17.ご学友?
それにしても気になるが、ラナエ嬢は俺が異世界人、こっちの言い方だと『迷い人』であることをご存じなのだろうか。
それによって、俺の話す内容が変わってくるんだけど。
ハスィー様は、そんな俺の表情を読んだらしく、言ってくれた。
「マコトさん、ご迷惑だったかもしれませんが、ラナエにはマコトさんが『迷い人』であることを伝えてあります。
なので、ご遠慮なさらずにお話し下さい」
ありがたい。
これで、常識がないとか身分がどうとか気にせずに話せる。
「わかりました。ラナエ様、ご承知のように、私はこちらの習慣や規範がよく判りませんので、ご無礼になることもあるかと思います。
申し訳ありませんが、お気づきになられたら叱っていただけませんか」
このくらい言っておいた方がいいだろう。
「判りましたわ。それではご遠慮なく、口出しさせていただきます」
ラナエ嬢が返してくれたが、ハスィー様はちょっとお冠のようだった。
勘弁してください。
俺がこっちの風習に弱いのは事実なんですから。
お茶を飲みながら、情報収集を再開する。
「ところで、ハスィー様とラナエ様が通った学校とは、どのようなものでしょうか。寡聞にして、私はこちらで学校というような教育機関について、まったく聞いたことがないのですが」
「そうですね。マコトさんが学校をご存じならお判りと思いますが、確かにこちらにはそのような教育機関はありません。
通常では」
「では、普通ではないと?」
「はい。そもそも、こちらでの教育は師匠と弟子という形が基本です。貴族や大商人の子弟は家庭教師という形で学びますが、その場合でも一度に数人でしょう。
多人数の生徒が集まって、多くの教師に教えられるという形態は、おそらくわたくしたちが行った学校だけでしょうね」
そうなのか。
そもそも、こっちでは教育という概念自体が薄そうだからな。
習うより慣れろ、盗めが基本だ。
「わたくしたちが通った学校は、臨時に3年間ほど開設されたものです」
ラナエ嬢が言った。
「わたくしとハスィーを含めた三十人ほどが集められ、一緒に学びました。全員が貴族の子弟です。
政治、経済に加えて、国家や世界の状況、軍事的・民族的なパワーバランス、庶民から王族までの階級社会のこと、あるいは外国語や馬術、護身用の短剣や剣の使い方に至るまで学びましたわ」
「凄いですね。それらは貴族の教養としてですか?」
こっちの貴族にそういうのが必要なら、なんで学校が臨時なんだろう。
常設した方がいいだろうに。
ラノベではそうなっているしな。
学園ものは、ラノベのメインストリームのひとつと言っていい。
だが、ハスィー様は否定した。
「違います。普通の貴族の子弟には、そのような高度で総合的な知識や見識・技術などは必要ありません。
家庭教師で十分ですし、その内容も貴族として生活したり、家業を継ぐために必要な事に限ります」
「なぜでしょうか。知識はあった方がいいのでは」
「簡単です。お金がかかるからです」
なるほど。
それは、今ラナエ嬢が言ったような広範囲の知識や技術を学ぼうとしたら、教師を揃えるだけでも大変なことになるだろう。
学園を維持しようとしたら、そういう教師を常勤で雇わなければならない。
だが、そんな金はない。
あるいは、そうするだけの必要性がないということか。
生徒も集まらないだろうし。
そうなんだよね。
ラノベでよく出てくる王立学園とか、貴族の社交のための学校というのは胡散臭い。
そんなものに費やす金があるのなら、なんでまだ庶民の生活が貧困なのとか、軍隊がショボいのかと思ってしまう。
いや庶民はほっといても、社会的なインフラや領地の発展のために使うべきだろう。
ちょっと考えてみれば判る。
日本でもそうだけど、学校で学べる知識や技能は、そのまま社会で通用するものではない。
日本なんか、大学まで出たとしても社会で仕事するためには、その専門知識や技能を改めて学ぶ必要があるのだ。
同じように、こっちでも学校で学べる知識は、貴族の子供が取得してもまずペイしないだろう。
仕事というものは、習うより慣れろで覚えていくものだからだ。
そんな学校で出来ることは、せいぜいお互いに知り合いになって将来の取引相手や結婚相手を捜す程度だろうし、その程度なら舞踏会か何かで十分だ。
現実では、学園ものは無理ということか。
特に、今のこっちの世界ではそもそも学校という概念自体が普及していないらしいしね。
でも、ハスィー様たちは学校に通ったんだよね。
「すると、その学校が成立した特別な訳があると?」
と聞いたところで、スープが運ばれてきたので話を中断する。
メイドさんが去るのを待って、ハスィー様が言った。
「ありました。わたくしどもが集められたのは、ソラージュの次期国王陛下、つまり王太子殿下のご学友としてです。
そこで一緒に学ぶことで、男性は将来の側近候補として、女性は王妃候補としての教養と見識を取得することが期待されておりました」
何と。
すると、ハスィー様やラナエ嬢って、ひょっとしたらこの国のお后様になるかもしれないわけか。
ラナエ嬢が、そんな俺を見て笑ってくれた。
「その心配はございません。わたくしたちがここにいるということは、すなわちそのお役目を解かれたということです」
あ、選に漏れたわけね。
それはそうだ。
王妃殿下候補だったら、こんな辺境の街でギルドの執行委員をやったり、ニートやったりしてないはずだ。
いや、口には出してないけど、どうみてもラナエ嬢ってニートだよね。
「何か失礼なことをお考えになられたようですが、あながち間違ってはおりません。
わたくしたちは、将来の国政や宮廷から遠ざけられたわけです。
助かりましたわ」
ラナエ嬢の言葉と同時に、メインのお皿が届いてスープの皿が取り下げられた。
どうも、このディナー形式の飯って落ち着かないな。
メイドさんが去るまでみんな沈黙する。
俺はドアが閉まったのを見計らって聞いた。
「学校は、どうでしたか?」
「楽しかったですわ」
ラナエ嬢が即答した。
「でも、弊害もありました。色々知りすぎて、王太子殿下のお相手とか、宮廷での生活に魅力を感じなくなってしまいました」
「皆ではないですけれどね」とハスィー様が肉を切りながらおっしゃる。
「男性達は、前途洋々だと張り切っておりましたし、女性陣も王妃か、それが駄目でも将来の高官に嫁ぐという目標があるようでしたので」
ラナエ嬢が、切った肉にばくっと噛みつきながら続ける。
「わたくしとハスィーは、はっきり言ってあの中では異端児でしたわ。だから気が合って、わたくしはお暇を頂いた後、色々あってこんなところにまで逃げてきたのです」
逃げてきたのか、このお嬢様は。
ラノベだな。
「ハスィー様もですか」
「そうです。あのまま王都にいたら、わたくしも焦臭いことになりそうでしたので、わたくしの故郷であるアレスト市に逃げ込みました。幸い、ギルドに雇って頂けて助かりました」
「助かったのはこちらです」
とラナエ嬢。
「わたくしなど、故郷に戻ったら即結婚ですから。
必死で抵抗して王都に留まっておりましたけれど、お見合いがない週がないほどでした。
父上が領地にいたため、かろうじて強制執行を免れていたようなものです。
ハスィーからお誘いがあった時には夢から覚めない内にと、その日のうちに家を出奔しましたわ」
繰り返すけどラノベだな。
でも俺には関係がない話だ。
ギルドの仕事にも無関係だし。
こんなもの、ビジネスランチでも何でもないぞ。
飯が美味いからいいけど。
「連れ戻そうとする動きは無かったのですか?」
「わたくしの場合、結構スキャンダルじみた話が広まったので、幸いにもそういうことはありませんでした。
両親も諦めているような所がありましたし。
何と言っても、ギルドに職を得たことが大きかったと思います。
でも、わたくしはともかく、ラナエは大変でしたでしょう」
「そうですわね。わたくしの場合は、連日のお見合いで心が挫けそうでしたので、ある日ついに我慢できなくなってやらかしてしまって」
やらかしたのか。
本当にラノベだな。
あるんだなあ、そういうことって。
まあ、地球の貴族もやらかすことにかけては人後に落ちないからな。
やらかさなかった人が、何とか生き残って歴史に残っている状態だろう。
「そのことで、あやうく修道院行きになるところでした。
実際、逃げ出さなければあのまま故郷に連れ戻されて、すぐに修道女でしたでしょう。
この辺境まで逃げて、やっと無理に出家させられそうにはないことが判っていただけたようですので。
ですが、今はアレスト伯爵家が後見するということで、とりあえず免れている状態です。
ですが、もうそろそろ限界です。
近いうちに何とかしないと」
ラナエ嬢、沈んでしまった。
こっちにも修道女っているのか。
「教団は、修道女を受け入れております」
ハスィー様が説明してくれた。
「もちろん還俗することも出来ますが、修道女になった時点で実家からの援助は途絶えます。それだけならいいのですが、実家が許可しない限り、修道女を辞めてもラナエは平民と同じ扱いを受けることになるわけです」
なるほど。
貴族かそうでないかって、こっちでは結構その差が大きそうだしな。
特に就活とかで。
ふと思いついて、聞いてみる。
「失礼ですが、ラナエ様のご実家は由緒ある家柄なのでしょうか」
「侯爵家です」
ハスィー様が応えてくれた。
「それも、過去に王妃を出している有力な家です。王太子殿下は、ラナエの又従兄弟にあたります」
「そんなもの、関係ありませんわ」
ラナエ嬢が、鼻で笑った。
こんなお下品な仕草もできるんだ。
俺、ラナエ嬢のことを誤解していたかも。
「殿下は、最初から最後までハスィー一筋だったではありませんか。
ハスィーが王妃候補の選に漏れた時の、取り乱して側近にくってかかったあのお姿は忘れられませんわ」
なるほど。
そうだろうな。
これほどの美女でエルフなんだから、王太子のおぼっちゃんでなくても執着するだろう。
でも、それって多分地雷だよ。
将来の国政を司る存在が、自分の妃に夢中というのはいただけない。
ハスィー様の実家は伯爵で、正直言ってこのアレスト市を見ても、そう大した勢力があるわけでもなさそうだし。
ラノベにも出てくるが、将来的にあらゆる面で問題が頻発するだろう。
まさしく傾国の美女という奴だ。
俺が審判員でもハスィー様は外すね。
あれ?
でもちょっと計算がおかしくないか。
王太子の側近や妃候補を学友から選ぶということは、学校が始まった時点で王太子はおそらく十代前半だったはずだ。
そのくらいの歳なら、ある程度の判断力もついているからな。
それより遅いと、反抗期にさしかかったりしてうまくいかなくなりそうだし。
ご学友候補たちも、似たような年齢の者が集められた可能性が高い。
とすれば、殿下に比べてハスィー様、ちょっと年増なのでは。
「お考えになっていることが判りますわ」
ラナエ嬢が意地悪そうに言った。
「ヤジママコト様、わたくしはいくつだとお思いになられます?」
マコトと呼んでくれと言ったことは、覚えて貰えなかったらしい。
しかも『様』がついているし。
いや、問題はそのことじゃない。
ええっと。
この場合、若く言った方がいいか。
いや、嘘は駄目だ。魔素翻訳でバレる。
「失礼ですが、18……というところでしょうか。」
「ほぼ正解です。17歳ですわ。ちなみに、ハスィーとわたくしがこれほど仲が良いのはなぜだとお思いになられます? 姉と妹という関係ではないのはご覧の通りですわよ」
まさか。
「わたくしとハスィーは、同い歳です」
パネェ。




