3.命名?
娘を起こそうとしたら目は覚ましたものの、すぐに俺にしがみついて寝てしまった。
連れて行くしかないか。
産室の前には嫁の昔からの従者であるアレナさんが控えてくれていた。
銀北方種だけあってこの人も変わらないね。
ヤジマ商会で部長待遇だったかのはずだけど、今は休職して嫁についていてくれているらしい。
「どうぞお入り下さい。
ハスィー様、リズィレ様がお待ちでございます」
娘が起きない上に俺の服を握りしめたままなので、しょうがなく抱えて進む。
アレナさんに案内されて産室に踏み込むと幅広のベッドが並んでいた。
白衣の人たちがその周囲に控えている。
ベッドには嫁とリズィレさんが横になっていた。
そしてその隣にはそれぞれ赤ん坊が。
「貴方」
「ハスィー、よくやった」
嫁が寝たまま手を差し伸べてきたので握りしめた。
娘をベッドに降ろすと、なぜかあっけなく手を放してくれたので隣に寝かせる。
嫁を真ん中に娘と息子が川の字になった格好だ。
アレナさんたちが気を利かせて下がってくれたので、俺は椅子を持ってきてベッドのそばに座った。
ハマオルさんも同じような事をやっているらしい。
あっちは女の子らしいけど、見事に両親の特徴を受け継いでいるようだ。
二人とも南方種だからな。
浅黒い肌で既に黒髪が生えているのが見えた。
俺の息子は娘と同じく白い肌に金髪だ。
嫁の特徴が露骨に出ている。
俺の遺伝子なんかどっかにいっちゃったのかも。
「そんなことはありません。
この子はマコトさんにうり二つです」
ハスィー、そんなに意地にならなくてもいいから。
「疲れてない?
もう話しても大丈夫なの?」
聞いてみた。
出産に結構時間がかかったからな。
「平気です。
長くかかりましたが、それほどの痛みはなかったのですよ。
むしろリズィレの方が」
心配そうにハマオルさんとリズィレさんの方を見る。
確かにリズィレさんの口数が少ないな。
でも大丈夫だ。
ハマオルさんがついているんだし。
それでもあまり長く粘ると嫁の体調に響くかもしれない。
頃合いを見て引き上げようとしたら嫁に引き留められた。
「貴方。
この子の名前を」
もう?
いや、決めてはあるんだよね。
女の子だったら迷った所だけど、男だったらこれしかない! という名前がある。
「『Siegfried』で」
言ってやるとハスィーは口の中で呟いてからにっこり笑った。
「良い名前です。
何かいわれが?」
それはもちろんグレンダ○ザー、じゃなくて。
不死身の英雄の名前だからというわけでもない。
ジーク○オンとも違う。
何かの本で読んだんだけど、そもそも「ジークフリート」は現代のドイツ人にもよくある名前だそうだ。
「Sieg」はドイツ語で「勝利」の意味だし「fried」は「平和」だから、つまり「勝利と平和」という目出度い名なんだよね。
そう説明すると嫁は嬉しそうに微笑んだ。
気に入ってくれたようだ。
でも俺がこれを息子の名前に決めたのは違う理由だ。
ジークフリートを日本語の名前に直すと「勝平」もしくは「利和」になるということで、一見カッコいいけど実はダサい、という所が気に入ったんだよ。
俺の血を引く男がカッコいいだけのはずがないだろう!
絶対ダサいはずだ。
その名は「八島勝平」!
まあ、そんなことは誰にも明かすつもりはないけど。
「ジークフリート」
嫁は息子の名前を呼びながら優しく小さな額を撫でた。
「気に入りました。
早く大きくなってお父様のお役に立つのですよ」
嫁が息子に話しかけていたけど早すぎるでしょう。
それより俺の役に立つって何だよ。
そんなもんはいらん。
息子も娘も自由に生きればいいのだ。
ついでに嫁も思い通りに生きて欲しい。
俺もそうするから。
「貴方は相変わらずですね。
判りました。
この子たちを縛るのは止めましょう。
でも」
嫁はもう一度俺の手を握った。
「わたくしは思い通りに生きております。
ええ、もうこれ以上ないと思えるほど幸せです。
貴方の妻になれて、子供を産めました。
今すぐ人生が終わっても何の不満もないほどです」
不吉な!
「絶対許さないぞ。
ここで終わってどうする。
ずっと一緒にいよう。
まだまだこれからだ!」
思わず強く言ってしまった。
「はい。
もちろんです。
わたくしは貪欲です。
この幸せを手放してなるものですか!」
凄い。
嫁の存在感というか、何か凄まじいものが一瞬で部屋に充満したのが判った。
魔素翻訳の影響をほとんど受けないはずの俺ですら感じるんだよ。
ハマオルさんたちも硬直している。
部屋の隅に控えているアレナさんや白衣の人たちは立っていられなくて壁に寄りかかったり手を突いたりしていた。
「ハスィー、抑えて」
「ご、ごめんなさい。
つい興奮してしまって」
そう言って赤くなる嫁はもう、ただの若い女性に見える。
いや絶世の美女なんだけど。
俺の嫁は凄すぎるぞ。
でももっと凄いのは俺の子供たちかもしれない。
娘も息子もあの情報の暴嵐の中にあって全然影響を受けていないようなのだ。
息子はきょとんとしているし、娘はすやすや眠っている。
まあ、確かにこの情報爆発源の至近距離で毎日過ごしているわけだからな。
慣れてしまったのか、あるいは既に無感動化しているのかも。
頼もしいぞ。
「今日はゆっくり休んで」
「はい。
貴方」
最後に嫁の髪を撫でてから娘を抱き上げる。
娘はちょっとぐずったが目を覚まさなかった。
助かる。
部屋を出る前にリズィレさんの所に行っておめでとうを言うと、ハマオルさん共々恐縮された。
「こんな格好で申し訳ございません。
ヤジマ大公殿下」
リズィレさんが起き上がろうとするのを止めて娘さんを見せて貰う。
利口そうな顔をした赤ちゃんだった。
リズィレさんに似ている。
良かったね。
「まったくでございます。
私に似てしまったら娘に何と詫びたら良いか」
「いやハマオルさんもかっこいいですから」
そんな馬鹿話をしてから部屋を出る。
二組の母子はこのまま一緒に過ごすそうだ。
「いざという時はリズィレが何としても奥方様をお守り致しますので」
「いや無理でしょう。
ていうかその前に部屋の守りを万全にしましょうよ」
当然、ハマオルさんが手配済みだろうけど。
ヤジマ警備の影の総帥だからな。
おそらく今のヤジマ屋敷は王宮以上にガチガチに固められているはずだ。
増して嫁たちの産室は大金庫並だろう。
「お恥ずかしい話でございますが、自分の妻子が絡むと冷静な判断が難しくなります。
これまではそのような情などに左右される者どもを切って捨てておりましたが、ようやく思い知りました」
「そうですね。
俺も嫁や子供たちが絡むと頭がうまく働かなくなりますから。
警備をよろしくお願いします」
「命に換えましても。
主殿」
よし。
ハマオルさんが冷静になった。
もう大丈夫だ。
俺は娘を抱いて居間に戻った。
メイドさんに聞くと集まったお客さんたちは食堂で宴会に突入しているらしい。
行ったら絡まれそうだな。
「このまま休みます」
「それがよろしいでしょう。
私の方から伝えておきますので」
ハマオルさんにお任せして俺は退却した。
息子が誕生した日くらい、静かに過ごしたい。
といっても俺、別にヤジマ家の跡継ぎがどうとかは全然考えてないんだよね。
たかがサラリーマンの家だ。
息子も娘も自由に生きればいいのだ。
俺も好き勝手やって生きてきたからな。
その点は両親に感謝している。
過度の干渉どころかほとんど放置されて育ったから、余計な家族の情もない。
親類の人たちともほとんど没交渉だったし。
まあ、親が金をたかってくるのには閉口したけど、そのせいでこっちの世界に来てもあまり感傷がないんだよなあ。
ホームシックがまったく出ないって何の冷血だよ。
残念なことと言えば北聖システムを無断欠勤したあげく首になってしまったことくらいで。
いい会社だったんだけど。
と言えるほど長く勤めたわけでもないしな。
今はヤジマ商会が俺の居場所……じゃなくてヤジマ財団だったっけ。
まあどうでもいいか。
「ヤジマ大公殿下」
嫁の従者たる銀エルフのアレナさんが片膝を突いたので、これ幸いと娘を渡してから俺は寝室に引き上げたのであった。
たまには独り寝もいいよね?




