18.サレステ海洋サーカス?
俺は海豚の人たちとの面会がしたい旨を述べて、便宜を図って貰えないか頼んだ。
ナロン館長さんは即座に了承してくれた。
海遊館の館長なんだから海洋生物との間には太いコネがあるんだよね。
護衛に囲まれて進み、海遊館の裏側から執務棟に入る。
とりあえずということでナロンさんの執務室に通されてソファーに腰を降ろす。
お忍びモードなのでナロンさんも座ってくれた。
いい部屋だ。
金がかかっているというよりは上品で居心地がいい。
聞いてみた。
「儲かっているんですか?」
「そうですね。
鯨公演がドル箱ですが、その他の出し物も順調に売り上げを伸ばしております。
特にヤジマ男爵閣下のご提案で始めた『海のサーカス』が盛況で」
俺、そんなこと言ったっけ?
「そう聞いておりますが?
海豚の方々がとりわけ熱心で、有志がセルリユ港まで遠征してあちらの海豚海遊館の海豚から手ほどきを受けなどされているようでございます」
何と。
そういえばサレステの海豚の皆さんと話した時にそういう事を言っていたな。
でもあの時はただ好奇心で言ってみただけだったような。
「海のサーカスではどのような出し物を?」
その時、ドアから職員らしい人が入って来てナロンさんに耳打ちした。
ナロンさんはにっこり笑って立ち上がった。
「百聞は一見にしかずでございます。
ご案内させて頂きます」
海豚と話がついたのか。
俺たちは執務棟を出て長い渡り廊下を進んだ。
従業員用の通路らしくお客さんは見えない。
それでも喧噪は伝わってくる。
かすかに鯨の皆さんの歌も聞こえてきていた。
大繁盛みたいだな。
「気温の関係もありまして、冬の間はどうしても客足が落ちますが、それでも黒字を維持出来ております。
夏場は稼ぎ時で」
なるほど。
地球のこういう施設でもそれは同じだからな。
常夏のハワイとかだと一年中やっているし、体験型テーマパークと称して海に入って海豚と戯れるようなイベントもあったはずだ。
こっちだと言葉が通じるんだから凄い事が出来そうだよね。
ええと、何と言ったか館長さんが案内してくれたのはサレステ湾に突き出た桟橋のような場所だった。
明らかに人工の地形で、波打ち際から突然ストンと海が落ち込んでいる。
覗いてみたら海底は砂浜だった。
透明度が凄い。
江戸時代なんだよ。
動力装置も化学工場の排水もなく、下水はかなり離れた場所で外洋に流しているために海岸線から凄く綺麗だ。
つまりサレステ湾は一部を除いてどこをとっても海水浴場だと思って間違いない。
ハワイとかもそうだったもんね。
まあいい。
桟橋に見えたけど、むしろ櫛のように細長い地面が何本もサレステ湾に突き出ている形の場所だった。
その一本一本にお客さんが鈴なりで海を覗き込んでいる。
海では海豚連中が泳いだりお客さんと話したりしていた。
時々バシャッという音と共に水しぶきと悲鳴が上がっているけど、悲鳴というよりは嬌声に近い。
「『あなたも海豚とお話ししよう!』コーナーでございます。
お客様はあそこにいる海豚と自由に歓談出来ます。
割り増し料金を払えば撫でたり握手して貰ったりも可能でございます。
さらに特別料金を払えば海中デートも」
館長さんの説明に唸ってしまった。
そこまでやるか。
あの唯我独尊の海豚がどうしちゃったんだろう。
「やはり現金収入でございますね」
館長さんが身も蓋もない事を言った。
「あの出し物に参加する海豚には一定金額の給料が支払われますが、お客様から頂くお捻りはそのまま海豚の収入になります。
人気海豚はかなり稼ぐそうでございます」
うわっ。
そこまで行ったか。
あれだね。
アメリカとかでやっているレストランのウェイターやウェイトレスがチップで稼ぐという方法だ。
今はかなり変わってきているらしいけど、昔のウェイターさんたちはほぼ無給で、サービスの対価として貰うチップが収入源だったそうだ。
それと同じ事が起きているらしい。
「でもチップなんかどうやって貯めるんですか?」
現金なんか貰っても受け取れないだろうに。
「お客様には予め代用貨幣を購入して頂いております。
その代用貨幣を気に入った海豚にお渡しする形で」
館長さんが見せてくれたのは刻印が押された小さな木の札だった。
あれか。
奈良の鹿みたいなものだな。
あっちの場合は鹿用のせんべいという形で現物支給だけどサレステでは代用貨幣になっていると。
見ているとお客さんの一人が海豚と握手してから海豚に何かをやっている。
どうやら海豚一人一人が首? に小さなバッグをつけているらしい。
そこに押し込んでいる?
「あのバッグには蓋がついておりまして代用貨幣を収納できます。
一定数貯まったら係員の所に行って登録して貰います」
そこまで。
でも何だっていきなり勤労意欲に目覚めたんだろう。
何よりも自由を愛する海豚のはずなのに。
「海豚の方々に人気の商品はやはり甘味でございますね」
館長さんが言うには海豚の皆さんは人間が作り出す甘いお菓子に夢中なのだそうだ。
海遊館に登録した海豚の皆さんはギルドに口座を持っていて、海遊館の担当者が各海豚の指示で甘味などを購入するらしい。
その他にも海豚の健康診断や怪我・病気の治療、あるいは背中の清掃などにもお金が必要なので、登録海豚は収入の一部を積み立てているという。
完全に貨幣経済に取り込まれているな海豚の人たち。
「すると、登録していない海豚は治療を受けられないんですか?」
「希望があれば無料で簡単な健康診断は行います。
登録しなくても治療は受けられますが健康保険が効かないので割高になります。
そもそも治療には現金が必要なので」
働けないほど弱っている場合は後払いも可能なのだそうだ。
なるほど。
少なくとも海遊館に登録すれば最低限の支援は受けられるわけか。
でもそれ以上のサービスを受けようと思ったら働くしかない。
何かどっかの土地を植民地化して原住民を経済的に支配しているような。
阿漕だけどしょうがないんだろうな。
館長さんに連れられた俺たちは一度海岸から離れて巨大な建物に入り、人気がない海岸に出た。
プライベートビーチか。
「こちらはいわば楽屋でございますね。
勤務時間外の海豚の皆様が休んだり食事したりする場所でございます」
そんな場所もあるんだ(笑)。
そこには海に突き出る形の桟橋と倉庫のような建物があった。
高い壁で海岸が遮られているためにお客さんは入ってこられない。
海には海豚の皆さんが群れている。
まさしく楽屋だ。
「ナロン殿」
ピュイーッというような声が聞こえた。
おお、意味が判る。
館長さんってナロン氏というんだっけ(泣)。
ナロン館長は真っ直ぐに桟橋に向かうと海縁に立って頭を下げた。
「イハラ殿。
ヤジマ男爵閣下をお連れしました。
ヤジマ男爵閣下。
こちらがサレステ海遊館の海豚代表のイハラ殿です」
海豚の長老さんか!
「おお!
初めてお目にかかる!
マコトの兄貴!」
意外にも渋い声だった。
いや、発している声は高い海豚の鳴き声なんだけど、聞こえてくるのはバリトンの落ち着いた美声なんだよ。
魔素翻訳がリアルを凌駕している。
この海豚の人、傑物とみた。
「初めまして。
イハラ殿。
ヤジママコトです」
言いながらナロン館長の隣に並んだ俺はしゃがみ込んだ。
立っているとこの海豚氏を見下ろす格好になるからね。
それって失礼なんじゃない?
「いや気にせんで良い。
だがなるほど。
貴方が『マコトの兄貴』か。
フユルの話では要領得なかったが、ソロの言った通りの人間だな」
「僕は嘘は言いませんよ。
マコトの兄貴は大丈夫です」
長老の横にひょこっと浮かび上がってきた少し小柄な海豚が言った。
何となく見覚えがあるような。
名前は忘れたけど趣味で歴史をやっているとかいう海豚の人か。
でもサレステ海遊館は何とかいう海豚が仕切っていたんじゃなかったっけ?
「フユルならサレステ海洋サーカスの主任をやってます。
稼ぎ頭のナンバーワン接待役ですよ」
ホストクラブかよ!




