2.誕生?
娘の出産はあっという間だった気がするんだけど、今回は長引いた。
産気づいたのは昼過ぎだったが俺たちが夕食を終えても動きがない。
「丸一日かかることもございますから」
駆けつけてきてくれたユマさんたちが慰めてくれる。
その間、嫁はずっと苦しんでいるわけか。
替わってやりたいくらいだ。
せめてそばについていたい。
「お勧め致しかねます」
ラナエ嬢に止められてしまった。
「ご本人はもちろんですが、周囲の者どもも大変でございます。
苦痛がダイレクトに感じられますので」
そうか。
魔素翻訳があるから出産する本人の痛みや苦しみの感情が周りの人たちに直接ぶつかってくるわけだ。
もちろん「心の壁」があるから本人ほどじゃないだろうけど、きついことに変わりはない。
こっちの産科医って大変だな。
「そうですね。
聞いた話ですが庶民の場合、大抵のお医者は出産までは近寄らずに指示だけするそうです。
妊婦についている者は専任の産婆だということで」
そうなのか!
なるほど。
医者の仕事は何かあったときの対処だからな。
出産の介添え役は別にいるわけか。
「産婆さんというと女性ですか?」
「そうですね。
苦痛に耐える力は女性の方が上でございます。
大抵の場合、出産経験のある者がなります。
ご自分の経験から妊婦の状況も判断出来ると言う事で」
ヒューリアさんが教えてくれた。
あんた未婚なのによく知ってますね。
ジェイルくんが浮かない顔をしていた。
「私の婚約者も妊娠中ですので。
こういった時、男は何も出来ないのが悔しいですね」
そうだな。
ていうかソラルさん、妊娠したのか。
良かったね。
これでクルト男爵夫人の立場は安泰だ。
「ありがとうございます。
出産し次第結婚します」
「おめでとう。
結婚式は盛大にやろう。
いやその前に婚約式か」
今をときめくクルト男爵だからな。
セルリユどころかソラージュの経済を事実上支配している男だ。
男爵では身分が低すぎるということで昇爵が予定されていると聞いている。
みんな出世したなあ。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
嫁は大丈夫なんだろうか。
いつもならこういう時に頼りになるハマオルさんも俺の隣で落ち着かない。
リズィレさんは初産だからな。
それは心配だろう。
「ぱぱ」
俺の希望が寄ってきたので膝の上に載せてやる。
娘もぴたっとくっついてきた。
やっぱ不安なんだろうか。
「だいじょうぶ。
おとうとはげんきだから」
いつも思うんだけど我が娘って本当にまだ1歳なのか。
北方種にしたって成長が早すぎるでしょう!
特に頭というか知性が。
それになぜ弟だと判る?
「おはなししたから」
何ですと!
「シーラ様はハスィーといつも一緒におられましたので」
ユマさんが言った。
「珍しくはありますが、あり得ないことではございません。
胎児と話せる者も稀に存在します」
さいですか。
ユマさんの話によれば、胎児の段階で既に意識がある者もいるそうだ。
常にすぐそばにいることで、外部の者がコンタクトを取れた例も報告されている。
もっとも胎児の側に明確な意志があるわけではなく、本能的な反応を返してくるだけらしい。
魔素翻訳で受け取る情報から性別や体調も判断出来る場合があるということだった。
我が娘って天才?
「傾国姫と無地大公の子なのですから、何だって有り得ます」
冗談ですよね?
まあ、俺はともかく嫁は規格外だからな。
「それより考えられるのはやはり傾国姫殿の影響じゃな」
カールさん、いつの間に来たんですか。
「さっきじゃよ。
ヤジマ大公家の跡継ぎ誕生とあればのんびりしてはおれん」
それは冗談だと思うけど、どうやら俺と嫁の第ニ子が息子だということは確定情報として広まっているらしい。
それはいいとして嫁のせいとは?
「傾国姫殿の飛び抜けた『存在感』とでも言えば良いのかの。
並の者では前に立つことも叶わぬほどじゃろう。
そういった大出力の情報発信源の胎内にいるのじゃぞ?
早期の覚醒を引き起こしても不思議ではない」
ニュータイプですか!
いやそれは冗談としても、なるほど。
規格外の嫁から産まれる以前に、その胎内で育ったわけだもんな。
少なくとも並の人よりは成長が早くても不思議じゃない。
娘がやたらに早熟なのもそのためかも。
俺の膝の上にいる娘はいつの間にか眠っていた。
器用にも俺の服をがっちりと握りしめていて微動だにしない。
しがみつき癖は母親譲りか。
その時、不意に声が聞こえてきた。
大声で泣き叫ぶ赤ん坊の声か。
産まれたか!
居間にいるほぼ全員が立ち上がったり動きかけて停止する。
どっちだ?
すぐに産室のドアが開いてシーツみたいな布を纏った女性が言った。
「リズィレ様無事ご出産。
女の子でございます!」
そっちでしたか。
俺は娘を隣に寝かせると立ち上がってそばに控えているハマオルさんに手を差し出した。
「おめでとうございます」
「あ……ありがとうございます。
主殿」
おずおずと俺の手を握り返すハマオルさん。
俺が下がるとその場にいた人たちが一斉に殺到した。
「おめでとう!」
「これでムオ家も安泰ですね」
「女の子はいいぞ!」
「お名前はもう考えてありますか?」
ハマオルさんも近衛騎士だから跡継ぎの誕生は慶事なんだよね。
もちろん爵位を継げるわけじゃないけど、貴族ではあるからそれなりに。
ハマオルさんはまだ呆然とした顔付きで頭を下げ続けていた。
さて。
俺の子はどうした。
嫁は大丈夫なのか?
座り直したけど落ち着かない。
お茶をカップに注いで飲もうとした瞬間、新しい泣き声が響き渡った。
産声だ!
今度こそ?
「ヤジマ大公妃殿下、ご出産でございます!
母子ともに健康!
男の子でございます!」
ドアから現れた女性が叫ぶと、一瞬部屋のあらゆる音が絶えた。
次の瞬間上がる歓声。
「「「おめでとうございます!」」」
「ヤジマ大公家万歳!」
「ご令息のご誕生だ!」
「万歳!」
たちまち俺に殺到してくる人たち。
続けざまに握手されたり周り中で跪かれたりしている間中、俺は馬鹿みたいに「ありがとう」を繰り返していた。
そうか産まれたか。
男の子か。
それはどっちでもいいけど、嫁も子も無事というのは嬉しい。
日本と違って出産自体が大事業だからね。
まあ、あれだけの準備を整えて貰ったんだから大丈夫だとは思っていたけど。
「皆様。
とりあえず食堂に軽食の用意を整えてございますので」
ヒューリアさんの声が響いた。
夕食、いや夜食か。
食欲ないな。
するとヒューリアさんが来て言った。
「ハスィーとご子息にご対面出来ます。
皆様にはひとまずお引き取り願いました」
そうだったんですか!
ありがとうございます。
ハマオルさんも引き留められていた。
その他の人たちは薄々判っているみたいで、手を振ったりしながら去った。
「ハマオルさんも座って下さい」
「主殿。
失礼致します」
立っていられると俺も落ち着かないのでソファーに落ち着いて貰う。
産室が騒がしい。
と思ったらドアが開いて人がゾロゾロ出てきた。
お医者さんと産婆さんか。
皆さんは俺の前で整列して片膝を突くと言った。
「ヤジマ大公殿下。
おめでとうございます。
ご子息はすこぶる健康でございます。
もちろん奥方様にも問題はございません」
「ありがとう。
ご苦労様でした」
俺が頭を下げるとお医者さんたちは満足そうに頷いた。
それから先頭のお医者さんがハマオルさんの方を向く。
「ムオ近衛騎士閣下。
おめでとうございます。
御息女および奥方様はお元気でございます」
「感謝を」
ハマオルさんの震え声って初めて聞いたような。
「皆様。
お疲れ様でございました。
夜食のご用意が出来ております」
ヒューリアさんの誘導でお医者さんたちが去って行く。
俺は何とか立ち上がった。
力が抜けているような。
ハマオルさんもご同様らしい。
お互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
さて。
嫁と息子を拝みに行きますか。




