10.楽園の花?
と驚いてみせたが、実はよく判らない。
そんなに大変なことなんだろうか。
「スウォークは、めったに人前に出ないんです。一生見ない人もいるくらいです。大抵の人って、スウォークは架空の存在だと思っているんじゃないかな」
キディちゃんの言葉をシルさんが訂正する。
「それほどではないが、禁忌の対象ということで、物語に出てくる存在だと思っている人の方が多いかもしれない。
普通に生活していたら、まったく接点がないんだ。教団の支部に行っても、普通スウォークは表に出てこないしな。大抵の人は、そもそも自分とは関係がないと思っているから、関心もない」
「そうなんですか。そこまで珍しいとは知りませんでした」
シルさんが、ちょっと眉を上げてみせた。
「いや、逆に私はマコトがスウォークを知っていることに驚いているんだが。スウォークの説明から始めなければならないと思っていた」
「偶然のことから、知古を得たんですよ。実は、昨日もスウォークの一人と会いました」
シルさんとキディちゃんが固まった。
これが日本人なら「な、なんだってーっ!」と叫ぶところだろう。
「い、いや、ちょっと待てマコト。それは本当のことなのか?」
「本当ですよ。それも、実はこの店のこのテーブルで同席しました」
キディちゃんが仰け反った。
ネコミミ(髪)が逆立っている。あ、これはもとからか。
こんなに驚かれるとは思わなかったな。
今の話からすると、異世界から来たばかりの俺がスウォークを知っていること自体が不思議なんだろうが。
「……マコトには驚かされるな」
「そうですよ! なんで言ってくれないんです? どうやって知り合ったんですか?」
そう言われてもね。
自分でもよく判らないんだよな。
「昨日、ハスィーさんと打ち合わせをした後、ちょっと何か食べようと思ってこの店に入ったんですよ。
そうしたら、突然スウォークの人が入ってきて、私に質問してすぐに帰っていきました」
食事代を奢ってくれたことは秘密だ。
「どんな質問だった?」
シルさんが乗り出してくる。
同じ分だけ仰け反りながら、俺は慌てて思い出した。
「ええと……確か、何を目指すか、と聞かれたような」
「そ、それで、どう答えたのだ?」
「あの丘の向こう、だったと思います」
いやー、あれは黒歴史だよ。
アニメの決め台詞がとっさに出てくるんだもんなあ。
しかも、考えてみたらあれって別に俺の想いというわけじゃないし。
フクロオオカミのツォルさんが、夜中に校舎の窓ガラスを割って回りそうな精神状態で言った言葉なんだよな。
俺はそこまで厨二じゃないよ。
もう社会人なんだし。
バイクも盗まないし、家出の計画も立てない。
だって、そんなことをしたら飯が食えなくなるじゃないか。
安全第一だ。
「あの丘の向こう、か」
シルさんはほおっと息を吐いて、どさっと椅子に腰掛けた。
キディちゃんは唖然としている。
そんなに大それたことなのか?
「なるほどね。マコトがギルドに呼ばれたわけも、スウォークが絡んでくるわけも判ったような気がする」
シルさんが意味不明なことを呟いて、ウェイターさんに合図した。
「ちょっと早いけど、食事にしようじゃないか。マコトの話を聞いて、今日はこれ以上進める気が失せた」
「私は違いますよ。爆発しそうです。マコトさんって、一体何なんですか」
ひどい言われようだな。
サラリーマン、いやその見習いだよ。
こっちの世界では。
「まあまあ。キディも抑えておけ。どうせ、プロジェクトが始まったら嫌でも判る」
「シルさん、何か知ってるんですね?」
キディちゃんがエキサイトしているが、俺は知らないからね。
俺自身が一番わからないんだから。
しかし、トカゲの僧正様もめんどくさいことしてくれたなあ。黙っていた方が良かったかもしれないけど、どうせバレたろうしな。
尋ねてこい(違)、と言われたことについては、後でいいだろう。
そう思いながら、俺は運ばれてきた食事に舌鼓を打つのであった。
あいかわらず美味かった。
その後、シルさんはまだ不満そうなキディちゃんを連れて『栄冠の空』に戻っていった。
俺はキディちゃんから出された宿題もあるし、真っ直ぐにマルト商会に帰ることにする。
いや、気味が悪くなってきたんだよな。
一人でぶらつくと、また変な事態に遭遇しそうで。
ところで、このレストランは『楽園の花』という名前だとわかった。
帰り際に、ウェイターさんが小さな板をくれたのだ。
どうも、このレストランの会員証らしく、次からこれを見せると割引になるということだった。
いや、こんな高い店、多分もう来ないよ自費では。
ちなみに昨日くれなかったのは、俺が食事代を自分で払わなかったからのようだ。
今日だってシルさんに奢って貰ったんだけどね。どうも、今後の上客になりそうだと誤解されたらしい。
そりゃあ、2日続けて来ればな。
違うからね。
次に来たとしたって、多分奢られだからね。
キディちゃんから借りた絵本を抱えてマルト商会の寮の自分の部屋に戻り、早速勉強を始める。
まだ昼を回ったくらいだけど、こっちの世界では夜明かりをつけると金が嵩むので、なかなか勉強する機会がないのだ。
居候の身で、光熱費をじゃんじゃん使うわけにもいかないしな。それに油のランプは煙いからな。
派遣社員の給料じゃ、どこかにアパートを借りるわけにもいかないし。そもそも保証人って、必要だよね?
それに、マルト商会にいると飯が無料なのが助かる。実際にはただではないんだろうけど、ツケで食べているようなものだと思えば気が楽だ。
かなり借金しているはずなので、完済できるのはいつの事やら。
少なくとも、正社員にならないと十分な収入は得られないと思うんだけど。
でも、正式に冒険者として雇って貰いたいかというと、二の足を踏む。
今まではある意味お客さんだったから、仕事と言っても遊んでいるようなものだったけど、本来はこんなもんじゃないだろう。
そもそも、『栄冠の空』が正社員として雇ってくれるかどうか怪しいものだし、かといって他のチームが声をかけてくれるはずもない。
やっぱ、ギルドとかに知り合い(コネ)でも作って、何とかどっかに潜り込むことを考えた方がいいかも。
幸いにして、ハスィー様というギルドの職員というだけでなく、アレスト市の領主の娘というこの上もないコネが出来たわけだし。
タスク・フォースとやらで、頑張ってハスィー様に気に入って貰って、どっかに推薦して貰えないかな。
警備隊なんかもコネがものをいうらしいし。
いやいや、何を夢想しているのか。
あんな美女といっしょに仕事できるだけでもラッキーだと、そう思っておこう。
夕方までひたすら絵本を読んで、夕食前に少しランニングして腹を減らしてから飯を食う。
その後、本格的に夜になるまで勉強して寝た。
我ながら、よく眠れるもんだ。
体力もついてきたような気がするし、やっぱり長時間デスクについてパソコンの画面みているだけの生活から抜け出せたのが良かったなあ。
若いから何とかもっていたけど、会社の上司たちをみるとみんな疲れ切っていたからな。
その疲れも、体力を消耗しているというかんじではなくて、魂をすり減らしているとでも言えそうな悲惨な疲れ方だった。
働くって大変だなあ、と思ってしまった。
ほら、俺たちってゆとり世代だからね。
先輩たちや今の幼い連中より楽をしてきているんだけど、その分踏ん張りが効かないような気がするのだ。
いや、やるときはやるよ?
でもやらないときはやらない。
極力、やらない。
それでもギリギリまでこき使われるんだから、俺たちの先輩ってどうだったんだろう。
まあいいか。
多分、もう日本には帰れないだろうしな。
冒険者になるのかなあ、こっちで。
どうするのよ俺。
というような愚痴とも悲観ともつかないことを考えながら寝て起きると、雨だった。
雨だからと言って出勤しないわけにはいかないのがサラリーマンである。
それにしても、こっちに来てから初めての雨なんじゃないのか。
雨具なんかないのかなあ、と思いながら飯を食いに行くと、ソラルちゃんが現れて傘を渡してくれた。
こっちの傘って、何というか薄い板に棒をつけたような、実に非効率な奴だった。
重くて持ちにくいし。
ひょっとしたら、地球型傘の製造販売で一発当てられるかもしれない。
と思ったけど、ソラルちゃんの話では普通の庶民は傘なんか使わないらしい。
あー、確かに聞いたことがあるな。
イギリスなんかだと、労働者階級は19世紀くらいまでは雨が降っても平気で外出していたと。
でも俺、病弱だからね。
ありがたく使わせて貰います。
さあて、今日も元気に出勤だ!




