。
「当然でございます。
これには私の人生がかかっております」
ロロニア嬢の平板なのに気迫が籠もった声。
なるほど。
だんだん判ってきた。
「さすがだなマコト。
というわけでよろしく頼む」
いやルミト陛下、全然はっきりしてないんで誰か説明して下さい。
俺の無言の訴えにユリス王子もロロニア嬢も沈黙を持って応えた。
ルミト陛下は苦笑しているだけだし、ルリシア殿下は混乱しているのか唖然とした表情のままだ。
ユマさんがしょうがありませんね、という態度で俺の方を向いて話し始めた。
「ルリシア王女殿下がエラ王国王太女として登極するというお話が進んでおります。
そのお立場を持って、今回のミルトバ連盟総会にエラ代表としてご出席なさるということで」
それかよ!
俺が思わずユリス王子を見ると、さっと視線を逸らされた。
あの話か!
「それは唐突ですね。
でもルリシア殿下は王位継承権をお持ちではないのでは」
無駄だと思うけど抵抗してみる。
「そんなものは問題になりません。
ヤジマ大公。
妹は紛れもなく陛下の血を引いているのですから」
ユリス王子がすぐに返してきた。
いや、それと王位継承権は別でしょう。
「僭越ながら申し上げますと、エラ王国では過去、何度も正統王家が絶えた歴史がございます。
その都度、傍系の王家の血を引く方が国王陛下に登極なされました」
ユマさんが説明してくれた。
なるほど。
臣籍降下した王子で公爵家の人とかが立ったことがあると。
いったん臣籍に降りた以上、その時点で王位継承権を失ったことになるのか。
イギリスなんかでは公爵家の令嬢でも王位継承権を持っている場合があるらしいけど、エラでは違うらしい。
実際問題として王位継承権五十何位とか指定してもしょうがないしね。
そこまで順番に拘ってないということだろう。
ということはつまり、エラでは王位継承権に関係なく王位を継げるわけだ。
「貴族院が承認すれば、な。
連中もそこまで切羽詰まった状態で嫌と言えるほど凝り固まっているわけではない。
むしろ『前例がある』という理由で喜んで承認するだろう」
歴史と伝統のエラだからな、とルミト陛下が自嘲するような口調で言った。
さいですか。
そこら辺は柔軟らしい。
エラ王国は歴史と伝統でガチガチかと思っていたけど、そうでもないんだな。
「凝り固まってはおるよ。
ただ、自分の利益になると見るやいくらでも柔軟になれるということだ」
「今回の場合、いつまでもエラ国王の後継者が決まらないのは貴族共にとっても問題ですからね。
内乱を招きたいとは誰も思っておりません。
大義名分があればいくらでも転びます」
ルミト陛下とユリス王子が自嘲を交えて説明してくれた。
でもルミト陛下は傍観者の構えだな。
多分、支配者の義務として自分の後継者を選んでいるんだろう。
その第一候補は目の前に居るユリス王子だ。
正室の子で王位継承権も上位だと聞いている。
残っている王族の中では実力的にも評判でも文句なしの王太子候補だ。
ユリス王子には兄上が何人もいたそうだけど、みんな逃げたらしいからな(笑)。
本人も逃げたい気持ちが満々だ。
で、ルリシア殿下を担ぎ出してきたと。
でも何でルリシア王女を?
側室どころか妾妃ですらない、言ってみれば愛人の娘でしかないのでは。
正規の王女とはいえ王位継承権も持ってないし、そもそも国王候補レースの下馬評の中にも入っていないと聞いてますが?
「これまではな。
だがルリシアは今やエラ王国国王の後継者に最も近い存在だ。
最近、強大過ぎる後ろ盾がついたことで」
ルミト陛下がニヤニヤ笑いながら言った。
見た目は中年のイケメンだからムカッとするよね。
この人も純北方種に近いから外見と年齢の乖離が酷い。
これでカールさんとあまり代わらない高齢だという話だもんなあ。
つまりそれだけ狡猾だという。
「そんな話は聞いてませんが」
蟻地獄に引き釣り込まれつつあることをひしひしと感じながら抵抗を試みる。
無駄だった。
「そんなことはないだろう。
マコトも聞いたことはないか?
ソラージュを始めとしてララエや帝国、北方諸国までも実質的にその手に納めた男がいる。
このルリシアはその男からソラージュの近衛騎士に叙任されたそうだ。
私はソラージュの法にはあまり詳しくはないが、近衛騎士に叙任するということはその者を臣下に加えるということではないのか?」
「正確に言えばそうではございませんが、近衛騎士は叙任者より俸給を受けます。
つまり配下と言ってよろしいかと」
ルミト陛下の暴言にユマさんが予定調和の相づちを打った。
やっぱ組んでやがったか。
いや、この場合ユマさんが組んだのはむしろユリス王子なんだろうな。
ルミト陛下が悪乗りしているだけだ。
というよりは側面援護か。
ユリス王子は言いにくいだろうからね。
ここで俺の反感を買うわけにはいかない。
何てこった。
またしても出来レースに載せられてしまった。
まずいことにユマさんが向こうについているんだよ。
それだけでもう詰みだ。
「……ということになっているのか」
ため息をつきながらロロニア嬢を見ると、暗い顔で頷かれた。
「ユマにしてやられました。
ヤジマ財団の非常勤理事にされた時に何かあるとは思っていましたが、ここまで非道なことをされるとは」
「おかしな事を言わないで下さい。
ロロニアには祖国で重要なお仕事が出来たのでしょう。
だからヤジマ財団の非常勤理事として籍を置きつつそのお仕事に邁進出来ればと私は」
ユマさんがにこやかに弁解する。
ロロニア嬢のぞっとするような恨み節が聞こえてきそうだ。
なるほどね。
確かに。
ルリシア王女をいきなり王太女にしても、ご本人だけではどうしようもない。
だが侍女としてルリシア王女を支えてきたロロニア嬢がついていれば十分可能だ。
ヤジマ商会の帝国方面事業を一人で支えるほどの凄腕だからな。
でも謀略では略術の戦将に一歩譲る。
罠に嵌まったか。
哀れだぞロロニア嬢。
「妹が戴冠した暁には、ロロニアは側近としてついて貰う。
まずは審議官辺りかな。
ゆくゆくは宰相にも」
ユリス王子、ロロニア嬢が誰かを殺しそうな表情になってますから止めてあげて(泣)。




