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サラリーマン戦記 ~スローライフで世界征服~  作者: 笛伊豆
第五章 俺はギルドの臨時職員?

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12.謎の訪問者?

 メゾネットに着く頃には、もう空が蒼を通り越して黒くなっていた。

 あまり星は出ていない。

 アレスト市には工業と言えるほどの産業がなく、本来なら満天の星でも不思議ではなかったのだが、この文明度では家庭における動力/火力は竈とか炉だ。

 つまり、すべての家庭で火を燃やして暖を取ったり煮炊きしているわけで、その煙がいつも漂っている。

 一言で言えば、煙っぽい。

 その煤煙やらスモッグが、街の上空に溜まっているのかもしれない。

 メゾネットは、俺の家だけじゃなくて一棟全体が暗く静まりかえっていた。

 誰も住んでいなかったのかもしれない。

 鍵を取り出して玄関のドアを開け、真っ暗な中を手探りで移動して、テーブルの上のランプを見つけて火をつける。

 やっと明かりが灯って、寒々としたリビングが浮かび上がったが、何かするにしても暗すぎる。

 風呂とかとんでもない。

 自分で薪に火をつけるところから始めるんだぜ。その前に水を汲まないとならないし。

 ラノベだと、こういう面倒くささは全部省かれていたからなあ。あるいは、魔法で何とかしてしまっていたり、美少女が全部やってくれたりしていた。

 そんなの、あるわけないだろう。

 俺も自分が実際にやってみるまで、産業革命以前の生活がどれだけ面倒なのか、理解していなかったからね。

 こんな暗い中で、しかもほとんど知らない場所で出来ることなんか、ほとんどないぞ。

 だから、俺は今出来る唯一のことをした。

 荷物を床に放り出して、ランプを持って二階に上がり、寝室に入ると、届いていた毛布を掴んでベッドにダイブしたのだ。

 ちなみに、ベッドはマルト商会の寮の奴と違って、間違いなく高級品と言えるものだった。

 ふかふかで、広い。

 すぐに眠った。

 疲れていたんだよ。精神的に。

 起きると、例によって夜明けだった。

 超健康的な毎日だが、さすがにこれからは、この方法はきつい。

 マルト商会の寮と違って広くて部屋数も多いし、掃除もしないといけないだろう。

 これで仕事するとしたら、そのうちゴミ屋敷になるのは目に見えている。

 日本で言うと、昇進してやったことがない仕事が押し寄せてくると同時に、何も判らない一軒家に一人で住み始めたようなものだ。

 しかも借家だ。

 無理。

 下の世話とまではいかないけど、家の世話をしてくれる人を雇えないかどうか、アレナさんに聞いてみないと。

 いや、別にメイドなんか期待してないからね。

 ラノベじゃないんだから。

 どうせメイドといったって、中年のオバサンだろうし。

 朝飯をどこで食うのかという心配はあるが、どっちにしても今はどの店も開いていないだろうから、俺は昨日マルト商会の飯場からかすめ取ってきたパンの塊を囓りつつ、メゾネットをざっと見て回った。

 昨日は急がされて、大体の部屋割りくらいしか見なかったからなあ。

 結果として、一階が玄関とリビング、竈付きの台所、食堂、風呂とトイレで、二階には3部屋あることが判った。

 ちなみに納戸らしい部屋は別である。

 思ったよりでかい家だった。

 日本のマンションの3LDKとは訳が違う。

 あと、一階に寝棚しかないような狭い部屋があったが、あれって多分、使用人の部屋じゃないのかなあ。

 住み込みのメイドがあの部屋で……いや、有り得ないから。

 キッチンに入ると、驚いたことに水道の蛇口? があった。

 さすがギルド上級職用の家だ。

 変な形のハンドルを捻ると、冷たい水が出てきた。

 これはいい。

 今までは、水が飲みたくなるとわざわざ階段を降りて、流しの所までいかなければならなかったからな。

 この家でも、寝室からだと距離的には似たようなものだが。

 水を満足するまで飲んで、顔を洗ってから俺は荷物を解いていつもの作業着を取り出す。

 一番くたびれている奴で、トレーニングウェアにしているんだよね。

 トイレは残念ながら汲み取り式だったけど、家の中にあるのは助かった。

 マルト商会の寮のトイレって、半分外というか、一度寮を出てから建物を回り込んで外側から入る形式だったからな。

 雨が降ったりすると、大変だった。

 準備が出来ると、俺は日課をこなすべく外に出た。

 家の鍵をかけて、念のためにギルドの身分証の鎖を首にかけて胸ポケットに入れると、まずは体操だ。

 といっても、我流でラジオ体操みたいなものをやるだけだけど。身体が意外に覚えているもので、何とかなっている。

 もちろん正しい方法かどうかは判らない。

 正式にやる必要もないしな。

 それを身体が温まるまでやってから、俺は走り出した。

 最初のうちは、1キロくらいでへばっていたんだけど、今はまあまあのスピードで30分くらいは平気になっている。

 もちろんマラソンじゃないんだから、タイムを計ったりしない。あくまで体力増進のための運動なのだ。

 それでも、何となくこっちに来てから身体が引き締まってきているような気がする。

 体重計がないのでよく判らないけど、3キロくらいは減ったかもしれない。

 もともと標準体重だったから、あまり贅肉は無かったと思うんだけどね。

 でも、ホトウさんが「とにかく走れ」というもんだから、とりあえずそれを忠実に守っているわけだ。

 確かに健康にはなったな。

 夜は超よく眠れるし。

 この辺はよく知らないので、とりあえず記憶を頼りにギルドの建物を目指して走った。

 あの建物、最初はそんなに大きく感じなかったんだけど、どうも門口が大したことがないのに奥行きが広く、しかも奥に行くに従って広がっているらしい。

 結構でかい建築物だし、前の道からは見えないところに高い塔なんかもあって、ランドマークとして使えるのだ。

 ギルドの建物を一周して、公園みたいになっている場所を走っていると、早起きの人なのかちらほら人の姿が見えてきたので、そこで切り上げて帰途につく。

 こっちって、電力がないせいでみんな夜が早く、従って夜明けとともに動き出す人も多いんだよね。

 朝飯前の一仕事、という奴か。

 でもギルドなどの始業時刻は、俺の感覚だと午前9時といったところなんだよな。

 みんな、それまでは家の仕事をしているのかもしれない。

 動力装置がないと、何をするにもやたらに時間がかかるからなあ。

 メイドが欲しいな。

 いや、そういう意味じゃなくて。

 メゾネットが見えてきた時は、俺もいいかげんに息が上がっていたけど、俺の家の前に誰かが立っているのが見えた。

 何だ?

 非常呼集か?

 足を緩めてその人影に向かう。というか、俺の家の玄関に向かっているんだけど。

「そこの人」

 向こうから声をかけてきた。

「ちょうど良かった。この家の主を呼んでちょうだい」

 高飛車だな。

 ちょっとムカッとくる。

 ラノベによくあるシーンだけに、かえって嫌だ。

 いや、ラノベじゃないのは判っているけど、朝っぱらから何でこんなおきまりのシーンが出てくるのだろう。

 そこに立っていたのは、珍しくもスカートを履いた、俺の感覚では高校生くらいの女の子だった。

 もちろん美少女である。

 いや、顔も整っているけど、たたずまいというか、態度が美少女だ。

 俺もこっちの世界に来てから今まで、実にさまざまなラノベ的な美少女や美女に会ってきたけど、この女の子ほどラノベ的な人は初めてだった。

 ツンデレとして。

 いや、ツンツンか。

 これはちょっと、今までの人たちとは違う。

 いや、ある意味みんなラノベ的だったけど、それは俺が庶民だからそう見えただけと言えなくもない。

 ハスィー様なんか、マジでラノベに出てきそうな人だし。

 エルフだけど。

 まあ、そんなことは関係がない。

 疲れていたこともあって、俺はその娘を無視して玄関に向かった。

「返事をなさい! それが使用人の態度ですか!」

 あ、これもラノベだな。

 というよりは、むしろ古典的なラブコメなんじゃないだろうか。

 明らかに、俺を格下に見ている。

 まあ、それも無理はないけど。

 俺の今の服装って、冒険者の、それも明らかに安っぽい作業着だもんね。

 この態度からみて、多分朝から俺に会いに来て、呼んでも返事がないので家の前で立っていたところ、どうみても使用人である俺が来たので声を掛けた、というところだろうな。

 で、無視されたので腹を立てたと。

 嫌だなあ。

 俺は、今はそんなラブコメなんかやりたくないんだよね。

 社会人は、色恋の前にまず仕事だ。

 特に俺は臨時職についたばかりで、何か失敗して愛想を尽かされたら途端に無職の立場だ。

 面倒な女に関わり合っている暇はないんだよ。

 無視だ無視。

 だがその女の子は、素早く俺の前に回り込んできて叫んだ。

「その態度は何? あなたのご主人に言われてもいいの? 謝りなさい!」

 ああ、五月蠅い。

 俺は、ゆっくりと向き直ると、胸ポケットからギルドの身分証を引き出して、翳した。

 女の子が何か言いかけて、絶句する。

 相手が固まっている間に、俺は素早く玄関の鍵を開けて滑り込み、思い切り閉めた。

 朝っぱらから、面倒は御免だ。

 俺、ハードボイルドっぽくない?

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