17.緊急呼び出し?
それから数日間、俺は待機という名のボッチ状態に置かれたまま、虚しく絵本を読み続けた。
事実上、何もしないで給料が出ている状態だ。理想の暮らしとも言える。衣食住完備だしな。
でも、これって拷問だよ。
「働いたら負け」という言葉を本心から言える人は勇者なんじゃないのか。
いや、俺だって十分な貯金があったり親が信託預金か何かを用意したりしてくれているんだったら、そっちの方に走るけど。
だが、将来の見込みがまったく立たない状態で、何をすればいいのか判らないままボッチを続けるって、S○N値をゴリゴリ削られ続けているようなものだ。
でもどうしようもない。
サラリーマンなんだから、言われたことを守るしかない。
仕方なく、朝夕のジョギングと絵本での勉強を続けている俺なのであった。
なお、絵本についてはキディちゃんが定期的に新しいものを補充してくれるので、結構字を覚えたような気がする。
なんでそんなに絵本があるのかと思ったが、『栄冠の空』に参加する冒険者の中には文盲がかなりの確率で混じっているためで、やる気がある人のために準備してあるから、とのことだった。
面接の時、研修とか言っていたのはこれだったらしい。
だって戦い方とかそういう研修なんか、まったくないもんな。普通の新人は、雇われる時点でそういった技能は水準をクリアしているのだろう。つまり、要求される水準になければ契約して貰えない、ということだ。
俺が特殊なんだよね。
だが、結果がすべてだ。
インターンでも派遣社員でも、なった方が勝ちだ。
前にアニメで見たけど、新人声優がテレビアニメのレギュラーを貰えたのはいいが、超チョイ役で台詞が2つ3つしかなくて腐っていたのに、それすら貰えない仲間から羨望の眼差しを向けられていたのと同じだ。
『栄冠の空』に、無給どころか金払ってでも入りたいという冒険者は多いだろう。そこに所属したというだけで、経歴に箔が付くからだ。
日本でも、三○商事とかリク○ート出身です、というと同じ中途入社社員でも違った目で見られるもんな。
俺の業界だとグー○ルとかマイク○ソフトにいた、というのは勲章だったし。
まあ、だからといって必ずしも優秀とは限らないんだけどね。それでも、そういう経歴があると、今後の転職や就活に有利になることは間違いない。
だから今の俺の立場って、大抵の冒険者志願からは俺を殺してでも成り代わりたいと思われるくらいのものなはずなんだけど。
俺、何度でも言うけど冒険者なんかにはなりたくないんだよ。
出来ればもっと安全で楽な仕事がしたい。
こんなガテン系じゃなくて。
ていうか、働きたくない。
でもしょうがない。
大学時代に、就活仲間でいつも「仕事なんかしたくないけど、仕方がないからサラリーマンになる」と言い合っていたのと同じだ。
サラリーマンになれて、とりあえず衣食住確保できているんだから、いいじゃないの。
いや、俺もそう自分に言い聞かせて毎日過ごしているんだけどね。
延々と絵本を読んでは板に汚い字を書き付けているだけの毎日がもう。
「マコト、いますか」
突然ドアがノックされて、返事もしないうちにジェイルくんが入ってきた。
馴れ馴れしいな。
俺が着替え中だったらどうするんだ。
どうもしないか。
「『栄冠の空』から呼び出しです。すぐに事務所に来るように、ということです」
呼び名が『拠点』から『事務所』に変わったみたいだ。
魔素翻訳って、時々こうやって辞書を更新するんだよね。
つまり、俺の認識ではようやく『栄冠の空』が会社になったわけだろう。
俺自身が勤務しているんだから、当たり前だけど。むしろ遅かったくらいで。
俺の脳も、冒険者のチームを会社と思うのには躊躇があったんだろうな。でもどうみても会社なので、ついに妥協したと。
俺の無意識って、本人より忙しく考えているんじゃないのか。
「判りました。すぐ行きます」
会社からの呼び出しだ。
社畜としては是非もない。
俺は早速支給された装備を纏うと、ジェイルくんと一緒に『栄冠の空』に向かった。
うん。
この『装備を纏う』って何かカッコいいよね。
戦隊のメンバーに出動がかかって、私服から戦闘服に着替えるみたいで。
でも、よく考えたらむしろ悪の組織の戦闘員が呼び出しかけられてアジトに駆けつける方が近い気がする。
特に、自分が何をやらされるのかまったく判らないのに急いでいるところが。
「何かあったんでしょうか」
「私も、急にギルドから連絡が来ただけで、内容までは」
ギルドからか。
つまり、これは訓練とかじゃなくて『出動』だろうな。それも緊急事態だ。
俺も実際にパーティに参加してみて判ったんだけど、そもそも冒険者のクエストって準備に十分時間をかけるんだよね。
考えてみれば当たり前で、俺の業界でいうとアプリケーション開発するのに、いきなりプログラミングを始める奴はいない。
まず企画書を作り、工程表とか予算とか仕様書とか、よく知らないけど上流工程の仕事を全部済ませた後で、やっとメンバーを集めて開発にかかるわけだ。
その開発メンバーも、新しいシステムの場合は事前に準備が必要になることもある。
技術レベルとか得意分野とか、色々あるからね。
ひょっとしたら開発ツールや高スペックのサーバーが必要になるかもしれないし。そういうのを購入してセッティングする予算とか時間が必要になるわけだ。
だから、普通の人が想像しているシステム開発は、大方仕事が終わった後の後処理みたいなものに近い。
で、準備を十分にやらなかったプロジェクトは、途中で破綻してパーになったりする。
戦争だって同じだろう。
実際に戦う前に死ぬほど色々準備して、戦う時にはもう、その時点でほぼ結果がわかっていることがほとんどだ。
そのくらい、準備ってのは大切なんだよ。
冒険者のクエストも同じで、普通なら「これこれの目標を立てたので、クリアするためにこういうメンバーを集め、こういう装備を用意して」といった作業がみんなが満足するまで延々と続くことになる。
それが終わらないと、出発できないのはもちろんだ。
ラノベに出てくるみたいに、ギルドの掲示板に貼ってあった依頼を受けて、そのまま出発ってどう考えても無茶だろう。
事前のデータが掲示板の依頼書以外まったくなしにクエストやるわけで、ゴブリン5匹と聞いていたのに行ってみたらオークが30匹ついていた、というような状況だったらどうするつもりなのか。
ラノベの主人公は、それでもチートで何とかしてしまうんだけど、それってつまりオーク30匹を殲滅できる装備や実力がある冒険者が、ゴブリン5匹退治の依頼を受けたということだ。
一般庶民の家族が海外旅行するのに、旅客機を丸ごとチャーターするようなものだ。
どう考えても大赤字。
そんな実力があるんだったら、最初からゴブリン退治の依頼なんか受けるはずがない。
実力がないからゴブリン退治に行くわけで、行ったら殲滅されて終わりだ。
まあ、中にはチートな冒険者がいるかもしれない。だが、そんなことをやっている冒険者は長生きできない上に、死ななくても経費が収入を上回って破産だ。
だから、少なくとも『栄冠の空』では準備に徹底的に時間と手間をかけるそうだ。
目標達成ができるかどうかだけでなく、経費が収入を十分余裕を持って下回るかどうかもチェックする。
仕事だからね。
ゲームと違って経験値を上げるだけでは、飯は食えないから。
あ、俺がホトウさんのパーティでフクロオオカミのツォルさんと会った時のクエストは、準備が終わってさあ出発という時に、俺がひょっこり参加したらしい。
クエストって、それくらいめんどくさいものなのである。
それを聞いて俺は逆に安心したんだけどね。
いきなりダンジョン突入、というような仕事は、『栄冠の空』ではなさそうだったから。
なのに、突然の呼び出しだよ。
不安だ。
『栄冠の空』に着いてみると、すでにホトウさん以下パーティ『ハヤブサ』のメンバーが集まっていた。
キディちゃんやシルさんもいる。
ホトウさんは、俺とジェイルくんを認めると手招きした。
「これでこっちのメンバーは揃ったね。今回は急に集まって貰ってすまない。ギルドから、大至急対処して欲しいって要請が来たんだ」
やっぱり。
でも、『ハヤブサ』というか、ホトウさん以下のメンバーはタスク・フォース専属になったんじゃないんですか?
「そのタスク・フォースの仕事だよ。というか、むしろ『ハヤブサ』の仕事の後始末というべきかもしれないけど。
とにかく、もうすぐにギルドの人たちが来るから、先方から説明があると思う」
俺たちの仕事の後始末?
っていうと、やっぱりアレですか。
暴走しかけていたフクロオオカミのツォルさんが、ついに暴走したと?
でも、失礼だけどそのくらいでギルド自体が動くのか?
暴走族の若者がちょっとやりすぎたくらいで、機動隊が出動するようなもんだぞ。
俺が色々考えているうちに、ギルドの人たちが到着したらしく、どやどやと人が入ってきた。
あまり広いとは言えない『栄冠の空』の接客スペースが、たちまちいっぱいになる。
ハスィー様がいる。
アレナさんの顔も見える。
あと何人か、こないだ教えて貰ったギルドの警備隊の制服を着たガタイのでかい人たちが、ハスィー様を守るように控えている。
それとは違った、ちょっと派手な制服は騎士団か?
それから……あれって、教団の人たちじゃないのか?
数人のローブ姿の真ん中に、ひときわ小柄なお姿。
僧正様まで?
何事?




