6.俺だけじゃないんだ?
俺は、思わずカップを取り上げてガブッと飲み干した。
主人公は他にいるということか。
いやいや、そんなことはどうでもいい。
いよいよ本格的に厨二だということが証明されてしまったことがショックだったのだ。
だって異世界はともかくとして、そこに住んでいる人が異世界からやってきた勇者(違)のことを知っている、というのがもう明らかなアレではないか。
そんなに都合がいいはずがあるものか。
俺みたいなのが結構いるとする。
だとすると、もっとそいつらが持ち込んだ文化とか文明とかが広まっているはずだ。
ライターとか懐中電灯、あるいはスマホとかを魔法の品じゃなくて技術ですよ、とか言って産業革命を起こすというのが定番だろう。
でも、そんな様子はまったくない。
蒸気も電気も無線通信もなさそうなのだ。
「俺みたいなのが、前にもいたのですか」
「私もそういった人に会うのは初めてだ。
だがずいぶん前に来て落ち着いた人に会った人から話を聞いたことがある。
そういう存在が昔からいることは、割合に広まっているよ。
子供の頃からまず物語の形で聞かされるし、定着して生活したという記録も多少は残っているからな。
ただ、大抵の人は物語の中の話だと思っている」
そうか。
社会的に認められているのか。
都市伝説みたいな形で。
「ですが、そういう人たちの影響があんまり見えない気がするのですが」
「それはそうだろう。
人口比で数百万人に一人というレベルだからな。
確かに魔法のような品物を持ち込んで来た人もいたらしいが、壊れたらそれまでだ。
同じものを製造することもできない。
最終的にはこちらの社会に同化して終わる」
そうなのか。
確かに異世界物では文明のレベル差から異世界に迷い込んだ人が、その科学知識やチート技能で圧倒的な革新をもたらすことが多いけど、実際には無理だろうな。
まず産業基盤がない。
ダ・ビンチは飛行機やヘリコプターまで設計していたというが、当時の冶金技術や達成できる金属の構造強度がその設計を現実化できるほど発達していなかったため、夢物語で終わったらしい。
俺だって自動車やスマホや原子炉の存在を知っていても、それを自分で作れるわけではない。
出来もしないことを語ったところで、それは妄言でしかないわけか。
そして今の話から判ることは、そういった異世界人たちは結果的にこの世界に大した影響を及ぼしていない、ということだ。
さらに言えば、異世界人だからといって殊更に迫害されたり排斥されたりすることもない、と。
「そうですか。
ちょっと、ほっとしました」
「いや、私も詳しいことは判らない。
一般の人は、ほとんど意識していないんじゃないかな。
自分には関係が無いと思っているのだろう。
それにそういった人たちが社会で台頭したり、大きな影響力を持ったと言う記録も公式には存在しない」
なるほど。
それはそうだ。
異世界にいきなり現れて、王女とかエルフとかに見初められて英雄になるってのは、厨二病患者の妄想でしかない。
チート能力や知識があるわけではないんだから、当然だ。
いやちょっと待て。
社会に溶け込んで消えてしまうだけなのだろうか。
「その異世界から来た人たちが、元の場所に還ったという話はありませんか」
マルトさんはふむ、と腕を組んで空中を見つめた。
「私が読んだり聞いたりした限りでは、ないな。
大昔の、いつの間にかいなくなったというような結末のお話くらいか」
「そうですか」
その大昔の場合、多分のたれ死んだのだろう。
あるいは本当に還ったのかもしれないが、それは偶然だ。
少なくとも体系的な帰還方法が確立されてはいないことは確実である。
よし。
ここは覚悟を決めるべきかもしれない。
この世界には迷い込んできた人はいるが、基本的には還った人はいない、ということだね。
完全に諦めるべきではないかもしれないが、それは最終目標ということになる。
ここはとりあえず棚上げにしておくべき目的と言える。
少なくとも、僅々に達成しなければならない目標ではない。
では何を目的にするべきか。
生き残ることだな。
喰って寝て生活できる基盤を作ること。
いやその前にまずは安全保障を考えなければなるまい。
そう思って正面を見ると、なぜかマルトさんが俺をじっと見つめていた。
「冷静だな」
「いえいえ、パニクッてますよ」
パニックって通じるのか、と思ったが、通じているらしい。
どうなっているのだろう。少なくとも、パニクるという単語が判っているわけではなさそうだけど。
「少し不思議なんですが」
「何か?」
「基本的なことです。
どうして言葉が通じるんでしょうか」
聞いてしまった。
そう、異世界物で必ず出てくるこの問題。
転生して最初からこっちで成長するとかならともかく、いきなり異世界に飛ばされた者が現地の人とペラペラ話せるのはどう考えても変だ。
いや俺は今、まさしくそれをやっているんだが。
俺が読んだ小説では、何か魔法みたいな言語翻訳機能が働くという設定と、苦労して新しい言葉を学ぶというものの2種類があった。
その他に異世界で日本語が使われていたというようなものもあったけど、それはどう考えても無理がある。
大昔に迷い込んできた日本人が建国した国だから日本語が共通語になっているというような大技もあったなあ。
でもそれでは現代のカタカナ語やスマホみたいな新しい概念が通じる説明にはならない。
大体、日本人同士だって百年もたてばそんなに滑らかに意思疎通が出来るとは思えないぞ。
現代人同士でも地方が違えば方言ごとに意味が判らなくなるくらいだから、異世界物ではここが一番のネックと言える。
だがマルトさんはあっさりと言った。
「簡単だ。
言葉は通じてない」
だよね。
マルトさんが今話した言葉、つまり俺の耳が聞いたのは意味不明の発音だった。
ちょっとカタカナですら表現できないような、不思議な音の連なりだ。
フィンランド語とか、そのあたりが近いのではないだろうか。
イメージ的に。
「だが、意味は通じる。
それについてはこっちでも研究が進んでいてね。
『魔素』と呼んでいるが、それを媒体としてお互いの意志が通じ合っているというわけだ」
魔法?




