10.修行?
結局、エラ王国との折衝がまとまって俺たちがサレステを旅立ったのはそれから一月後だった。
エラ王国って何か妙な誇りだか何だかがあって、なかなか外国人が入り込み難いんだよね。
特に高位身分になるほどその障壁は高くなる。
オウルさんは帝国皇太子だから、それを受け入れるかどうかで喧々諤々の議論が巻き起こったらしい。
いや、帝国のナンバー2が挨拶したいというのなら断れるはずがないんだけど、エラ側でその受け入れ体制をどうするかで意見が分かれたらしいのだ。
増してソラージュ大公も一緒に来るというんだから。
前に俺が親善大使としてエラに行った時は軽く入れたけど、あれは俺が「大使」であり「子爵」だったかららしい。
ソラージュ政府の公的な役職を帯びていて、さらに貴族とはいえ下級だったからみんな目くじらを立てなかったそうだ。
まあ、子爵なんてのはそこら辺の商人にも結構いるらしいからね。
でも今回は違う。
オウルさんも俺も、ある意味出身国を代表するほどの高位身分だ。
国内で何番目、というレベルだからな。
エラが混乱するのも頷ける。
「ですが、受け入れないという判断は不可能でございます。
エラ王国にはホルム帝国を敵に回す余裕などございませんし、我が主に至っては既にエラ王国経済の相当部分を握っておられます。
敵に回したら国自体が即詰んでしまう可能性すらございますので」
ユマさんは平然と言うけど、常識で考えてそんな怖い存在なんかマジで来て欲しくないよね。
でもヤジマ商会ってエラにそんなに進出していたっけ?
「セルリユ興業舎やナーダム興業舎ほどの中央集権組織はございませんね。
エラは領地貴族の権勢が強いので。
その代わりに、いくつかの大領地貴族と提携して交易路を握っております」
今はソラージュに戻っているフォムさんがじわじわと勢力を広げていったそうだ。
事業自体じゃなくて物資流通を支配したらしいのだ。
あの人も大したもんだよね。
ラナエ嬢とはまた違った企業経営方法で影響力を伸ばして、気がついたらエラの領地貴族たちはすっかり取り込まれているという。
思いついて聞いてみた。
「フォムさんの後継って誰なんだっけ」
少なくとも俺は知らない。
「現地採用の者を登用したようですね。
フォムの子飼いの配下と聞いております」
なるほど。
つまり、フォムさんはソラージュに居ながらにしてエラを牛耳っていると。
そういえば俺が近衛騎士に叙任したな。
これでリヒト家の復興が成ったと泣いて喜んでいた。
まあ、別にいいけど。
「フォムさんって今はどうしているの?」
「ヤジマ商会の事業部長待遇でございます。
引き続いてエラ方面の事業を統括しております」
ヤジマ商会を辞めたはずのユマさんがどうしてそんなことを知っているのかとか聞いてはいけないんだろうな。
判りました。
何も言いません。
ヤジマ男爵領に長距離用馬車が集められて出発準備が進んでいた。
オウルさんご一家用に、居住性を高めた大型馬車も用意された。
これはヤジマ商会からの贈り物だそうだ。
どうみても賄賂というか何というか。
別にいいですけどね。
オウルさんが例によって感激していたけど、いずれは帝国を支配するわけだからその程度のものはそれこそ数十台単位で購入出来るはずだ。
つまりこれはお試し型のセールスということで。
ユマさんがひっそりと笑っていた。
もちろんそんなことはオウルさんにも判らないはずがないから、みんな戯れ言なんだけどね。
ただし、さすがに外国の首都ではわざわざ持ってきた帝国製の大型馬車を使うそうだ。
それはそうだよ。
帝国皇太子がよその国の馬車を愛用している所を見られてどうする。
ともあれこれで陸路でも快適な旅が保証されたわけで、俺たちは出発した。
大公会議には事前に挨拶しておいたけど、大半の人たちは羨望の表情だった。
名誉大公の癖にフラフラと彷徨ける俺が羨ましいらしい。
いや、俺だって別に遊んでいるわけじゃないんですが。
「まあ良い。
ヤジマ名誉大公は我が国の代表とも言えるわけだ」
「エラ王国国王によろしくな」
別にあんたらに言われんでも。
公都サレステから街道を通って王都エリンサに向かう。
このルートは前に通ったっけ。
何もかも懐かしい。
というほどじゃないなあ。
風景は単調で土地の起伏もあまりないし、言ってしまえば退屈なんだよ。
それはみんな同じらしい。
結局、俺の馬車にユマさんは当然としてオウルさんとフレスカさんが集まってきてしまった。
帝国騎士ラウネ嬢は当然のごとく居るし、ハマオルさんは御者席だ。
いつもと変わらんな。
「ご家族はいいんですか?」
聞いてみた。
「それぞれが好きなように過ごしておるようでございます。
嫁と息子たちは帝国軍部隊に飛び入りで動いております」
何と。
そういえば皇太子妃って元帝国軍下士官だったっけ。
まだ現役なんですか?
「退役しておりますが、立場上常に鍛錬は続けております。
乗馬の技能が心許ないとのことで、護衛の騎馬隊には無理を言って員数外の騎士として」
何とまあ。
帝国皇太子妃が騎士かよ。
見たところは可愛いかんじのおっとりしたご婦人なんだけど。
「アレは外見だけです。
本性は女豹でございますよ」
オウルさんが苦笑した。
さいですか。
そんな気配、全然なかったのに。
でも考えてみたら帝国皇太子の奥さんなんだよ。
俺の嫁とも対等に話していた。
その時点で何かの異能であることは確実だ。
まあいい。
「すると息子さん達は?」
「あれらの教育は嫁に任せてあります。
まだ基礎的な訓練段階でございますれば」
帝国軍部隊に同行しながら色々と教わっているそうだ。
うちの娘の従者になるんじゃなかったんですか?
「それ故に。
主上のお嬢様をお守りする以上、並の腕では勤まりません。
今はまだ若輩でございますが姫君が社交界にデビューする頃にはいっぱしの騎士になっておくようにと因果を含めておきました故」
そこまで。
何かオウルさんの息子さんたちの人生って軽小説並に波瀾万丈になりそうだな。
それでなくても次期帝国皇帝の息子なんだよ。
マルクくんは既に皇族になっているし、メトくんもこの分ならいずれは皇子だろう。
そういえば紋章院長に聞いたんだけど、帝国皇帝にはいくつかの特権があるのだそうだ。
その一つは皇族を叙任できるというもので、いい例がシルさんやフレアさんのお父上である故皇弟殿下だという。
現皇帝陛下は帝国皇子に叙任されて皇族として過ごし、選ばれて皇帝になったんだけど、その実の弟である故皇弟殿下はもともとは皇族ではなかったらしいのだ。
もちろん貴族ではあったんだけど、アリヤト陛下が登極した際に是非帝位の近くで協力して欲しいと乞われたというんだよね。
そのために皇族になった時に、当時交際していたシルさんの母上とは合意の上で別れたそうだ。
まだ結婚どころか婚約もしてなかった。
シルさんが母上のお腹にいたことは後で知ったらしい。
皇弟殿下は大貴族の令嬢であるフレアさんの母上と結婚した後でそれを知って慌てたんだけど、今になって男爵家の令嬢をどうこうするわけにもいかず、影ながら援助だけすることにした。
ところがシルさんの母上が急な病で亡くなってしまった。
残されたシルさんはまだ幼女だったけど皇弟家で引き取るわけにもいかない。
かといって援助しようにも今さら公式に認知も出来なかったという。
その頃にはシルさんの素性は貴族や公族の間に広まってしまっていたんだけどね。
苦肉の策で皇弟殿下は兄であるアリヤト陛下に頼んでシルさんを皇族認定して貰ったらしい。
シルさんが帝国皇女なのはそのためなんだそうだ。
話を戻すと、オウルさんは皇帝になれば誰かを皇族にすることが出来るんだよ。
そもそも正統な皇帝の息子が皇族じゃないというのはあり得ないだろうし。
「建前上はその通りでございますが、私は本人の希望を優先させたいと考えております」
オウルさんは肩を竦めた。
「マルクは紋章院に皇族認定されてしまいましたが、メトについては本人に任せたいと。
もっとも」
じわりと笑う。
「姫様の従者を希望する以上、身分はあった方が有利ですからな。
奴は間違いなく登極を希望することでございましょう」
それもまた自由、とオウルさん。
徹底しているな。
オウルさんにとってはどっちでもいいんだろうね。
息子がどうなって欲しい、というような欲がないのだ。
もちろんやりたいことがあれば援助するけど、自分からどうこうしろとは言わない。
ご本人も皇族なのに身分を隠して帝国軍の一兵卒から始めたような人だからね。
こんな人の息子に生まれたら凄い人生になりそうだな。
良かった俺、サラリーマンの子供で。
「何をおっしゃいます。
主上こそ、姫様やご子息殿を束縛しようとはなさっておられないのでありましょう?」
いや、それはそうなんですが、そもそも俺自身がどうなりたいとか思わないですし。
「そこでございます。
天衣無縫。
主上が主上たる所以でございますね」
俺はただのサラリーマンだって!(泣)




