1.仮本部?
ヤジマ財団の仮本部とやらが一応完成したのでご覧になられますか、と聞かれたので出かけてみた。
といっても徒歩5分ほどの所にある単なる屋敷だそうだ。
馬車に乗るほどでもないので歩いて行こうとしたら、護衛が凄いことになってしまった。
俺の前後左右に数十人が展開し、上空を大小さまざまな鳥が舞っている。
さらに道の両側の屋敷や敷地を野生動物たちが追随していて、百鬼夜行みたいだ。
真っ昼間、しかもこの辺りにいる人はほとんどヤジマ商会の関係者なのにこの警戒は何?
「マコトさんは大公殿下なのでございますよ」
さいですか。
でもルディン陛下だってこれほどじゃなかったような。
言ってもせんないので黙っていたけど。
すぐに仮本部とやらに着く。
建物の規模は中程度で、今俺が住んでいるヤジマ屋敷と似たような家だった。
「ここは『仮本部』でございます。
本部は現在施工中です」
ユマさんが説明してくれたところによると、ヤジマ学園や教団の大教堂の近くの土地に新しく建てているそうだ。
将来的にはその両者やセルリユ興業舎と連携して動けるようになるらしい。
何をするつもりなのでしょうか。
「もちろん、本格的に動き出せばそこも手狭になることが想定されています。
総本部は別途構想中です」
不気味なことを言われたけど聞き流す。
カカワリアイになりたくない。
どうせ俺の資産を湯水のように使っているんだろうけど、もはや気にもならないしね。
俺たちが食って行ければ充分だから。
仮本部の中を案内して貰ったけど、事務室が並んでいるだけの殺風景な場所だった。
まだ人は入っていないらしい。
俺の執務室は物凄く豪華で、謁見室がないのが不思議なくらいだった。
「本来なら大公殿下が執務される場所には謁見室が必須なのですが」
ユマさんが肩を竦めた。
「マコトさんはそんなことはお嫌いでしょう?」
もちろんです。
私的限定でお願いします。
「かしこまりました」
それから食堂に案内されたが、屋敷の規模に比べて広くて豪華だった。
「やはりヤジマ食堂が入るの?」
「はい。
料理長はバレサ殿が内定しています」
バレサさんか。
もと「楽園の花」ソラージュ本店の料理長で、クイホーダイで至高の料理を作るという野望に燃えている人だ。
今はヤジマ商会本舎にいるんだっけ?
「そうですね。
人選も一任しましたので最高の料理が出るとかと」
それは凄い。
俺も出勤したくなってきた。
でも俺、ここで何をすれば。
「マコトさんのお仕事はこれまでと同じですよ?
我々の報告を聞いて決断して頂ければ」
そんなのでいいのか。
ほぼニートだな。
いいんじゃないの?
でも釘は刺しておかないと。
「あの、事業とかは駄目ですからね?
利益追求も不可です。
赤字か、ギリギリ採算が取れる程度の事に限定して下さい」
「お心のままに。
我が主」
ユマさんが恭しく頭を下げる。
大丈夫だろうか。
利潤追求に走らなければいいんだよ。
もちろん俺も大赤字を出し続けろとは言わないけどね。
それで俺の資産を全部スッてしまったら将来が心配だし。
まあ、多少損をする程度の仕事で回してくれればいいから。
俺は「何でもやって下さい」と許可してからヤジマ屋敷に戻った。
いつものように嫁を抱きしめ娘と遊ぶ。
嫁の腹は膨れあがっていて、歩くのすら苦労するようになっていた。
予定日までは一月くらいあるけど、もういつ産まれても不思議じゃないそうだ。
準備は万全だ。
ヒューリアさんが手配した信頼できる医者がヤジマ屋敷に常駐してくれているらしい。
もちろん名医揃い。
単に居るだけではもったいないので簡易診療所を開いて医療活動を行っているとか。
周りに住んだり働いたりしている人たちが診察や治療を受けているそうだ。
大盛況というので大変だろうと思って挨拶に行ったら逆に感謝された。
「ヤジマ大公殿下のお屋敷に詰められるなど、これ以上の栄誉はございません」
「大公妃殿下のご出産についてはご安心下さい。
我等一同、微力を尽くして助力させて頂きます」
こっちの世界では、出産はあくまで母親本人が頑張るものであって、医者と言えども補助的な事しか出来ないそうだ。
万一の場合の対処のために待機するらしい。
魔素翻訳と何か関係があるんだろうな。
それにしてもテンションが高すぎるので聞き出すとヤジマ屋敷の食堂で食えるからということだった。
毎食、ヤジマ商会本舎の舎員食堂に通っているようなもので、もうそれだけで給料がいらないくらいだと。
超一流の高級レストラン並だからな。
「我々医者はなかなか外の食堂に行けませんからね」
「ヤジマ食堂についても噂を聞くばかりで」
「それが、この仕事をしている間は毎食ですよ。
同僚の羨望が痛いほどです」
この医者たちは宮廷侍医の弟子筋らしいんだけど、ヤジマ商会が募集をかけたら大挙して志願してきて、最後はやはり殴り合いになったという。
「どうやって選んだんですか?」
「くじ引きでございます」
やはり。
実力が伯仲している場合、差が出るのは「運」だからね。
運が良い医者にかかった方が患者も助かる確率が高いと。
「もちろん誰が見ても名医という方なら優先的に選ばれますが」
実は宮廷侍医の人たちも志願したがっていたそうだけど、弟子の人たちが全員必死で懇願して思いとどまって貰ったと。
それでも「大公殿下の御子を取り上げるのに御前らでは力不足」とか言い出す人もいて大変だったらしい。
どれだけ人気なんだよヤジマ食堂。
「王宮には出店してないんでしょうか」
「宮廷は権威主義ですからね。
料理人と言えども役人です。
既得権の塊ですから私企業は進出できませんよ」
さいですか。
それはそうかも。
昔の日本にも「天皇の料理人」みたいな人がいたらしいからね。
当然腕はいいんだろうけど、それを味わえるのは頂上の人たちだけだ。
宮廷の勤め人には回ってこないんだろう。
大変だなあ。
まあ、俺には関係がない話だし。
俺は適当に挨拶して引き上げた。
飯が美味いというだけで最高の人材を引き寄せられるのなら結構な事だね。
ジェイルくんやハマオルさんたちの婚約式を内輪でやったりしているうちに季節が変わっていく。
かなり寒くなってきて、着膨れした娘がお供の野生動物たちと一緒にヤジマ屋敷の庭を駆け回っている姿を居間で眺めていた時にそれは起こった。
嫁が編んでいたセーターか何かを取り落として腹を押さえる。
「……貴方」
「来たか!」
俺が抱きしめると嫁がしがみついてきた。
「誰か!」
「ここに」
ラウネ嬢が嫁を支える。
あれっと思って見ると、部屋の隅にハマオルさんとリズィレさんがいた。
蹲っているリズィレさんの背中をハマオルさんがオロオロしながらさすっている。
リズィレさんもかよ!
「申し訳ございません
主殿。
今そちらに」
「いや、ハマオルさんは奥さんを見ていて下さい!」
お産って伝染るのかね?
すぐに召使いの皆さんが雪崩れ込んできて、嫁とリズィレさんが運ばれていった。
もちろん俺とハマオルさんも続く。
「お恥ずかしい。
このような時にお役に立てず」
リズィレさんも自分の事を考えてください!
予め準備してあったらしい出産用の部屋に二人が運び込まれて医者の人たちが続々と吸い込まれて行く。
俺たちは閉め出された。
「何で?」
「ご出産の時にはお呼び致します。
とりあえず入浴と着替えをお願いします」
それはそうか。
俺とハマオルさんは顔を見合わせてから一目散に自分の部屋に向かった。
手早くシャワーを浴びて着替えて戻ってきたけど、やはり扉は閉ざされたままだった。
「主殿。
仕方ございません」
「そうだね」
とりあえず居間に退却する。
「ぱぱ!」
娘が飛びついてきて、俺は現実に引き戻された。
そうだよね。
娘にとっても大事だ。
とはいえ、まだ判らないだろうなあ。
「あのね。
ぱぱ。
おとうとがくるんだよ」
パネェ。




