2.ディナー公演?
航海は順調だった。
俺はよく知らないんだけど、江戸時代の海運って海を突っ切るというよりは海岸線を辿っていくようなものだったと聞いている。
もっともこれは幕府が船の大きさや帆の形を制限していたからで、同時期の西洋の帆船は世界一周とかしていたからあまり当てにはならない。
帝国というかこっちの世界でもあまり沖には出ないようだったけど、それでも水平線しか見えないくらい陸地から離れて航行しているらしかった。
戻って来たエスタ少佐に聞いてみたら、帝国海軍にも遠洋航行用の大型帆船は少ないということだった。
理由としてはそんなものを持っていても使い道がない上に経費がかかりすぎるかららしい。
「初代皇帝陛下の命令で地図製作のための海岸線調査や航路開拓は行いましたが、大規模な海戦は未だに一度も起きておりません。
そもそも船同士が戦う状況はせいぜい海賊相手くらいしかありませんので」
「海賊っているんですか」
「賊というよりは小規模な集団が貿易船を襲うことはあるようです。
調子に乗ってやり過ぎたり人殺しにまで至った場合は各国の海軍が協力して殲滅致します」
冒険じゃないのか。
単なる辻強盗みたいなものらしい。
それも多分、孤立した集団なんだろうな。
魔素翻訳のせいでどっかの港町に潜むとか出来ないんだよ。
奪った物資を密かに売りさばくというのも難しい。
出来ない事はないだろうけど、規模が大きくなると必ず密告が入るからね。
後は単純に力の差で殲滅される。
漫画と違って海賊が正式な海軍に勝てるはずがないのだ。
小説だとどっかの領主や敵対する国が後ろ盾になって、というような話もあるけどこっちでは無理だ。
戦争になってしまう。
健全な世界だなあ。
「その代わり、ある程度の誤魔化しは見逃される傾向にあります」
エスタ少佐がため息をついた。
この人も趣味に走っていない時はまともというか有能な海軍士官なんだけどなあ。
「生活が苦しいのは皆同じですからね。
密貿易も半ば公然と行われています。
賭けですが」
「というと?」
「『逃げ延びたらお咎め無し』という暗黙のルールがあります。
襲って奪うのは無条件で犯罪ですが、こっそり運ぶ場合、現行犯以外は無罪ということです」
そういう話が昔のSFにあったな。
小惑星帯や火星辺りの星間交易で、法律に従ってやるとやたらに税金がかかってくるんだけど、パトロールを出し抜けたら無罪という話だった。
あまりにも距離がありすぎて、見えていても警察? が追いつけないケースはもうしょうがないということで。
その代わり捕まったら積み荷は全部没収。
ただしその場合でも本人は罪にはならない。
ただ大損するだけだ。
それと同じような状況が発生しているんじゃないかな。
日本でも掏摸とかは現行犯逮捕しない限り捕まえられないからね。
いや、証拠があれば別だけど。
「やったことが判っていても見逃されるんですか?」
「一度や二度ならそうですね。
海軍も暇ではありませんので。
ただしあまりにも多発する場合は特捜班が組まれて追撃になります」
やり過ぎが駄目なのか。
持ちつ持たれつという奴なのかも。
まあいいか。
俺には関係ないし。
そのまま甲板で無駄話をしているうちに、気がつくと太陽がかなり低くなっている。
もう夕方か。
そういえば俺って船の甲板で日没とか眺めたことがなかった気がする。
いつも何かバタバタしていたり忙しくて。
出来れば嫁と見たかったとか思っていると、甲板が騒がしくなった。
ハマオルさんの指揮で船員の人たちが何かやっているようだ。
テーブルと椅子をセットしている?
「主殿。
少し早いですが夕食ということでございます」
ハマオルさんが言ってきた。
甲板で食うのか。
それは楽しそうだ。
立っているのにも飽きてきたので喜んで椅子に座る。
エスタ少佐が誰かに連れられて消えた。
一緒に食わないの?
こういう席では来客をもてなすのが常道だと思うんだけど。
いや、エスタ少佐はいずれヤジマ警備に入舎するんだっけ。
釣った? 魚にエサはやらないのか。
給仕の格好をした屈強な船員さんがお茶を配膳してくれたのでありがたく頂く。
地球だったら食前酒が出てくるところだけど、こっちの世界では酒はタブーだからな。
俺には関係ないけど(泣)。
太陽が沈んでいく。
テーブルの上や周辺にランプが置かれ、何か優美なムードになってきた頃にやっと声がかかった。
「お待たせしました」
ユマさん何をしていた、と言いかけながら振り向いて固まった。
ドレスアップした美女?
「どうなさいました?」
ユマさんが微笑みながら椅子につく。
船員さんが礼儀通り椅子を引いていた。
しまった。
俺がやるべきだったか?
「お気になさらず。
というよりは主が隷の椅子を引いてはなりません」
「あ、ああ。
判りました」
丁度日が沈む直前で、ほぼ水平の赤い光線がユマさんの姿を艶やかに照らしていた。
これは卑怯だ。
いきなりだよ!
どうみても宮廷用のドレスじゃないか。
こんなことなら俺も儀礼服を着るべきだったとか思っていたら、もう一人の客が反対側から近づいてきた。
「ヤジマ皇子殿下。
失礼させて頂きます」
今度はエスタ少佐だった。
こっちも簡素だけどドレス姿だ。
海軍士官が任務にこんな衣装を持ってくるわけがないので、ユマさんの陰謀だろうな。
船員に椅子を引かれて腰掛けるエスタ少佐は居心地が悪そうだった。
でもそれにしては動作が決まっている。
明らかに経験があるな。
ていうか多分正式にこういった場合の礼儀を習ったことがあるんだろう。
やっばいい所のお嬢さんか。
「さあさあマコトさん。
何か言うことはございませんか?」
ユマさんが目をキラキラさせて聞いてきた。
この人はこういうの、好きそうだからなあ。
判りましたよ。
「お二人ともよくお似合いです」
こんな歯が浮くような台詞は柄じゃ無いんだけど!
日没直後の船上でとるディナー。
同席するのは公爵令嬢と海軍将校。
こっちは……ええと伯爵か。
ハーレ○インの設定みたいだ。
でもあのシリーズ、ヒロインが二人というのは駄目だと聞いたことがある。
複数だとハーレムになってしまうからな。
あくまでヒロイン側から見た話なので、美女が二人いたらどっちかは悪役なのだそうだ。
この場合、悪役令嬢と言えばユマさんか?
エスタ少佐は令嬢というよりはキャリアウーマンだし。
「略術の戦将」なんていう二つ名を持つ悪役令嬢というのも異色だけど、ユマさんがその役だったらざまあどころか国全体が支配されてしまうだろうな。
一瞬そんな妄想が頭の中をよぎったけど、これは現実だ。
俺は主役じゃないしユマさんとエスタ少佐もヒロインじゃないだろう。
いやお二人ともやろうと思えば出来そうだけど。
「ありがとうございます」
「私は……何というか……ありがとうございます」
エスタ少佐は思った通り巻き込まれただけらしく、しどろもどろだった。
まあまともに対応出来ているだけでも凄いけど。
「しかしどうしてこんな?」
「ちょっとした余興です。
お気になさらず」
何か企んでいるらしい。
まあいいか。
腹も減ってきたしな。
ユマさんの合図があったのか、食事が始まった。
今回はこの3人だけなのか。
ハマオルさんやラウネ嬢は参加しないのかと思ったけど、多分俺の従者という位置付けなんだろう。
ユマさんが主催でエスタ少佐が客といったところか。
もう太陽はすっかり沈んでいて、西の水平線が壮大な赤に染まっている。
こういうロマンス小説みたいな状況に放り込まれるとはなあ。
でも俺には嫁も娘もいるからね。
ロマンスにはならないぞ。
その時だった。
低い轟きのような音、いや振動が辺りを覆った。
テーブルや椅子もぶるぶる震えている。
地震?
いや海底火山の爆発か?
「これは?」
エスタ少佐が腰を浮かせたけどユマさんは落ち着き払っている。
振動は徐々に落ち着いていったかと思うと、不意に壮大な「音」が周りを満たした。
これはあれだ!
鯨さんたちの歌だ!
慌てて海面を見ると「アレスト」の周囲を複数の黒い巨大な身体が囲んでいた。
いつの間に!
「マコトさん。
お座り下さい」
ユマさんに声を掛けられて腰を落とす。
何てこった。
これって?
「はい。
ヤジマ海上警備の提供による『鯨公演夕食会』でございます。
鯨の皆さんが是非マコトさんに味わって頂きたいとお申し出になり」
これが噂のアレかよ。
人気が出るはずだよなあ。
ハワイのディナークルーズなんか目じゃないぞ。
感心しながら食卓に目を戻すとエスタ少佐が腰を浮かせたまま気絶していた。
よだれ垂れてない?




