16.帰宅?
とっくに日が落ちていたので帰路は順調だった。
こっちの世界ではまだ夜になってから仕事したり出歩いたりという事があまりないからね。
道にも街灯的なものがほとんどない。
真っ暗というわけじゃないんだけど、灯りと言えば月や星なんだよ。
だからほぼ無人の街路を馬車隊が駆け抜ける形になる。
でも日本みたいな強力な照明がないから速度は遅いんだけど。
それでも人や馬車を掻き分けながら進むのに比べたら速い。
ラウネ嬢が言った。
「狼騎士隊も夜の移動が楽だと聞きました」
「何で?
夜目が利くから?」
「いえ。
昼間に道に出るとすぐに人に囲まれるそうでございます。
憧れの的でございますので」
そうか。
フクロオオカミは子供にモテるし、騎手は大きなお友達や年頃の女の子にモテそうだしな。
聞くところによると狼騎士隊の騎手はヤジマ芸能のトップダンサーと同じくらいの知名度があるそうだ。
シイルを初めとする幹部クラスの騎手にはファンクラブもあるらしい。
ユマさんかラナエ嬢の仕掛け臭いけど、俺にはどうしようもない。
関係ないからいいけど。
そういえばラウネ嬢、セルリユは初めてだったっけ?
「いえ。
一度後学のために訪問させて頂いたことがございます」
何と。
帝国騎士ってそこまでやるんですか。
「そうでございますね。
お役目で外国に赴くこともございますので、帝国騎士はできる限り経験値を上げておくことが推奨されております。
でなければ仕事の幅が狭まりますので」
「というと?」
「例えばヤジマ皇子殿下の随伴騎士のお役目でございます。
ヤジマ皇子殿下はソラージュ出身であられますので、随伴騎士の任期中に帝国を離れる可能性が高くなります。
そのお役目に志願して争う場合、ソラージュを知らなければ著しく不利になります」
なるほど。
随伴騎士もそうだけど、帝国騎士って主に従ってどこにでも行く必要があるからな。
俺やカールさんみたいに帝国出身じゃない皇族もいるし、帝国政府の要人なんかだったらもっと可能性が高くなる。
その時に帝国しか知りませんでは済まないと。
「大変ですね」
「それが故に帝国騎士は准貴族としての身分を認められております。
生半可な覚悟では勤まるものでは……申し訳ございません。
ヤジマ皇子殿下に愚痴をお聞かせしてしまいました」
「いやいいから」
つまり帝国騎士ってソラージュの近衛騎士とある意味同じなわけだ。
果たすべき役目のために大幅な特権が認められているんだろうな。
要人の付き添いのためなら何でもやる、やれてしまう存在か。
凄いね。
ふとラウネ嬢を見ると俯いていた。
頬がちょっと赤いな。
暗いから見間違えかもしれないけど。
「ラウネさんの覚悟は判った。
これからもよろしくお願いします」
「もったいないお言葉でございます。
微力を尽くしてお仕えさせて頂きます」
うーん。
サラリーマンには一番似合わない言葉かも。
俺、未だにどうしても自分が経営者だとか貴族だとか思えないんだよね。
言われた通りに踊っているだけだし。
何より俺には野心がない。
覚悟もない。
サラリーマンにはそんなもんは必要ないからな。
与えられた仕事だけやってればいいのだ。
もちろん自分がやった仕事の責任はとるけど。
転移してからも基本的にそのスタンスでやってきたつもりなんだが。
それでここまで来てしまっているもんなあ。
でも、そんなことを言い出したら今まで俺が会ってきた支配者の人たちにも、あまりそういう覚悟は感じられなかったんだよね。
いや、もちろん配下の者や領地を何とかしようという「覚悟」は皆さんお持ちだったけど。
でもそれって自分の意志というよりは単なる役目だからやっているような。
そもそも好きで王様とか大公とか領主とかやっている人ってほとんどいなかったもんな。
押しつけられて仕方なくというか、しょうがないので責任を果たそうという印象で。
クラス委員に選ばれてしまったから委員会に出席したり仕事したりしているだけとか。
それが支配者の役目と言えばそうなんだろうけど。
それに比べて商会の頭とかはやる気に満ちていた。
やりたいからやっている気持ちがひしひしと感じられたりして。
それもそういうものなのか。
ヤジマ商会の会長なのに、俺って変なのかも。
「もうすぐ到着致します」
御者席からハマオルさんの声が聞こえてきた。
ヤバい。
俺、着替えてないぞ。
儀礼服ではあるんだけどもうヨレヨレだ。
だがその時、馬車は無情にも見覚えがある門をくぐった。
着いてしまった。
大きく回り込んでエントランスに近づくと、大量の人たちが待っていてくれるのが判った。
ええと、ままよ。
暗いからよく見えまい。
「ヤジマ大公殿下!
ご帰宅でございます!」
誰かが叫んだ。
余計な事を!
馬車が止まると同時にドアを開けてラウネ嬢が飛び降りる。
そのまま片膝を突くと、エントランスに並んでいる人たちが一斉に習った。
みんな動きが揃っているけど練習したの?
俺は覚悟を決めて馬車を降りた。
エントランスに灯された多数のランブに照らされた跪く群衆。
そしてその中で一人だけ立っている美女。
「ハスィー」
「お帰りなさいませ。
貴方」
ああ、やっぱ嫁だ!
俺はこのために頑張ってきたんだよ!
思わず駆け寄って抱きつこうとして寸前で思いとどまる。
嫁が娘を抱いている!
ていうかその娘、シーラなの?
「……ぱぱ?」
全体的にふっくらとしてはいるが、既に嫁の縮小版といった所まで顔立ちが整った美幼女がそこにいた。
躊躇ったのは一瞬だった。
「ただいま。
ハスィー。
シーラ」
そう言いながら娘ごと嫁をやさしく抱きしめる。
嫁はそっとキスしてくれた。
最高だよ!
思いついて周りのみんなに立つように言う。
一斉に立ち上がられると結構ビビるな。
周りの人達からなぜか拍手が起こった。
見世物じゃねぇっての!
嫁を放し、後ろに控えている随伴騎士を嫁に紹介する。
「ハスィー、こちらは帝国騎士のラウネ殿だ。
俺の随伴騎士をやって貰っている。
ラウネ殿、こちらが俺の嫁だ」
「帝国騎士ラウネ・ハルロナでございます。
ハスィー皇子妃殿下」
嫁はびくともしなかった。
娘を抱え直すと声をかける。
「ハスィーです。
夫をよろしくお願い致します」
「は。
命に替えましても」
やれやれ。
嫁も帝国皇族の制度は知っているはずだから、俺が新しい妾を連れ込んだとか誤解しないはずだ。
いや魔素翻訳で見え見えなんだけど。
嫁は俺の後ろに控えているハマオルさんにも声を掛けてくれた。
「ハマオル。
ご苦労様でした」
「もったいないお言葉でございます」
ハマオルさんが見事な礼をとる。
うーん。
みんな凄いよね。
貴族として完璧だ。
俺ばっかいい加減だったりして(泣)。
「ぱぱ、ぱぱ」
娘が俺の方に手を伸ばして呼んでくれた。
失敗った!
嫁は妊娠しているんじゃないか!
娘を抱かせたままってあり得ないだろう?
慌てて近寄ると、嫁はにっこり笑って娘を預けてきた。
腕にずっしりとした重みがかかってくる。
もうこんなに?
「ぱぱ」
「シーラ。
ただいま」
何も思いつかないので言ってやると、娘はキャッキャッと笑って手足をバタバタさせた。
俺の事が判るのか?
単語を口に出したとか立って歩いたとかは嫁の手紙で知っていたけど、ここまで成長しているとは思わなかったな。
「あなた。
入りましょう」
嫁に促されて娘を抱いたままエントランスに入る。
嫁はかなり腹が目立つようになっていた。
でも出産は大分先のようだ。
今度こそ立ち会うぞ!
「体調は大丈夫?」
手紙では心配ないような事が書いてあったけど、念のために聞いてみた。
「順調です。
わたくしはどうも安産型みたいです」
そう言いながら俺に身体を預けてくる嫁。
抱きしめたいけど両手は塞がっている。
いや娘も大事なんだけど。
すると娘が手を伸ばして俺の首をぎゅっと抱きしめてきた。
嫁譲りの必殺技か!
嫁が気配でちょっとむっとしたのが判る。
ちらっと見たら娘がなぜかどや顔だった。
止めて。




