25.インターミッション~ユリス・エラ~
「兄上、それは?」
通信文を睨んでいると弟が聞いてきた。
書類を覗き込んでくるので渡してやる。
別に秘密というわけではない。
「これは……帝国皇太子が立太子されたと」
「オウル殿という方らしい。
しばらくは皇太子として活動されるそうだ」
言葉を切る。
「すると?」
「俺への圧力が益々強くなりそうだな」
ソラージュは既にミラス殿下が王太子として立たれている。
帝国にも皇太子が立った。
ララエは制度が違うからいいとして、だったら大国のひとつに数えられるエラはどうなのだ、という議論が再燃するはずだ。
というよりは激しくなる。
国王陛下の後継者については常に話題に上っているから。
「兄上しかいないのでは?」
弟が苦笑含みに聞いてくる。
とんでもない、と言いたいところだが否定出来ない事実だ。
俺が王太子に相応しいということではなく、他にいそうにない。
上の兄上も下の兄上も逃げてしまった。
俺が宰相になってサポートするから是非、と申し上げたのがまずかったのかもしれない。
余計な事をするんじゃなかった。
「俺も逃げるか」
「その時は僕も一緒に連れて行って下さいね」
間髪を入れず返された。
こいつもか。
エラみたいな面倒くさい王国を背負うのは真っ平だからな。
国王の補佐としてならまだいいが、次期国王などご免だ。
と言っていられない状態なのだよな。
俺は机の上に山積みになっている書類を眺めた。
本来は宰相が審査して国王陛下が決済するべき書類が混じっている。
宰相のサインはあるから陛下の指示に違いない。
空欄に乱暴にサインする。
こうやってなし崩し的に王太子を押しつけるつもりか。
それが判っていても抵抗できない。
エラが危機的状況にあるのは間違いないし、陛下の後継者問題が拗れれば即国家の危機に直結しかねないからだ。
帝国の皇帝も代々こうやって押しつけられて登極してきたと聞いたことがあるが、実の所それはエラでも同じだ。
いやエラの方が酷いかもしれない。
国王をやりたがる者はたくさんいるが、やらせたらそのまま内乱になりそうな奴ばかりなのだ。
エラ王国の場合、国王登極には貴族院の承認が必要だ。
絶対君主制国家にしては異端とも言えるが、これは数代前の国王が貴族院の反対を押し切って法制化したものだ。
逆じゃ無いのかと最初に聞いた時には思ったものだが、今ならよく判る。
絶対君主制だからこそ、貴族たちの支持が不可欠なのだ。
エラ王国は君主の血筋を重んじる典型的な封建国家だが、世襲は必ずしも男系や直系には拘らない。
つまり国王の一族が絶えてしまった場合でも、先代で臣籍降下した王族の血が濃い者の中から選ばれた者が国王に登極出来る。
実際、帝国建国以前の群雄割拠時代にはエラ正統の血が何度となく絶えてしまい、その都度かなり怪しげな家系から次の国王が立った記録が残っている。
エラ王国国王の系統はかろうじて血は繋がっているが、万世一世の血筋であると公言出来るかどうか不明なほどだ。
それでも既知の血統の中では最古参に近いので、エラ王国の貴族たちは歴史と伝統に拘る傾向がある。
それは良いのだが。
逆に言うと歴史と伝統に添ってさえいれば大抵の事は容認されてしまう。
つまり、何かしらの理由があれば現在の国王の子孫以外からでも次の国王を立てられるということだ。
いやそんな面倒な事をする必要もない。
陛下の子供はいくらでもいる。
貴族が適当な者を押し立てて次の国王に推すことが出来てしまうのだ。
それが判っているだけに陛下は慎重だ。
なかなか王太子を立てないのもそれか。
少なくとも貴族の大多数が支持する者でなければ、次の国王が登極した途端に内乱になってしまう可能性がある。
「だから兄上が」
弟が茶々を入れてくるのを手を振って黙らせる。
貴族どもも別に内乱を招きたいわけではない。
それはもちろん、自分が推す者を傀儡にしてエラ王国を牛耳りたいという誘惑はあるだろうが、あまりにもリスクが大きすぎる。
エラは既に斜陽の王国だ。
強力な新興国家である帝国やエラの舎弟分だったはずなのに最近目を見張るほど力をつけてきているソラージュ、あるいは独特の統治形態で発展を続けるララエに対して風下に立たざるを得ないことは皆判っている。
ここで国内の勢力争いをしている場合ではないのは馬鹿でない限り明白だ。
「問題は、少数とはいえその馬鹿がいることだよなあ」
「馬鹿は絶えることがありませんからね」
いつも思うのだがこの弟は茶坊主になるために生まれてきたのではないだろうか。
もちろん擬態ということも有り得る、というよりはもちろんそうだろうが。
実際、この弟は俺より国王に相応しいんじゃないかとよく思う。
この如才の無さは魑魅魍魎が蠢くエラ宮廷にぴったりなのではないかと。
「だからそういう誤解を出来るだけ広めないためにも今の僕が必須なんですよ」
やはりこいつは油断できん。
自分が王太子、いや国王にならないためには何でもやりそうだ。
まあいいか。
外堀を埋められつつあるのを感じながら書類にサインを続ける。
ふと一枚の書類が目に留まった。
交易の申請か。
申請者はセシアラ公爵家のサリア殿。
内容は王都エリンサを経由した交易ネットワークの設立。
ヤジマ商会だな。
「ああ、それは例の野生動物関連事業のためのルート設立ですね」
弟が口を出してきた。
「知っているのか?」
「王都の各省に根回しが済んでいます。
実際には既に確立している事業の後付け承認かと」
なるほど。
セシアラ公爵領はマコト殿との友誼のせいもあって野生動物関連事業が盛んだ。
というよりはエラにおける最大拠点になっている。
その発展ぶりは貴族共の間でも噂になるほどで、野生動物などに関わるのは品位を落とすだけだと主張していた連中が小さくなっているらしい。
「しかし妙だな。
交易ルートの開設など、別に王政府の許可が必要なものでもあるまいに」
「書類をよくお読み下さい。
交易ルートは他領を経由することになっています」
改めて見てみると理解できた。
なるほど。
エラ国内の交易は当然街道を通ることになる。
この街道は領地に関わらずエラ王国の所有つまり王領と見做されるので交易のための使用に制限はないのだが、セシアラ家の事業は必ずしもそうとは限らないらしい。
道無き道や獣道しかないような土地も平気で突っ切ることが出来るわけか。
それらの土地は当然いずこかの貴族の領地であるわけで、その領地貴族からの反対の声を抑える必要があると。
「違います。
反対されればその経路は使われないことになります。
そうなれば、その領地は置いて行かれます」
この波に乗り損ねた領地は寂れる一方でしょうね、と弟。
何と。
えげつないやり方だ。
だが合法であるし、ルートを通すことに反対されたら引っ込むのは道理だろう。
その正当性を予め王政府に承認させるための根回しか。
セシアラ公爵家、高貴なだけで古くさい家柄の弱小貴族と侮っていたら大変なことになるぞ。
いや違うか。
責任者のサインはサリア殿になっている。
確かミラルカ殿の娘ごで、特に称号も爵位もない公爵家の令嬢だったはずだ。
つまり現在のセシアラ公爵やその嫡子である次期公爵は関わっていない。
するとこれはセシアラ公爵家の事業というわけではないと。
思わず笑みが漏れた。
凄い。
着実に価値観の変動が進行している。
次世代の力ある者どもが既に動き出しているということか。
「そういえば兄上」
弟が言った。
「帝国皇太子殿ですが、噂ではマコト殿の従者だと名乗っているそうです」
「何だそれは。
あり得ないだろう」
「ですよね。
しかし複数のルートから入ってくる情報によれば、どうやらそれは事実であるようなのです」
マジか。
帝国の次期皇帝がマコト殿の従者だと?
マコト殿は確かにララエの名誉大公だが、ソラージュの爵位は伯爵だったはずだ。
いや、帝国においては皇子か。
オウル殿は皇太子に登極される前は皇族で、つまりマコト殿と同格。
その時点ならかなり無理はあるが従者ということもあり得ないわけではない。
だが今のオウル殿は皇太子だぞ?
その上にいだく方は皇帝陛下以外あり得ない。
「不敬ではないのか」
「それが、どうも帝国皇帝陛下ご自身もお認めになっておられるというか、何もおっしゃっておられないとのことで」
「おい。
それってヤバくないか?」
「ヤバいです。
列強の中でエラだけが置いて行かれています」
「そうだ。
ララエは既にマコト殿を自国の最高位身分に叙任した。
ソラージュはもともと自国の貴族で、当然これから何らかの動きがあるはずだ。
そして帝国におけるマコト殿は皇族。
いや現在では帝国皇太子の後ろ盾か」
北方諸国は既にヤジマ商会の属国のようなものになり果てているから問題外だ。
「我国だけが蚊帳の外、というわけですね」
まずい。
このままではエラが世界標準から閉め出される恐れがある。
ヤジマ商会の進出についても未だに反対している貴族が多いほどで、マコト殿に取り入る雰囲気ではない。
どうする?
「兄上」
弟が悪戯っぽく笑った。
「窮地は機会です。
これを何とかすれば王太子登極の実績としては充分かと」
余計なお世話だ!




